第17話 泣き疲れた子供は眠る
殴る殴る殴る。
一心不乱に害魔に対して拳を出し続ける。
剣を防ぐ硬い身体を持つ害魔を殴ることで、アリカの拳は皮がめくれ血が滲み出る。身体強化をしていても拳は痛むも、それでも構わずアリカは殴った。
「は、ははは、アハハハハハッッッ──────!!!」
何故か笑いが溢れ出た。
害魔に身体をズタボロにされ、絶望の縁に立たされた。
なのに今が一番かつてないぐらい調子がいい。
信じられないぐらい体が熱くなり、恐ろしいぐらい害魔の動きが見える。
「遅い!!」
害魔が鋭い爪を貫く前にアリカは避けた。
そのまま爪に手刀を入れることで害魔の爪を叩き折った。
発声器官らしきものがない害魔の悲鳴が聞こえた気がした。
「ちっとは効いたみたいね!」
何でかよくわからないが剣で攻撃した時より拳で殴った方が害魔の動きが鈍っている。
このままいけば倒すことも可能かもしれない。
これが最後のチャンスと思い猛攻をかける。
「ウアアアアアアアアアアァァァァッッッッッ!!!!」
額から汗がほとばしり、拳から血が流れ落ちる。
反撃を許さないとばかりに害魔を殴る。
ずっと呼吸を止めて攻撃しているせいで肺が痛くてきつい。
息を吸ってしまえばもう立ち上がれる気がしない。
だから、
──これで終わりだ!!
最後の力を振り絞る。
腕の感覚なんてもうとっくに無くなっているが、歯を食いしばって振るう。
害魔の外殻らしきものがどんどんと剥がれ落ちる。
確かな手応えはある。少しずつであるが害魔の勢いは確かに落ちている。
あともう少し。あともう少しで倒すことができる!
そう思った瞬間、
「え──?」
アリカの体に突然変異が起きた。
熱いと思っていた熱が耐えられないほどに──膨れ上がった。
「アアアアアァァァァァ──────!?」
あついアツイ熱い!!
全身が燃え上がるように熱く害魔の前で倒れうずくまる。
幸いなのは害魔もアリカの猛攻のせいで沈黙していることだろう。
皮が肉が骨が焼けるほどに熱くアリカは苦しみ悶えることしかできない。
「がひゅっ……!」
息がうまく吸えずに嗚咽する。
空気を肺いっぱい取り込もうとしてもすぐに吐き出してしまう。
このまま意識を失えたらと思うのに熱さのせいでそれもできない。
──精霊術の制御ができないっ……!?
クオンの教えである「調身・調息・調心」が全て崩れている。
いつもならば崩れた時点で取り込んだ精霊が霧散するのに今はそれがない。
それどころか──精霊がどんどんと体の中に取り込まれていく。
──力の制御に失敗したらどうなるか想像できるか?
