02-21 ナンシー救出依頼 前編 【挿絵】
20170811 改訂
読者さまより報酬金額の計算が合わないとの指摘ありました。ありがとうございます。2017/12/17修正。
20210806 手直し
----
装身具店を後にしたアリエルたちは人通りが少なく人目につかないことをいことに、こんな路地で歩きながらさっき冒険者ギルドに納品したガルグの報酬を山分けする話になった。
換金した報酬は7ゴールド4シルバーだ。それが総額。
そこにさっき服屋で払った5ゴールド2シルバーを引くと、2ゴールド2シルバーが残ったから、これを山分けにする。
「え――っ、兄さま、それはもらえないの。服高かったの」
「ダメだよ、ガルグだってほとんどパシテーが狩ったんだし、最初の約束で服買った残りを山分けって言っただろ? ……はい、じゃあ1ゴールド1シルバーね。俺は金に頓着しないから宵越しの金は持たないけど、パシテーは何かあった時のためにちゃんと貯めとくことね」
旅の路銀に困ったとき貯めていたお金をホイっと使ってくれたら最高なんだけどね……いや、その発想はあまり褒められたもんじゃないな。
「兄さまがお肉とってくれるから、私、食べるのに困らないの」
「獲物がいなくなったら困るぞ。貯めとこうよ」
「じゃあ、冒険者ギルド覗いて、すぐに終わりそうな依頼でも探してみようか」
「うん、狩猟じゃないのやりたいの」
まだお昼前。ウェスタンドアを押し開けて中に入るとポリデウケス先生はもういない。もしかすると何か割のいい依頼を見つけたのかもしれない。……いや、改めて周りを見渡してみてもギルド酒場にも誰もいないようだ。もうみんな出たあとだとしても、だれ一人残ってないなんて。
みんな急に働き者にでもなってしまったかのような変貌ぶりだ。
だいたいギルド酒場というのは、朝っぱらから酒を飲むために存在しているわけじゃない。依頼をこなすためのメンバーを集める集会場だったり、待ち合わせをするための冒険者ベースの機能ももってる。だからだいたいは朝っぱらからおっさん冒険者たちが酒くらってクダ巻きながら仲間が集まるのを待っていたりするのだけど、今日に限っては、もうみんな出て行ってしまったらしい。
ふとAランク依頼ボードに急募を示す赤い依頼カードが貼られてあるのを見つけた。
「あれ? これは……誘拐された娘の救出か。報酬は12ゴールド」
依頼カードを見たパシテーは少し取り乱したようにカーリに問うた。
「この依頼者、もしかして、カーリ、これ?」
「あ、パシテー先生、そう、それナンシーなの。さっきナンシーのお父さんが来て依頼していったの。ポリデウケス先生が受けてくれたよ」
「兄さま、ナンシー教え子なの。かわいいの」
アリエルはナンシーと言われても知らない子なのだけど、パシテーの教え子がさらわれたというなら、救出を手伝うことに異論はない。
「カーリ、俺とパシテーでこれ受ける。情報を」
カーリが依頼書に書かれてある情報を読み上げた。
ナンシーはマローニに本店がある金物雑貨店を手広く展開するタスカン商会の孫娘であり、マローニ中等部で4年花組に所属する魔導師のタマゴだ。
タスカン商会はマローニに2店舗、あと近隣の大きな街には支店を展開している、いわゆる『儲けている店』として知られ、ナンシーはそんな目立って景気のいい商会の孫娘というわけだ。
ナンシーの帰宅が遅くて昨夜は衛兵たちも非番の者たちが駆り出され、思い当たるような場所を全て当たったらしいが見つからず、衛兵事務所は大騒ぎになっているそうだ。
そして今朝になって、身代金要求の手紙が届いた。内容は『明日の17時に身代金200ゴールド持って北の山の麓の炭焼き小屋までこい』というありがちな営利誘拐のようだ。明日の17時というのは今日のこと。いま午前11時だから、あと6時間しかない。
