第42話 おやめなさい!
翌朝――村へやって来たパソネス男爵の姿は、昨日の朝の印象とはまるで違っていた。
甲冑を纏い、まるで戦場に赴くかのような重装。
その視線は地の民へと向けられていた。
「――ちょっと、退いてくださいまし」
張り詰めた空気の中へ、私は一歩踏み出した。
甲冑を纏ったパソネス男爵と睨み合う地の民たちの間に割って入り、強引に道を作る。
その先にいたのは――アメリア、ミゼル、そしてフェンダだった。
三人とも、怒りを隠そうともしない男爵を前に、どう振る舞うべきか分からず立ち尽くしていたのだろう。
だが、私の姿を認めた瞬間、揃って息を呑み、次いで安堵の色を浮かべた。
「イデア様……! 昨夜はお戻りになられなかったので、本当に心配いたしましたわ」
アメリアが駆け寄ってきて、私の手をぎゅっと握る。
その指先は少し冷たく、瞳にははっきりと涙が滲んでいた。
――心配をかけてしまいましたわね。
「ごめんなさい。少し、事情がありましたの」
そう答えると、アメリアはようやく胸を撫で下ろしたように、深く息を吐いた。
「イデア様、こちらが例の薬になります」
ミゼルが一歩前に出て、小さな手で三角折りの薬包紙を差し出してくる。
それは軽いはずなのに、なぜかずしりと重く感じられた。
「一日三回、毎食後に服用していただければ、二、三日で寄生茸は枯れますわ」
淡々とした口調。
だが、その言葉が持つ意味を思えば、背筋が伸びる。
アメリアが持ち帰った茸を一目見ただけで、彼女はそれがキノコ蜘蛛による寄生茸だと見抜き、わずかな時間で解毒薬を完成させたという。
――マヤの言葉はやはり正しかった。
六歳にして、この腕前。
凄腕の薬師と呼ぶに、何の誇張もない。
「ロブフ村の方々にも、すでに同じ薬をお渡ししております」
「……あなた、本当にすごいですわ」
思わず、率直な感想が口をついて出た。
ミゼルの動きがどこかぎこちないのは、まだ持病の痔が治りきっていないからだろう。
一瞬、痔に効く薬も調合できないのかしら、などと不埒な考えが浮かびかけたが、慌てて打ち消す。
――功労者に向ける思考ではありませんわね。
「イデア様!」
フェンダが深々と頭を下げる。
「この度は、本当にありがとうございます。イデア様がいなければ、ロブフ村の方々がどうなっていたか……」
言葉を継ごうとして、彼女は一瞬言い淀んだ。
「もし、最悪の事態になっていれば……パソネス家は……」
その先を聞くまでもなく、想像はつく。
ロブフ村の人々が寄生茸によって命を落としていれば、すべての責任は領主であるパソネス家に降りかかる。
領地も、爵位も、失っていた可能性すらあるだろう。
「感謝されるべきは、私ではありませんわ」
私は静かに首を横に振った。
「異変に気づいたのも、茸をミゼルに渡すよう手配したのも、すべてマヤですわ。私は……ただ、そこにいただけですもの」
するとフェンダは、はっとしたように視線を巡らせ、マヤを見つけると、その肩を掴んだ。
「マヤ! あなたって人は……本当に、パソネス家にとって幸運の女神だわ!」
突然の称賛に、マヤは間の抜けた顔でこちらを見返し、いつものように気の抜けた笑みを浮かべる。
――まったく。
本当に、不思議な子ですわね。
「――我が領地に、まだ居座っておったか! この山猿共めっ!」
怒号が山の空気を切り裂いた。
「また貴様か。言ったはずだ、この山は我らの先祖が残してくれた土地だ。あとから来た貴様に、許可を得る必要などない!」
唾を飛ばし合う二人――
パソネス男爵と、ゴルドフの父であるアモスは、今にも互いに噛みつかんばかりの勢いで睨み合っていた。
どうやらこの二人、単なる領主と地の民の代表という関係ではない。
