第17話 モンティニ侯爵家
東の空が白みはじめたころ、頭上の炎陽が揺らいだ。
拳ほどまで縮んだ白い火が、明るくなりつつある空へ溶けるように消える。かわりに三か所の焚き火が赤さを取り戻した。
外から来た五十人のうち、死んでいたのは三十一人だった。
縄をかけられた者が四人。傷を負って動けない者が八人。残りは北の斜面へ逃げて行った。
こちら側の死人は二人。
ロブ・ソール。
クロト・ヤン。
クロトは盾を割られたのだという。
斧の男に、受けたところを板ごと真ん中からやられた。反対側で賞金首のサイラスと戦っていたレンは、それを見ていない。
しかし、あの斧を持っていた男は、ルカとクレアが二人がかりでようやく倒したほどの強者だったのだ。
戦力としては、サイラスと同レベルかそれ以上だったのだろう。
ペトラが割れた盾を両方とも抱えて荷馬車へ運んでいった。
声は出していない。だが顎に乾いていた血が、線になって流れ落ちていた。
誰も声をかけなかった。
怪我人はほかにもそれなりに出ていた。
だが立てない者はいない。クレアが順に回って、その場で治癒魔法をかけていった。
いちばん重かったのはイーナだった。
イーナは荷馬車の幌の上から射ていたのだという。
岩から岩へ伝ってきた二人に登られ、一人を至近で射抜いたが、もう一人に脇腹を刺された。
イーナはそこで下がらず、刺した相手の襟を掴んで、幌の縁から一緒に転がり落ちた。下にいたモーグが二人まとめて受け止め、賊のほうだけを地面へ叩きつけたらしい。
その落ちた拍子に、刺さっていた刃が抜けた。
そこから血が止まらなくなったのだと、モーグが短く説明した。
その傷も、クレアが塞いだ。
レンの番は最後だった。
背中は骨に届いておらず、すぐに済んだ。左の脇腹も、サイラスの槍が掠めた細いものでしかない。
クレアの手が止まったのは、右の脇腹を見たときだけだった。
「あの男は、これを毒だと言ったのですね」
「ただの毒じゃねぇとよ。魔力障害になって、その場で苦しんで治癒師でも治せねぇって言ってたな」
クレアの手が、傷から離れた。
「……いま、なんと」
「魔力障害だ」
「魔力調整障害のことですか」
「そんな長ったらしい名前だったか?」
「医術院ではそう呼びます」
声が、はっきりと硬くなっていた。
「あれは、毒で起こすものではありません」
「本人はそう言ってたぜ」
「……いえ」
クレアが言い直した。
「話だけなら、聞いたことがあります。医術院にいたころに一度だけ」
「あんのかよ、そんな毒」
「あるとしたら、という話です。誰も現物を見たことがない」
クレアは膝の上で指を組んだ。
「あの病が起きるのは、原因はある程度分かっています」
指を一本立てる。
「ひとつは、強い魔物の魔力を、体で直に浴びつづけること」
もう一本。
「もうひとつは、魔力の濃い土地に長く住むこと」
「どっちも、そのへんに転がっているようなもんじゃぁねぇな」
「ええ。だからあの病は珍しいのです」
クレアがレンを見た。
「その二つと同じことを、人の体に少し入っただけで起こす。……そういうものを作るなら、材料はひとつしかありません」
「なんだ?」
「魔石です。それも、桁違いに強い魔物の」
桁違いに強い魔物の魔石。
迷宮から持ち帰って、ギルドの窓口で銅貨に換えるようなものの話ではないだろう。
「どのくらいのだ?」
「……龍種のものを使うと聞きました」
少し離れたところで、ルカが手を止めた。
「……龍かよ」
「どう作るのかは知りません。ですが、その辺の竜程度の魔石ではなく、真の龍種の魔石でなければならない……と」
