01-22 難民護衛
20170723 改訂
2021 0722 手直し
2024 0208 手直し
アリエルがノーデンリヒト北の砦から『スケイト』でトライトニアに向かう途中、川がS字に曲がっているところ、アリエルがショートカットで直進するため大ジャンプした時、休み返上で呼び出された守備隊の残りメンバーと遭遇した。トリトンに言われた通に砦の現状を報告すると歩いて砦に向かっていた者たちが小走りになった。一刻も早く砦について持ち場に付かなければならない。
アリエルも『スケイト』を飛ばし、そこからは休憩なしでトライトニアに戻った。
屋敷の前にはもう人が大勢集まっていて、人だかりになっていた。たくさんの荷馬車が出て荷物の積み込み作業はもう終わっている。さっきすれ違った砦の補充兵たちが積み込みを手伝ってくれたという。こっちはすぐにでも出発できそうだ。
4人乗りの馬車の横にポーシャとクレシダがいたので、声を掛けて準備の進捗状況を聞いたら「アリエルさまが戻られ次第出発するところでした」とのこと。みんなアリエルが戻ってくるのを待っていたらしい。
「アリエルさま、早くお乗りください。そろそろ出立いたしますよ」
「ああ、ポーシャ、大丈夫、俺は御者席で護衛に入るから。護衛の兵士は? 4人って聞いたけど」
「護衛の方はまだ来られておりません」
「じゃあこの準備は誰が?」
「王国騎士の方が主導されましたが、すぐに砦の方へ走って行かれました」
もうみんな準備終わってるのに、護衛の兵が来ないだと? おかしいじゃないか。
護衛の兵士が村に残っていないか気配を探ってみたけれど、村はもぬけの殻だった。兵士の宿舎もみんな出払っていて誰も居ない。人の気配がしないのだから間違いはないだろう。
村に戻ってくるまでの間、砦にあがる兵士たちとすれ違ったことを思い出した。
これは手違いがあったに違いない。
砦の増援の兵士たちとすれ違ったのは……数分前。距離的に言うと7~8キロある。今から呼びに戻っても合流するまで小一時間はかかる。もう呼びに行ってる時間もなさそうか。マローニまでの道を知ってる案内役が居ないとちょっと不安だが、徒歩25日。約600キロメートルかそれ以上。その距離と日数をアリエルひとりでリーダーとして護衛することになる。
屋敷の前に戻ると出立の準備はできていて、点呼も済ませた。全員がここにいる。護衛の兵士を待つのみで足止めされている。ここは決断が必要だ。
アリエルは馬車の御者席に上がって胸を張り、ゴホンと咳払いをしたあと大きく深呼吸をして、皆に聞こえるよう大声を張り上げた。
「ちょっと手違いがあって、護衛の兵士は来られない。出発が1時間遅れるとそれだけ生存率が下がるからね、みんなそろそろ行くよ。ノーデンリヒト領民、子ども含めてざっと212名の命、不肖このアリエル・ベルセリウスが預かります」
アリエルが剣と魔法の天才だということは領民みなの知るところであるし、砦の兵士たちと立ち合って、全員抜きを達成したというウソみたいな噂が広まってはいたが、さすがに212名もの戦争難民を護衛して25日の距離を行くとなると不安が残る。
避難民は農民だが戦える青年たちはなにも言わずに帯剣し、誰に命令されるでもなく未来の領主さまと共に領民たちを守る任につくことを選んだ。
「では行きます! 出発!!」
貧しい小作農家に生まれ、自分たちの土地と、自分の家を夢見た開拓民たちの人生は戦争という大きな渦に巻き込まれて流転する。それでも戦争が終わればまた必ず第二の故郷、ノーデンリヒトに戻ってまた自分たちの土地を、自分たちの畑を耕そうと、強く心に決めて、難民たちは一路、ボトランジュのマローニに向けて歩き始めた。必ず帰ってくるぞと、みんな口々にこぼしながら。