長年にわたる憎悪と不信が、言葉の端々から滲み出ている。
「今日という今日は許さんぞ! 税を払わぬばかりか、我が領民の命を危険にさらした罪――その命をもって償ってもらう!」
「なんだと! 確かにロブフ村の者たちには申し訳ないことをした。いずれ、俺自ら謝罪にも赴くつもりだ。だが、それを貴様にとやかく言われる筋合いはない!」
アモスは胸を張り、男爵を睨み返す。
「それに、この俺と戦って、貴様のような小さき者が無事でいられると思うなよ!」
「ぶ――無礼なっ!」
男爵の手が、腰の剣へと伸びかける。
それを見た瞬間、私は一歩前に出た。
「――おやめなさい!」
自分でも驚くほど、声はよく通った。
二人の視線が、一斉にこちらへ向く。
このままでは、本当に血が流れる。
それだけは、どうしても避けねばならなかった。
私は深く息を吸い込み、意を決して告げる。
「まずは……話し合いましょう。ここで刃を交える理由など、どこにもありませんわ」
剣呑な空気は、かろうじてその場に縫い止められた。
◆
「税を納められぬのなら、出ていけ!」
話し合いの席で、パソネス男爵は一点の揺らぎもない声音で言い切った。
「この地に住まう以上、国が定めた税を納めるのは義務だ。理由がどうあれ、アストラル王国の領内である以上、それは当然の話だろう」
――もっともな意見だ。
感情を抜きにすれば、法としては正しい。
「ここは我らの地だ!」
対するアモスは、拳を握りしめて反論する。
「我ら地の民は、アストラル王国が建国されるよりも前から、この山で生きてきた! それを後から来た貴様らが、勝手に“領地”だと宣っただけの話だ!」
彼らは言う。
自分たちはアストラル王国の民ではない。
だから税を払う義務もないのだ、と。
――その言い分が、理解できないわけではない。
だが。
私は、どうしても男爵の言葉に理があると感じてしまった。
それは、私がアストラル王国の公爵令嬢だから、という理由だけではない。
地の民が数百年にわたり、この山で暮らし、繁栄を続けてこられたのは――
アストラル王国の庇護下にあったからこそだ。
もし、この地が王国の版図でなければ。
今頃は他国に蹂躙され、彼らは滅ぼされていたかもしれない。
彼らは感謝する必要はないと言う。
だが、彼らの“今の安全な暮らし”は、パソネス家がこの地を守り続けた結果でもある。
人は、一人では生きていけない。
現に彼らは、ロブフ村と密かに取引を行っていた。
その事実だけでも、彼らが完全に王国と切り離された存在ではないことは明らかだ。
もし、この件を国に正式に報告すれば――
不法滞在。
数百年にわたる脱税。
アストラル王国は、容赦なく地の民の排除に動くだろう。
それほどの罪を、彼らは積み重ねてきたのだ。
今までそれを黙認してきたのは、きっと――
パソネス家の、ぎりぎりの温情だった。
だが、今回の寄生茸の件で、ついに限界を超えた。
領主として、陛下から預かった“領民”に被害が出た以上、男爵が強硬な姿勢に出るのは、当然のことでもあった。
――だからこそ。
この対立は、簡単には終わらない。
私は胸の奥に重く沈むものを感じながら、二人の顔を見比べた。
このままでは、どちらかが必ず破滅する。
その予感だけが、はっきりと胸に残っていた。
「我らから奪えるというなら奪ってみろ! 貴様など、この場で八つ裂きにしてくれるわ!」
「良かろう! ならば表へ出よ! このタップ=パソネス自らが、その首、叩き斬ってくれる!」
怒号が火花を散らし、二人はほとんど同時に席を蹴った。
椅子が床を擦る不快な音が響き、今にも刃が抜かれそうな気配が室内を満たす。
――まずい。
私は反射的に立ち上がり、テーブルへと両手を叩きつけた。
バンッ!