レンは龍種自体を見たことがない。
ラドフェンの迷宮には出ないからだ。出たという話も、六年やってきて一度も聞いたことがない。
「一本いくらすんだ、それ」
ルカが訊いた。
「値段の話ではないのです」
クレアが首を振った。
「そんなものが売られることが、まずありません……そもそも龍種が狩られた報告なんて数えるほどしかないはずです」
数えるほど。
つまり、いつどこで誰が狩ったかまで記録されているはずということだ。
そして、その素材がどこへ行ったのかも、どこかに記録があるということになる。
「……そういうもんは、どこへ行くんだ」
レンが訊いた。
「私が知るはずもありません」
クレアは首を振った。振ってから、少しだけ言い足した。
「ですが、市に並ぶものではないでしょう。……献上されるような人間のもとへ行くことが多いのではないでしょうか」
献上される者。
レンは、それがどういう相手を指すのかを訊かなかった。
訊かなくても分かる言い方をされたからだ。
「発病すれば、私たちのような治癒師にできることはありません。できるのは、死ぬまで待つことだけです……治療法も無くはないですが、まず不可能でしょう」
クレアの指が、膝の上で一度きつく閉じた。
「それで、今息苦しさはありますか?」
「ねぇな」
「手足に力が入りにくい感じは?」
「傷が痛ぇだけだよ、早く直してくれねぇかな」
クレアは、はっと思い出したかのように右の脇腹へ両手を重ねる。
「《治癒》」
肉の奥が引かれるように痛み、それから薄れた。だが流した血までは戻らない。
「傷は塞ぎました。毒の件は、今のあなたの状態を見ているかぎり嘘なのではないでしょうか」
明らかに、自分でも信じていない言い方だった。
「死にかけてる男が、なんでそんな嘘つくんだよ」
「見栄ですよ、きっと」
「見栄……ねぇ」
「斬られて、目的も果たせずそれで何も残らないよりは。……最後にひとつくらい、相手を怖がらせて死にたかったのかもしれません」
クレアが、やれやれ、といった風なジェスチャーをしながら言う。
「そんな理由で魔力障害の毒とか、とっさに考えるかねぇ」
「言うかもしれません。どうせ確かめられませんから」
クレアがうなじの結び目へ手をやった。
解いて、束ね直しながら続ける。
「そもそも、あの男が本物を持っていたという証もありません。偽物をつかまされていることに気づかずに使っていただけではないでしょうか」
「あんた、さっきまで龍がどうとか真剣に喋ってなかったか」
「そう聞いたことがある、というだけの話をしただけです」
「今は嘘だって言ってんのか」
「だって、あなたの様子を見ている限りそうとしか思えないものですから」
言い切ってから、束ね直した髪がほどけて落ちた。
やり直す手つきが、少しだけ雑だった。
「……とにかく、大丈夫ということは、そういうことでしょう」
「ま、そりゃそうだな」
少し離れたところで、ルカが顔を背けていた。
肩が完全に揺れている。
「なんか言ったか」
「いや」
ルカが手を振った。
「なんも言ってねえじゃん」
半笑いで言う。
すっ、とクレアが立ち上がった。
立ち上がってから、レンのほうを一度だけ振り返る。
先ほどまでの冗談めかした表情が嘘のように真剣な表情をしている。
「毎朝、診ます」
「はぁ?」
「街にいるあいだも、帰り道も、毎朝です。何かあれば、その日のうちに分かるように」
それだけ言って、行ってしまった。
レンは、塞がったばかりの脇腹を撫でた。
(……今後発症するってことか?)
