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06幕 ハーレムエンドも大概に*

乙女ゲームの悪役令嬢に転生した元婚活中のOL。今度こそ結婚したい彼女はこの人生を乗り切るために頑張るが、どうにも展開がおかしくて…?


キーワード:R15 西洋風 乙女ゲーム 婚約破棄 恋愛は薄め

「リーデ! 今ここでお前との婚約を破棄する!」


 声高らかに婚約の破棄を告げる男性。

 王家主催の未婚者向けの夜会。その会場の階段の上から数人の男性と、それらに守られるように立つ1人の可愛らしい女性が、階下の1人の女性をきっと睨みつけていた。


「あらまぁ――まずは理由をうかがっても?」

 会場の全員が注目する中、少し困った表情をたたえながら穏やかに返すのは、今しがた大声を上げた男性の婚約者、メロニス公爵令嬢リーディア。


「白々しい! お前はここにいる聖女を虐げた! 調べはついている!」

 彼の名はアストラ=ガッシュ第一王子。その隣には最近某男爵の庶子として家に迎えられ、同時に聖女としての力を示していると思われる令嬢が震えながら身を寄せていた。

 その姿は男爵家では用意できないような贅沢なドレスで飾られている。滑らかな光沢のサテン生地は身体のラインを主張するようにぴったりと身を包む。煌びやかで豪華な宝石の飾りを胸元と膝下から広がる裾に向けてたっぷりちりばめた、人魚のようなそれは誰かからの贈り物だろう。

 彼女の周りを王子の側近3人が固める。

「お前が聖女としての彼女の能力、私との関係に嫉妬して、醜い嫌がらせを行ったことは周知の事実! 逃げられると思うな!」

思惑入り混じった妙な空気が会場に漂い、階下の令嬢は表情を崩さず小さく息を吐いた。



――そうよね、私は悪役。加えて公爵令嬢だもの。陥れたい人もたくさんいるわよね。


 私はリーディア。乙女ゲームの中に転生した前世2X歳、絶賛婚活中だったOL。婚約者である王子に再会した時、既視感で前世の記憶を手に入れた。



 このゲームは主人公であるヒロインの恋愛成就を目指したいわゆる乙女ゲーム。だが一般的なそれとは少し異なり、自らの実力で幸せをもぎ取る乙女装い略奪系恋愛ゲームなのだ。


 ヒロインは元平民。母子家庭で貧しいながらも誰にでも明るく優しい。その美しさと清貧さはまるで聖女だと市井で噂が流れる。ある時彼女の噂を耳にした父親である男爵によって引き取られ、貴族界に仲間入りを果たす。

 そして国中の貴族の通う王立学園に入学したところから本編は始まる。ヒロインは学生生活に励みながら、攻略対象を落としにかかる。どこが略奪かというと、メインの攻略対象が皆それなりの立場で貴族らしく婚約者がいるのだ。奪うだけの根性が必要とされる。加えて男爵家は身分が低い。

 そこで活かされるのが『聖女』の設定だ。本編開始時、既に聖女として噂されているが、あくまでも市井での話。貴族界でも聖女として認められる必要がある。

恋の障害や身分差を乗り越えるためには一定の努力、つまり作業が必要だ。相当量のミニゲームやイベントをこなすことで、聖女と認められ略奪愛も聖女ならばと認められるようになる。


 私はここでは悪役。王子の婚約者としてヒロインの前に立ちはだかる。嫉妬で彼女をいじめ倒して断罪、そして最悪国外追放、というふざけた役目だ。他のキャラの婚約者のように彼女を認めて和解するルートはない。それも断罪がよりによってホスト役で出る国公認のパーティー兼合コン会場。運良く国内に残れても今後の人生が暗くなる嫌がらせ付き!



 思い出した記憶は全てではなく、漠然とした主軸だけ。ひとまず最悪の結果を避けようと、幼少期からできる限り良い子にしてきた。尊大な態度を取らず、誰にでも優しく……でも顔がきついと避けられたり発言を誤解されたりと、ある程度は設定寄りに進んでしまう。王子の婚約者である公爵令嬢に面と向かって無礼な人はいないけれど、前世の記憶もあり、誰かが給湯室……ではなく扇の影でこそこそ話している内容くらいは察しが付く。貴族は皆嘘つきだ。タヌキの尻尾も見えている。しばらく辛い思いをした結果、私は考えを改めた。

 王子との関係は良好なはずだった。明朗快活、少しわがままで男の子らしい王子は記憶を取り戻した私から見れば可愛らしく、年齢相応に成長する姿に将来を予見してときめいたりもした。……からヒロインに夢中になり始めた頃は少し悲しかった。だってできるなら今世こそ結婚したい、追放は嫌だって思っていたから。


 けど2人のやりとりを見ているうちに興味がなくなった。ヤケになって追放を受け入れようかと思った日もあるけど、すぐに思い直す。他国は案外平和じゃない。だから追放されるんだもんね。必死だった分、案外すぐに冷静になれた。浮気性の男も女もくだらない。こんな人達にニヤニヤ笑われるなんて癪だ。なので領地内軟禁になるようにストーリーを進めてきたはずだった。


 やっぱりこうなったけど。


 目の前のヒロインはその可愛らしい顔と恵まれた身体、天真爛漫な性格で攻略対象の男性陣を虜にしている。

 スチルでは清楚な雰囲気をまとい聖女とされる彼女だが、現実には一切そんな気配はない。

 聖女と呼ぶのは市井も含めて一部の人達だけ。貴族間で“あくまでも噂”として囁かれているのは、彼女は異常に股が緩く、容姿を武器に男を食い荒らしているという話。因みにそれは事実だ。裏付けるように一部の男性からは人気だが、まともな男女からはすこぶる評判が悪い。

 悲しいかな婚約者の王子も愚かなその一部の男性だ。護衛達の証言もある。結果はわかっていても婚約者として放置するわけにいかず、諫め続けたが無意味。ついには聖女にべったりだ。王族がそれでどうする、と出掛けた言葉は扇で隠した。ストーリーの都合として彼のことは諦めるにしても、このゲームは18禁ではないのにどうしてと正直何よりもヒロインに幻滅した。


 そしてその幻滅は怒りに変わり、今呆れへと変貌した。

 実は元々不穏なものも感じていた。初対面から間もなく、護衛から報告される王子との様子はイベントとは違う。他の異性に対する危行も目立つ。おまけに作中では絶対にない『聖女を自称』し出した時から薄々感じてはいた。仕方がなくイベントで関わる時も様子がおかしかった。その内、イベントが勝手になくなったりもした。

