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『記憶質店「忘却堂」の冷徹なる査定人』  作者: beck2026


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24/25

第24話:六百億円のハウリング処刑場と、特定された時計塔の座標

シンガーソングライターの少女・星野カナタが記憶質店『忘却堂』を訪れてから六日後の日曜日。


東京・霞ヶ丘にある新国立競技場は、フィールドから最上階のスタンド席までを埋め尽くした八万人の観客と、無数のサイリウムの光の海で揺れていた。


『国民的歌姫・天音(あまね)ルカ ワールド・ドームツアー最終公演――「時計塔のアリア」全世界同時生中継ライブ』。


チケットの売上と全世界一億人への同時有料配信、および関連グッズのロイヤリティを含めた総興行収入は【六百億円】。


その巨大プロジェクトの頂点であるセンターステージのせり上がり装置の上で、純白と金のドレスに身を包んだ十九歳のカリスマ歌姫・天音ルカは、ダイヤをちりばめた特注のワイヤレスマイクを手に、傲慢な笑みを浮かべていた。


(フン、八万人の家畜どもが、私のために必死でペンライトを振ってるわ。……もっとも、これから歌う『時計塔のアリア』も、この一万分の一の超倍音も、一ヶ月前に星野カナタの弟を車ではねさせて二億円で買い叩いた『盗作の記憶』だけどね!)


ルカはイヤモニ(インイヤーモニター)の位置を直し、アリーナ最上部のVIP貴賓室――防音ガラスの向こうでライブを見下ろしている一人の人物へと密かに視線を向けた。


そこに座っているのは、黒曜石の歩兵(ポーン)の仮面で顔を覆った男。


国家機関『記憶統制局』の最高幹部(セヴン・オーバーロード)の一角であり、日本のメディア・芸能界および巨大音響インフラを裏から支配する『第七統制官:コードネーム・ポーン』であった。


(ポーン様との契約通り、この最終公演の生歌配信を通じて、八万人の観客と一億人の視聴者の脳に『集団催眠の周波数』を刷り込めば、世界中の若者が統制局の従順な操り人形になる。私はその功績で、世界のエンターテインメント界の絶対女王に君臨するのよ!)


だが――勝利を確信する天音ルカは気づいていなかった。


アリーナ席の中央、メイン音響卓(PAブース)のすぐ隣の関係者席に、漆黒のスーツに白い手袋をはめた『忘却堂』の店主・黒瀬零(くろせ・れい)と、その隣でマフラーを外し、澄んだ瞳でステージを見つめる本来の歌い手・星野カナタが静かに佇んでいることに。


「……黒瀬さん。本当に、私の声が戻っています……!」


昨夜、黒瀬がステラ・エンターテインメント社の地下金庫から回収した『歌唱記憶と声帯制御の原本結晶』、そして『十歳の時に天宮詩織から聴いた子守唄の記憶』をすべて脳へと返還されたカナタは、自らの喉に手を当てて震えるような美声で囁いた。


「ええ。そしてカナタ様……メイン音響卓のシステムには、すでに私が『特別な調律』を施しておきました。会場のスピーカーには、天宮詩織様が十歳のあなたを守るために歌った【聖なる中和アリアの逆位相フィルター】を組み込んでありますので、八万人の観客の脳が洗脳されることは決してありません」


黒瀬は感情の温度がない灰色の瞳でステージを見据え、懐の銀色の懐中時計を静かに開いた。


「一方で、ステージ上の天音ルカのイヤモニには、彼女の脳内に移植されたコピー記憶を強制的に最大出力へ誘導する『共鳴トリガー信号』を送ります。……十歳の子守唄という【声帯の脱力制御(安全弁)】を持たない彼女が、生歌で『時計塔のアリア』のサビを歌おうとすればどうなるか、じっくりと拝見いたしましょう」


その時、会場の全照明が一斉に暗転し、センターステージに一筋の巨大なスポットライトが降り注いだ。


『――みんなァッ! 今夜は最高の夜にするわよ! 聴いてください、私の魂の新曲、「時計塔のアリア」!!』


天音ルカの掛け声と共に、壮大なオーケストラのイントロが夜空へと響き渡る。


ルカがマイクを口元に当て、AメロからBメロへと歌い始めた。


(よし、完璧! 星野カナタから奪った記憶通りに、喉が勝手に動いて奇跡のファルセットが出てるわ!)


