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生き神  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第二部
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4.命


 約束の午後が訪れた。

 昨晩にやっと顔を見ることのできた月は元気がなかった。ずっと寝ていたせいではないだろう。彼女の背後に立っていた女神の姿に蝶もわたしも反感を覚えた。

 温室を共にする日華には悪いが、太陽への印象はこの一晩で大きく変わっていた。まるで、食虫花のよう。いや、食虫花よりも厄介だ。なぜなら太陽のいう事に月は逆らえないのだから。


 それでも、日華にとっては大切な主人である。わたしにとっての月と同じ位置付けであるのだから、せめて、日華の前だけでは太陽の話題をあまり口にしないように心がけた。

 日華はとてもいい子だ。それに頭もいい。きっとわたしの気遣いなど見抜いていることだろう。けれど、気づかれていないふりをして、わたしは振る舞うことに決めた。それが年上の人工花としての務めだと思ったからだ。

 それにしても、日華はどうしてあんなに自由なのだろう。太陽はあまり彼女に厳しい命令を出していないようだ。だから、今日もふらふらと外に出てしまう。何処で誰と蜜吸いをしているかも分からない状態は、人工花としては望ましくないと思うのだけれど、誰も注意しない。

 そんな彼女と自分の立場の違いに、わたしは戸惑っていた。

 そして、この約束の午後、わたしは更に日華との違いを深く噛みしめることとなった。


「華……変わりはないか?」


 太陽の寝室の中だけが、今の月に与えられた世界らしい。

 まるで虫かごや鳥かご、水槽のよう。その中で飼われる精霊ではない虫や鳥、魚のことを憐れんだこともあった。しかし、我が主人を取り巻く環境はまさにそんな状況だった。

 この檻を支配しているのは誰か。

 月と二人きりにされたこの場所には太陽の姿なんてないはずなのに、その存在感は嫌というほど感じた。


「特に何も。月は? 具合悪くない?」


 できるだけ明るく振る舞って、わたしは訊ね返す。

 月は微笑みを返してくれた。しかし、力が入っていない。


「別に悪くないよ。安静にしていなきゃならないのが不思議なくらい。剣を握って戦うくらい、今でもできるはずなのにね」


 ため息交じりに言う彼女の姿は、とても元気なようには見えない。しかし、その理由は、体調不良ではなく心の不調なのだろう。太陽に自由を奪われた今の状況は、確実に彼女の心を害している。

 わたしはそっと月の手に触れてみた。


「ねえ、月。その聖剣のことでお願いがあるの」


 できるだけ焦らないようにと自分に言い聞かせながらも、これ以上、待っていることは出来なかった。


「……太陽に聞いた」

「じゃあ、分かるでしょう? お願い。あの聖剣を貸して。わたしが駄目なら蝶でもいい。貴女の力を使える誰かがあの屋敷の混乱を抑えられるかもしれない。ねえ、月」


 それなりに期待のこもった懇願だった。

 しかし、月はゆっくりとわたしから目を逸らすと、とても小さな消え入りそうな声で、とても短く言ったのだった。


「出来ない」


 はっきりとした拒絶だった。


「許可が出来ない」

「……どうして」

「危険だからだ」

「――でも」

「私から許可を出すことは出来ない。すまない、華、分かってほしい。今のこの状況で、君たちを失うのがどれだけ怖いことか……」


 声が震えている。目を合わさないまま、月は泣いているようだった。そんな様子を見せられて、これ以上、強く出ることが出来るはずもない。

 わたしは月の手に触れたまま、沈黙してしまった。

 しかし、心はうずいたままだ。しばらく黙ったのち、わたしは言い訳でもするかのように呟いた。


「脅すだけよ」


 月はまだこちらを見ない。それでも、言い続けた。


「戦うのではないの。相手を傷つけずに戦いを終わらせに行きたいの。聖剣が少しでも扱えるという事は武器になると言われたわ。それなら……」

「華」


 ふと月に見つめられ、わたしは反射的にその目を見つめた。

 深い夜色の目。正式にわたしを購入した正当な主人の目。しまった、と思った時には遅かった。今の月の眼差しには、何かとてもよくない命令が含まれている。

 月はわたしの手を握り、言った。


「私は君を正当な方法で手に入れた」


 表情は殺したままだ。


「だから、この権限がある。君は私の人工花だ。私の為に咲くことを義務付けられている」

「月……」


 恐怖を覚えたが、目を逸らすことは出来なかった。


「この城を不用意に出ることを許さない。聖剣を手にし、戦いに向かうことは許さない。私の傍を離れず、この城を離れず、その身の安全が常に守られた状態であることを望む。言っている意味が分かるよね?」


 手を離されると、ようやく目を逸らすことが出来た。

 しかし、もう遅かった。


「そんな……」


 戸惑いが胸いっぱいに広がっていた。

 言葉で命じられただけ。そう言えばおしまいだが、これは人工花にとって重大なことだった。わたしには分からない。正式な主人による正式な形での命令に逆らう方法が分からなかった。