 脳内で唱えていた仮説は今のこの状態とあのドレスを見て確信に変わった。聖女も転生者だ。メーカーが想定した時代には存在しないマーメイドライン。胸の形も谷間もはっきりくっきり、お尻からふとももにかけての肉感もばっちり。この時代の価値観で、官能的なラインのドレスを身に着けるはしたない女性はいない。彼女が転生者ならば、全ての愚行にも納得がいく。

 男爵家に拾われるだけの噂は立てられたが、目の前の彼女は聖女とは程遠い。それをどうやら肉体言語で一部の心に訴え、『身分違いも乗り越えて身も心も皆に愛される私』として逆ハーレムルートを完成させたらしい。


 とはいえ非常にどうでもいい。王子がああなら私にとっての正解は1つ。婚約もどうでもいい。

 でも大人しく追放なんてされない。私、冤罪は受け入れなくてよ――



「……然様でございますか。どういったお話でしょうか?」

「何?」

リーディアの冷静な言葉に怪訝そうな顔をする王子。

「嫌がらせの詳細です。証拠もおありなのでしょう?」

「当然だ! ニーズ!」

 呼ばれて前に出てきたのは宰相の息子、トネリア公爵令息ニーズ。成績は優秀だが地頭が悪い。攻略には優秀な成績を収める必要があり、ふざけたことに難しい物理や数学の問題が出てくる。高校時代、数Ⅲを選択していなかった前世のリーディアは必死で攻略サイトを巡った。


 メモ帳をめくり罪状を読み上げていく。それら全て詳細に日付と時と場所まで控えられている。どれも人の少ない放課後の出来事だ。

――ヒロインが思い出すだけで震えが、とか言っているけどよく言うわ。そんな状況で、いちいち時間まで覚えてるとか並の神経じゃないと思うんだけど。仮に誰かと一緒でもないわ――



 どうだ! と大声が響き、リーディアは冷静に言葉を返す。

「恐れ入りますが、どれも身に覚えがございません」

「往生際が悪いぞ! 証人がいる!」

 ずいと身を乗り出したのは騎士団長の息子、ブライス侯爵令息モルト。騎士道精神云々を説きながら、大体感情のままに動いている。攻略には何故か反射神経がカギとなる早押しサブゲームを極める必要がある。しかも「毎日の朝練に付き合う」ため、何回もやらされ割と複雑な気分になる。あと、レモンのはちみつ漬けやらを作る料理パートもある。


「彼女らが証人です」

 国の商家を管理するモリンズ公爵令息フリートの言葉で数人の同級生のご令嬢方が前に出る。聖女には同性の友人はいない。彼女達は雇われの友人である。

 彼の攻略にはおしゃれさが必要だ。ドレスアップのコーディネート術を磨く必要がある。因みに予算も重要。予算オーバーすると好感度が下がる。商人の管理だから財務では、と思うが他キャラとの配分の都合もあり、役割分担としてこちらで求められるのはカリスマ的センス。


 どうだ、と言わんばかりの顔でニヤニヤしている王子に公爵令嬢からため息が1つ贈られる。

「私ではございません。1件目は先生方のお手伝いを。2件目は王宮に。後ろ2件は孤児院におじゃましておりました」

「私の友人が嘘をついてるって言うんですか……! 侮辱です!」

瞳にいっぱい涙をためた聖女が震えながら大声を出し、男全員で慰める茶番。“友達”はそこにいるだけだ。

「聖女が偽りをいう訳がない! この性悪め……!」

「そうです! いつも1人でいるあなたの行動を誰が証明できるのですか」

リーディアはもう1つ大きなため息を贈った。リボンもかけたい。

「どなた様がなんと仰ろうとも全く関わりのないことでございます。証人が必要であれば私から先生方と王妃様に確認を――」

その途端、慌てた聖女が言い直す。

「も、もしかしたらその日は違ったかも! もう1日後ろ……」

それでもリーディアの顔色は変わらず、聖女はうっと息を飲む。

 その様子を見た王子が大声を出した。

「孤児院と言えば、聖女の仕事を奪ったそうだな!」

これにはリーディアが怪訝な顔を返す。

「お前が余計な事をするので、聖女の厚意が無になっていると聞いたぞ!」

「そうなの。一生懸命デザインしてフリートが作った綺麗なドレス、受け取ってもらえないの……」

これにはリーディアは呆れた。

――当たり前じゃない。ドレスをもらっても着る機会がないわ。聖女本人は既製服の概念があってもここじゃ基本オーダーだもの。売るのも無理があるわ――

悲しい気持ちになりながら、リーディアは答えた。

「恐れながら、全て王妃様のご指示にて動いております」

 顔をしかめた王子が叫ぶ。

「母上を巻き込むなど不敬! 嫌がらせの件も含め、言い訳無用だ! 手先の友人にでも頼んだのだろう!」

「私に友人は1人もおりませんわ。手先としてお金で雇うこともできないほどに」


――さっき自分達でも私が独りぼっちだと把握していると言っていたじゃないの。

 ある時考えを改めた私は、友達を作ることを諦めた。未来の妃として、表面的な知人は広く浅くいるが友人はいない。余計な世間話が命取りの可能性もある。いたところで手先や取り巻きと呼ばれ相手も良い思いをしない。それに本編の私を助ける人は誰もいなかった。寂しかったけれど、裏切られて1人きりになる苦しみよりいい。

 うろ覚えのイベントを回避するために彼女を避け、毎日放課後は率先して先生の手伝いをし、王宮に通い王妃様にも良くしてもらった。いつでも確かな大人の目に届くところで出来ることをした。

 だから絶対、負けてやらない――



「小癪な言い逃れを! だがお前が彼女を中傷したのを私は聞いていた! それについてはどうだ。聖女は優しいから、謝罪だけで許してもいいと言っている!」

「そうです! 謝って下さい! 早く!」

聖女も顔を真っ赤に怒っている。やはり並の神経ではない。

――こうなることを恐れて言葉選びは慎重にしてきたもの。初回以外のイベントで彼女にかけた言葉は『然様でございますか』だけ。それだって私は何も間違えていない――

「……『婚約者のいる男性にみだりに抱き着くのはお止しいただけますか』と、その一言が中傷でしょうか?」

手に持った扇を顎に添え、おどけた顔で言葉を続けた。

「それも入学式で奇声を上げながら殿下に抱き着いたので申し上げましただけ。エスコートされていた私が窘めなければそれもまた問題ですわ」


 それに反応して会場にささやきが生まれる。学校の内外は勿論、攻略対象以外にも聖女はやらかしていたようだ。自分や周囲を襲った悲劇を思い出した者達のささやきが広まっていく。婚約者を誘惑された身に覚えのある女性の悲しい声も聞こえてくる。