もちろん手紙を届けた者ははした金で指定された家に手紙を届けるよう言われた酔っぱらいで、当たり前だが今は衛兵事務所で厳しい取り調べを受けているが、そんな簡単に身バレするようなら誰も苦労しない。この男から何か情報が聞き出せるなど期待しない方がいいだろう。
身代金の受け渡し場所は『北の山の炭焼き小屋』に『17時』という。
北の山に炭焼き小屋があるのは知らないけど、ちょっと複雑な地形の山岳地帯があることは知っている。高山じゃなくて、標高でいうと400メートル超えないぐらいの低山が山脈を形成していて、麓から山頂に至るまで広葉樹の森がびっしりと広がっている。
アリエルも狩猟目当てで目を付けていた山域なのだが……、どうやらマローニの狩人の狩場になっているらしい。北の山域はディーア狩猟の狩人が足しげく通う好猟地だから、アリエルやパシテーのようにノーデンリヒトで鍛えに鍛えたプロ狩人の二人が行ったら嫌われるだけだろう。ただ鹿の潜む森は人が潜むにも適してる。
「手続きおわったよ、はい登録証。お願い、ナンシーを助けてあげて」
「うん、絶対に助けるの」
「ところで炭焼き小屋ってどこだ?」
「もう、えーっと……」
カーリが簡単な地図を書いてくれた。走り書きだが位置関係だけ分かれば助かる。
「マローニ東側の出口から出るとすぐ北に向かう道があるんだ、荷車の轍がついているなら間違わないと思うよ。距離にして15キロぐらい。道なりに進むと目立つ煙突のある小さな小屋があるし、近くに他の建物ないから間違えることはないと思う。逆に、山に近付いても小屋が見えないなら方向を間違ってるからね、急いで行ってあげて」
なるほど、荷車の轍がついた道があるならノーデンリヒト方面に向かうよりも分かりやすい。
「ありがとう。すぐに連れて帰ってくるさ」
バタン……とウェスタンドアを出るや否や、空中を跳ねるように急加速しながら花びらを散らしてすっ飛んで行くパシテー。二階建ての建物の屋根を超えて一直線に飛んでいく。
「うっわ、それ10メートルぐらいの高さ飛んでるから!」
っていうツッコミも、もうとっくに届かない。
パシテーを追って慌てて出たまではいいけどアリエルの土魔法じゃパシテーの高度にまるで届かない。建物の上を超えてゆくなんて無理な話だから遠回りになるけど、カーリに聞いた通り東側の出口から出て北に向かうことにした。
このままだとよろしくない。アリエルは盗賊と戦闘した経験から知っていることがあった。パシテーの戦闘力だと手加減しても容易く人を死なせてしまう。追いついて、追い越して、誘拐犯には自分が先に接触しないといけない。
パシテーの気配はおよそ300メートル先。ここまで遠く離れるともう誰の気配なのか、あやふやになりすぎてわからなくなってるんだけど、ただひとつ確実に言えることは、ぶっちぎられてるってことだ。
アリエルはいま時速150キロぐらいで滑っていて、気配は少しずつ近付いているけれどなかなか追いつかない。パシテーも130キロ以上出てるっぽい。パシテーの防御魔法の弱さじゃこの速度で事故ったら大変なことになる……こんな時だからこそ冷静さを欠いちゃいけないのに。
じわじわと距離を詰め、10キロほど移動してやっとパシテーに追いついた。
アリエルは、いつかグレアノット師匠に言われた言葉を使って諫めた。
「パシテー、頭は常にクールじゃないと失敗するぞ。魔導士は常に冷静に……だ」
「う、うん。でも、ナンシー絶対に怖がってるの。助けてほしいって思ってるの」
怖い思いをして、今も助けを求めている女の子が居るとしたら、一分、一秒でも早く助けてやりたいというのは理解できる。だけど。
「俺がいれば気配で探せるからね。絶対に見つけるから、まずは冷静になれ」
「う……うん、兄さま、ごめんなさい」
パシテーはアリエルの気配を読むというスキルを失念してしまうほど慌てていたと言う事だ。
二人は慌てず急いで慎重に、街から15キロぐらい北へ向かうとだいぶ山が近くなってきた。
小さな建物が見える。掘っ立て小屋にも見えるが、もしかしてあれが炭焼き小屋かな?