 これまで月はこんなことをしなかった。だからこそ、動揺は生半可のものではない。これでもう、わたしはこの城を出ることが出来なくなってしまった。違反しようにも、違反しようという気が起こせないのだ。


「そんなのって」


 泣きそうな思いで月を見れば、今度は目を逸らしたりせずに悲しそうにわたしを見つめていた。


「これまでのように庭で話を聞くくらいはいい。けれど、君が望む役目は許すことが出来ない。蝶も同じだ」


 力なく我が主人は言う。

 不本意ながらもその権限を使ったのだろうと分かった。ならば誰の影響か。分からないわけがなかった。月だって主人を持つ身なのだ。逆らえぬ主人がいるという点では、わたしも月も同じだった。

 反論したい気持ちを抑え、わたしは心の中で願った。

 あとは蝶に託されている。人工花という柵がない自由奔放な胡蝶が。彼女ならば、わたしよりもずっと上手く聖剣を扱うだろう。しかし、そんなわたしの願いは見透かされていた。


「蝶に期待しても無駄だ」


 唸るように月は言う。


「太陽の監視下にいる限り、彼女も私のように閉じ込められてしまうだろう。胡蝶を閉じ込めるなんて難しいかもしれない。それでも、私は長く太陽というひとを知っている。何度も小さな敗北し、いまは最大の敗北でここに居るのだから」


 諦めきっているその姿が悲しかった。太陽が来るより前、廊下で月に誓った日が遠い昔のようだった。

 わたしはもう一度、月の手を握りしめて誓った。


「分かった」


 不本意なのは同じだ。それでも、命じられたことに従うのが人工花である。彼女の手を握りしめて、わたしはかつてのように、かつてとは違う想いで、我が正当な主人である月に向かって誓った。


「貴女の言葉に従います」


 弱々しくも輝く月はやはり美しい。


「此処に留まり、貴女の為に咲くことを誓いましょう。月、貴女がそれを望むのなら、わたしは……」


 頬を濡らす涙は止めようにも止められない。

 それでも、怒りの為に泣いているのではないと、どうか月に信じてもらいたい。


「わたしは、人工花として貴女に従います」


 月があまりに綺麗だから、泣いているのだ。

 わたしの誓いの言葉を聞いて、月は静かに頷いた。その姿を見て、わたしは人工花として生まれた意味を改めて思い知った。主人がそれを望むのならば、たとえ間違っていると思ったとしても、それに従う事こそが幸せなのだ。どこまでも従属的であることこそ、成熟した人工花の紳士淑女の務めなのだとさんざん聞かされた。今頃、わたしと血を分けた兄弟姉妹たちも、同じように主人に尽くしているのだろう。


 そう、きっと、物置部屋に飾られたあの肖像画の方だって同じ。

 月の命をかつて守ったというわたしの親戚。彼女だって慎ましくこの城で過ごし、月の誕生を見守った。

 私情を殺してでも、そうしたのだ。

 だから、わたしも同じ。


「すまない、華」


 月がわたしを抱きしめてくる。


「すまない」


 そんな声で詫びることはないのだ。

 わたしは月のための花。月の心を癒すために、ずっとそばに居続ける花。死の恐怖を無視できないだろう主人の心に出来るだけ寄り添い、その気持ちを守れる存在にならなくては。

 月の抱擁を受けながら、わたしはそう強く思った。



 日華は今日も帰りが遅い。夕暮れ時の蜜吸いのためなのか、はたまた、そんな気遣いとは無縁に遊び惚けているのか、わたしには分からない。ただ、この温室に日華はいなくて、わたしと蝶だけがいるということが事実だった。

 蝶に抱かれながら、わたしは存分に甘えていた。

 わたしの蜜に蝶は夢中になる。そのことがなんだか嬉しくてたまらなかった。けれど、その悦びに浸り過ぎれば冷静さを欠いてしまう。取り乱すことがないように、必死に正気を保ちながら、わたしは蝶の腕にしがみつき、話しかけた。


「今日、月に言われたの」


 蜜を吸う手がやや緩む。それでも、蝶は恍惚とした眼差しをわたしの肌に向けたままだった。そんな彼女に、わたしは告げた。


「聖剣を借りるのは駄目だって。この城にいなくては駄目だって。人工花の主人として命じられてしまったの」


 やっと蝶の手の動きが止まった。


「……そう。それで、華は従うの?」

「従うしかないわ。だってわたしは人工花だもの」


 俯こうとするわたしを、蝶は覗き込んできた。蜜吸いの最中、魅惑的な眼差しを真正面から受けるのはなかなか怖い。けれど、抵抗する術もなく、わたしは蝶の目を見つめていた。

 蜜を吸ってほしい。彼女に支配されたい。

 これが、花としての本能なのだろう。わたしは何処までも従属的な存在なのだ。そんな事実を改めて知った瞬間だった。


「人工花は主人の命令には逆らえないのね?」


 優しげに蝶はわたしに訊ねてきた。

 馬鹿にするような様子はない。呆れている様子もない。ただ、わたしの話を受け止めるというだけの穏やかな様子。包み込むような彼女の魅了を前に、わたしの心はすっかり虜となっていた。


