女の意地と甘味対決⑤
「いらっしゃいませ! 空いてる席に座ってくださいね!」
「おうよ! あ、ポトフをよろしくな! 大盛でパンもつけてくれ!」
「はい! ソフィアさん、ポトフ大盛りお願いします!」
「はーい! いま立て込んでるから少し時間かかるかも」
「なら、それは俺がやっておく。ソフィアは、今やってるのを片付けてくれ」
「そう? ありがと、お兄ちゃん!」
あの勝負の次の日から、さっそくソフィアさんはジルさんの店で働きはじめた。
さすがは、老舗料理店の娘。その働きぶりは、それこそ私やジルさんよりも洗練されていてすばらしかった。魔力を込めるのは、味の変化や人員の問題などから三層まで、という風にしたけど、それでも、今までよりも大分多くのお客さんをさばけるようになってきたのだ。
おかげで、昼間のサンドイッチ、夜のポトフに加えて、飲み物やお酒、簡単なおつまみなども出せるようになってきたのはいいことだろう。甘味に関しては、とてもじゃないけど毎日出せるものじゃなかったから、平常時のメニューには加えていない。それこそ、あの勝負の後に食べた、魔力を込めたスイーツリンゴポテトなんて食べた日には、その日一日がどうでもよくなるほどの美味しさだった。普通に出したら、大事になりそうなものだ。
そんなこんなの三人体制なのだけど、それも二週間もすると大分形になってきて、勝負の直後にあったぎこちなさのようなものも今では一切感じない。まあ、あまり感じすぎないのもどうかと思うけど。
そんなことを思いながら、私は仕事終わりの賄いを食べていた。パンをポトフの余りにつけこんで、その上からチーズをかけて焼いたもの。オニオングラタンスープの豪華版のようなものを食べながら私は目の前のやりとりをぼんやりとみていた。
「だからお兄ちゃん。魔力を込めるときに大事なのは、全体を包み込むイメージよ。お兄ちゃんは、どっちかっていうと無理やり押し込んでる感じだから。それだとうまく魔力が浸透していかないの。わかった?」
「うむ……ただ、どうしても強化魔法や攻撃魔法と同じイメージになってしまってな。よし……もう一度だ」
第四層まで魔力を込められるソフィアさんと、第三層までしか魔力を込められないジルさん。二人の差は明白であり、今では毎日魔力を込める練習をやっている。その隣では、ソフィアさんが私から出された課題を一つずつこなしている。課題といっても、簡単な料理を作ってもらっているだけなのだが。
ソフィアさんには、ポトフの下準備とブイヨン作りを今日はやってもらっていた。
もともと、包丁の扱いが上手なソフィアさんだから、あっという間に下ごしらえなどは終わっていく。
「ねぇ、マユさん」
「ん?」
「思ったのだけど、どうして最初から捨てるってわかってるものをこうやって煮込むの? それなら、スープを作るときに一緒に煮込めばいいんだと思うけど」
こういう風に、マユさんはちょこちょこ疑問を口に出す。
それは、私の魔力なし料理を理解してくれようという証なのだろう。時折聞かれてもわからないこともあるけど、そうじゃないときは私も出し惜しみはしない。
「んー、私もそのあたり詳しいわけじゃないけど……。ブイヨンを作るときに入れる食材は、あくまでブイヨンを作るためのものなの。食べるためのものじゃない。煮込むと旨みがスープに溶け出すし、煮込みすぎるとアクや雑味も煮だしてしまうかもしれない。旨みが出きった食材は、お世辞にも美味しいとは言えないしね。あとは、旨みは出すけど、食べると美味しくないものや、食べるのに向いてない食材だってあるから。だから、あくまでスープを作るための食材っていう風に考えるとわかりやすいと思うんだ」
「ふーん。そういうこと。ありがと!」
「どういたしまして」
ソフィアさんがまだ十七歳ということもあり、ジルさんのお店はそれほど遅くまではやっていない。皆が夕食を食べて一杯やって、一息ついたころに店じまいだ。明確な時間は定めていないけど、こうやって魔力込めや料理の練習をしているとそれなりに時間がたってしまう。
最終的に、マユさんをジルさんが送っていく形が今のところの流れだ。
今日もそろそろ帰宅かな? と思った頃。
唐突に店の扉が開いた。
「おう。やってるか?」
「あ、クレーズさん。こんばんは」
真っ先に気づいた私が挨拶をすると、厨房にいた二人はさっと顔をあげて扉に顔を向けた。
「あら、お父さん。どうしたの? こんな時間に」
「いやな。少しジルと話があるんだ。今いいか?」
「あ、はい。大丈夫ですが……」
そういうと、あっという間にジルさんを外に連れて行ってしまった。
「なんだろ?」
「んー? お父さんにもいろいろあるんだろうね。それより、マユさん。お兄ちゃんがいなくなったから言っておくけどね」
そういうと、突然今まで見せなかったようなギラリとした視線を私に向けてくる。
「料理の勝負には負けたけど……お兄ちゃんのことは、絶対に負けないからね」
「ふぇ!?」
「しらばっくれてもわかってるんだから。とにかく、それだけは伝えておきたかったの」
そういうと、ソフィアさんはまたポトフの仕込みへと戻っていく。
っていうか!