「パシテー、あの小屋に誰か一人いる。あと馬か鹿」
アリエルの注意を聞いて、パシテーは飛行しながら2本の短剣を展開した。
「俺の後ろから前に出ないこと。人さらいだろうが盗賊だろうが、犯人は殺しちゃダメだぞ」
「うん、わかったの」
強化魔法を全開でかけスケイトで全速力、時速150キロで飛ばすアリエルの目に、後ろで束ねた赤い髪が映る。
「あ、パシテー、あれはポリデウケス先生だ。武器を収めて」
さすが先生というところか、Aランク冒険者だけのことはある。二人の接近に気付いて隠れたようだ。馬繋ぎ場の傍で先生の名を呼ぶと、来訪者の正体が分かったのだろう、ようやく顔を出してきた。
「なんだアリエルとパシテー先生だったか。いま飛んでたように見えたが?」
「飛んでたのはパシテーだよ。俺は飛べないし。ところで先生、炭焼き小屋ってここ?」
「ああ、ここのはずだ。お前たちもナンシーの救出か?」
「そうだよ、パシテーの教え子って聞いた」
「Aランクの依頼なんだが、大丈夫か?」
「やってみないと分からないけど、戦闘経験はあるよ」
「そうだったな。なあアリエル、ナンシーの救出を最優先にしたい。私は報酬要らないから一緒に組んでくれないか」
ポリデウケスは本来ならまだ10歳の生徒が危険な依頼に首を突っ込んでしまったのを諫めるべきなのだが、これは授業ではなく、冒険者ギルドが斡旋する『依頼』なのだし、依頼を受けた以上は立場は対等である。子どもだからといって特別扱いはされない。
「わかったよ先生。俺たちもどっちかというとカネ目当てじゃないし。ちょっとまってね……えっと」
アリエルは眉間に人差し指を押し当て、集中して気配を探った。
落ち着いて精神を集中し、気配の察知を前方のみに限定すると、範囲はずいぶん狭いが、1キロ近く離れていたとしても、ヒトのような気配の大きなものなら探り出すことが……できた。
「いた! かなり遠いところに複数のかたまった気配がある……いや、ちょっとまって! このすぐ北にいるのはヒトかな? 動物じゃなさそうなんだけど、気配が微弱でいまにも消えそうだよ」
「なに! 分かるのか、どこだ?」
「複数の固まった気配はこの山の西側の、ちょっと遠いかな。1キロも離れてないけど」
あまり遠くを凝視するように気配察知すると疲れる。
比較的近くで気配が微弱なやつは……。
「北にいるのは狩人かな。気配が微弱ってことは気配を読まれづらくするスキルを使ってるってことだよね。だとすると腕がいいかもしれないよ。先生の知り合いだったら応援頼むのもありじゃない? もし狩人じゃなかったら身代金の受け渡し場所を偵察に来た誘拐犯の一味かもしれないし、どっちにしろ行って実際に確かめてみたほうがいいかな」
「ああ、この辺を縄張りにしてる狩人だとユミルかもしれんから、ちゃんと確認してからブッ叩くんだぞ」
「了解!、ちょっと行ってくる」
アリエルはこの場にパシテーを残して、ジャンプして飛び込むように北の森の入って行った。実際にはピンピン跳ねて行ったというほうが正しいけれど、木々の枝を飛び渡るような機動が思ったより簡単にできることに自分でも驚いた。まるで忍者だ。
これは前世で海岸線に並べられた消波ブロック(テトラポッド)の上を走り回っていた感覚に似ているような気がして、少し懐かしい気分になったんだけど、木の枝が細かったらしい。着地したら折れて、そのまま墜落してしまった。そこそこ痛い思いをしたけれどケガをしなかったし、誰も見ている者が居なかったので、このことは心の中にしまっておくことにしよう。パシテーにばれたら『兄さま、木から落ちたの』なんて一生言われかねない。
木々の枝を渡ることは諦め、鬱蒼と茂る木々の間を器用に[スケイト]ですり抜け、気配の主が潜む大木の枝がかすかに見える位置に立つと……。
気配を探知していなければ気付かないほど見事にカモフラージュされた森と同色の服を着た狩人が潜んでいた。あの横顔には見覚えがある、ユミルだ。
気配が微弱に感じたのは、ユミルが獣の通り道を張り込んでひたすら待ち伏せている間、可能な限り気配で存在がバレてしまわないよう、気配消しの技術を使っていたというわけだ。
