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生き神  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第二部
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5.誓


 人工花だから仕方ない。主人の命令は絶対。血に刻まれている。魂に刻まれている。正しい形での命令には絶対に逆らえない。

 逆らえるはずがない。逆らっていいはずがない。

 けれど、温室のカーテンを開けて外を眺める度に、わたしの心の底では何かがざわついていた。このままで本当にいいのだろうか。これで本当によかったのだろうか。主人に従うことは人工花の美徳である。だから、わたしは間違っているわけではない。

 何度そう言い聞かせても、わたしは落ち着くことが出来なかったのだ。


 ――納得しなければ。


 すやすやと眠る日華の横で全く眠れぬままに夜が過ぎ、朝焼けと日華の外出と引き換えに訪れた蝶との朝餉も夢うつつのままに終わった。

 そして午後、昨日のように月に顔を見せに行くと、月はそっとわたしの頬に手を当ててきたのだった。


「顔色がよくないようだ」


 心配を隠さずに見つめてくる月の表情を前に、わたしは我に返った。心配をかけてはいけない。そんな思いが強まり、月の手にそっと触れて慌てて笑顔を向けてみた。


「大丈夫。ちょっと眠れなくて……」

「日華と喧嘩でもした?」

「いいえ、違うの」


 心配させまいと訴えるわたしの表情を、月は寂し気な様子で見つめてくる。

 触れられるのは嬉しいし、こうして直接会うことが許されるのも嬉しい。人工花であるわたしの主人なのだから当然だ。けれど、嬉しい分だけ、わたしは切ない気持ちにもなった。このささやかな喜びすら、いつかは訪れなくなってしまうのだと思うと、とても恐ろしかった。

 そして何よりも、この心情を月に悟られるのが怖かった。彼女はいま、何を思っただろう。わたしの表情をどのように解釈したのだろう。わたしの反応ひとつひとつが彼女を傷つけていないかが心配だった。


 全くもって傲慢なことだと自分でも思う。人工花は主人の心配をし過ぎてもいけない。そう教えられ、言葉通りに理解していた子供時代が懐かしい。あの頃からこっちしばらくはその意味も分からなかった。でも、今ならなんとなく分かる。人工花の美徳は主人を心より信頼し、疑わないことなのだ。己の主人には心配することなんてない。絶対だから当然だ。そう信じて行動することこそ人工花の魅力なのだと教えられていた。

 教えられた頃はよく分かっていなかった。此処へ来たばかりの頃も同じ。もしかしたら、無自覚ながらその通りに振る舞っていたかもしれない。けれど、大人になるにつれてわたしだって、世の中は決してシンプルなものじゃないのだと理解するようになってきた。


 間違いなくわたしは主人を疑っている。主人を心配している。月は傷つきやすい女神なのだ。この場を支配する絶対的女神とは違う。

 ただ従うだけではいけない。そんな気持ちが押し寄せてくるたびに、それでも、血に刻まれた本能らしきものがそれを阻んでしまう。

 わたしの内面で起こっている葛藤は、どの程度隠せているのだろう。触れられながら微笑んでみても、やはり我が主人の表情は優れなかった。


「どうして眠れなかったの?」


 小声で訊ねられ、わたしは必死に理由を探す。


「色々と考え事をしていて……」

「外のことか?」

「……うん」


 けれど、うまい言い訳なんて思いつかなかった。

 もともとわたしは嘘が下手なのだ。蝶にはたびたび揶揄われる。きっと森で暮らす花だったならば、相手の嘘さえも多くを見抜けずに野蛮な胡蝶に囚われていただろうと蝶は言っていた。そのくらい、わたしは世間知らずでいるらしい。人工花に生まれてよかった理由の一つかもしれない。