いきなり何を言うんだ、この子は!
ジルさんのことで負けないって……えっと、つまりどういうことだ?
ソフィアさんがジルさんを好きなのはわかってるけど……つまり、恋愛面でのジルさんの取り合いってこと? そんなの、気にしなくていいのに。私はジルさんに助けられてるってだけで、別に好きとかそんなんじゃ――。
うん。そんなんじゃないから。
だって、ジルさんが優しくて、私が困ってたから一緒に住んでるだけで。別にジルさんとソフィアさんが付き合ったからって言って、私が文句言える立場でもないし。
そんなことを思うと、だんだんと気分が沈むのがわかった。私は、なぜ落ち込んでしまうのか理解しようともせず、その問題から顔を背ける。
だめだね。こんなこと考えるくらいなら、今は一緒に仕込みでもして気分転換でもしよう!
「ねぇ、ソフィアさん。私も手伝うよ」
そういって厨房に入ると、ソフィアさんは無言で視線を合わせほほ笑んでくれた。
そのまま、仕込みが終わるまで無言だったけど、ぎすぎすした雰囲気はなくほどよい緊張感の中、時間は過ぎていった。
◆
「突然どうしたんですか? おじさん」
俺は、金の羽衣亭の店主でありソフィアの父親、クレーズさんと向かい合っていた。俺を連れ出すまでは明るい雰囲気だったのに、二人きりになった途端、剣呑な空気を醸し出す。
「いやな。最近お前の店で変わったことはねぇか?」
「変わったこと? いや……特にはないですが」
「そうか。ならいいんだが」
そういって黙り込むおじさんだが、何かあったのは明白だ。
俺は、沈黙の最中、思い当たることがないか必死で思考をさらっていく。
ふむ。そうなると、あの事か――。
「もしかして、スードルの?」
その問いかけに、おじさんは目を見開いた。どうやら当たりのようだ。
「ああ。お前も知ってるだろうが、マユの料理を食べてスードルっていう衛兵の腕が治ったっていう噂が街中に広がってやがる。当然、眉唾だと思ってる輩がほとんどだが、少しばかりやっかりな奴の耳に入ったらしくてな」
「やっかいな奴?」
「ああ。そういう物珍しいことに目がない奴でな。うちとも取引があるからやり取りをしたことがあるんだが……」
おじさんの家と取引か。
そうなると、それなりの身分ということになるか。
大商人か、はたまた――。
「もしかして、貴族ですか?」
俺の言葉におじさんは、苦虫を噛み潰したよな表情を浮かべた。
「別にその噂自体は、それほど問題じゃない。問題は、マユが魔力を込めた料理が、スードルの腕を治した。その部分なんだよ」
「どういう……ことです?」
「一般的には、料理に魔力を込める最高峰は五層だと言われている。だが、貴族達の間では知れ渡ってることらしいんだが……幻の六層――料理に意図を持たせることができるっていう、そんな話があるらしい」
「つまり、その貴族は、マユがその六層に魔力を込められる存在だと信じているってことですか?」
「いや。本当のところどうかわからん。だが、その貴族がこの店に興味があるようなことを言っていたという話を俺は聞いたってだけだ」
俺は、おじさんから聞いた話をゆっくりかみ砕いていく。
マユは迷い人だ。
だかこそ、この世界の人間では考えもしない知識や経験、考え方を持っている。それこそ料理を例に挙げると、見たこともない調理技術がわんさか出てきた。
マユが持っている調理技術と、この世界の魔力を込める技術。
これらがそろうと、それこそ常識では考えられないほどの料理を生み出すのだ。
先日のスイートリンゴポテトもそうだが、あれだけの味を場末の料理屋で作り出すことができる。しかも、その技術はだれしもが身に着けることができるのだという。それは、とても信じられないことであり、魔力を込める層だけで格付けがされていた今までの料理界の根底を崩しかねない存在だ。
そんなマユの魔力が、こんどは幻の六層、意図を持った料理を作り出せるとなったら果たしてどうなるのか。
一介の料理屋の店主でしかない俺では、到底支えきれない事態になるだろう。
「おじさん……」
「まあ、俺達にできることは何もねぇ。とにかく、あの子から目を放すんじゃねぇぞ。いいな」
「はい」
そういうと、おじさんはさっさと帰ってしまった。どうせなら、ソフィアと一緒に帰ってやればいいものを。
俺は、突然のしかかってきた問題から意識を逸らしたかったのか、思わず空を見上げていた。
そこには、俺を見下ろす満点の星空があり、少しだけ、俺の憂いを拭ってくれたような気がした。