死ぬとしても、苦しんで死ぬのは嫌だな、とレンは思った。
***
南の縁からシドが駆けてきた。
弓を背負っている。矢筒にはほとんど残っていなかった。
「セイン! 向かいの巣だ。明るくなってきたら、そろそろ動き出すぞ!」
全員が谷の向こうを見た。
斜面に並んだ黒い穴の中には崖翼竜が棲んでいる。
奴らは、なにもしなければ人間に襲い掛かってくることは少ないが、血の匂いには敏感だ。
「急いで出る準備をしろ!」
セインが声を張った。
「馬をつけろ! 急げ!」
「死体はどうすんだ?」
ルカが訊いた。
「置いていく」
セインが即答した。
「穴を掘っとるあいだに、向こうが来るからな」
反対する者はいなかった。
先日の襲撃では全員で十三人を埋め、それでも一刻かかっている。ここで同じことをしていれば、日が頭の上まで来てしまうだろう。
「捕まえた四人は歩かせる。歩けん八人は置いていく」
セインが谷の向こうを顎で示した。
「文句がある者は、あれが出てくるまでここに残っとれ」
誰も残ろうとはしなかった。
ロブとクロトは六台目へ乗せられた。
盗賊たちにさんざん荒らされたあの馬車だ。麻袋と木箱をほかの馬車へ詰め直し、二人を並べて寝かせる。
トバの死体を運ぼうとしたときだけ、人足の手が止まった。
「乗せなさい」
ヨルンが言った。
それだけだった。トバの顔を見なかったし、誰も理由を訊かなかった。
***
商隊が峠を抜けたのは、日が高くなってからだった。
下りに入っても誰も喋らなかった。車輪と蹄と人足の足音だけが、細い道に長く続いた。
レンは列の真ん中を歩いていた。
傷は塞がっている。歩くのに困りはしない。
ただ、体の芯に残った冷えは、日が高くなっても消えなかった。塞いでも、失った血は戻らないからだ。
少し前をイーナが歩いている。
昨日あれだけ血を流した女が、今朝は普通に歩いて、ときどき道の脇へ目をやっていた。斥候の癖が抜けないらしい。
「なあ」
ルカが隣へ並んだ。
右肩から左の脇腹まで、外套が斜めに裂けたままになっている。中の傷はもう塞がっているが、布は塞がらない。
「あの槍の野郎、腕が生えるんだよな?」
「本人がそう言ってた。右腕の傷口がもう塞がりはじめてたぜ」
「次に会ったとき、元通りってことか」
「そうなるだろうなぁ」
ルカはしばらく歩いてから舌打ちをした。
「殺しときゃよかったな」
「殺せなかったんだよ」
「知ってるよ。言ってみただけだ」
それきり、また車輪の音だけになった。
山を下りきったところで、南の平野が開けた。
大河が一本、街の東を通って南へ抜けている。岸には船が何隻も繋がれ、その向こうにラドフェンより大きな街があった。
いや、街というよりは都市と表現したほうが良いだろう。それほどの規模だ。
だが、レンが最初に見たのは街並みでも川でもなかった。
都市を囲う外壁の中心部にそれよりさらに高い石壁がある。
その空間だけを隔離するかのように、四角く高く中心部を囲っていた。
「なんだ、ありゃ」
ルカが目を細めた。
「街の中に、もう一個壁があるぞ」
「あれが迷宮の入口だ」
前を歩くセインが答えた。
「……迷宮を壁で囲ってんのか」
「そういう街だ。門はひとつしかない」
ラドフェンの街の迷宮は、南門から歩いて二時間の場所にある。
街から離してあるので、何かあっても門を閉じて耐えれば良い。
だが、ミルドナは逆だった。
迷宮を街の腹に抱えたまま、その周りに壁を立てている。
迷宮を囲って、中で食い止める。そういう構造になっているようだ。
***
ミルドナ付近の街道の分かれ目には、馬に乗った騎士が十人待っていた。
革ではなく金属の鎧を着け、全員が胸に同じ紋を入れている。後ろには屋根のついた馬車が一台あった。
「モンティニ侯爵家の方々です」
ヨルンが言い、列の先頭へ歩いていった。
