第一話「赤き波の幼子」
**第一話「赤き波の幼子」**
**第一章 赤間関の落日**
寿永四年(1185年)三月二十四日、関門海峡。
風は猛り、波は渦を巻いていた。平家の赤旗が幾百となく海面を覆い尽くし、交錯する矢弾と散っていく武者の血で、関門の潮汐は朱に染まっていた。
揺れる軍船の甲板で、わずか五歳の平景春は、甲冑の鉄の匂いと潮の匂い、そして生臭い血の匂いに立ち尽くしていた。
「決して泣くな、景春。平家の血を絶やすわけにはいかぬ」
父・平清房の重く鋭い声が響く。
沖合では、二位の尼が幼い安徳天皇を抱き、「波の底にも都の候ふぞ」と言い残して大海原へと身を投げた。武将たちが次々と錨を抱いて海に没していく中、清房は断腸の思いで決断する。
「安徳様はお救いできずとも、平家の怨念と復讐の種、そしてこの神器の守護だけは果たさねばならぬ」
清房は、重厚な漆塗りの唐櫃を景春の背に括り付ける。中には壇ノ浦の混乱の中で密かに運び出された「三種の神器」の一つが納められていた。
「忠太、景春とこれを託す。潮の流れを読め。関門の急流はおのずと我ら平家の味方となる!」
忠太という忠臣は景春と唐櫃をその腕に強く抱きしめると、源氏の矢が降り注ぐ血の海へと身を躍らせた。
頭上を疾走する矢、冷たい海水、そして船上で源氏の武者と刺し違えて没していく父の姿——幼き景春の瞳には、赤く染まった波と父の最期の姿が一生消えぬ焼き印として刻まれたのだった。
**第二章 受け継がれし執念**
それから約八十年後。
対馬のさらに北、地図にも載らぬ切り立った断崖の孤島。夜の潮騒が響く庵の中で、白髪となり老いさらばえた景春は、眼前の青年に向かい合っていた。
青年の名は平景明。景春の孫であり、冷徹な知性と海の気象を読み切る鋭い眼光を持つ男であった。
景春は震える手で、あの唐櫃を開ける。中には八十年の時を経てもなお、神秘的な光彩を放つ古びた神器が鎮座していた。
「景明よ……あの赤き海を覚えているか。わしは片時も忘れたことはない。源氏の者どもが誇る幕府を、この手で潰えさせねば、壇ノ浦に沈んだ数百の御霊は浮かばれぬ」
「祖父上、源氏の治める鎌倉は強固です。ただの兵を挙げたところで返り討ちに遭うのみ」
景明の声には惑いがない。景春は薄く笑った。
「だからこそ……海の向こうを見るのだ。高麗を呑み込み、南宋をも追い詰める蒙古という巨大な化け物が蠢いている。あ奴らの力を借り、あ奴らの手綱を握るのだ」
景春は景明の手を強く握りしめた。
「神風など吹かせぬ。気象を読み、潮を操り、蒙古の鉄騎を博多に、そして熊本、鹿児島へと導くのだ。九州を再び平家の国となせ」
景明は静かに頷き、神器を固く抱きしめた。
「お任せくだされ、祖父上。蒙古を駆り、幕府を喰らい……平家の赤旗を再び九州の空に掲げてみせます」
海の向こう、大陸ではフビライ・ハーンの野望が熱を帯び始めていた。平家の八十年の怨念が、歴史を激震させる「もう一つの元寇」へと動き出した瞬間であった。
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