アリエルはユミルが気配を消して潜む枝にジャンプし、ふわりと音もなく枝から枝に飛び渡った。
まったくの無音という訳じゃなかったのだが、ユミルは獲物の通り道をしっかり見据えていて、アリエルの接近に気が付かなかった。
「ユミル、ちょっと手伝ってほしいんだ」
突然背後から声を掛けられて口から心臓が飛び出すほど驚いたユミル、足を滑らせて枝から落ちそうになったが、間一髪、ギリギリで枝を掴んだ。
「へあっ!! びびびびっくりしたぁ……って、アリエル?」
もうこんな所で問答している暇もないし、ポリデウケス先生とパシテーから説明してもらった方が早い。何も言わず何も説明せず、唐突にユミルをヒョイと肩に担ぎ上げると、問答無用で[スケイト]を起動し、そのまま高速移動で攫って行った。まったく、自分が人をさらってどうする気かと、後でパシテーに叱られそうな事案だった。
「ひぁぐぅ……ぐううぅぅあぁぁぁぁ!」
広葉樹の上を飛び越える大ジャンプで炭焼き小屋の煙突を飛び越えて馬繋ぎまで戻ったが、ユミルは終始一貫して悲鳴を上げ続けた。
炭焼き小屋まで一足飛びに戻ったけれど、ユミルはさながらやっと終わった絶叫マシーンから降りてばかりの、叫び疲れてぐったりしている。
「ぐっへえ……、ア、アリエ……死ぬかと思ったよ……え? あれ? ポリデウケ……、パシテー先生え? なに?」
もう突っ込む暇も惜しい……。
「ユミル、実はな……」
ポリデウケス先生が事情を話すと、ユミルの醸し出すいつもゆるーい雰囲気を醸し出す目が据わり、戦う男の目になった。これはノーデンリヒト砦の兵士たちの目とよく似ている。信頼できる男の証だ。
「ナンシーのことはあまりよく知らないが、ここで断ったら一生忘れられない恥になる」
アリエルは内心でいたく感心した。ユミルのセリフは掛け値なしにカッコいいからだ。
だってユミル、相手は動物じゃなくてヒトだし、たぶん戦闘に巻き込まれると思うんだけど。
「先生、ユミル、ちょっと長い距離走るけど大丈夫?」
「私は強化魔法で4時間は走れるが、飛べるような人にはついていける気がしない」
「僕は……強化魔法1時間もたないぐらいだけど……。頑張るよ」
1キロも離れてないから、それだけ走れれば大丈夫だ。
「えーっと、まず、ぼやっとしていて何人いるか分からないほどゴチャっとした気配の塊はここから直線距離で西に約700メートル。山の中腹で、たぶん森の中かな。山だけど低いところにたぶん2人分の気配があるから、見張りかな? まずこいつらを何とかしようか。パシテーは飛んで行くと目立つから、滑るよ」
「うん。ナンシー大丈夫?」
「まだ遠くて気配がいくつ固まってるのかもわからないんだ」
ポリデウケス先生は炭焼き小屋に馬を繋ぎ直すと、念入りに装備品のチェックを始めた。
ユミルは武者震い? しながら弓の弦を新品に張り替え、矢の反りまで入念にチェックしている。一発外すと命取りになる危険性が高まる対人戦闘が待っているのでチェックに余念がない。
いざとなれば魔法でどうにでもなると思っている戦闘を甘く見ているアリエルたちとは心構えからして雲泥の差があるようだ。
移動を始めてしばらくすると、林の中に小さな荷馬車っぽい車輪の轍が残る山道を発見した。この山道を入って行くと、だいたい気配の集まるあたりに行けそうな、そんな位置関係だ。
「ユミル、あっちの方向なにか心当たりがない? 山小屋とか、家とか、洞窟とか」
「狩人の小屋があるな」
「お。いいね、間取りは?」
「しらない……、そこの小屋は使ったことがないんだ」
「狩人のくせに、狩人の小屋を使ったことがないのかよ」
「あれはガルグ狩りのパーティが使う山小屋なんだよ。俺はソロでディーア狩りがメインだから平地を移動しながら獲物を探すんだ」
ガルグ狩りのパーティしか使わない山小屋に、攫った子供と誘拐犯のメンバーが潜んでたとして、もしガルグ狩りのパーティと鉢合わせにでもなったらどうする気なんだろう? ここらのガルグは熟練の冒険者でも単独では狩らないらしいから、狩人たちと鉢合わせになった時の危険度はかなり高いはず。