モンティニ侯爵家と言えば、ミルドナの迷宮都市を治める王国でも屈指の大貴族だ。
先頭の一騎が馬を降りた。
兜を脇に抱え、ヨルンの正面で足を揃える。
見た目は白髪の壮年といった感じで、歴戦の勇士の雰囲気を漂わせており、右眼の端あたりから首にかけて涙の跡を思わせる、深く刻まれた特徴的な古傷があった。
「モンティニ侯爵家筆頭騎士アラン・ボレル。当家の名代として参った」
紋章付きの指輪を見せながら名乗った。
「アラン様お久しぶりでございます。カルデン商会のヨルンでございます」
「例のものはどこだ」
名乗りが終わるまで、他の騎士は馬から降りなかった。
隣でセインが短く息を吐いた。
「ほう!」
「なんだ?知り合いか?」
「いいや、ありゃ血涙騎士だぞ」
聞いたことのない名だった。
ルカを見ると、こちらも首を振っている。
「二十年前の西の戦の英雄じゃ!知らんのか!?」
二十年前といえば、レンはまだ生まれてもいない。
知らないのも当たり前だろうと、流すこととした。
目線を騎士たちに戻す。
街の外へ騎士を十人と馬車を一台出している。
行商の荷を受け取るための支度ではない。
破格とも呼べる二十日ぶんの報酬。三級以上という縛り。六台目につけた見張り。そして峠へ来た約五十人もの賊ども。
護衛についた冒険者、全員の中でようやく辻褄が合った瞬間であった。
その荷を出したのは六台目ではなかった。
ヨルンが一人で二台目へ上がった。積んである麦の袋をどけ、床板に指をかける。
外れた板の下から出てきたのは、布に包まれた木箱だった。両手で抱えられる大きさしかない。
ボレルが両手で受け取った。
その場で布を解き、蓋を開けて中を見る。
「確かに」
ボレルが安堵したかのように深く息を吐いた。
「日はどれほどになりますか」
「今日で二十三日目となる」
「どうにか……間に合いましたな」
「ヨルン殿、主に代わって感謝する」
言った直後、受け取った箱を馬車に積み込み。
「後日、侯爵様より商会へ連絡があるだろう。しばし待たれよ」
とだけ言うと、来た道を街の方へ引き返して行った。
ヨルンの膝から力が抜けかけた。
二台目の縁へ片手をつき、馬車を従えていく騎士の背を見ていた。
「よかった」
声が震えていた。
「間に合った」
二度目は笑っていた。峠を下りるあいだ一度も見せなかった、腹の底から安堵した顔だった。
レンは六台目を見た。
幌の向こうにロブとクロトがいる。
ヨルンが喜ぶのは間違っていない。あれを届けるためにここまで来たのだ。間に合わなければ、二人が死んだことまで無駄になる。
それでも、素直に喜ぶことはできなかった。
残った四騎が、繋いできた四人の縄を受け取った。そのまま街の牢まで連れていくという。
ヨルンは冒険者を街道の脇へ集めた。
「みなさんに、お話ししなければならないことがあります」
そう言って、一度だけ街のほうへ目をやった。
「ですが、今日は話せません。日を改めさせてください」
「荷の中身か」
セインが訊いた。
「それも含めて、全部です」
「いつだ」
「侯爵家からご連絡をいただいた後に……そう長くはならないはずです」
セインはそれ以上訊かなかった。
***
その日の夕方、荷馬車はミルドナの街へ入った。
人足が荷を降ろし、馬を厩へ入れ、宿の割り振りを決める。
ヨルンは商会の店へ入った。トバの死体も、店の男たちが六台目から降ろして奥へ運んでいった。
宿は商会の店から二本入った通りにあった。
三階の部屋の窓を開けると、屋根の向こうに石壁の上端が見えた。
夜が更けても、その上で松明が等間隔に焚かれていた。誰かが上を歩いている。
***
三日目の朝、商会の店から使いが来た。
残っている者は全員来てほしいという。
通されたのは帳場の奥の広間だった。
卓も椅子もない。荷を仮置きするための部屋らしく、床板の目が擦り減っている。