 しかし、今だけは嘘が得意だったらよかったのにと強く思った。馬鹿正直に頷いただけのわたしを、月がため息交じりに見つめてくるものだから。


「外に行きたい?」


 直接的にそう問われ、わたしはうろたえてしまった。

 深い夜色の目に見つめられると、抗おうとしても素直な答えが引っ張り出されてしまう。気づけばわたしは考えなしに頷いていた。


「……行きたい」

「何をしに行きたいの?」

「……月の雫を探したい」


 隠すことを諦めてそう白状してしまうと、一気に力が抜けた。

 隠し事なんてわたしの性に合わないのだろう。外に出たい、命令を違反したい、そう思うことだけは自由だと信じたかった。そうでなければ、わたしには厳しすぎる。そう思いながら恐々と反応を待っていると、月は急にわたしの身体を抱きしめてきた。


「華、私を恨んでいる?」


 月の香りに惚けているわたしにもたらされた問いは、そんなものだった。慌ててわたしは否定した。


「そんなまさか。どうして月を恨むの?」

「すべて私が無能なのがいけなかったからだ。私がもっと強く、太陽に抗えるほどにしっかりしていれば、君たちにこんな思いをさせずに済んだ。こんな命令で君を縛ることなんてなかったはずなのに」

「月……」


 怯えている。相手はきっとこの場にいない日輪の女神だろう。その恐怖がわたしにまで伝わってくるようだった。


「すまない。だが、分かってほしい。私はこのまま代替わりまで閉じ込められるだろう。それに抗うことが出来ない。自分でもおかしくなりそうなくらい、太陽に逆らえないんだ」


 これまでになく怯えている。自分を殺そうとしている食虫花とも強い心で戦ってきた彼女が、まるで守られなくてはこの世に存在できない花のようになってしまっている。聖剣を爪や牙のように扱う猛獣の力さえ持っていた彼女が、今やひとりの愛玩花に縋って涙を滲ませるまでに追い詰められている。

 鈍いわたしでも、ようやく、事態の重さに気づけた。


 月をこうしてしまったのは誰なのか。月に命令させているものは、どんな存在なのか。全体の関係が恐ろしいほどに理解できてきた。これはシンプルな問題じゃない。月はわたしの主人だ。主人の命令は絶対だ。けれど、それは平常時に限ってのこと。今は果たして平常時と言えるのかどうか。


 わたしはもう子供じゃない。月から見ればまだまだ子供なのかもしれないけれど、この世の中が白と黒、光と闇などとはっきりと区切られると思っていた頃には戻れない。

 表面だけをその通りに受け取っているばかりでいいのか。月の言葉ばかりを受け取り、内面をなかったことのように扱っていいのか。いや、そうは思わない。人工花の〈当たり前〉を守るためだけに、わたしは今、何を犠牲にしているのだろうか。

 その答えらしきものを掴んだ時、わたしは月に囁いていた。


「謝らないで、月」


 その胸にすり寄って、温もりを独り占めする。


「仕方ないわ。だって相手は太陽様だもの。無能なんてことはないわ。どんな状態だとしても、月はわたし達の尊敬する女神に違いない。だから、あまり自分を責めないでほしいの」


 思いつく限り優しい言葉をかけて、わたしは月の心を包み込もうとした。これこそ、わたしが人工花としてやるべき役目なのだろう。そう理解しつつも、その役目に没頭しすぎる真似はしない。心から月を癒そうとしつつも、奥底で冷静さをひと握りだけ残し続けた。


 決心はもはや揺らがなかった。

 この面会が終わったら、やるべきことが一つある。その前に、存分に月の温もりを確かめておこう。

 わたしの香りと温もりは、月に癒しを与えられているらしい。しばらく抱き着いていると、だんだんと月の呼吸は落ち着いていき、やがて、きまりの悪そうなため息と共に月は言った。


「すまない」


 いつもの冷静な声だった。


「取り乱したみたいだ。おかしいよね。忘れてくれ、華」

「……月がそう望むのなら」


 しっかりとそう唱えるわたしの様子に、月はさほど疑問を覚えなかったようだった。



 面会が終わると、わたしはそのまま長い廊下を無言で歩いていた。

 使用人も女中も仕事をしているし、日華は何処に行ったか分からない、蝶の姿も見当たらない、太陽も姿を見せないという好条件の中、わたしは息をひそめてある場所を目指していた。