 リーディアは顎の扇をそっと広げ口元を隠し、眉を上げて目を細める。

「先程殿下と彼女の関係、と仰いましたがなんでしょうか? どれほど睦まじいので? 人の婚約者を誘惑するなんて、どんな政略結婚であろうとこの国では褒められたことではありません。応える方も順番をお間違えでは?」


 政教がほぼ等しい権限を持つこの国では宗教が軍、王や貴族が金を司る。これは同盟のようなもので、どちらかが約束を蔑ろにすれば国家は崩壊する。社会のバランスを均衡に保つための家同士の結婚は重要な意味を持ち、愛がなくても育てるべしという考えの家が多い。解消が破滅の門かもわからない。

 恋愛結婚の家も一部あるが、利害の一致や逆に全く関係ないからこそ叶う奇跡に近い。令息令嬢は皆、気持ちよりも自らの家を背負って社交に挑む。


――だからこそ『身分差を超える真実の愛』であり無邪気、ホイホイ身体を許してくれるヒロインが一部の男どもには可愛く見えるのでしょうけど、正直そんなサークルクラッシャーが現実にいると――


今やまともな男女の怒りが優勢に渦巻く場の空気は完全にリーディアの味方。


――ゲームの画面外での正解はわからないけど、ばかね――


顔をしかめる王子に優しく声をかけた。

「殿下、婚約の破棄のご希望ですが、そちら有責で承知致しました」

「何故だ! 貴様が有責だろう!」

「何故は私の言葉です。仰るようなバカげた行いは何もしておりませんのに責を負うなど。殿下が彼女にお熱でこちらを捨てたいと仰るのですから、約束も順番も守れないあなたに問題があります。冤罪の名誉棄損も含めた慰謝料をお楽しみに」

真っ赤になって震える2人に静かに追い打ちをかける。恨みはなく慰謝料などいらないが、保険として平穏な生活の保障を請求したい。

「それに彼女を妾になさるのかと考えておりましたの。一切嫉妬などございません」

「せ……聖女を妾になど出来るか!!」



 王子が叫んだその時、途端に会場がざわついた。

 ニーズ、モルト、フリートの婚約者がリーディアの後ろについたのだ。彼女達は各キャラを攻略する際のライバルだが作中にほぼ登場しない。むしろリーディアに良い感情がなく、追放のシーンでは聖女の取り巻きと化していた。聖女の味方かと身構える。


 が、それは一瞬で吹き飛んだ。

「失礼、リーディア様。私、辛辣なあなた様に感動致しました」

「私も。よくあのあばず……おっと聖女にそこまで仰って下さいました」

「これまで恥と耐え忍んでおりましたが、もう結構」

3人揃った動きでリーディアの前に出て、それぞれの婚約者に声を掛ける。

「ニーズ様、度々のエスコートの拒否と浮気、その不誠実さ、許し難く思います」

「モルト様、再三の進言を理解せぬ愚図……おっと、軽率な行為、甚だ遺憾です」

「フリート様、二言目には金だ女だと下劣なあなたには愛想が尽きました」

「浮気を理由に婚約を破棄させていただきます。慰謝料の請求は後程」

綺麗に声を揃えて告げると美しく礼をして、風のように足早に去っていく。

 すれ違いざまに「そちらの件も引き受けますわ」と言われ、リーディアは驚いた。本編でも今世でも彼女達に親切にしてもらったことなどない。全員が呆然と三人が消えたドアを見ていた。

――あの3人が味方になってくれるなんて……訳が分からないわ――



 会場のささやきが「聖女の淫らな身体接触」「必要以上の体型アピールのドレス」「聖女がもたらす婚約破棄」でざわめきになっていく。「悪女なのでは」という言葉も聞こえてくる。

 自分に向けられるはずだった黒い感情にリーディアははっとする。形勢は逆転しているが、イレギュラーもあった手前油断はできない。ともかく早く終わらせたい。



 咳払いと共に階段に向き直る。

「ご愁傷さまでございます」

にっこり笑顔で告げると階上の男性陣が我に返り苦々しい顔になる。

「あんな女、こちらから願い下げだ!」

「愚図だと! 下らない女のくせになにを!」

「今まで買い与えたものを返してもらおう!」

口々に元婚約者を罵り始める。体裁を取り繕おうと必死なのがうかがえるが、場は白けている。そのうち聖女が「あなた達は悪くない!」と大声で叫び、男どもも自分達には聖女がいると笑いだし、ねとねとと気味の悪い空気を醸し出す始末。

 呆れながらも今がチャンスと思って声を掛ける。

「私も両陛下にこの度のお話をお伝えせねばなりません。こちらで失礼させていただきます――殿下、皆様もどうぞお幸せに」

王子とヒロインが何か言いかけるが、精一杯の嫌味でもある優美な笑みと祝いの言葉で何も言わせない。礼をして立ち去れば無事に終わりだ。



 その時、最後のピースがやってきてしまった。



「華々しい席に不穏な空気が漂っているが、何事か」

ゆっくり振り返るリーディアの目に映る1人の男性。美声で空気を震わせながら入場してきたのは攻略が最も難しいとされる隠しキャラだった。


 ヒロインが条件を満たした上でハーレムルートに入ると攻略できるようになる、大神官ルートレット。国1番の秀才、加えて美形。他の攻略者が10代後半でピチピチ(死語)なのに対し、こちらは20代後半。落ち着いた大人の魅力がある。彼のエンドは親密度次第で2つ。ハーレムを見守るか、「聖女は神殿が預かろう」と愛をささやきながら連れて行くか。



 途端にヒロインの顔色が変わる。

「ルートさまぁ! 会いに来て下さったのですね!」

桃色の媚びを含んだ声が会場に響いた。



 まさか大神官が、と驚くリーディアは大事な事を思い出し一気に脱力した。

――そうだわ。彼が係で、私の婚約破棄の許可と国外追放を彼が告げるの――


 このパーティーでは婚約したい相手がいればその場で書類を作り、婚約の意思を申請することができる。控えている神官が書類を改め、判断者の王に回す。実った場合の勢力図に問題がなければ各家に請願を許可する旨の連絡が行き、諸々の事情や意思が尊重された上で正式に婚約が成立する。あくまでもこの会場の書類を改める係は大神官である彼だ。


