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離別と決意の鍋料理⑤

 

 ジルさんがいなくなった屋敷で、私はひとしきり泣いた。泣いている間、エディンガー伯爵はそばに寄り添ってくれており、申し訳なく思ったけどこらえることなんてできなかった。

 ようやく泣き止んだころ、すでに朝を迎えようとしていた。

 そのあとは、与えられた部屋に行って眠った。深く、深く眠った。


 それから数日。私は、ジルさんの家に帰っていない。

 だんだんと冷静になってくると、いろいろな懸念が頭の中に浮かんでくるも、それに対する疑問を一つずつ消していくことで気持ちは徐々に固まっていく。


 当然、伯爵が私をだましている可能性も考えた。

 最近評判を上げているジルさんお店。そしてそこに勤める見慣れない女。

 当然、少し情報を探れば、私が来てから店が変わったのだとしることができるだろう。そうなれば、貴族が興味をもって利用しようと考えるなんてあり得る話だ。

 けれど、エディンガー伯爵は、いつでも気が変わったら私に店に帰っていいと言ってくれた。

 屋敷の中での自由を認めてくれたし、不自由なく過ごすことができた。

 疑問にも答えてくれるし、常に私の意思を尊重してくれる。

 それこそ、信じてもらうためにやってるのかもしれないけど、その態度には嘘は感じられなかった。


「当然、貴族としての利益もある。だが、それとマユさんの利益が同じ方向を向いていれば問題はないと思わないかい?」


 ある時、「なぜ私によくしてくれるのか?」を聞いたところ、帰ってきた返答がそれだった。

 

 エディンガー伯爵は、第六層に魔力を込められる人間と縁がある人らしい。同じような境遇にある私を見つけられたのも、そういった背景があったためだった。

 だからこそ、同じことを繰り返したくないと伯爵は言う。

 もちろん、第六層に魔力を込められる人が家族になるのは、とても利があるとも言っていたけれど。


 いろいろな疑問を解決するために、伯爵は町にある図書館のような資料室にも連れて行ってくれた。

 そこにある資料には、当然、第六層に魔力を込められる人の話があった。そこに書いてある話と伯爵が語る話には祖語がなく、むしろ伯爵の話のほうが詳しいのだから余計に信ぴょう性がでる。

 伯爵の話に信ぴょう性がでる、ということは、やはり私はジルさんの店には帰れないといことに他ならなかった。




 一週間がたった頃、私はようやく心を決めることができ、伯爵と相対した。場所は食堂。

 忙しい合間を縫って食事をともにしてくれた伯爵は、私の真向かいに座っていた。

 もっと時間をくれるといったが、今言わないと私も踏ん切りがつかなそうだったのだ。


「エディンガー伯爵。私はあなたの提案を受けようと思っています」

「そうかい? 前も言ったが、前の店に戻り、私の保護下にあると宣言するだけでも利はある。望むなら、そういった道もなくはない」

「けど、それだとジルさん達への危険はきっと増すんですよね? それなら……私はあなたの娘になろうと思います」

「ふむ……」


 伯爵はしばらく顎に手を当てて唸ると、小さくうなづいてほほ笑んだ。


「マユさんが良ければそのようにしよう。すでに、あの人への連絡はついているんだ。快く迎えてくれるそうだよ」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