 月が閉じ込められている太陽の部屋とは対照的な位置にある部屋。月の部屋と呼ばれ、ついこの間まで、月が蝶と二人で使っていた寝室と書斎のある場所だった。鍵がかかっていないことを願いながら、わたしは長い廊下を歩いていた。

 歩いているだけなのに、心臓が張り裂けそうだった。けれど、運命はわたしに味方したようだ。誰にも呼び止められることなく、わたしは月の部屋へとたどり着き、ドアノブへと手をかけることが出来たのだ。

 鍵は開いている。

 用があるのは書斎。覚えていることがあった。今も変わっていないのかどうか、あとは扉を開いて確かめるだけ。しかし、そんなわたしの逸る心を凍り付かせるかのように、背後から白い手は伸びてきたのだった。

 恐怖と衝撃で動きを止めるわたしを、その手の持ち主は抱きしめてくる。蝶や月以外の抱擁は珍しい。その滅多にない感触に惚けていると、〈彼女〉はくすりと笑った。


「そこは温室じゃないわよ、華」


 揶揄うようなその言葉は、太陽のものだった。


「太陽様、いつの間に……」


 確かにさっきまでは誰もいなかったはずなのに。しかし、訊ねるほうがおかしいといった具合に太陽は笑っていた。


「退屈しのぎなら図書室にでも行ったらどう?」

「……えっと」

「――それとも、貴女にはこの場所でなくてはならない理由でもあるの?」


 鋭く訊ねられ、今度は押し黙ってしまった。

 何でもいいから話を合わせなくては。そう思う反面、そもそもこの人相手にその場しのぎの態度なんて意味があるのかと疑問にも思う。

 結局、どうすればいいのかも分からないまま、わたしは太陽にされるがままとなっていた。


「貴女の役目は剣を手に取り戦う事ではない」


 言い当てられて、わたしは戸惑った。


「……何のことでしょう」


 呆然としたままそう言う事しかできなかった。そんなわたしを追い詰めるように、太陽は言う。


「人工花の心を縛るには主人の言葉が一番だと思ったけれど、どうやら貴女はずいぶんと頑固な心を持っているようね。その健気さと気丈さは認めてあげましょう。けれど、無謀なことはいいことではない」

「……わたしはただ、この部屋に」


 言い訳しようにも、背後に感じる太陽の眼差しが鋭すぎておぼつかなかった。


「貴女が命令違反を考えることくらい、予想済みよ。聖剣を手にさえすれば、この状況を変えられると思ったのでしょう? 月の雫を探すために、危険な食虫花の屋敷に向かうのだと」


 もはや言い逃れをする意味もなかった。

 わたしは観念してため息を吐くと、覚悟を決めてから言い返した。


「……剣はただ相手に怪我をさせるための道具ではないと思っています」


 振り返る勇気はなかったものの、太陽の手にきちんと触れながら言った。


「とくに聖剣に眠る力は誰もが恐れています。その正当な力をほんの少しでもわたしは使うことが出来る。この事実はどれだけの者が恐れるでしょうか。食虫花の屋敷を悩ましている大百足だって、きっと……」


 可能性という神様は頼りになるものだ。明るい希望や期待を抱き続けられる限り、わたしは諦めということを知らないままでいられる。しかし、わたしの背後にいるこの大地にとって異質な女神は、そんな大人になり切れないわたしにも諦めということを教えてくれる存在のようだった。


「それは貴女の役目ではない」


 冷たく、そして優しく、太陽はそう言った。


「私は貴女を見つけた。見つけた以上、阻まなくてはならない。貴女は月を主人とする愛花。この事実がある以上、貴女に剣を持たせることは出来ない」

「……どうして」

「貴女を行かせてしまうことが、月の心にとって良くないことだから。……こっちを向いて、華」


 静かに言われ、わたしはやっと振り返ることが出来た。

 そこにいたのは想像していたよりも輝きの少ない、まるで人間か精霊のような美しいだけの女だった。月の大地には眩すぎる色の髪に、あらゆるものを焦がすような視線は、確かにわたしの記憶している太陽のものだけれど、今、目の前にいるのは、ただ日華の身柄を高額で引き取っただけの人物にしか見えなかった。何故だろう。わたしが心内に抱いていた太陽への得体の知れなさを今だけは感じられない。何物をも焦がすその眼差しが、悲しそうに見えたからなのだろうか。