「逆らえないわ。逆らってはいけないの」

「でも、それにしては、これまで貴女は何度も月やあたしの言いつけを破って危ない目に遭ってきたわよね」

「それとこれとは別なの。正式な方法、手法で命じられてしまったのだもの。これでは逆らえない。月の命令は絶対。月もそうと分かって、わたしに謝りながら命令してきたの」


 蝶は不思議そうにわたしの話を聞いていた。きっと人工花というものを知らないのだろう。森にいるのは自由奔放な野生花ばかりだから。しかし、彼女なりに納得したと見えて、それ以上は疑問をぶつけてはこなかった。

 無言のまま蝶はわたしの蜜を存分に吸い取っていく。急な攻めに戸惑いつつ、身体の力が失われていった。意識が混濁するわたしの身体を、蝶は支え、静かに床へと寝かせてくれた。

 ともに寝そべる彼女に、わたしは再度告げた。


「蝶も出ては駄目だって」


 わたしの髪を弄りながら、蝶は表情を変えずに聞いている。


「月が言っていたわ。太陽様なら胡蝶の貴女でさえも閉じ込めてしまうだろうって。危ないことはさせられない。月の雫は諦めるしか……」


 そこまで言って、急に涙がこみ上げてきた。


 わたしは人工花だ。美しい主人の命令を聞く者。どんなに理不尽でも、どんなに辛くても、それが主人の命令ならば従わなくてはならない。たとえ主人を守るという理由があったとしても、命令を優先すべきなのだ。

 そうするべきだと血に刻まれている。

 そうしなければならないと魂に刻まれている。


 だからこそ、わたしは葛藤していた。


 本心ではやっぱり納得できていないのだ。納得できたふりをしているだけ。納得できたつもりになっているだけ。

 月の命令に従うと宣言した今も、それが人工花として正しいのだと信じている今も、やっぱり諦めきれない心が残っているのだ。

 だからこそ、わたしは涙を流していた。

 蝶はそんなわたしの涙を指で掬い取り、そっと舐めた。


「あたしは森育ちよ」


 うっとりとするほど愛らしい声で、蝶は言う。


「だから、人工花と主人のことはよく知らないし、想像もできない」


 髪を弄る手が離れ、わたしの頬へと触れる。


「けれど、貴女は人間たちが生み出した愛玩花。野生花とは違うのだから、涙を流すだけの葛藤があるのでしょう。……でも、あたしが貴女の全てを理解しきれないように、貴女にもあたしの全ては理解できないわ」

「――どういうこと?」


 その時、なんだか蝶が遠い存在に見えた。不安になって訊ねるわたしに、蝶はまさに妖精そのものの笑みを向けてきた。


「月に命じられたのなら、その通りにしなさい」


 妖しげなその雰囲気に、身体が震える。


「貴女が毎日顔を見せるだけで月の心は癒される。太陽様では出来ないはずのことよ。それにあたしにも。貴女の香りには虫でない者の心までも癒せる力があるもの」

「月が必要としているのは蝶も同じでしょう? いつも一緒に寝ていたのだから」

「……そうね。でも、もう許されない。あたしの虫かごは、もう用意されているの。太陽様のご命令よ。いえ、本当は、太陽様に唆された月の命令なのだけれど」

「虫かご……?」

「このお部屋のような場所。鍵付きの部屋に閉じ込められ、もう二度と森には行けない。胡蝶の室内飼育は難しいけれど、不可能ではないのですって。人間たちに養われる胡蝶は、一生外の世界を知らないまま暮らし、森で生まれて死ぬ胡蝶たちの何十倍も長生きするのですって。だから、そろそろあたしも森に行くのは止めるようにと城の者たちにも言われたの」


 わたしと一緒の扱いになる。これまでわたしとは違って自由を与えられてきた彼女も、人工花と同じように閉じ込められる。そこからただよう閉塞感は、きっと月の未来にもつながるのだろう。

 わたしはまだいい。人工花だもの。けれど、蝶は違う。胡蝶だって確かに人工花のように人の手で生まれ、育てられる者もいるだろう。けれど、蝶は月の森で誕生し、以来、自由を約束されてきた胡蝶なのだ。そんな彼女まで閉じ込められるようなこの状況の変化が、わたしには恐ろしかった。

 じゃあ、これでわたし達の戦いは終わってしまうのだろうか。

 外に生きる少年や絡新婦たちにすべてを託して、静かに、運命の導くままに、黙って過ごし続けるしかないのだろうか。

 この歯痒さはきっと、人工花として抱いてはいけないものなのだろう。それでも、この気持ちはなかなか変えられそうになかった。


「それでも、あたしは守りたいの」


 蝶はぽつりと呟いた。


「月を守りたい。諦めたくないの」


 見つめた先にあるその目は、どこか遠くを眺めている。けれど、決して茫然としているものではなく、何か強い灯りがきらきらと輝いているように見える。

 虫かごに入れられる前の蝶々のものにしては、とても強い炎のようだった。


 きっとこの時から、蝶の心は固まっていたのだろう。

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