そこへヨルンが入ってきた。
「一昨日の夕方、侯爵家からご連絡をいただきました」
ヨルンは立ったまま言った。
「それで昨夜、お屋敷へ招かれておりました。……ご子息が、持ち直されたそうです」
誰も声を上げなかった。
誰の子だとも、まだ聞かされていない。
「順にお話しします。長くなります」
ヨルンが手を後ろで組んだ。
「あの日、侯爵様にお渡ししたのは、魔力治療用のエリクサーです」
「エリクサー!?」
素っ頓狂な声を上げながらクレアが言った。
「迷宮でしか出ない、出た記録自体もそこまでないものであるはずです。それと、そもそも魔力治療はただの結果であり、真の効果は」
「魔力の恒久的な増強、だろ?」
ガロが割り込んで続ける。
「俺たちみたいな冒険者からすると喉から手が出るほど欲しいもんだぜ。だからドロップした時点で誰かが使っちまう。よっぽど金に困ってるとかそういうことがない限りはな」
「ええ、おっしゃる通りです。今回のは、氷河の迷宮産のものです」
「おいおい、どこの誰が拾ったんだ」
ガロが訊いた。
「暁星だそうです」
ラドフェンの一級冒険者の名だった。
街に一組しか存在しない一級で、北へ行ったきり数年戻ってきていない連中だ。
「あー……あいつらか」
ガロが鼻を鳴らした。
「あいつらのことだから、なんとなく想像はつくが……まぁ運が良かったな」
「そうですね。クィエスのギルドが買い上げて、そのまま押さえておりました」
苦笑いしながらヨルンが答えた。
「で、それをモンティニ侯爵のご子息に使ったということかな?」
セインが訊いた。
「そうです。モンティニ侯爵家の八歳のご子息です」
「お待ちください」
クレアが言った。
「つまりたった八つの子が、魔力調整障害に罹った……と?」
「……はい」
レンは右の脇腹へ手をやった。
峠で、直近にトバの口から聞いた毒がもたらす効果と同じだったからだ。
魔力調整障害は通常、強力な魔物の魔力の影響を受ける、もしくは魔力の強い地に長期間滞在することで起こると言われている。たった八歳の子供が、そんな環境下に置かれることはまず考えられない。ましてや貴族の子である。
クレアも、峠でレンがトバから攻撃を受けた際に言われたという、魔力調整障害を起こす毒という言葉を思い出した。
「分かったのが、二十三日前とのことでした」
ヨルンが続けた。
「あの病は、ひと月ほどで死にます」
「なぜ、あんたのところに話が来たんだ?」
ガロが訊いた。
「うちの本店は、この街にございます。まさにここが本店です。」
ヨルンが答えた。
「父の代から、侯爵家に出入りをさせていただいておりました」
そこまでは分かる。
分からないのは、その商会の頭が、なぜ王国の北の端にいたのかということだ。
「私はあのとき、クィエスにおりました」
ヨルンが続けた。
「北にも店を出そうと動いておりまして、その支度で長く居着いていたのです」
「そこへ報せが来たのか」
「はい。商会独自の急ぎの連絡経路で、私のところまで」
どういう方法かとは誰も言わなかった。
セインも訊かなかった。商人には商人の冒険者には冒険者の隠し事があるものだ。
「それで、クィエス街のギルドを当たりました。……そうしましたら、あったのです」
ヨルンが、そこで一度息を吐いた。
「その日のうちに買い取って、次の日には荷を仕立てて出ました」
「そりゃ、本当に巡りあわせだな」
ガロが言った。
「はい」
ヨルンは否定しなかった。
「私がミルドナにおりましたら、薬を探すところから始めることになりました。……間に合っていたかどうか」
侯爵家からの願いは、ひと月以内に届けること。それだけだったという。
どう運ぶかは、ヨルンが決めた。
商会の人間の一部にしかエリクサーのことは告げず、そのもの自体は、自分だけにしかわからない先代から伝わる馬車の秘密の隠し場所に入れたのだ。