「けれど――」


 伯爵はそこで言葉に詰まると、眉間にしわを寄せた。


「一度も戻らなくていいのか?」


 その言葉はきっと、私をおもんばかってのこと。その想いに、できるだけ自然に笑顔を作った。


「はい。あの時、お別れは済ませました。荷物も大したものはありませんし、大丈夫です」

「そうか。部下に取りに行かせることもできるが」

「いえ……それも、すこし」


 私が言葉に詰まってうつむくと、伯爵は私の頭にぽんと手をのせて優しい声でつぶやいた。


「なら、そのままにしておこう。さぁ、私の娘になるのなら今日から忙しくなるよ? 覚悟はできているかな?」

「は、はい!」

「よろしい! では、行こうか」


 そういうと、エディンガー伯爵は踵を返し片腕を私に差し出した。

 私は、その腕にをっと片手をのせ互いに目線を合わせる。


「それほどたやすい道ではないと思うが?」

「それは、どちらに行っても同じですから」

「違いない」


 そういって、心の片隅に思い出を押しやって、精いっぱい笑ったのだった。


 ◆


 俺は、伯爵の屋敷でマユと会ったあの夜。まっすぐと家に帰ったようだった。

 ようだった、というのはあまり覚えていないのだ。朝、気づいたら家にいたのだから。

 次の日の朝、夢かと思って慌てて台所にいったが、当然誰もいなかった。俺は、店を開ける気にもならずにぼうっと座っていることしかできなかった。


 そうこうしていると、ソフィアもやってくる。ソフィアは、俺の顔を見るや否や、目を見開いて声を上げた。


「お兄ちゃん! どうして開店準備も終わってないのにそんな――ってあれ? えっと、マユさんは?」


 俺はソフィアの声を視線を向けるが声はでない。すぐにうつむいてしまい、何も考えられなかった。

 するとソフィアは俺の目の前にきて大声を張り上げる。


「ソフィアさんはどうしたの!? 昨日、連れて帰ってきたんじゃないの!?」


 答えるのも億劫だ。

 その気持ちを表現したかったのか、つい目をつぶってしまう。すると、ソフィアが俺の胸倉をつかんで前後に揺さぶった。


「ちょっと! 聞いてるの!? マユさんはどうなったって聞いてるのよ! もしかして貴族に連れ去られたまんまなの!? ねぇ、お兄ちゃん――」

「マユはもう帰ってこない」

「帰ってこないって――全然、意味がわからないんだけど!」

「あいつが決めたんだ! あいつは自分の意思でここから出て行った! それがすべてだ!」

 

 とっさに怒鳴ってしまった。

 ソフィアを見ると、驚きと恐怖でその顔は引きつっている。けど、俺だって余裕があるわけじゃない。感情が、抑えられない。


「俺では、あいつを守り切れなかったんだ……むしろ、マユはあっちにいたほうが幸せなんだよ。だからいいんだ。これでいいん――」


 俺が心の奥から感情を吐き出していると、唐突に頬に衝撃が走る。

 少し遅れて痛みを感じ、はじめて殴られたのだと理解した。

 顔をあげると、そこには泣き顔のソフィアがいて、いつもの勝気な視線がより鋭く俺を突き刺していた。


「それ、本気でいってるんだったら、本当に馬鹿。マユさんの上っ面しかみてないの丸出し。マユさんが本当に望んでここから出て行ったと思ってるの? 私だって何も知らないわけじゃない。だから、お兄ちゃんに貴族の名前を教えて全部任せたのに。そんなんじゃ、マユさんだってかわいそうだよ!」

「な、なにを……」

「お兄ちゃんだってわかってるんでしょ!? 私、お父さんから聞いたんだから! マユさんは特別な力を持ってるかもしれないって! 昔、その力を持ってた人はその人本人も周りの人も危険にさらされたって! それだけ聞けば、マユさんがなんであそこに残ったのかわかるはずじゃない! どうして、一人だけつらい、みたいな顔して、傷ついたって雰囲気をこれでもかって出して、悲劇に酔いしれてるのよ! お兄ちゃんだけがつらいわけないじゃない! 本当にそんなこと思ってるなら、お兄ちゃんみたいな人からマユさんは離れてってよかったよ! 馬鹿! お兄ちゃんの馬鹿!」


 ソフィアは荒く息を吐きながら、嗚咽を押し殺して俺を睨みつけている。

 だが、俺の頭の中は真っ白だ。

 突然の出来事に対応しきれていない。こんなんじゃ、衛兵時代だったら何回死んでいてもおかしくはない。それほどまでに、思考は鈍っていた。

 慌ててソフィアの言葉の真意を探るも、湧き出るのは疑問だけだ。


「突然何をするんだ……。マユは、俺が守ってやるっていっても、俺の助けはいらないっていったんだぞ……?」

「マユさんは言ったの? 本当にお兄ちゃんをいらないって言った?」


 俺はそういわれて記憶を探る。

 どうだっただろうか。だが、たしかにマユは俺が助けると言ったら、「それでも」とそういった。

 そのあとに続く言葉は、「それでも、助はいらない」。そういうことじゃないのか?

 だが、確かに言っていない。なぜ、俺は言ったと思い込んでいたんだろうか。 

 

「……いや、言っていないかもしれない」

「なら、マユさんは望んで出て行ったって言ってたけど、本当にここからいなくなりたいってそういったの? ほかに何かいってなかったの?」

「ほかに……」


 俺は必死に思い出す。

 だが、マユに拒絶された衝撃からか記憶に靄がかかったようになっている。

 それでも、これは思い出さなきゃいけないことだろう。

 俺は、ぼーっとする頭を振ってもう一度あの時を振り返る。

 