 ぼんやりとしているわたしの頭を、太陽はそっと撫でていた。


「月下美人の一族、月の花の一族、白い花の一族。呼び方は様々だけれど、これまでも貴女たちの血統は繊細さと主張の強さが共存する奇妙なものだったわ」


 太陽は語った。わたしの目を覗き込みながら。


「深紅の目は血の証でもある。貴女に流れる血は濃いものなのでしょう。その分、身体は弱いかもしれない。けれど、貴女のその気性は間違いなく私が見てきた月に寄り添う花のものよ」


 長い時を生きてきた彼女。このように生き物らしい表情をしていると、その単純な経歴すらも忘れてしまいそうだった。


「これは命令ではない。私からのお願いでもある」


 そう断ったうえで、太陽は言った。


「月の傍にいてあげて。あるかどうかも分からない月の雫を取りに行く必要はない。今ある時間を大事にしなさい。長く生きてきた。その中で、何度も月の生まれ変わりに立ち会った。その私に言わせてもらう。月の雫はないものと思った方がいい。今ある時間を蔑ろにするのは、一人で十分。貴女までそんな幻想に囚われなくてもいい」


 太陽の大地は月の大地よりも格上とさえ言われている。その大地の女神が人間に養われる存在であるちっぽけな精霊のわたしにお願いをしているこの様は、人間たちが見たら度肝を抜かすだろう。

 それでも、わたしは光栄になんて思えなかった。必死に理由を探し、言い訳を探し、正当性を探した。そうしてやっと見つけ出した答えを、口にした。


「……無駄足でもいいの」


 人間の女のように見つめてくる太陽に縋り、わたしは訴えた。


「でもこれは、月の意思でもあったはず。食虫花に何かあれば、あの場所の人たちはたくさん死んでしまう。月の雫だけじゃないわ。あの場所を守ることも月の望んでいたことのはず。そうよ、たとえ月の雫がなくたって、誰かがあの場所に行って百足を追い払わなくては!」


 誰かがいかなくては。月の代わりに。

 そう訴えている途中で、わたしはふと太陽の表情に気づいた。彼女はついさっき、何と言っていただろう。一人で十分。貴女までそんな幻想に囚われなくても。


 ――それって……。


 今しがた浮かんだ疑問が解消されるより前に、太陽は口を開いた。


「そう、それが貴女の考えね」


 呆れたようにそう言ったかと思うと、太陽はあっさりとわたしの身体から手を放し、月の部屋の扉を開けてしまった。


 開かれた先には久しぶりに見る書斎の姿が見える。誰かがいつも掃除しているのだろう。異様なほど清潔なままだった。先に中へ入る太陽に、おずおずとついて行くと、あらゆる武器が飾られている壁へと太陽は真っすぐ向かっていった。見つめている太陽の表情は特に変化はない。とっくの昔にこの事実を知っていたのだろう。知っていたからこそ、わたしを止めたのだろう。

 壁には装飾の施された武器がいくつかある。人間たちが代々の月の為に贈ったものばかりだが、その殆どはこうして飾っておく以外に使い道がない。ここに飾られていたうちで重要なものはただ一つ聖剣だけだった。

しかし、今はその最も重要な月の右腕は、何処にもなかったのだ。


「聖剣が……」


 驚くわたしの横で、太陽は非常に冷静に口を開いた。


「こういう事よ。貴女が行く必要はない。もうすでにお姫様を救う勇者はこの城を飛び出してしまったから」


 太陽の言葉を聞きながら、わたしはじわじわと事態を理解していった。そうして得られた結論は何か。この城でもっとも勇者に相応しい人物は誰か。


「……蝶!」


 わたしにとっても月にとっても愛すべき人の名が口から飛び出した。

 書斎から慌てて眺める窓の外には、月の森が広がっている。庭から外へと歩くもの、森の端々を動くもの。誰の姿もいまは見えなかった。

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