突然商会の人足たちに声をかけ、行商でミルドナ本店へ荷を運ぶと言い出し困惑させたが、そんなことは些事でしかなかった。
「病人の薬をなんで隠すんだ?」
ルカが言った。
「おいおい」
ガロが呆れた顔をした。
「魔力エリクサーなんて冒険者垂涎の品だぜ、そんなもん運んでるなんて言いながら、冒険者の護衛をつけても安心できねえだろう?」
俺たちは間違ってもそんなことしないが、と続ける。
「裏切って商会の人間も皆殺しにし、盗賊の仕業に見せかけるヤバい冒険者も中にはいるだろう」
「……あーそうだなあ」
「そういうこった」
「それって魔力はどのくらい増えるもんなんだ?」
続けてルカが訊いた。
「一本ごとに違うと聞きました」
クレアが答えた。
「……ですが、五倍になったという話が残っています。増えるのは量だけではありません。一度に出せる力も、同じだけ上がります」
ルカが黙って目を中空に漂わせた。
こいつがそういう仕草をするのは、たいてい欲しがっているときだ。
「な?」
ガロがルカを顎で示した。
「今この顔だぞ。これを二十日そばに置いとくんだ。商人が黙ってんのも当たり前だろ」
そ、そんなことしねえよ!とルカが慌てて否定するが、しっぽの動きがいまいちその否定の信憑性を低下させている。
「……申し訳ありません」
ヨルンが頭を下げた。
「みなさんを疑っていたわけではないのです。ただ、知る者は少ないほうがよいと」
「気にするない、当たり前じゃろう」
セインが言った。
「ワシらが荷主でも同じことをするだろうからな」
「侯爵家にも、隠す理由がございました」
ヨルンが続けた。
「跡取りが死にかけているという話が広まれば、それだけでお家が揺れますので。なにより貴族は醜聞を嫌います」
「じゃあ、そんな話を俺たちにしても大丈夫なのか?」
ガロが訊いた。
「くれぐれも、この中だけの話ということでお願いいたします。そして、これから続けることも」
ヨルンが苦笑いしながら、そこで一度床へ目を落とした。
「ここからは、私が勝手に考えたことです。商会の話ではありませんし、証拠もありません」
そう断ってから続けた。
「あの病は、そうそう起きるものではないと聞きました」
「絶対に起きません」
クレアが言った。
「私も、そのように。そしてモンティニ侯爵様の口からポロリと、毒という言葉が漏れていました」
ヨルンが頷きながら続けた。
「それに、街道へ出てからのことです」
「三度襲われとるな」
セインが言った。
「クィエスからラドフェンまでの道でも、実は一回襲われているのです」
苦笑いしながらヨルンが付け加えた。
「そういえば、クィエスからラドフェンまでの道を護っとった冒険者を延長しなかったと言っとったな」
セインがヨルンを見た。
「四級五級のパーティしかおらず、道中一回、しかも小規模の襲撃で半数ほどの死傷者が出たのです。大変申し訳ないと思うのですが、そこまでのメンバーでは力不足だと感じました」
「だから、ラドフェンで三級以上を募集したんじゃな」
「はい、しかも募集をかけてからギルドの方に聞いて知ったのですが……迷宮がちょうど調査中で閉じており、迷宮の冒険者を雇える可能性があると。……天恵だと思いました」
天井を見つめながらヨルンが言った。
「……話を戻します」
ヨルンが顔を下ろした。
「北の道で一度、ラドフェンから先で三度。都合四度です」
「まあ、多すぎるわな」
セインが言った。
「ええ。そのうえ、あの者たちは普通の盗賊ではないようでした」
「なにかに怯えながらやらされているような奴もいたからな」
ガロが言った。
「最後の最後は本気で襲ってきたが、ヨルンさん、あんたを殺すことが目的のようだったしよ」
「峠でも、最終的には身内の裏切りで私は殺されかけました。奪いに来たのではなく、届かせないために来たようでしたね」