 そして彼がきた以上、リーディアの破滅は確定したも同然。


 実はルートレットが1番好きだった前世。追放はヒロインが彼のルートに入った時のみだ。リーディアは本編では一切の関わりがなく、今世も繋がりは作れなかった。冤罪回避の手段は講じたし、曖昧な記憶だが彼の攻略には世間で広く「聖女」として認識される必要があったはずだ。だがあくまでも自称と一部での噂程度。だから攻略できていると思っていなかった。

――油断した――

まさか彼から国外追放を言い渡されるのが現実になるなんて、と内心で涙を流す。



「ん……? 誰だ? 私は立て続けに婚約破棄が4件、それも殿下のお話も持ち込まれたから重要な事の確認に来ただけだが」

神官の手元の書類が揺れる。

 もうだめだ、でも一目会えて幸運だった、そう思おうとするリーディアの胸に希望の光が射す。階段の上を怪訝そうに見てのまさかの発言。

――認識していない? やはり攻略できていないのかも――


 イレギュラーであってくれと期待を胸に口を開いた。

「あの……ルートレット様、メロニス公爵家のリーディアと申します。殿下の婚約の重要なこととはなんでしょうか」

涼し気な目元がリーディアを捉えてすぐ、ぴらりと1枚の紙が掲げられた。

「あなたがリーディア嬢か。他3件は事前に用意されたものでもあり、当人の持ち込みであるので受理した。しかし代理人持ち込みの場合は、陛下に回す前に本人による内容の確認、代理人以外の証人が必要だ」

 書類には3人の令嬢の名前とともに殿下の浮気、不貞行為、冤罪による人前でのつるし上げ、王妃様のご指示を疑う殿下の発言、などと一連の騒動が理由記入欄に寄せ書き状に殴り書きされていた。この数分の間でよくもまぁ、とリーディアはふっと笑って答える。

「こちらでしたら全て事実です。この会場の皆様が証人ですわ」

会場に同意を求める声を投げた。

「私、先程浮気者の殿下と婚約を破棄すると宣言致しましたわよね?」

全員が頷く。満面の笑みでルートレットを見ると納得したように彼も頷いた。真面目な顔がほんの少し柔らかく微笑んだ気がしてドキッとする。

「承知した。受理しよう」

リーディアは内心で胸を撫で下ろし、場を辞するために礼をする。

「ではリー……」


 ルートレットが口を開いたその時、ヒロインを先頭に降りてきた階上の人物達が2人の元にたどり着いた。例の“お友達”は全員姿を消している。呼吸から察するに過剰な装飾で歩きづらい様子の裾は側近が持ち上げたらしい。1人では動きづらい程の装飾にリーディアは内心で若干引いた。それよりなによりオフショルダーの胸元には切り込みもあり、胸自体も盛り盛り。本編なら確実にマイナス評価。一体誰の趣味よとドン引きである。

「ルート様! お待ちしてましたわ!」

胸の前で手を組んだ祈りのポーズで自慢の胸を強調し、上目遣いで自信満々な言葉を投げつける注文主(ヒロイン)

「私、聖女なんです!!」

可愛らしい声に王子も側近も誇らしげな顔をする。


 だがルートレットは怪訝な顔。

「はて、そんな話はないが」


 ヒロインがぽかんと口を開けた。貴族令嬢にあるまじき表情で、平民が抜けていないのがうかがえる。

「神官様! 彼女は本当に聖女なんです!」

まずいと思ってか、王子が熱弁しだす。

「彼女は私の心を本当によく理解してくれる、最高の女性なんです。帝王学だと厳しく管理された日々の中で、皆が『王子としての自分』しか見ていない中で、彼女だけが私の寂しさに気付いてくれた……」

「そうだ!」と同意しながら側近達が加わり、全員が口々に彼女こそが自分の心の闇に気付いて照らしてくれる救いの聖女だと語り、「何も言わなくてもわかってくれた」と口を揃える。


――それはそうよ。彼女は攻略対象の情報を知っているんだもの。甘い言葉をささやくのなんか簡単。でもってあの豊満な身体を使ってアピールだものね――


 因みに王子アストラの攻略は国語や道徳の問題だ。人の心の機微を読み取る能力や思いやる心が試される。並行して市井の聖女の噂を貴族間でも本流に乗せるため、平民から貴族まで様々な人と関わっては、好感度を上げる必要がある。勿論、肉体を行使する必要性は一切ない。ついでにリーディアの全ての行いに戸惑い、断罪でリーディアが聖女に詫びた時、全てを許す寛大さはハーレム攻略の鍵だ。

――謝罪の要求は多分それのため。全員を攻略したつもりだったのかしら――



 などと考えているリーディアの隣で、全員の話を聞いた神官は口を開いた。

「――つまりあなた方は皆、そちらのご令嬢を伴侶としてお望みということか」

言いながら書類をさっとさらう。

「まず先に。その『聖女』の件に関しては、神殿として認めることは出来ない」

「なっ……なんで?!」

 これには口を開いたヒロインを先頭に王子達もリーディアも驚いた。神官を攻略できていなくても、登場した以上、本編通りに認定されると思っていた。

「聖女とはあなた方の語るそれではないからだ。特定の人の心の痛みがわかるだけで聖女なら世に聖人が溢れる日は近い。聖女はもっと尊く得難いものだ」

「でも、だって、私は聖女のはずで……」

涙目のヒロインの肩と胸が震える。

「済まないね。個人にとっての聖女と神殿や国にとっての聖女は違うんだ」

申し訳なさそうな穏やかな笑顔で告げる神官は美しく、誰もが口をつぐんだ。



「――……それで、あなたは誰と婚約を結ぶのかお決まりか?」

「え?」

ルートレットがヒロインにかけた言葉に、全員が間抜けな顔をする。

「ん? 婚約のために呼び止めたのでは? 男性陣は全員、あなたへの真実の愛を主張して婚約を失うまでに至っている。どなたかと改めて婚約を結ぶのかと」

それが私の仕事なので、と続ける神官。

 自称聖女と男性陣は固まったまま。誰も現実的な問題を何も考えていなかったらしい。

――ハーレムというと男女共に何故か夢みたいに扱う人がいるのよね。実際はある程度の規律がない限り悲惨なだけ。ゲームはハーレム状態という幸せMAXで終わっても人生は「みんな大好き~(自分の為に争わないで~)」で終わらない。寧ろ排水溝のヘドロのような状況が待ってる。暴走する姫をもつオタサーはいつか解散か崩壊を迎えるのよ――