馬車の歩みも、後続でゾロゾロ歩いてついてくる人の歩みも遅く休憩の要求が思ったより多い。このままだと25日でマローニまで着かない。まだ拓いて10年ぐらいしかたってない開拓地だから足腰の弱い老人が居ないことは幸運だった。少なくともノーデンリヒトなんてくそ貧乏な地に盗賊なんて出没するわけがないので、最初は楽をさせてもらえるだろう。
馬車に乗ったビアンカは終始不安そうな面持ちで落ち着きのない様子だった。しかしビアンカの腰にはなぜか剣がさげられている。もしかして剣を使うのだろうか。普通は強化魔法を使ったとしても女性は短剣か匕首のような小型の刃物を使うことが多いのに。
「母さん、こっちもあっちも大丈夫。そんなに不安そうな顔してたら領民のみんなも不安になるから、元気出そうよ」
「ええ、そうね……。うん、もう大丈夫だから」
大丈夫。そう言ったビアンカの表情はとても大丈夫とはいえないような深刻な影を落としていた。
トリトンとはもう二度と生きて会うことが出来ないかもしれない。アリエルには話してないが、トリトンはビアンカに遺言を託して出て行ったことが不安を掻き立てる。トリトンのことだから何があっても絶対に生きて帰ってくるとは信じている、だけどどんなに信じていても、身体の芯からくる震えを抑えられない。
必ず帰るからお前はマローニの街に逃れて連絡を待てと言い残して砦に向かったトリトンの身を、ただ案じていた。
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アリエルは212人の領民を避難させる護衛を任され、馬車の御者席で地図を睨めっこしていた。
一応道は付いているのだが、ノーデンリヒトに来る行商人は二か月に一度だけという頻度だ。だからこの道は、二か月に数台の馬車が通るだけという、ほとんど使われてない道だ。
当然のことだが、ちょっと草が生えたり、ちょっと大雨に降られたりすると道を見失うことがある。道を間違えて目的地の街につけなかったら、圧倒的に食料が足りなくなり、すぐさま212人の領民たちは飢えることになる。
アリエルの仕事は領民212人を全員、無事にマローニまで送り届けることだ、護衛だけしてればいいというわけじゃない。
アリエルは地図を読み解き、どうやら夕方には予定していた地点まで来られたらしいことをつきとめた。地図に現在地を記す。
今夜は無理をせず街道脇でキャンプを張ることにして、アリエルは土木建築魔法を使って軽く個室と脱衣所を設営した。
まずは水転移魔法を使って、出てきた[カプセル]を天井に設置する。カプセルの水の中に[ファイアボール]を投入して適温に調整できたら、小さな穴を開けて、常時シャワーの出来上がりだ。
アリエルはシャワーブースを2つ作った。これは男性用と女性用だった。
「はい、シャワー浴びたい人ー。こちらー」
シャワーと聞いて脱衣所の前に人が集まってきた。領民たちはまさか避難の途中でシャワーが浴びられるなんて思ってなかった。
貧しい開拓民の家にシャワーなどなく、手桶に水を汲んできたものに手拭いを濡らして絞り、それで身体を拭くというのが身体を清潔に保つ唯一の方法であった。とりわけシャワーなどという設備自体、貴族様のお屋敷にしか設置されてはいないのが普通だし、それも温水シャワーという聞いたこともない贅沢装備だったものだから、物珍しさも手伝ってか、びっくりするほどの大行列となった。
「200人いると順番待ちがひどくなるので、3~4日に1回ぐらいの交代でシャワー使おうか。洗濯物はそのペースに合わせてくださいね。飲料水は朝と昼の食事の時に配給しますから忘れないように容器持参でもらいにきてねー。獣や鹿など捌ける方ー? こちらへ。食肉は獲れたて無加工の状態で渡しますので、お手数ですがよろしくお願いします」
そう言うとアリエルは調理場の建設を始めた。鍋や窯、焼き網などは各自持ち寄ってくれたものを使うとして、道中道端に倒れている木のうち乾いたものを拾って焚き付けにしてほしいと指示しておいた。