ってことは誘拐犯のメンバーには、ここの狩人の山小屋をいつも使っている奴がいると考えておいたほうがいいかもしれないな。つまり、犯人グループの中に狩人が混ざっている。腕のいい奴だったら厄介だ。
「じゃあ役割を決めよう。この道沿いに上がると2人いるから、たぶん見張りだと思う。そしてずっと上に複数の気配の塊」
すぐ上の二人ぐらいなら作戦なんか立てずにぶっつけ本番でも大丈夫なんだろうけど、目的は誘拐犯の殲滅じゃなくて、人質を無傷で奪還することだ。だから万が一にも下手なことをするわけにはいかない。
「二人並んで雑談してるようにも感じるから、先生は右から近づいて右を。俺とパシテーは山菜採りにきた兄妹にでも扮して馬車道をそのまま登って近づくよ。ユミルは先生についてバックアップお願い。奴らが俺とパシテーに気付いて絡んで来たら戦闘開始の合図ね」
「まてアリエル、やっぱりダメだ、いくら何でもお前を最前列に出すわけにはいかない。危険だ、作戦を立て直そう。私が単独で先行するから」
「何いってんのさ、いま命が危険にさらされているのはナンシーと誘拐犯たちだよ。俺たちはナンシーだけ助けたらそれでいいんじゃない?」
無茶苦茶な理屈だが、アリエルが言えばそれが真実に思えてしまう不思議。先生は呆れたように肩を落とした。アリエルは自分が命の危機に曝されるなんて、これっぽっちも考えてない。
「だがアリエル、いくらなんでもその作戦じゃガバガバすぎるだろ!」
「察知した気配が誘拐犯じゃなくて狩人のパーティだったら問答無用で殴り込むと大問題になるだろうし、もし誘拐犯だったとしても見張り二人と本隊が離れすぎてるからね、あっちの方がガバガバだよ。それか離れていても話ができるような魔法があるなら別だけど」
「そんな魔法きいたことないの」
そんな便利な魔法はないということだ。つまり見張りの奴らは走って逃げるか、花火を打ち上げるか、それか狼煙を上げて本隊に異常を知らせるしかないのだが、当然アリエルは見張りの仕事なんて満足にさせてやるつもりなどない。
しかも気配を探れて、人数も配置もハッキリ分かっているのだから奇襲しない手はない。アリエルが『いま命が危険にさらされているのは誘拐犯たち』と言ったのはそういう意味だ。
気配を探る対称が遠ければ遠いほどぼやっとしていて数もハッキリ分からないというが、それでもアリエルの気配探知のおかげで、隠れている者を見つけ出すことは容易い。山や森で待ち伏せや隠れるといった基本的な戦術が意味をなさないので、追う側が圧倒的に有利な立場にいる。
そうなるとアリエルの能力を熟知していないポリデウケス先生が作戦に口出しすると話が前に進まない。アリエルの言った通り、先生が攻撃を担当することとなった。
「先生とユミルは右に森の中に先行してすぐ飛び出せる位置にいて。見つからないでね」
ユミルもポリデウケス先生も森の中での行動は熟知していた。
強化魔法を起動したまま茂みに入っても音がしない。相手はきっと自分たちのほうが先に相手を発見するだろうと高を括っているので、強化魔法の起動式を入力するのは、人影を発見してからだ。
絶対に負けることはないというアリエルの自信には根拠がる。ノーデンリヒト北の砦を守っていた王国騎士団のガチ脳筋野郎たちでも強化魔法を張りっぱなしで見張りなんてできるものじゃない。敵を発見したら速やかに仲間に報せ、同時に強化魔法を入力するということになっている。
これがこの世界では当たり前の事なんだ。だからこそ、奇襲攻撃は思いのほか効果が高い。
アリエルはポリデウケス先生とユミルの気配を探知しながら、およそ配置についたことを確認した。そして作戦開始、パシテーと二人、その辺に生えてる食べられる山菜を片手に持って山道を歩いていくと、人里離れた山道では絶対会いたくないような凶悪なツラした男が二人いて、そのうち右側にいたすごくおでこが広くてハゲと言って過言じゃなさそうな男がアリエルたちに気付いて声をかけて来た。
「ああ? なんだ? ガキか」
「ひっ!」
アリエルの顔を見て気付いた男が慌てて逃げようとした。アリエルは追いかけるためスケイトを起動したところで、茂みの中からポリデウケス先生がタイミングよく飛び出し、一刀のもとに倒してしまった。