リーディアは何度目かわからないため息を飲み込んだ。



 沈黙を割ってアストラが口を開く。

「序列から考えれば王子である私の妃になるはずだが……」

やいのやいのと各々の主張と王子への抗議とを入り混ぜて話し始める男性陣。対して神官は短いため息をついた。

「神殿としては慎重に判断するだけだが、勢力の偏り防止で重婚は禁止されていることをお忘れなく。もし今答えが出ないようなら失礼する。リー……」

 リーディアに声を掛ける神官を「待って下さい」と自称聖女が引き止めた。もじもじした様子でまたも胸を寄せ、くねくね身体をよじる。

「皆は優しくて、いつもずっと私と一緒にいられる方法が良いって言ってくれるんです。私、貴族になったばかりで不安もあるし、結婚もまだよくわからないし……。聖女と呼ばれるのも恐れ多く思っていて……。これから聖女になるにあたって、ルート様もご一緒でしたらこの生活も心強いのですけれど……」

いや、アンタさっきも自分で聖女だって言ってたし、普段も貴族生活楽しみながら聖女自称してるよね。あと聖女じゃないって断言されてたじゃない、と呟きたくなるのを扇で口元を隠したリーディアはついにため息を漏らした。



「お断りします」

真顔の返答に自称聖女が大きく目を見開く。

「私は結婚したい。こんな年齢で恥ずかしいが、それ故に結婚する気がない方とお付き合いをする時間もないのでね」

「でっ……では……私――」

「それにどなたかと女性を共有する趣味はないので」

彼女の発言をぱんっと手に持った書類を張った音で散らして、ルートレットの声が響いた。そこに綴られるのはご令嬢が綴った各々との赤裸々な内通事情。



 やはりルートレットは攻略できておらず、今からは間に合わない。今や空気と化したリーディアは深く考えるのを止めた。これなら予定通り、穏やかな人生を送れそうだ。

 目の前でしくしくと泣き出したヒロインを慰める男4人の姿を見てぼんやりと考える。

――いたなぁ、前世でも。こういう子。大体嘘泣きで相手の反応見てて……強かだなって思うし、逃げられて腹が立った時もあったけど、このタイプって結局――


「神官様! あんまりでは!」

モルトの抗議を神官は流す。

「何がだ。君からしたらライバルが減っていいだろう」

「ライバルだなどとっ……」

実はそう思っていたモルト、いいところを見せようと威勢は良かったが言葉は続かない。それより少し賢い他の3人は慰めに徹している。


 私は皆の癒しになりたいの、と嘘泣きをする自称聖女を優しく慰めるという、阿呆臭い茶番を傍観するリーディアが扇の奥でぽつりとつぶやく。

「女1人に男数人なんて、子どもの親も不確定で最低な予感しかないじゃない」

 その声に王子が真っ青になる。母体を共有したら世継ぎ(子ども)が純粋な自分の子ではない可能性に気付いていなかったのか。だから女性に貞節が求められ、家督を継ぐのは嫡子と決められているのに。彼女の行動や意図を理解していなかったのかもしれないが節穴過ぎる。本当に頭が沸いてしまったのかと、リーディアは失望する。目が合った先の王子は呆然としていた。こちらを見ない3人は知っていたのだろうか。

 あくまでも皆の中心で求められていたい女というのはただの自己陶酔型が多い。それに群がる男もそう。誰か1人のものになると目が覚めて離れていく。その手の崩壊でも周りは面倒なのに、崩壊を食い止めようと不義をやらかす愚かさも持っていると最悪だ。巻き込まれた他人はたまったもんじゃない。この聖女は堂々とそれをやらかすと、今彼女が実証したのだ。




 ルートレットがふわりと笑いながらリーディアを目に留める。視線に気づいたリーディアも彼を見て、2人の間にうっすらと穏やかな空気が生じた。

 それに気付いた、泣いていたはずの聖女が態度を急変させる。

「ルート様! その人は私をいじめた酷い人です! 今だって……!」

「そうか。彼女のことは調べればわかることだ」

「そうです! 早く調べて国外に追放して下さい!」

ここでくるの、と目を伏せるリーディアの耳には変わらず冷静な声が届く。

「この書類を持って両陛下の前でお話をうかがおうか」

そう告げる彼の瞳は優しく笑っていた。既にゲームとの逸脱が激しい今だ。何が追放に繋がるかわからなくなった今、リーディアは彼に逆らう気はない。

「承知致しました」

 和やかな雰囲気に焦ってか、聖女が叫んだ。

「まっ……待って! ここで連れて行くのは私でしょ! ルート様は私のよ! もう裸も見せたわ!」

ぎょっとする男性全員を置いてきぼりに、訴えるように捲し立てる。

「知ってるの! あなたのこと! あなたは今はない準男爵家が実家で、虐げられて育った。7歳の時に家が潰れて神殿に上がらされる。平民にも友達が多かったあなたが不自由な身分階級や貧富の差に悩んでいることも、言い寄る顔しか見てない貴族のご令嬢に傷つけられていることも! あなたは毎晩刺繍を刺しながら平民のことを心配してる! 平民出の私となら貴族の在り方を正していけるって、運命を感じてくれるでしょ!」

 どう!? と言わんばかりの笑顔のヒロイン。突然の裸発言に驚いた周りも俺達の聖女最高! という顔に持ち直している。美しい神官の反応に会場中の視線が集まる。



 だが神官の顔は無表情で目が死んでいた。


 そして一言。

「キモッ……」

ヒロインの扇がパシャーン……と乾いた音で足元に落ちた。



「……失礼、あまりの衝撃に言葉に詰まった。初めて会う人にそこまで個人情報を知られているなど正直心底気持ち悪くて……」

神官の謝罪は決して大声ではなかったが、静まり返ったホールに響いた。

 当然だ。身分を捨てた神官の過去であり、語り主の生まれる前の事まで知っているなんて不気味過ぎる。おまけに神殿での夜の過ごし方は不法侵入を疑う案件。

「せっ……聖女の力です! それに先日神殿の泉でお会いしたじゃないですか!」

「そうです! あなたの事もこの通りわかる、やはり彼女は聖女なんです!」

やいのやいの再発。

「私の情報を勝手にさらし、勝手に心情を決めつけられただけだが……」

無表情のまま、あくまでも冷静な神官だが眉は寄せられ、僅かに引き気味だ。

「もう宜しいか。会も散々、書類のこともあります」

「だめよ! ルート様!」

 自称聖女の剣幕に今度こそ神官は厳しく目を細める。

「あなたの名誉の為に秘密にしていたが、ここまで言われては話が別だ。私はあなたの裸など見ていない。会うのも今が初めてだ。別の神官から『神殿の泉で勝手に水浴びしている痴女がいる』と報告が何度か上がっている。先日の別の婚約破棄の書類からとある男爵家のご息女ではという仮説はあったが、今の発言で納得した。あなただな」