212人分の食事を提供する調理場となるとことのほか規模が大きくなり、さすがのアリエルも難儀したが、騎士団の宿舎からドラム缶サイズの大鍋をいくつかもってきていたのが大きな助けとなった。
前世でも友達いなくてリーダーシップとは縁遠かったし、現世では幼馴染も友達もいないボッチなアリエルが土壇場でこの牽引力を見せる。人間、やればできるものだ。
トライトニア村自治会青年団の男たちはノーデンリヒトの次期領主を値踏みしながら笑う。
「なかなかどうして……うちらのミニ領主さまは頼りになるな。おい」
「ああ、まさか暖かいシャワーが出てくるとはな。正直ビックリだ。ははは」
今は子どもでも何十年か後、自分たちの主となる男なのだから。
さておき、アリエルは少し頭の痛い問題を抱えていた。
うーん、どうしよっかなー。荷馬車には人を乗せるスペースなし。
4人乗りの馬車は御者台にポーシャが乗って手綱を引いてるので2席の空きがある。疲れてそうな人を交代で乗せられるし、自分が[スケイト]で先導すれば御者台にも1人乗せられる。
3人は乗せられるか。
アリエルたちノーデンリヒトの避難民一行は予定通り3日で峠を超えてポトランジュ領へと入った。ここには無人の関所跡があり、地図とにらめっこしながら引率するアリエルにとって、重要なチェックポイントとなっている。道間違いなくボトランジュに入ったという事だ。
予定ではあと21日でマローニの街に着くはずだが、旅慣れてない人ばかりなのでもしかすると数日は遅れるかもしれない。たった3日歩いただけだと言うのに、領民たちは疲れていて、足が痛いとか、膝が痛いとか、股関節が痛いという人もいた。これは重大な想定外だった。
スケイトで滑れるアリエルは本来どうでもいいので、とにかく足を痛める人が交代で馬車に乗って休むことを提案した。
もうひとつ、食材の問題も深刻だった。
避難民の荷物は貴重品をはじめとした家財道具が中心だが、農家なのだから当然穀物を積んでマローニまでの食い扶持に当てることになった。アリエルのストレージにはガルグが何頭か入っているが、さすがに212人が1日3食たべ、それを20日間続けるほどのストックはない。
道中やキャンプ中、近くに獲物の気配がしたら積極的に狩らないと避難民の食事が乾燥肉のジャーキーだけになってしまう。それでは体の力が出ないので、可能な限りきちんとしたものを食べられるようにしたいのだけど、道中簡単に手に入る食べ物は、道中の木の実と食肉ぐらいなものだ。数日に一度は野外でパンを焼くようなイベントも挟まないとダメっぽい。
まったく、急すぎてプランもクソもないのに212人の難民を600キロ以上も引率するとかキツすぎる。
さて、アリエルの護衛するこの212人の難民をカモにするため、多少大規模な盗賊が出たとしても、この212人は自分の土地を持たない小作農家が、開拓した土地の一部をもらえるという事でノーデンリヒトにやってきた開拓民たち、盗賊たちがアリエルたち避難民を襲撃するのは極めてハイリスクローリターンな襲撃になるだろうから、ちょっとでも考える頭があるなら襲わないはずだ。いや、考える頭のあるような奴が盗賊なんかやる訳がないと考えると……ちょっと不安になってきた。
スケジュール管理とトラブル回避が最優先。
あとの心配事は足りない分の食肉の調達ぐらいで、重要なことはいかにスケジュール通り旅を進めるかということに尽きる。