「――おやめなさい!」
乾いた音が、張り詰めた空気を叩き割る。
二人の視線が、ようやくこちらへ向けられた。
……まったく。
男という生きものは、どうしてこうもすぐに暴力へと傾くのかしら。
――阿呆の極みですわね。
傷つけ、傷つけられたその果てに、いったい何が残るというのか。
怒りに身を任せた剣は、問題を解決するどころか、ただ禍根を増やすだけだというのに。
「しかし、イデア様……」
沈黙を縫うように、パソネス男爵が低い声で言った。
「このまま彼らが税を納めないと言うのであれば、パソネス家としては、国へ報告せざるを得ません」
「……そう、ですわね」
それが何を意味するのか、理解できないほど私は愚かではない。
国に報告が上がれば、調査、制裁、そして――
地の民に待つのは、破滅以外の何ものでもない。
しかも、その結果としてゴルドフが再び敵に回る可能性すらある。
今度は魔王ではなく、アストラル王国そのものに深い怨嗟を抱いて。
聖女の仲間になるとは思えない。
けれど――魔王側につかない、という保証もまた、どこにもない。
――さて。
どうするべきなのかしら。
「(……何か、良い案はありませんの?)」
私は、先ほどからこの緊迫した話し合いに一切関心を示さず、優雅にお茶を啜っている令嬢――マヤへと視線を送った。
世界の理を知る彼女ならば、この状況を収める術を知っているはず。
そう、信じていたのだけれど。
「(……さすがに、予想外のことが起こりすぎてるかな)」
「(……で?)」
「(あたしの知らないことだらけ。だから、無理)」
「(……え?)」
「(知っている展開なら、事前に策も練れるよ? ……でもさ、タップ男爵とアモスが決闘寸前、なんてルートは知らないもん。これはさすがにお手上げかな)」
――頼みの綱、断絶。
マヤが余裕で静観していたわけではない。
単に、彼女の“知識の外側”で物事が進んでいるため、介入できないだけだった。
……非常に、まずいですわね。
世界の理を知る者が使いものにならない以上、残された選択肢は一つ。
――自分で、どうにかするしかありませんわ。
考えなさい。
考えるのです、イデア=シュベルッツベルグ。
この選択ひとつで、私の未来は大きく形を変えてしまう。
「……っ」
冷静に見れば、パソネス家の言い分が正しいのは明白だった。
そもそも、この問題は単純だ。
地の民が税を納められさえすれば、それで解決する。
――落ち着いて対処すれば、最悪は避けられるはず。
そう判断した私は、真正面から問いを投げかけることにした。
「……税を納めることは、本当にできませんの?」
「……金があれば、不可能ではない」
「……ん? つまり、どういうことですの?」
一瞬の沈黙。
そして、吐き捨てるように。
「金が、ない!」
「…………」
要するに、そういうことだった。
払いたくないのではない。
払えるだけの金が、存在しない。
この山で、ほぼ自給自足の生活を送る地の民にとって、金銭を得る手段そのものがないのだ。
市場もなく、流通もなく、貨幣が入り込む余地すらない閉じた環境。
――なるほど。
これは、単なる反抗でも怠慢でもない。
構造そのものが、詰んでいる。
「あ――」
思わず、声が零れた。
その瞬間まで、胸の内を占めていたのは行き場のない閉塞感だった。事態は膠着し、どこへ進んでも角が立つ――そんな未来しか見えていなかったはずなのに。
けれど、不意に。
まるで霧が裂けるように、ひとつの考えが脳裏を貫いた。
……そうですわ。なぜ、こんな簡単なことに気づかなかったのかしら。
胸の奥で、静かに歯車が噛み合う音がした。
これは賭けではない。
奇策でも、力押しでもない。
ただ、双方の利害を正確に並べ、その隙間に道を通すだけの話だ。
私は深く息を吸い、彼らへと視線を向けた。
――覚悟は、もう決まっている。
「よろしいですか」
自然と背筋が伸び、声は不思議なほど落ち着いていた。
「お二人に、一つ提案がありますの」
「……提案?」
ざわめきが走る。
けれど、私は続けた。
「互いに損をせず、むしろ得をする――そのための、唯一の解決策ですわ」
胸の内で、静かに確信が灯る。
この方法なら、地の民は救われ、パソネス家も損をすることはない。
むしろ得をすることになる。
――きっと、うまくいきますわ。
私は、そう自分に言い聞かせながら、言葉を紡ぎはじめた。
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【☆あとがき☆】
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