 ――ジルさんが! ソフィアさんが! みんながいなくなるなんて……、私、わたし……」


 そういって泣いていた。

 そうだ、俺のことを思いやってくれたんだ。自分のせいで俺達が傷つくのを恐れていた。


 ――ジルさん達のことが大事。それをまもるためならどんなことだってしないの」


 大事だと言ってくれたじゃないか。

 それを聞かずに、自分の要求を受け入れてくれなかったからと言って癇癪を起すなんてどこかの子供よりみっともない。


 ――本当に感謝してるの」


 きっとそれは本心だった。

 マユは俺達を守るために自分の身を犠牲にしてくれたのだ。

 どうして、俺はあの時それに気づいてもっと優しい言葉をかけられなかったのだろうか。

 その情けなさに、俺は胸が張り裂けんばかりの痛みを感じる。


 ――それでも」


 そう思うと、そのあとに続く言葉はきっと――。


「皆に迷惑なんてかけたくない」


 きっとマユならそんなことを言うだろう。

 俺は、その事実に気づいたときに、自分がただ逃げたかったのだとういうことに気づいた。

 マユを助けられなかった自分を見たくなかったのだ。

 マユと一緒にいられないのは自分の力不足なのに、それをまるでマユが悪いとばかりに責任転嫁をしていたのだ。

 その姿はきっと誰から見ても滑稽だろう。いい大人なのに、好きな人に拒絶されたくらいでこうも情けなくなってしまうのだから。

 きっと、こんな姿を見たら、マユは俺に愛想をつかすだろう。一緒に働く同僚という立場さえ危うくなるかもしれない。

 そして、俺自身も、腑抜けた俺を、いつかマユに見せるのはまっぴらごめんだ。

 俺は、ゆっくりと顔をあげてソフィアをみる。ソフィアは目を真っ赤にさせて俺を視線を合わせた。


 しばらくそうしていただろうか、ソフィアは背中を向けるとゆっくりと歩きだす。そしてそのまま顔を向けずに声を出した。


「おにいちゃんがそんなんじゃお店、開けられないから。今日は閉店ってことにするからね。休業日の看板、出しとくから」

「ああ。すまんな。それと……ありがとう 

「っ……。ん。ちゃんとしてよね。店長なんだから」


 ソフィアは俺の返事を待たずして、そのまま外に飛び出してしまった。きっと、閉店の看板をだしながら家に帰るのだろう。

 俺は、その足でソフィアの部屋へと向かった。もしこのまま伯爵の家に世話になるのだったら、この荷物がないと何かと困るだろう。そう思って、不躾だとはわかっていたが、ソフィアの荷物を急いでまとめたのだった。




 俺はその足でエディンガー伯爵の屋敷に荷物を持って行った。が、なぜだか俺はそこで門前払いを食らってしまう。


「その荷物は今はお受け取りになれないそうです」

「なんだと?」

「もし必要ならば、こちらから使いを送ります。それまで、どうか大切に保管なさっていただければと思います」


 門番にそう言われた俺は、仕方なく家路につく。

 そうして使いを待っていたが、一週間後に聞いたのは、その荷物はもう必要ない、という言葉だった。

 俺は、その言葉を聞いて頭が殴られたかのようにな衝撃を受けたが、どうしても荷物を捨てる気にはなれなかった。あまり、女性の荷物を何度も開けるのは気が引けたが、俺はマユの荷物をできるだけ元通りに元の部屋に戻した。

 宿屋をやる予定はないし、不思議と、あのまま変えたくないという思いがあったのだ。


「変だな……もう帰ってくることはないのにな」


 そんな独り言をつぶやきながら、俺は夜、部屋で荷解きをしていた。

 当然、昼間は仕事をしている。

 マユがいなくなったが、少しだけ仕入れの量やメニューを制限してなんとか俺とソフィアの二人で店を回している。

 すくなくとも、このままつぶすような真似は絶対にできない。この店は、マユが守ってくれたものだからだ。


「おっと、あぶないな」


 考え事をしながら荷解きをしていたら、ふいにそこから紙が一枚滑り落ちて行った。

 家具の隙間に入り込みそうになるのを、寸前のところで止めることができた。

 俺は、その髪を何の気なしに見ると、それは見たこともないレシピだった。


「これは……」


 人の荷物の中身を勝手にみるのは悪いことだが、なぜだか視線が外せない。

 俺は、そのレシピを食い入るようにみると、最後にはこう書かれていた。


『これをみんなで食べれたら、きっと幸せなんだろうな』


「ははっ、マユらしいな……」


 まるで、そこでマユが話したかのようなその文字に、俺はほほ笑みながらも寂しさと悔しさで押しつぶされそうな気分だった。

 

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