認識する者される者 1
私は階段を上っていた。
いつものように階段を上っていた。
普段通りの学校の階段だった。
頭の上の方でパリンっとガラスが割れるような音がした。
見上げると室内では有り得ない程の眩しい光が降り注ぐ。
辺りは真っ白な世界に包まれ、目を細めても何も見えない程だ。
いや、何かが……。
真っ白な光の中に、小さな黒い翼が羽ばたいている?……。
あれは、真黒い翼の……鳥?……。
だんだん近づいて来る、あの黒い影は……人だ!
そう気づいた時、私は空から降ってきた人に押しつぶされた。
(むぎゅー、つぶれる……)
何てことはない、階段の上から落ちてきた人に押し倒されたのだ。
そして、その相手は悠長に私の上で、肩越しに振り返った首を45度傾けていた。
「これは失礼、君は浅香綾乃君だね、大丈夫かな?」
「足利先輩……」
足利京夜先輩は学年一の成績で、学校一のイケメンであると、一部の女子に噂されている人物である。
「どっどうして、私の名前を?……」
どっどっどうして、学校の人気者の足利先輩が、地味で目立たない私の名前を知っているのですかっ!
「私はね、この学校の女子の名前はすべて覚えているのだよ」
学校一の変人でもある。
「しかし、綾乃君に廊下で寝る趣味があるとは知らなかったよ」
「足利先輩が降って来たんですよ!」
「そうか、そういうシチュエーションは男女逆のような気もするが……」
「こっちのセリフですよ! どうして、いきなり降ってきたりしたんですか?」
「最近この学校で起きている不可思議な事について、少し調べ物をしていてね……」
「不可思議な事?」
「実は、一年の女子に一人、私の知らない人物がいる」
「転校生とか、ですか?」
「いや、彼女は、ずっと以前から居たように振る舞い、また周囲も、彼女を何の疑問もなく受け入れている」
「先輩の記憶違いじゃないのですか?」
「何を馬鹿な事を。人間の脳というのは、複数の物事を並列に考える事が出来る。学校中の女子生徒の名前を正確に覚えるなどたやすい事なのだよ」
どうして女子限定なのだろう?
「しかし、覚えてしまえるからこそ間違えるのだ。例えば、ここに空き缶がある」
先輩がポケットから取り出したのは唯の空き缶だ。
ただの空き缶を指先で丁寧に持っている。
「そう、君はこれをただの空き缶と思っただろうが、これは円柱ではなく、直方体の空き缶なのだよ」
指先で回転させてみると、確かに角がある。
「空き缶が丸いものだと記憶しているため、四角い空き缶でも丸いものだと思ってしまう。人間の脳には、膨大な情報が仕舞い込まれているのだ。だからこそ、目から見た物をそのまま情報として取り入れているのではなく、頭の中の都合のいい情報を事実と認識しているのだよ」
なるほど。
直方体の一面を見て円柱の空き缶だと思い込んでいたのだ。
「それがもっとも顕著に表れるのは夢だ。外の風景をイメージできなければ、扉は開かないし、窓ガラスごしに外を見ても透明なガラスの向こう側を見る事が出来ない。逆に、そこにあると、はっきりとしたイメージさえ出来れば、壁の向こう側さえ見る事も出来る」
夢?……イメージ?……。
「皆が脳に蓄積された情報を使って、彼女を他の誰かと勘違いしているのかもしれない。都合の悪い事実に目をつぶり、都合よく解釈するなど、人間の脳にとっては容易い事なのだよ。……しかし、そこで問題となるのは、勘違いされた相手というのは何処に行ってしまったのかだ」
確かに、変人であるという事実に目をつぶれば、足利先輩はイケメンである。
……ん?
そこは目をつぶっても良いのだろうか?
そもそも、事実ではなく勘違いなのだとしたら?
……女の子の上に落ちて来たり、ポケットに空き缶を持っていたり、やっぱり変人だというのは事実だろう。
ならば、イケメンであるというのが勘違いか!
……長いまつ毛、シャープな鼻、優しく微笑みかける薄い唇……あっ、いや、何を考えているのかっ!
落ち着け! 私!
ふっふーひーっふー。
赤くなっていないか?
よし、きっと大丈夫だ。
それならば……。
変人であるという事実とイケメンであるという二つの事実がある時、残念なイケメンという一つの事実になる!
うん、足利先輩は、残念なイケメンなのだ。
「どうしたのかね? 呼吸が乱れてるよ……」
「いや、これはですね……今、私の中で結論が、生まれるところでして……」
後ろから回された足利先輩の手が、顔にかかる髪に触れる。
背中に感じる足利先輩の体温、息遣いの聞こえる距離……。
えっ、あっ、っちょっと、何を……。
「君の脳も物事を並列に考える事が出来れば、私の下敷きになるなんて事も、無かったんじゃないかな」
……はっ。
この、残念なイケメンめー!