さすが先生、と言いたいところだけど、いくら何でも確認せずに殺しちゃまずいでしょうが。
だけどまあ、先に決めていた右側ではなく、瞬時の判断で、こちらの顔を見て逃げ出したほうから先に倒してくれた。手練れが味方にいると本当に頼もしい。
もう一人の見張りの男は、突然隣にいた仲間を斬り伏せられて、慌てて剣に手をかけたところを、アリエルに首に剣をつきつけられた。その剣を抜いたら命はないという意味だ。
「先生? なんでいきなり殺したのさ? もしかして最初からこいつらが犯人だって知ってたね?」
ポリデウケス先生は「ああ……」と一言だけ返事をした後、いま倒した男の首に指を当てて脈をとりはじめた。血が流れすぎている、大きな血管を切られた致命傷だ。アリエルには気配がどんどん微弱になってゆくように感じられた。
「実は誘拐なんてことに手を出しそうなゴロツキどもを片っ端からぶん殴って吐かせたんだ。儲け話に声が掛からなかった奴ってのは口が軽いからな」
ポリデウケス先生はギルドでナンシーが誘拐された依頼を受けたあと、この炭焼き小屋に来る前、マローニでゴロツキたちの集まるところに突っ込んでいって情報収集という名のカチコミをしたという訳だ。教員でありながら、なかなかの武闘派だった。
アリエルはポリデウケス先生の言葉に頷くと、いま首に剣を突き付けている、すごくおでこが広くてハゲと言って過言じゃなさそうな男を睨みつけた。
「なるほど、ちょっとした手違いで一人死んでしまったようだけど、お前たちが誘拐犯の一味ということで間違いないよね?」
すごくおでこが広くてハゲと言って過言じゃなさそうな男は、剣を喉に突き付けられているのに『ゴクリ』と生唾を飲み込んだおかげで、わずかに薄皮一枚、皮膚を切り裂かれながらも、自らの生きる目を探す。マローニを拠点とするゴロツキだから当然、ポリデウケスの剣の腕は知っていて、まともにやり合って勝てる見込みがないことも分かっている。
だけどこんな盗賊が根城にしている山の中に、まだ幼い子供を連れてピクニックとは好都合だと考えた。すごくおでこが広くてハゲと言って過言じゃなさそうな男は強化魔法より先に、人質を取ることにした。子どもを盾に相手の動きを止めてしまえば起動式を入力することもできるし、うまくすれば逃げおおせられる。
首に突き付けられた剣を躱すため、わずかに身を引いて剣を抜き、剣の下に潜り込んで一歩前に踏み込めばガキ……つまりアリエルを人質にできるはず、と考えた。それは愚かな選択だった。
しかし男は次の瞬間には、馬車の轍の付いた地面を舐める羽目になった。
目の前で偉そうに剣を突き付けて話し込んでいるガキ……つまりアリエルをとっ捕まえて『動くな!』と言ってやるつもりだった。だがしかし、肝心の声が出なかった。
声を奪われ、何も話すことなく、ぱっくりと開いた喉の傷口から大量に流れ出る血液が、馬車の車輪が通った轍に流れ込み、広がってゆく。
すごくおでこが広くてハゲと言って過言じゃなさそうな男は、人質にしようと思った10歳の少年に喉を斬られて倒された。
呼吸も絶え絶えになり、ゆっくりと、だが確実に意識を永遠の闇に沈めていった。
そして倒れた男の首の後ろには、アリエルにとって見覚えのある短剣が突き刺さっていた。
パシテーの短剣だった。
パシテーは強化魔法と防御魔法を展開して山道に入った瞬間から、短剣を上空に配置していて、すでに戦闘態勢で構えていたということだ。
アリエルは小さなため息をついた。こいつの最期の言葉が『ああ? なんだ? ガキか』だったなんて、墓標に刻むにしても、そのあとの展開が分かりすぎて気の毒だ。最後の言葉は忘れてやることにする。
ポリデウケスはたった今、目の前で起こったことに驚き、言葉にならなかった。アリエルのその『人を殺し慣れている』ことがだ。
実戦を経験しているとは聞いているし、飛び級試験の立ち合いではポリデウケスだけでなく、ボトランジュ領軍にいたガチ軍人のヘルセまでも一方的に倒してしまった。魔法の腕も天才だと聞いて、その時は大層驚いたが、いまは気持ち的に恐れのほうが大きい。