自嘲気味にヨルンが笑い、皆を見渡した。
「つまり、エリクサーが届かないことで誰が得をするのか、ということです」
誰も何も言わなかった。
「ひと月で死ぬ病です。薬が間に合わなければ、それで済む。私が死ねば確かに達成できるでしょう」
「間に合わないほうに賭けてる奴がいるってことか?」
ルカが言った。
「賭けではないでしょう。実利がある方に一人だけ心あたりがあるのです」
ヨルンは、部屋の戸が閉まっているのを一度だけ確かめた。
「侯爵家のお子はご息女ばかり、ご子息はおひとりです。今代は跡取りに恵まれず、ようやくお生まれになった宝なのです」
「その子が死ぬとどうなる?」
ガロが訊いた。
「近い街を治めるお家から、婿が入ります。この国の古くからの習いです」
「どこの家でもいいのか」
ガロが訊いた。
「家格は一階級下までと決まっております。侯爵家でしたら、侯爵家か伯爵家のご子息まで」
レンは、その三つを頭の中で重ねてみた。
侯爵か伯爵といえば高位貴族だ。そう数も多くいるわけではない。
近い街を治めていて、さらに、家を継げない息子がいる。
三つとも当てはまる家など、おそらく片手の指で足りるだろう。
「そこに、息子が二人いる家があるわけだな」
「……ちょうど隣の街を治めるお家が、そうなのです」
「名は」
レンが訊いた。
ヨルンがはじめてレンのほうを見た。
「コルバ伯爵家です」
言ってから、付け足した。
「繰り返しますが、くれぐれも、私から聞いたことはどうかご内密に。証拠はございませんので」
「よくある話なんじゃないのか」
ガロが言った。
「八つの子に毒を盛るのがか?」
レンが訊くと、ガロは首を振った。
「婿を入れて家を取る話が、だ。毒まで使うかは、そいつら次第だろうよ」
そして、ヨルンは昨夜、一度だけ踏み込んだのだという。
毒とはどういうことでございましょうか、と。
「お答えになりませんでした」
ヨルンが言った。
「口が滑ったという顔も、なさいませんでした。そのあとは終いまで、病としてお話しになっておりました。……そういうことなのでしょう」
「なら、伯爵は裁けんだろうな」
「ええ」
レンは昨日トバから聞いた話を言おうか迷った。
クレアもこちらをちらちらとみており、時折目が合うのだ。
だが言ったところで、証拠となるわけではない。
「言わなかったことを、お詫びします」
ヨルンが皆に頭を下げた。
「言えば、ラドフェンから先の護衛を引き受ける方がいなくなると思いました」
セインはしばらく黙っていた。
「冒険者は……いつ死ぬかわからん。そういう職業だ。だが、弔いはしっかりとしてやりたい。」
「はい。報酬については色を付けることを約束いたします。……それだけが、商人が冒険者の方へ示すことのできる唯一の誠意だ。と思いますので」
それで、話は済んだ。
ペトラは何か言いたげだったが、俯いて、何も話さなかった。
午睡のメンバーは、そんなペトラを見つめていた。
ヨルンは再度、全員の前でもう一度腰を折った。
商人が客へ下げる角度ではなかった。
「私は皆さんに、命を拾われました」
ヨルンは顔を上げてレンに目線をやりながら言った。
「それが仕事だからなぁ……」
レンは塞がった右の脇腹をさすりながら目をやって黙った。
「皆さんの名とパーティ名は侯爵様へ伝えました。ご子息のため、命を賭して戦った者たちである。と」
「そこまでは頼んでなかったんだがな」
皆が苦笑いをする。
貴族に名を知られる。それがどのような意味を持つのか、レンには今まで関わりが薄いためわからない。
ヨルンが顔を上げた。
それから一歩下がって、また部屋にいる全員のほうへ向き直る。
そしてもう一度、同じだけ腰を折った。
上げた顔は、荷を渡したときより、ずっと小さく笑っていた。
「私たちの商会を、ごひいきに。そして、帰りもお願いいたします」




