屋敷への帰還
熱を出してから五日が経過して、グレイスはやっとアフレイド領の屋敷へと帰還した。
今度はマリーのいない馬車。グレイスの体を気遣ってか、途中、頻繁に休憩を取ってくれた。
フレンは、一緒に乗ってくれなかった。代わりにリリスが同乗してくれた。
「お体の具合がまだ完全ではないでしょうから、同性の方のほうがよろしいでしょう」
そんなふうに言われた。確かにその通りではあるのだが、以前は無かったことである。少し具合の悪い程度なら、フレンがそのまま傍について、体調のこともしっかり見守ってくれていたのだから。
けれどグレイスとしても、密室に約二時間二人きりというのも今は居心地が悪い、と思ってしまった。だから「フレンがいいわ」とは言わなかった。「そうね。リリス、お願い」と受け入れた。
リリスはどう思っただろう、少々奇妙だと思ったかもしれない。リリスにとって、フレンは使用人としての同僚で、昔から同じ仕事をしている立場なのだから。
幸い、馬車でそんな話は出なかったけれど。リリスとて踏み入っていい状況かは心得ているはずなのである。それで、きっと。
休み休みだったので、半日ほどがかかってしまった。それで父への報告も部屋で休んでからということになった。
「出先で熱を出すなど、災難だったが。なにか悪いことでもあったか」
グレイスは特に体が弱いということもなく、普段であれば熱など滅多に出すこともない。寝込むこともほとんどない。だから父もそういう訊き方をしてきたのだと思う。基本的に優しい父親なのだ。
「少し、驚いてしまうことがあって……寒い中、お外で過ごしてしまったのです」
グレイスは本当であることを言った。
実際、その通りなのだ。ただ、原因が口に出せないだけで。
「……そうか。……。まさかと思うが、ダージル様のことではあるまいな」
そう訊かれるとは思ったけれど。実際に直面してしまえばグレイスの心臓は冷えてしまう。
だが返事は考えてきた。嫌な具合に騒ぐ心臓を叱咤して、口に出す。
「……はい。その……触れるようなことを……あまり、考えておりません、でしたの……」
非常に曖昧になった。伝わらないとは思わなかったけれど。
父は少し黙った。グレイスがなにかしらダージルに手を出され、それを拒絶した、ということは悟ったのだろう。
「……それは思慮が浅かったと言わざるを得ん」
「はい。……すみません」
内容は少し違うものの、それも事実。グレイスは素直に頭を下げた。
父はもう一度少し黙り、そうしてから、はぁー、とため息をついた。長いため息だった。
おまけに額を押さえる。確かに父にとっては頭が痛い出来事だろうから。娘が婚約者、それも身分が上の相手になにかしらの無礼を働いて帰ってきたと知ったのだから。
「少々、箱入りにしすぎたかもしれん」
独り言のように言われたことは的確だっただろう。グレイスは確かに箱入り娘、といっても差し支えのないほど、恋愛に対しては慣れていなかったのだから。
別に、誰ぞと恋をしてこい、経験してこさせれば良かったという意味ではないだろう。
想像するなら、もっと婚約を早くするべきだったとか、きっとそういう。
グレイスはなにも言えずに、困ってしまった。父もこれ以上グレイスの言葉を望んではいないだろうが。
「仕方がない。ダージル様に文でも出そう。謝罪申し上げなければ」
「……申し訳ございません」
父にも負担をかけてしまった。グレイスは俯く。
けれどそれより重要なのは。ダージルに無礼を働いたなんて生易しいものではなく、彼と結婚などできそうにない、という事実なのであった。
でもいつ言えばいいだろうか。今言うのは適切でないとわかるけれど。
グレイスが数秒ためらったうちに、父に手を振られてしまった。
「まぁ良い。もう少し体を休めていろ。ぶり返したら困る」
そんな言い方であったが、確かにグレイスのことを慮ってくれている言葉。じわりとグレイスの胸が熱くなる。ぺこりとお辞儀をして、グレイスは「失礼いたします」と父の部屋を退室した。