そして何ごともなく2週間が経過。毎日順調に距離を刻み、マローニまであと8日というところまで来て、2日間も雨で停滞することとなった。何に困っているかというと、馬車に乗らず荷車を押している者や、徒歩でついてくる者たちの靴が壊れ始めているのだ。農民の履く靴は旅人が履くような頑丈で長距離歩くことを想定した靴ではなく、近所をウロウロしたり、野良仕事をするのに都合のいいように作られている。この柔らかい皮で作られた靴が破れ始めたということだ。アリエルが持っているシカの皮で、補修用の靴底を作って、それをいま急ピッチで敗れた靴を修理しているのだが、2日の間雨に降られたことで、多少精神的には追いつめられたが肉体的には休息になったし、靴も修理することができたのでよしとする。
アリエルがシカの皮を持っていてよかった、靴を修理しておいてよかったと思える事件がおきた。長い雨があがり、キャンプを撤収して再出発したのだが、街道のほぼ全体がぬかるみになっていた。
馬車や荷車の車輪がぬかるみに足を取られて押したり引いたりと大変な作業になるところが、ここはアリエルも土魔法を駆使して荷車の脱出を助けた。
荷物をぜんぶまるっとまとめて[ストレージ]に入れたら楽なんだろうけど、さすがに自分たちの大切な全財産や命を繋ぐ食料が目の前から消えてしまったら不安になるだろうし、どこに行ったのかと聞かれて満足な回答ができないのだから……。ストレージは使わないことにした。というか、ストレージを使い続けてまだ3年目、他人様の大切な財産を管理するなんて恐ろしい事したくない。出したとき何か無くなってたりしたら大変だ。
結局アリエルの土魔法の助けもあり、ぬかるみゾーンは脱したが距離的には1日の予定の半分ぐらいしか進めなかった。これで2日半の遅れとなる。
ノーデンリヒトと比較してボトランジュのほうは平原が多く、ガルグが少ないせいか肉が不足気味になってきたので、もう周辺で猟をしている職業狩人の方に遠慮している余裕はなくなった。
212人もの食い扶持ともなると、道中通りがかりに近くの獲物を狩って歩くぐらいじゃ足りなくなってしまった。ウサギやキツネ、最近は鳥までとってる。良質なたんぱく質を摂らないと、これほどのハイペースで旅なんて続けられない。
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地形がなだらかな丘陵地帯になって、道がはっきりと分かるよう馬車の轍が見えるようになってきた。人が住んでいるであろう村に向かう細道もいくつか見かけた。
目的地に近くなってきたことでちょっと気が緩み始める頃、アリエルは馬車の荷物スペースに腰掛けて地図を見ながら、進んでいる道に間違いがないことと、およそ分かっている現在地から、現在のペースではマローニに着くまであと5日かかることが分かった。
アリエルが馬車を飛び降り、疲れた人に席を譲ってあげたところで、不審な気配を感じ取った。
気配はふたつで、おそらくはヒト。
方角は南がわ、距離にして約300メートルだから街道沿いではなく、たぶん何もない丘陵地帯のど真ん中だ。農家かもしれないし、狩猟しているのかもしれない。
アリエルは少し警戒したが、気配が動く様子がなかったので無視していたのだが、ノーデンリヒトからの避難民212名が通りかかったところで南勢方面に走っていった。馬の気配は感じなかったのだけど気配が遠ざかってゆくスピードから察するに、強化魔法をかけて全力疾走だろう。
アリエルは顎に手を置き、いかにも不審な動きをした2人を訝った。
避難民の行列がゆっくりここを通っているのを見てから強化魔法をかけて、全力疾走で気配察知の範囲から消えたのだ。これほどまでに分かりやすいものもない。
だがしかし、アリエルは領民たちにはそんな不確かな情報を伝えず、あと5日でマローニに着くからといって、とくに疲れた顔をしてトボトボと歩く者たちを力づけた。
しかし悪い予感というのは当たるもので、さきほど気配を察知してからまだ小一時間も立ってないというのに、南側の草原から三つのグループに分かれて、こちら方面に向かってくる大勢の気配を察知した。
アリエルが察知した人数は、総勢で35。
ここが正念場になりそうだ。