だがしかし、冒険者として、一緒にパーティーを組んでナンシーを救出するという依頼を達成するのに、アリエルが居てくれることが幸運だと思ったし、必要不可欠だとも思った。
ユミルはアリエルの手に剣が現れたり消えたりすることについて、察しがついていた。ギルドの納品カウンターで見た、ガルグの肉をいたませることなく遥かノーデンリヒトからマローニまで運んできた、あの収納魔法だと。そしてポリデウケス先生と同じく、ユミルも言葉なくしばらく呆然と立ち尽くした。
アリエルが躊躇なく、眉も動かさずに人を殺してみせると、すぐさま慣れた手つきで懐をまさぐって、所持品を引っ張り出している。今回は手掛かりを探す目的があるだろうが、盗賊の経験でもあるんじゃないかと勘繰ってしまうほどだ。
先生とユミルがドン引きしていることを気にも留めず、アリエルは見張りをしていたであろう二人に触れて死んでいることを確認すると、たったいま自分が喉を斬って倒した男の懐をまさぐり、所持品を出してその場に並べた。
首の後ろに刺さっていた短剣を手ぬぐいで綺麗に拭き取り、パシテーに手渡したのだが、それを受け取ったパシテーはアリエルが拭き取ったナイフをまだ足りないとばかり、自分でも入念に血脂を拭き取っていた。なかなかに神経質だった。
このときポリデウケス先生もユミルも、アリエルの攻撃に目を奪われていて、パシテーの攻撃のほうがわずかに早く男の命を奪っていたことに気付くことはなかった。
さて、アリエルは倒れた男の持ち物を漁って小銭の入った布袋と木製の水筒と、短剣と、あと冒険者登録カードが1枚……。
マローニで登録したCランク冒険者で名をゲステルというらしいが、もう死んでいる。
仲間が依頼遂行中に倒れたのであれば冒険者登録証を持ち帰る努力をしなければならないのだが、残念ながらこいつらは冒険者だけど仲間じゃない。
ポリデウケス先生が倒したほうの男も所持品は同じで、小銭の入った汚い布袋と、皮製の水筒に、冒険者登録カード。こっちはBランクの冒険者で金回りは悪くないのだろうか、けっこう真新しい皮の装備品を付けていたのだが、先生の剣技が勝ったようで、皮の鎧ごとザックリと斬られていた。
2人組は見張りの役目を全うすることも出来ずに倒された。それはいい。
アリエルは口惜しさに歯噛みしてみせた。
アリエルの顔を見て逃げ出した方の男の顔には見覚えがあった。
こいつ、ノーデンリヒトから難民を護衛してきたときに襲ってきたロゲたち盗賊の一味だ。
この誘拐事件、あの時ロゲたち一味を殺しておくか、もしくは衛兵に通報して捕えてもらわなかったアリエルの甘さが招いたということだ。
「こいつら、ギルドで見たことあるでしょ」
「ああ、ガラの悪い連中だと思ってはいたが」
先生も呆れたように言い放つ。
そしてユミルもギルドに出入りするようになって長いからこそ、こいつらの素性は知っていた。
「僕も何度か絡まれた事があるよ。荒くれ者のロゲの手下だこいつら」
「ロゲって? 盗賊の棟梁の? あのハゲ頭の?」
ユミルはロゲたちのグループに何度か絡まれたことがあるそうだ。
アリエルが口を滑らせて言った『盗賊の棟梁』という言葉に先生が引っかかった。
「盗賊の棟梁? ロゲが? ……、なるほど、そうだったのか」
ポリデウケス先生は、ここでロゲの手下が居たことで今回の誘拐事件にロゲも絡んでるんじゃないか?とまでは考えたが、まさかそのロゲがプロの盗賊だったなんて知らなかった。
アリエルの話の流れで、ロゲがノーデンリヒト難民を襲った盗賊一味の棟梁だったのだと知って、ようやく留飲を下げたように、深く頷いた。
「俺はあの時こいつら見逃してやったことを今後悔してるよ」
「アリエル、命を助けるという行為は尊いことだ。しかし盗賊は生かしておくと、死ぬまでの間どれだけの人に不幸をもたらすか知れないからな、命を助けた相手が盗賊だったなら素直に美徳とは言えないかもしれない。もっとも、人の生殺与奪を決めるだなんて、そんなことに関わらなければ幸せなんだろうけどな」
「うん、これが終わってからちゃんと反省するよ」
「そうだな、反省は後にして小屋の見えるところまで上がるとするか」
