旅行のはじまり
真夏のある日。グレイスはマリーと二人でひとつの馬車に乗り、避暑地の別荘へ向かっていた。今回はフレンも別の馬車である。せっかく従姉妹同士二人なのだから、ほかにひとがいないほうが良いと気を使ってくれたのだ。
使用人たちの乗る馬車のひとつで、おそらくマリーの家の使用人、マリーの従者などと話をしているのだろう。自分の居ないところでのフレンのことも気になったけれど、それは毎回のことなのですぐにマリーとのおしゃべりに話を弾ませてしまった。
マリーの最近のこと、グレイスの謹慎中のこと……。
フレンと二人で出掛けたことも話した。そのときマリーに言われたことにはどきっとしてしまったけれど。
「相変わらず仲が良いのね。きょうだいか恋人同士のようね」
きょうだい、は確かにそうともいえなくない。幼い頃からずっと傍にいたのだから。お世話をしてくれる立場だとはいえ、歳は近いほうだと思う。
けれど、恋人同士。それは完全に無いのである。
少なくとも、今のところは。
……いえ、これからだって、きっと無いわ。
グレイスは胸の中で言って、自分のその思考にちくりと胸を痛めた。
マリーから見えた、そんな関係。本当にあったら良かったのに。
「やぁね、そんなんじゃないって知っているでしょう」
そう言うしかなかった。それでマリーも「そうよねぇ」と言って、これを終わらせてくれた。
「それで、ダージル様にもお会いしたのでしょう。どうだった?」
今度は違う意味でどきっとした。少し前にダージルの屋敷にお招きされたこと。マリーも知っているのだ。
ちなみに今回の小旅行にはダージルも来ることになっていた。
住まいが少し離れているので、合流することなく、直接別荘まで訪ねてくれる予定である。
きっとあちらも今、向かっているのだろう。それはそうだろう、これからグレイスにとっては身内、マリーにとっては親戚になるのだ。ここで交流するのが絶好の機会というわけ。
「ええ、楽しかったわ。優しいお方で……」
グレイスは無難なことを言った。
とはいえ、嘘ではない。ダージルのことは本当に優しくて良いひとだと思う。
ただ、犬に対するあの様子は……ちょっと変わっているといえるだろうけれど。
「もう着いていらっしゃるかしらね。私たちのほうが早く着いていたほうが良いのだけれど」
「そうね、そちらのほうがいいわね」
お迎えする立場で、おまけに向こうは伯爵家なのだ。家として身分が下の自分たちが先に着いてお出迎えするのが理想的。でもなにしろ同時に出発するのではないのだ。タイミングがずれてしまっても、仕方がないことではある。
二時間も馬車に乗っていただろうか。ようやく別荘に辿り着いた。
近くには湖と小さな森があり、両方から涼しさを得ることができる。普段住んでいるアフレイド領とてそれほど暑い地域ではないのだが、それでも夏になれば蒸す。
それに涼しさを得るためというのはあるが、遊びの面であるのが大きいのだし。
「ああ、窮屈だったわ! 爽快ね。それにとっても涼しいわ」
馬車から降りて、マリーは豪快に伸びをした。グレイスも伸びこそしなかったものの、まったく同じ気持ちだった。
気温が既に二、三度は違うだろう。まるで初夏の頃のようないい陽気だった。おまけに森からの風が心地良く、街中の蒸した空気とは比べ物にならない。
「こんにちは。グレイスさん」
ひとつの馬車から若い男性が降りてきた。マリーの夫のロンである。マリーの夫であるので、当然のように彼も同行してきていたのだ。
ロンは茶色の髪を持ち上げていて、中肉中背。だが涼し気な目元のおかげでじゅうぶんに見た目が良かった。グレイスは誕生日パーティーのとき以来の邂逅である。
「こんにちは、ロン様。お世話になります」
去年はマリーが結婚して間もなかったので、ロンと旅行を共にするのは初めてであった。
グレイスは丁寧に挨拶をする。スカートを持って、軽くお辞儀をした。
「いやいや、お世話になるのはこちらだからね。それにしても素敵なところだ。とても涼しい」