真っ赤になって戦慄くヒロイン。口をぱくぱくさせるが何も言えない。



 その時、不安さで会話を振り返っていたリーディアはあることを思い出した。忘れていた大事なこと。目の前の彼女は今のこの状況では、どうしたって国の聖女にはなれない。


「諦めなさいな」

しゃらりと扇を閉じると全員の視線が集まった。

「大概にしないと悪魔だって弁えずに羽目を外し過ぎた相手にはそう優しくないわ。まして神官様は清く正しい御方」

 睨みつけてくるヒロインはリーディアの言葉の意味を理解していない様子だ。

「悪魔? なんの話よ! 私は――」

噛み付きかけた彼女がふっと視線を右上に逸らす。何か思い出し掛けて、言葉に詰まる。でももうリーディアはこれ以上付き合う気はない。

「書類提出がありますので失礼致しますね。ダンタ家のリヨン様」

軽く礼をして神官に向き直ると、彼も何かを察した顔をした。

「ルートレット様、1人で参りますので書類をいただけますか?」

「いや、私も行く。あなたのこれは大きな意味を持つ書類だ。立ち会おう」

「……左様ですか。お手数をお掛けします」

背を向けようとする2人をヒロインが睨みつける。

「……なんでよ! だって私は……なの……」

ヒロインの絞り出した声はとても小さかったが、神官は返事をした。

「そうだな。誰だってそうだ」

「……ならどうして? あなただって私を好きになるはずなのに」

尚も引き止める彼女にルートレットが「お話は後程。まずは書類が先なので」と告げるとやっと大人しくなった。どのみち書類を出さないと王子とのハーレムもなくなると思ったのだろう。




 会場は王城の一角だ。静かな長い廊下を目的の部屋に向かう途中、疲れた様子のルートレットを気遣うと礼を言われる。美しい人はリーディアを見つめて言った。

「あなたは物知りだな。あの名はごく一部の難しい書物にしか。どこで?」

「……私も本です。ずっと昔のことで、先程思い出したのです」


――ついさっき思い出したのはルートレットの攻略条件とヒロインの裏設定。

 ルートレットの攻略は他の4人の攻略を前提に更に分岐がある。

 『聖女の噂』だけでは彼は攻略できない。彼を攻略するには『孤児院を手伝う』必要がある。孤児院は神殿の管理下にある施設だ。そこで子ども達と遊び、シスターを助ける。世間の聖女の噂に加え、孤児院から神殿に報告される心優しき令嬢の話に彼が関心を持つ。姿を目撃される泉には孤児院の手伝いで水を汲みに行く。対面するのはこのパーティーが初めてだが、ルートレットは彼女を見知っている、それが前提。

 だが噂もなく、彼女は孤児院にも通っておらず、諸々の条件は崩れている。

 決定的なのはルートレットが彼女が男爵令嬢だと知っていた事だ。孤児院でのリヨンは家名はおろか名も名乗らない。世間の噂と報告と姿以外神官は知らない。名前も身分もここで初めて知る。

 そしてリヨンの名を理解することで彼女を『保護』という名の監視下に置く事を決める。


 なぜなら彼女は聖女と呼ばれながら、悪魔の加護を得ているから。


 この世に魔法の力はなく、ゲームでもその類の描写はない。あくまでも神に仕える神官が語る「きっとそうに違いない」レベルの話。だって男爵家に行くまでは誰にでも優しく、人の心の機微を感じるのがとても上手な、苗字を持たないただのリヨンだったのだから。

 だけどそれもゲームだけの話になった。

 現実の彼女は「情報を利用してこの世界を蹂躙しただけ」のお調子者だ。この世界の人から見れば「羽目をはずした自称聖女の変人」。もし悪魔が実在してもこんなあば……おっと快楽主義で不誠実な人間に力を貸し続ける悪魔などいない。もうとっくに見限られているだろう。


 私は熱心な攻略解説サイトで悪魔の存在を知った。

 魔術や悪魔の契約は代償の他に名前を必要とすることが多い。相手を支配できる最高の情報だ。悪魔によっては用が済んでも縁が切れる事はなく、契約の輪から抜け出せない。ダンタリオンは情報の少ない悪魔で詳細は不明だが、一般的にそういうものだ。だからこの本編でもヒロインは自ら名前を名乗るのは常に相手の後。今の彼女にその記憶があったとは思えないが、確かに彼女は名乗らずにいた――



「一先ず、神官様がご無事で何よりです」

その言葉に神官は婚約破棄の申告書をぴらりと振った。

「奇怪な行動、ここにあるだけではない淫行の数々。名前の報告もある以上、知っていて落ちたら神官の名折れだ」

口の端を少し上げる神官に、リーディアは控えめに微笑み返した。


「……傷ついておいでで?」

遠慮がちな神官の声音は優しい。

「……いえ。ただ、多くの方に申し訳ないと思う気持ちばかり……」

「それは……しかし殿下との婚約、本当に宜しいのかとは」

「ええ」

それはいい。そういうストーリーだ。加えてリーディア自身、ここしばらくで理解していた。自分の求める結婚はそこになかったのだ。


 本当に様々な努力をした。自分のことは勿論、妃教育も、婚約者とのことも。

 何しろ前世で夢見た結婚が、前世で願った通りの条件で既に用意されているのだ。大事にしない手はない。絶対にストーリー通りになるとは限らないし、リヨンが王子や逆ハーレムを狙わなければ結婚できる可能性はある。

 事実、リヨンが登場するまで関係は良好だった。

 幼い頃からアストラは負けん気が強く、男の子らしい無鉄砲さの中に可愛さがあった。強気でちょっとだけ単純なくらい真っ直ぐで優しい人。お金も地位も恵まれた容姿もある。王族である以上、多少の強引さも大事だろうと思えたし、強くて頼れる理想の人だった。

 リーディアもできる限り寄り添い、支え合ったつもりだった。だけどだめだった。


「……情けないことですけれど、私では殿下を幸せにはできませんのと……私自身も幸せにはなれませんもの」

優しい神官は何も言わず聞いてくれる。

「破棄、というより解消になるかもしれませんが、どちらでも構いません」



――ヒロインに補正があったとしても、自分より彼に寄り添えたのは事実。努力しても彼はもうこちらを見なかった。彼自身の言葉を借りれば初めから“私”を見ていなかった、そう思いたくなるほどに。