観客席が幻想的な歌声に酔いしれる中、楽曲はいよいよ最大のクライマックス――人間の可聴域の限界を超える超高周波倍音のサビへと突入した。


その瞬間、PAブースの隣に立つ黒瀬零が、白い手袋の指先で懐中時計のリューズをカチリと弾いた。


――キィィィン……。


ルカの両耳に装着されたイヤモニから、彼女の脳内の歌唱記憶データを強制的にフルドライブさせる高周波パルスが放たれた。


「――ッ!? あ、あああああああっ――!?」


サビの最高音を発声しようとしたルカの喉元で、異変が起きた。


本来なら、十歳の子守唄の記憶にある『ゼロ・テンション発声法(完全脱力制御)』が働いて声帯粘膜を保護するはずの場面。


しかし、そのゴミ記憶を抜き忘れていたルカの脳は、限界を超えた一万分の一の超倍音を、力任せの筋肉収縮で無理やり絞り出そうとしたのである。


ブチィッ!!


ルカの喉の奥で、声帯の毛細血管と神経シナプスが摩擦熱によって一斉に焼き切れる音が響いた。


「ぎゃ、ぐ、げほっ……!? が、あああ……っ!?」


美しいソプラノが突如として途切れ、マイクを通じて八万人の競技場全体に響き渡ったのは、まるで錆びついた鉄板を引っ掻いたかのような、おぞましい『ダミ声と喘ぎ声』だった。


(え!? な、なにこれ!? 喉が焼けるように痛い! 声が出ない、声帯が動かないわよ!?)


パニックに陥ったルカが、咄嗟にステージ袖の音響スタッフに向かって「口パク用の録音音源に切り替えろ!」と合図を送ろうとした、まさにその刹那。


――キィィィィィィンッ!!


ルカが握りしめる特注マイクと、彼女の首筋に貼られていた『クロノス社製・違法記憶定着パッチ』が激しいハウリングを起こし、会場の超巨大LEDスクリーンに、ステラ社の極秘サーバーから引きずり出された【衝撃の映像と音声】が大音量で映し出されたのである。


『――ギャハハハハ! 星野カナタの弟を車ではねさせて、手術代二億円で『奇跡の歌声』を丸ごと買い取ってやったわ! あいつは今頃、声も出せないゴミになって泣いてるわよ!』


『――生歌なんて歌えるわけないでしょ! テレビもライブも全部口パクよ! この最終公演も、第七統制官・ポーン様から預かった洗脳音波を流して、八万人のバカなファンから六百億円を巻き上げるための集金イベントなんだから!』


スクリーンに映し出されたのは、控室でスタッフを殴りつけながら高笑いする天音ルカの素顔と、弟へのひき逃げ工作の指示書、そして全楽曲のゴースト・データが『星野カナタ』名義であることを示すクロノス・メディカルの移植記録だった。


「「「な、なんだってえええええええっ!!?」」」


八万人の観客と、生中継を見守る世界一億人の視聴者が、一瞬にして凍りつき、次の瞬間には地鳴りのような怒号とブーイングの嵐が巻き起こった。


「ふざけるなルカ!! 今まで全部口パクだったのかよ!!」


「他人の弟を車ではねて声を盗んだだと!? 人殺し! 金返せええええっ!!」


サイリウムが次々とステージへ投げ込まれる中、喉を押さえて床を転げ回るルカの前へ、黒瀬零にエスコートされた星野カナタが、一本のシンプルな有線マイクを手にしてステージの階段を上がってきた。