「お褒めに預かり、光栄です」
ロンは手をかざしてあたりを見回した。避暑地の小さな屋敷は湖のほとりに建っている。中に入って窓を開ければ、湖を通ってきた風が涼しく感じられるだろう。
グレイスたちは屋敷に入り、使用人たちが荷物を運んでくれる。まずはお茶でも、ということになったが、そこでベルが鳴った。ダージルの一行がやってきたらしい。
ちょっとどきりとした。旅行先で会うなど初めてのことであるし、おまけに婚約者と同じ屋敷で一週間を過ごすのだ。それは緊張して当然だろう。
いえ、大丈夫。マリーやロン様もいるのだし、フレンも一緒。きっと上手くやれるわ。
グレイスは自分に言い聞かせて、玄関へ向かう。使用人を従えて、ダージルが入ってきた。
「やぁ、グレイス。お招きありがとう」
もう暑いのだ、ダージルの服も軽装になっていた。それでもかっちりとした服に変わりはない。ぱりっとしたシャツにベストを合わせ、タイもしっかりついている。伯爵家にふさわしい姿だ。
「少々手狭かと存じますが、どうぞおくつろぎくださいませ」
グレイスはもう一度、スカートを持ってお辞儀をした。今回はもう少し深くなった。
「いや、別荘だろう。じゅうぶん立派なものだ。場所も緑が溢れていてとても良いね。リモーネの散歩ができたらさぞかし、……あ。ああ、すまない」
リモーネ。ダージルの飼い犬。グレイスはちょっとひやっとしてしまった。
グレイスが犬に怯える様子を見たのだ、おそらく連れてきはしないと思ってはいたが、わからない。そこが心配だったのだけど、どうも杞憂に終わったようだ。そんな気配はない。
「いいえ。来年はリモーネさんも是非ご一緒に」
「そうかい?」
とりあえず今回は一緒に過ごすことにはならないのだ。グレイスはにこっと笑って言っておいた。ダージルも安心したような笑みを浮かべてくれる。
今日は初日なのだ、それなりの長距離を移動したので少しくたびれてもいる。屋敷の中でくつろぐことになった。二時間もすれば夕食になることも手伝って。
グレイス、マリー、そしてダージルとロン。
一応誕生日パーティーで同じ場所に居たとはいえ、しっかりと顔を合わせるのは初めて。はじめましての挨拶から、マリーたちの家のことについてまで、話題は尽きなかった。
ただ、こういうことなのだ。主にダージルとロンが話をし、グレイスとマリーが控えめに参加することになる。
グレイスはそれに少々の息苦しさを感じてしまう。ダージルが相手なのだから当たり前とはいえ、楽しいかと言われたら、そんなことはまったくなかったのだ。
おしゃべりで奔放なのが本質なのだから、自由におしゃべりができるのならばそちらのほうが楽しいに決まっている。
そう、例えばフレンと話をするときのような。なにもはばかることなく話せたら。
思って、途中でグレイスは部屋のはしをちらっと見てしまった。
フレンはそこに控えてくれている。なにか用があればすぐ対応できるように。
グレイスが視線をやったことで視線が合う。それを見てフレンはどう思ったのか、笑みを浮かべた。グレイスが『なにか用事で呼びたい』と思ったのではないと気付いてくれたのだろう。
そしてもっと言うならば、この状況に多少なり不安を覚えているから。フレンのほうを見てしまったのだと。それもわかってしまわれたはずだ。
だから安堵させるように笑みを浮かべてくれた。
グレイスは単純にも、それにほっとしてしまう。
大丈夫、やるべきことをやれるわ。
思って、フレンに微笑を返しておいて、数秒だけ向けていた視線を部屋の中心に戻した。
そこではこの小旅行でなにをするかという話題になっている。
くつろぐのが目的なので、ゆったりと時間を過ごすつもりであったが、森の中の散策や、湖の周りの散歩、天気が良ければボートに乗ったりもできる。できることなどいくつもあった。
どの日にこれをしよう、などの楽しい計画。
グレイスもそれに混ざり、控えめではあったものの、提案や同意をして、お茶の時間はゆったりと過ぎていった。