 思えば私は王子の婚約者には不向きだったのだ。この国の思想は、男は強く守り女は尊く守られるもの。その代表であり、先陣を切るべき王子にとって、大人しく守られず、背を押すわけでもない、対等に立とうとする私は鬱陶しかっただろう。小さい頃はそれを笑顔で受け入れてくれ、大きくなってからも彼はいつも通りだったから、気が付かなかった私も愚かだ。前世の距離感でものを言い過ぎた自覚はある。さっき彼が口にした一言が、きっと彼の抱えて悩んだことだったんだとそう思う。

 とはいえ、そこまで応えようとする自分が良いとは思わない。結婚してそれなりの幸せはあっただろうが、それだけ。それなりで終わりだ。いつか嫌になるのも自分だったろう。

 反省はするが後悔はしない。仕方のないことだ。


 前世の私が婚活市場で出した条件は高望み過ぎた。身長に顔に年収に、価値観が同じことを求めてムキになっていた。同じ人なんてそうそういないのに。恵まれた条件を望み、それを満たせばいいと必死になるあまり色々なことを忘れていた。

 続かなくて、叶わなくて当然だ。

 今なら違うことを望む。お互いを尊重し合って歩み寄り、何気ない日常を穏やかに過ごせる人がいい。小さなことから大きな事まで、人生を共有したいと思える人が――



「傷物の結婚は厳しいかもしれませんが、もし次が望めるのであれば、何もなくても、休日を共に過ごし、楽しいことや美味しいものを分け合えて……いつでも何でも話せる。そういう方のお側にいたいです」

「あなたほどの方ならもっと望めるだろうに。随分素敵なことを仰る」

 神官の優しさにリーディアはゆっくりと首を横に振った。

「それだけで十分です。何よりも穏やかな生活が望みです。いつか愛も芽生えるでしょう」

「愛……」

「ええ……。結婚って、難しいですね……」

「……本当に」

そのしみじみとした言い方にリーディアは意外なものを感じる。

「神官様でもそう思われるので?」

「あぁ。私はわがままでね。私の望みは貴族のお嬢さん方には受け入れ難いらしい」

言われてみれば、何故ルートレットは未婚なのだろう。この国の宗教は神官に清貧も禁欲も求めない。彼は大神官、真面目で容姿も美しい。王族や一部の高位貴族に比べれば財産は劣っても、決して悪い条件ではないはず。リヨンが「傷つけられている」といっていたのは関係あるのだろうか。


 真っ直ぐに廊下の先を見ている瞳には憂鬱の色が浮かぶ。

「先程彼女が話したことは本当でね。私は毎夜刺繍をしている。……趣味なんだ。細々した物を作って売り、稼いだ金を個人的に孤児院や神殿に寄付しているのだが、その刺繍の趣味が女性陣には評判が良くない。止めてくれと望まれる」

 国の風潮だ。身分ある男性が女らしいことをするのに抵抗があるのだろう。特に軍部を司る神殿。神官の中には剣を学ぶ聖騎士も多く、彼くらいになれば雄々しく先頭に立って当然とそう考える女性が多いのだろうとわかる。

「私も剣は持てる。必要であればそれを振るおう。しかし今この国に必要なのは剣ではない。誰もが健やかに暮らせることを考えた営みだ。戦や流行り病の孤児たちへの支援もそこにある。だがどうにも、男の針仕事はだめらしい。男らしくあることを望まれてね」

この国の価値観では仕方のないことであるが、リーディアはそうは思わない。自分の前世ではテーラーもデザイナーもハンドメイドの作家もいた。この国だって平民には男の針子がいる。それに人の趣味に誰がとやかくいう資格もない。

「……素敵ではありませんか」

足音とともに、リーディアの声が廊下に溶けていく。

「神官様が人のために針を持たれる。畏れ多いことですが、決して眉を顰められることではないと思います。私、孤児院で子ども達に針仕事を教えておりますの。あの子達にはお金も、後ろ盾になる家もない。力あるものは誰も力を貸さない。いつか自立するために、男女問わず幼い頃から身に着けられるお裁縫ならと思いまして」


 孤児院は王妃教育の一環で関わる。といっても本来リーディアは一度の訪問のみで後は慈善活動でお金を送るだけ。主人公が自分の意思でここで子ども達と遊ぶ。そのはずが、入学から暫く経っても彼女は孤児院を訪れず、本編から少しずれた孤児院で子どもの非行が目立つようになり、王宮から教育係が派遣されるようになった。

 その時丁度、放課後の予定に困り始めていたリーディアは、王妃に頼まれて孤児院に通うようになった。目の前の彼らに対して何か出来ることがないか考え始めたのは間もなくの事だった。

 教育制度を考えてもリーディアには正解かわからない。教材の手配などの問題がある。理想論を語るのは簡単だが、ある程度恒久的である必要があり、その場しのぎでは仕方がない。無駄に無責任な発案より手近にできることを、そう考えた結果の針仕事だ。


「どんなに今、食べ物を与えても、何を渡しても、大きくなるあの子達の身に着く何かがないと、孤児院を出てからどうするのか心配でならなくて……ただのきっかけですけれど足しになればと……」

公爵令嬢の趣味の中で、外に持ち出せて教えられるのは読み書きと刺繍くらいだった。読み書きは孤児院でも教わる。だから選んだ刺繍だ。いつか仕事になってもならなくても、きっかけ程度でもいい。

「神に恥じないことならどなた様にも批難される謂れはないと思います。ご趣味を通して人を想えるルートレット様はご立派です」

きっぱりと言い切った声は廊下に響いた。


 しまった、また余計なことを、とひやりと隣を見ると神官は穏やかな笑顔で黙って前を見ていた。

「失礼しました。差し出がましいことを……」

気まずいリーディアの謝罪と同時に、目的地に着いた。



 両陛下に事情を話し書類を出すとすぐに受理された。以前から状況を把握し、王子を諫めリーディアを気遣っていた両陛下は心から詫びてくれた。止められなかったのはストーリーの都合だろうか。激怒した王と王妃が書類を携え、会場へ乗り込むというのを神官が引き止めた。