思い出すのは修行を始めた頃のクオンの忠告。
理解したつもりだった。気をつけているつもりだった。
全部「つもり」でしかなかった。
経験した今となってようやく力の制御がどれだけ大切なのかわかった。
精霊術の暴走。
つまるところ制御下にあるはずの精霊が際限なく取り込まれ、いつしか気づかないうちに力が膨れ上がり自分の力ではどうしようもなくなることだ。
そして、アリカを蝕む力はなおも増大する。
「な……によ、コレ!?」
アリカの手から炎が吹き出した。
手そのものが燃えているわけではないと本能的に悟り、これは精霊の力だと感じた。
自分の身に何が起こっているのかがわからなくて恐ろしい。
それなのに、アリカの前に更なる困難が降り注ぐ。
動きを止めていた害魔が動き出した。
「ガァッ!!」
害魔の爪がアリカを切り刻もうとして腕を前にして何とか防ぐ。
精霊術が暴走しているおかげで身体強化が凄まじいことになっているのか、子供の細腕だというのに致命傷を辛うじて受けずにいる。
しかし、身体を自由に動かせないアリカに害魔は情もなく攻撃を続け、下から掬い上げた爪にアリカは吹き飛ばされた。
──だめだ。なにもできない……。
暴走する力に翻弄され満足に身体を動かすこともできない。
害魔からの攻撃を防ぐこともできない。
絶体絶命の状況。
もうこれまでかと思いかけた時、
「おねえちゃん!」
イリスが泣きながらこっちへ来る。
来たらダメだという言葉すら息が苦しくて出ない。
逃げろという願い虚しくイリスはさらに駆け寄る。
そして、
「た、たすけるから……!」
「いり……す……?」
思いがけない言葉が聞こえた。
助けるというイリスの優しい祈りと願い。
「わたしが! おねえちゃんをたすけるからっ!!」
きっと、平時にそれを聞いたならば嬉しくてたまらなかっただろう。
だが今は何よりもアリカの心を抉る。
ダメだ。殺される。1秒でも早く遠くへ逃げなさい。
心の中で何度も思っているのにちっとも伝わらない。
涙すら今のアリカには流すことができずに蒸発してしまう。
──動け。動け。動け私の体!!
ピクリと手に血が通った感じがした。
ほんの少しであるが十分だ。
自分よりも大事な妹に伝えるだけの力はある。
「おねえちゃん!!」
「にげ、なっ……さい!」
きっと、それは美しい光景だったのだろう。
傷だらけの姉を心配して助けようとする妹。
大切な妹を逃がそうとする姉。
だから、気づけなかった。
アリカはイリスを逃がそうとして制するように手を差し出したつもりだった。
だから、誰も悪くはなかった。
アリカの力は精霊術によって信じられないほどに強化されていた。
だから、目の前の光景が信じられなかった。
イリスの体から何かが壊れる音がして宙に飛んだ。
──その力が『誰か』を傷つけるかもしれねーんだよ。
守るために力を身につけた。
傷つけないために精霊術を学んだ。
なのに姉は──妹を傷つけてしまった。
「え……?」
何が起きているのかありかにわからなかった。
でも、手にはイリスに触れた感触がある。
「あ、う……あ、うぁぁ!」
顎が震えて歯がカチカチと鳴る。
体が燃えるほど熱いはずなのに寒気がして震える。
目の前の光景を否定して目を閉じて開いても何も変わらない。
「うあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
アリカの心の均衡が崩れた。
今のアリカの感情に呼応するように炎がさらなる激しさをます。
そして、その力の向き先に打って付けの相手が近くにいた。
「お前がぁぁぁぁ! お前のせいでっ!!!!」
害魔に向かってアリカは思うがままに殴った。
およそ闘いと呼べるものではなかった。
ただの暴力で、子供の駄々でしかなかった。
害魔の体は崩れ、腕が吹き飛び、胴体は貫かれ、爪は全て折られた。
そして、動けなくなって頭だけになった害魔を──踏み潰した。
「ひぐっ、えぐっ……うあぁぁ!!」
声を出して泣いた。
イリスが生まれてから、こんな風に泣いたことはなかった。
涙も鼻水も流してぐしょぐしょのはずなのに出たそばから蒸発する。
妹のそばに駆け寄りたいのに、先程の光景のせいで怖くて近寄れない。
そして、さらに精霊の力が強くなるのを感じる。
もう、アリカの心はとうに限界を超えていた。
だから、子供にできることはたった一つだった。
「おねがい、じじょー……だずげてっ……!」
大人に助けを求めて泣くこと。
みっともなくて。みじめで。情けなくて。
頼れる姉の姿からかけ離れたどころか妹すら傷つけてしまった。
その全てに打ちのめされた子供は泣いて叫んだことで。
「ようやく子供らしい面を見せたな」
大人に声が届いた。
「あとは任せとけ」
「ゔん……」
泣き疲れた子供は、全ての意識を手放した。