「な、なぜあんたがここに……!? が、がはっ、私の、私のステージよ……っ!」


かすれた蛙のような声で呻くルカを見下ろし、カナタは静かに息を吸い込むと、マイクを口元に当てた。


――ああーーーーー……。


アカペラで放たれた、たった一音のハミング。


それは、オーケストラの伴奏すら必要としない、天宮詩織の優しい子守唄の記憶と完全に調和した、本物の【一万分の一の奇跡の歌声】だった。


怒号に包まれていた八万人の新国立競技場が、まるで魔法にかけられたかのように一瞬で静まり返り、聴衆の目から次々と涙が溢れ出す。


本物の歌姫が誰であったのか、そこには一ミリの説明も必要なかった。


「……天音ルカさん。歌は、誰かを傷つけたり支配したりするための道具じゃありません。……私の声と歌は、全部返してもらいます」


カナタが凛とした声で告げると同時、ステージ上のルカの脳内で、黒瀬が事前に仕掛けていた記憶結合の解除プログラムが作動した。


「あ……う、嘘……頭の中から、メロディが……歌い方が消えていく……! いや、声が出ない、私は歌姫なのにぃぃぃっ!!」


声帯の神経不全と記憶喪失によって二度と歌えなくなった天音ルカは、ステージ袖から突入してきた警視庁捜査一課の刑事たちに両脇を抱えられ、八万人の罵声を浴びながら引きずり出されていった。


     ◇


その頃、競技場最上階のVIP貴賓室では。


黒瀬零が、すでに床に倒れ伏した『第七統制官:コードネーム・ポーン』――総務省の放送通信総括審議官を務める男の顔から、黒曜石の仮面を静かに剥ぎ取っていた。


ルカのマイクがハウリングを起こした瞬間、黒瀬はその音響回線と直結していたポーンの聴覚インプラントへ、白川詩音(第11話)の記憶から抽出した『高密度の逆位相スタン音波』を直撃させていたのである。


「が、ぐぅっ……! く、黒瀬零……! ビショップ、ルーク、ナイトに続き……この私まで……!」


「ええ。七人の特級統制官(セヴン・オーバーロード)の末席であるポーン様。あなたが管理しておられる四つ目の生体暗号キーと、今回のドームツアーの裏工作資金【六十億円】を、当店の査定料として頂戴いたします」


――キィィィン……。


黒瀬が携帯用抽出機のレバーを引き下ろすと、ポーンの脳から、深い蒼色(サファイアブルー)の輝きを放つ『第七統制官の生体暗号キー結晶』がコトリと抽出された。


     ◇


その夜、新宿・歌舞伎町の裏路地。


記憶質店『忘却堂』の地下室に戻った黒瀬零は、コレクションルームの台座の上に、自身の『透明な球体結晶』、ビショップの『紫色の結晶』、ルークの『エメラルドグリーンの結晶』、ナイトの『黄金色の結晶』、そして今夜手に入れたポーンの『蒼色の結晶』を並べた。


「……星野カナタ様には、ステラ社とルカの資産から差し押さえた【二十億円】の賠償金をお渡しし、彼女は本物のシンガーとして再デビューが決まった、と。当店の純利益は六十億円ですか」


黒瀬は白い手袋の指先で、先ほどカナタから預かった『十歳の子守唄の背景反響データ』と、五つの結晶のホログラムマップを完全に同期させた。


――ピピピピッ!!


地下の水脈、地下鉄の振動周波数、そして巨大な歯車の低周波エコーが立体地図上で交差し、ついに東京の地図上の一点に、赤いターゲットマーカーがロックオンされた。


『対象施設:記憶統制局・第一統制官(黒瀬一)直轄要塞【時計塔(クロック・タワー)】』


『特定座標:東京都千代田区・永田町――国会議事堂および首相官邸の真下、地下五百メートルに建造された旧帝国陸軍・超深層防空壕跡地』


「……永田町の真下、地下五百メートル。日本の政治の中枢の足元に、天宮詩織さんと『神の記憶結晶(アカシック・コア)』を隠していたとはね、兄さん」


黒瀬零の灰色の瞳が、氷の刃のように鋭く煌めいた。


「七人の特級統制官(セヴン・オーバーロード)のうち、すでに四人が陥落した。残るは、時計塔の入り口を直接守護する上位三名――『第三統制官(クイーン)』『第二統制官(キング)』、そして頂点の『第一統制官(アルファ/黒瀬一)』のみ」


チリン――。


敵の本拠地である『時計塔』の座標がついに暴かれ、物語が最終決戦へと向かう中、地下室の扉のベルが静かに鳴り響いた。


残る上位三人の統制官を葬り去るため、冷徹なる査定人は次なる特級記憶の査定へと足を踏み出した。


読んでいただき、本当にありがとうございます!


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次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。


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