「その前にお願いがございます。この場でのリーディア嬢への求婚に許可を」

リーディアの目がこれ以上ないほどに見開かれる。

「彼女は素晴らしい女性です。さすが両陛下が選んだ方だけある。殿下との婚約がない今、次にふさわしいのは神殿かと。私が責任をもって彼女を幸せにします」

 王はしばし考えた後、ため息とともに許可をした。王族との婚姻が難しい今、この公爵家の娘を下手な勢力に取られるのは痛手だ。神殿なら悪いようにはならない。やや勢力が偏るが調整すればいい。



 慌てるリーディアにルートレットが跪いて婚約を申し込む。

「リーディア嬢、どうか私と婚約してはくれまいか」

「えっ? あの……」

「先程は感激のあまり、礼も言えずに失礼した。あなたのおかげで私は救われた気持ちだ。実は私はずっと以前からあなたを知っていた。殿下の婚約者として、孤児院の女神として」

「めが……?!」

「孤児院のシスターから聞いていた。絵本を寄付し、読み聞かせ、大きな子どもには針仕事を教えてくれるご令嬢がいると。ずっと話したいと思っていた。そして話してあなたの素晴らしさを実感した」

 突然のことに頭がついていかないリーディアは固まっている。冷静に「さっき失言してなかったようで良かったわ」と胸を撫で下ろす脳内のもう半分で「それはまるでヒロインではないか」と妙なものも感じる。

「実は少し前から見ていたのだが、広間での姿も立派だった。悪意に対しても落ち着き、凛とした振る舞い。王族の妃として申し分なく成長したあなたに、私の方がかすむだろうがこの請願を受けてはもらえないだろうか」

そりゃ私前世ではあなたと同じくらいの年齢だったから皆程子どもじゃないし、話も分かっていたから! と自虐的になる思考を余所にリーディアの顔はどんどん熱を持つ。

「結婚の条件も、努力させてほしい」

 変な声が出そうになるのを必死で抑える。転生に気が付いた時の次に衝撃を受けているが取り乱してはならない。

「あの……私の条件はさておき……ルートレット様のような素晴らしい神官様の条件を自分が満たせるとはとても思えないのです……」

「その心配はない」

ルートレットにそっと手を取られ、肩が震えた。

「あなたは私の唯一の結婚の条件である刺繍趣味を認めてくれた。私はあなたの条件を満たせる男になれるように努め、あなたの幸せに尽くそう」

そんなことが条件だったのかと驚くが、誰もその趣味を許さなかったのが悲しい。

 目の前の美しい神官のことはよく知っている。この人なら自分の条件を満たせることも。彼のエンディングには一緒にソファに座って、笑顔でお茶をする静止画(スチル)がある。素朴な時間。準男爵家で虐げられた彼が望んだ幸せな家族の形。


 見つめられれば段々頭も混乱してきて、前世で言われたかった甘い言葉が脳内に響いて気持ちいい。手の甲にキスされると同時に、思わず「はい」と返事をしてしまった。

――だって記憶を取り戻した時、また結婚できないって泣いたの。今度こそ結婚したかったんだもの――

前世から拗らせた結婚欲はチョロかった。



 こうなったのも全てはと鬼の形相、光の速さで広間に向かう両陛下を見送りながら、ふと思い出してリーディアは恐る恐る隣の神官に尋ねる。

「行かなくて宜しいのですか? 先程書類が先だと……」

ルートレットは目を細めて笑った。

「そう、書類が先だ。提出しないとあなたに婚約を申し込めない。順番は大事だ」

怪訝な顔をするとルートレットは神官の顔になる。

「彼女に会うのは懺悔の時だけだ。それにあの様子では先程以上の話し合いも意味をなさないだろう。どういう神経かわからんが、これだけの書類を出された上でめげない恥知らずで恐れ入った。何やら自分が主人公だとか言っていたが……誰だってそうだ。だからこそ彼女は行動を反省するべきだというのに」

 ここでルートレットは柔和な笑みを浮かべ、リーディアと指を絡ませて手をつないだ。

「どんな子も等しく可愛いが、自分と愛する妻の子どももほしい」

顔を真っ赤に照れるリーディアを見つめる瞳は優しい。

「政略結婚とはいえ結婚式までにディアに恋をしてもらえるよう、努めよう」

婚活現場にこんな男性がいたらサクラか詐欺か疑ってしまいそうになるが、相手はゲーム1の誠実キャラだ。疑う余地もなくこれがこの人のそのままで、サクラでも詐欺でもない。

 大神官とはいえ、前の婚約者より財産も社会的地位も劣る。でも今のリーディアにとっては全てが些細なことだ。何よりも「歩み寄って共に生きたい」と言ってくれることが一番嬉しい。私もあなたに、と伝えようとしてリーディアは言葉に詰まる。誰かに告白するのはいつぶりだろう。王子と形式的なやりとりはしたが、好意を伝え合ったことはなかった。どう伝えたものかと迷い、顔が熱くなるばかりで何も言えない。見つめていると益々話せなくなる。

「いつも完璧な淑女だったあなたも驚いたり照れたりもするのだな。可愛いことだ」

そんなことを言われてこめかみにキスされてしまえば、顔を覆わずにはいられなかった。可愛いだなんて前世も今世も言われたことがない。

「公爵閣下に報告に行こう。ないとは思うがもし断られるようなら、どんなことでもしてみせる」

ぎゅっと握られた手がとても熱かった。




 ちょっとした阿鼻叫喚地獄絵図を迎えたこの後の広間の様子は、後々まで婚約に於ける教訓として語り継がれた。騒動元は全員罰を受けたというが、王族の手元以外に詳細な記録は残っていない。確かなのは男爵家が一軒潰れ、男女問わず浮気者が厳しく成敗される法律が制定されたのは、これがきっかけであるという事実だけである。




 次の春に行われた大神官と幸せそうな妻の結婚式には、花嫁と互いの心からの幸せを祈り合う3人のご令嬢が新しい婚約者と共に参列したという。



マジで信じられないんだけど、ゲームに課金しまくってお金色々切り詰めてたら熱中症であれだったみたいで、気付いたら別の人生を歩んでたの。それも、まさかの課金して遊んでた戦国時代風恋愛ゲームの中。主人公の姫が某所に集った武将たちと恋愛して輿入れを目指すゲーム。転生の王道はメインキャラだけど、まさか過ぎる本編に登場しない人物でちょっとしょんぼり。

けどそんな場合じゃない。仕事をきっちりしないと、殿が女に貢いで家がつぶれちゃうわけよ。命に代えてもお守りします、石高!

キーワード:R15 日本風 乙女ゲーム 身分差 恋愛は薄め ※割と口語が多めです

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