第35話 ノックをしなさい!
――しかし、そこでふと、ひとつの疑問が胸をよぎった。
では、昔はどうやって採掘を行っていたのかと。
人手も、資金も、そして今ほど問題が山積していなかった時代。
あれほどの規模の鉱山を、いったい誰が、どのように掘り進めていたのだろう。
「それは――」
問いかけに応えたのは、タップ=パソネス男爵だった。
彼は一瞬、遠い過去を思い返すように視線を落とし、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「一昔前までは、この辺りにも鉱夫が大勢暮らしておりました」
かつて、この地には活気があったという。
鉱山の麓には簡素な家屋が立ち並び、朝になれば鉱夫たちが笑い声を交わしながら坑道へと入っていった。
だが――それは、ある日を境に終わりを迎えた。
「原因は……魔物です」
その一言で、食堂の空気が重く沈んだ。
鉱山を掘り進めるにつれ、坑道の奥から強力な魔物が湧き出るようになったのだという。
元よりこの地は、魔物の出没が多い場所だった。
しかし、掘れば掘るほど。
地の奥へ近づけば近づくほど――まるで呼び水にでもなったかのように、魔物の数は増えていった。
「鉱夫たちは、次々と襲われました」
怪我を負う者。
二度と坑道から戻らなかった者。
恐怖は瞬く間に広がり、やがて人々は鉱山に近づくことすら拒むようになった。
「気がついた時には……誰も、残っていなかったのです」
フェンダが、思わず息を呑む。
私もまた、背中をなぞるような冷気を感じていた。
だが、パソネス家は手をこまねいていたわけではない。
魔物を駆除するため、冒険者を雇った。
討伐依頼を出し、報酬を積み、何度も、何度も。
それでも――
「倒しても、倒しても、湧いてくるのです」
男爵の声には、諦めにも似た疲労が滲んでいた。
「龍の背骨と呼ばれるあの鉱山は……どうやら、巨大な魔物の巣だったのでしょうな」
龍の骸に見立てられた山。
だが実際には、それは“眠れる巣”であり、掘り起こすたびに牙を剥く存在だった。
静まり返った食堂で、その言葉が重く響く。
以来――。
パソネス家が誇った巨大鉱山は、富を生む希望ではなくなった。
近づく者を喰らい、領地を蝕むだけの、負の遺産と化したのだ。
私は、無意識のうちに拳を握りしめていた。
なるほど。
人手の問題、資金の問題。さらには魔物の脅威という問題まで抱えているのか。
パソネス家が抱える問題を打ち破る秘策を、ひょっとするとマヤはすでに掴んでいるのではないか――そんな淡い期待を抱いたのも束の間だった。
彼女の視線は、男爵の重たい語りからあっさりと離れ、テーブルの中央に盛られた色鮮やかなフルーツへと移っていた。
――期待した私が馬鹿でしたわね。
結局、鉱山の話はそれ以上深まることもなく、曖昧な余韻を残したまま終わりを迎えた。
食後、私たちはそれぞれ用意された客室へと戻った。
私は自室の安楽椅子に身を預け、アールが淹れてくれたローズティーを口にする。
ほのかに甘く、鼻腔をくすぐる花の香り。
この茶葉は、アールがシュベルッツベルグ家から持参したものだった。
ティーセット一式に加え、彼女が運び込んだ荷物の量は尋常ではない。
平民が見れば、引っ越しか、さもなくば夜逃げと勘違いしても不思議ではないほどだ。
――いったい何泊するつもりなのでしょう。
そんなことを考えていた、その時だった。
「イデアいる!」
ガチャン、と無遠慮な音を立てて扉が開く。
ノックも何もあったものではない。
当然のように入ってきたのは、非常識の権化――マヤだった。
アールが一瞬、何か言いたげに息を吸うのが分かった。
だが、彼女は結局、マナーについて何も口にしなかった。
――きっと、スラムでの一件を経て、彼女は悟ってしまったのだろう。
この相手に、礼儀を説く意味などないのだと。
「……ノックをするのは、最低限のマナーですわよ」
「あっ、クッキーだ! あたしも食べちゃおっと」
私の言葉は、見事なまでに無視された。
断りもなく隣に腰を下ろし、マヤは当然のようにクッキーへと手を伸ばす。
「……っ」
ぎり、と。
刹那、私の斜め前に立つアールの奥歯が噛みしめられる音が、はっきりと耳に届いた。
視線を向けると、彼女の額には、はっきりと青筋が浮かび上がっている。
――これは、後でチョコレートをあげた方がよさそうですわね。
「フェンダはこれからお父さんと、絹糸の生産工場を見に行くんだって。イデアは行かないよね?」
「ええ。興味ありませんわ」
朝食の席で、フェンダと男爵から工場見学に誘われていた。
だが、見たところで私に分かることは何もない。そう判断して、丁重に断ったのだ。
その際、男爵がわずかに目を見開いたのを覚えている。
彼は未だに、私が絹糸の視察を目的としてここへ来たのだと勘違いしているのだろう。
「ならさ、今から一緒に村へ行かない?」
「村?」
マヤの言う“村”が、どこを指しているのかは分かっていた。
別世界において、増税によって崩壊するはずだった、例の村。
そして――その村と水面下で取引をしている者たちの中には、いずれ私の前に立ちはだかる聖女の仲間がいる。
敵となる可能性がある以上、早い段階で情報を集めておくに越したことはない。
私はティーカップを静かに置き、マヤを見据えた。
――運命が変化したかを確かめるためにも。
これは、まさにうってつけの機会ですわね。
「行きますわ!」
即断だった。
逡巡も、躊躇もなかった。迷っている暇などない――私はすでに、運命の外側に足を踏み出しているのだから。
こうして私たちは、かつて“崩壊するはずだった”かの村へと向かうことになった。