先生はそう言うと、さっき抜いた細身の剣をまた抜いて剣のチェックをしている。入念すぎて、普通じゃないように感じるし、心なしか手が震えてるように見える。
「先生、緊張してる?」
「ああ、ちょっとな。学校ではみんなと仲良くしろって言ってる手前、お前たちにはこんなこと言いたくないんだが、ロゲとはいろいろあってね、仲が悪いんだ」
「奇遇だね先生、実は俺もなんだ」
「ククク……そりゃそうだな、アリエルおまえも相当仲が悪そうだ」
アリエルのブラックジョークはポリデウケス先生にだけ、やや受けといったデキだった。
いまのジョークじゃ1ミリも笑えなかったユミルは、ふたりが軽口を叩き合う会話を聞いて、ちょっとだけ微笑んだ。引きつった笑いだったが……。
アリエルとポリデウケス先生のおかげでリラックスすることができた。こんな下らないジョークで手の震えが止まるんだから、兵士たちが言い合う、戦いの前のジョークも不謹慎とは言わないだろう、落ち着いて人を殺すなんて酷い冗談だとは思うけれど、落ち着いてなければ殺されるのはこっちの方かもしれない。
「こいつらの死体は端っこに隠しておいて、先を急ごうか、ちなみに上にいる気配の数は5だよ。うち1つがナンシーだとしても、誘拐犯は合わせてあと4人いるってことだからね」
馬が荷車を引いて登るためか、可能な限り傾斜をゆるくとるために曲がりくねった道をクネクネ上がっていく途中、アリエルの気配探知にハッキリした情報が映し出された。
たったいま気配のうち2つと3つが分かれたが、ほぼ同時にアリエルたちの視界に山小屋が飛び込んできた。まだ新しい、板を横に打ち付けた粗末な作りの小屋だった。屋根も素材変わらず、板を張っただけの屋根、何の変哲もない、コストを掛けずに建てられた小屋だ。
アリエルは気配と目視で相手を認識しなおし、気配のある位置と情報の整合性をとった。
外に2人、中に3人か。窓は側面にあるだけだから、中と外はお互いに見えない。
「ユミル、敵の背後に回ってくれない? さっき気配消してたじゃん。あれで」
「それアリエルにアッサリと見つかって自信が崩壊してるけど了解。で、その後は?」
「えーっと、まずは俺とユミルが2人で気配を消して背後に回る。窓から覗いて、ナンシーを確認し、敵と2メートル以上離れてたら、俺とユミルが窓から突入。で、ユミルはとにかくナンシーを庇える位置で防御を頼む。俺は誘拐犯が強化魔法の起動式を書く前に仕留める」
「重要な役目だな。……引き受けよう」
「先生は俺たちが突入したら外の2人をお願い。中の2人は俺がなんとかするから」
「パシテーはポリデウケス先生のバックアップ」
「わかったの」
気配を消して右側から大回りで森の中を移動し、小屋に近づく。外に居る2人に気付かれないよう慎重に。建物の向こう側に回り込んで窓から中を覗き込むと、やっぱりだ。こないだの盗賊の棟梁が椅子に座ってる。奴がロゲだ。
膝の上に乗せた黒パンを小さくちぎってから口に運んでチビチビ食べるなんて、ロゲのあの豪快な見てくれとは裏腹に案外細かい性格なのかもしれない。
金髪を三つ編みにしておさげにしている女の子が椅子に縛り付けられている。あれがナンシーか。もう一人、こっちは見たことがない男で、なんだか乾燥したミイラになる寸前って感じの痩せぎすで、目がぎょろっとしていて、いかにも不健康そうな男がいる。尻のポケットからカードを出して空中でシャッフルしたりしながら、そのカードを投げて戦うんじゃないかってルックスだ。
もちろんそれはあくまでイメージであって、実際は今、ブロックベーコンを大皿でドカンとテーブルに置いて、それを少しずつナイフで削り取りながら食ってる。こいつらいま食事中ってことだ。
ユミルが指で○マークを作って見せた。
椅子に縛り付けられている女の子はナンシーで間違いないらしい。
最初から短剣を手に持ってるやつがいるのはイヤだけど、強化魔法を展開している様子はない。飛び込んでナンシーだけ確保すれば負けることはないだろう。
よし、俺とユミルはいつでも突入できる。先生は強化を発動したまま、一足飛びで対応できる位置について突入を待ってるし、パシテーはすでにナイフを展開している。
「みんな準備完了だ」




