第十四話
面接会場の前のバス停に二人の子供を連れた若い母親が、ベビーカーをバスから降ろせずに難儀をしていた。聡子は快くベビーカーを運ぶのを手伝ったのだけれど、ベビーカーに気を取られている間に、母親が連れていたもう一人の子供が、車道に歩きだしていた。そこにダンプカーが猛スピードで走ってきて、聡子は思わず飛び込で、子供を助けたまでは良かったのだけれど、タイヤの跡にできた窪みに、泥水が溜まっており、それを頭から全身に浴びて、ものすごく悲惨な状態になってしまったのだ。
服を替える暇もなく、結局そのままで面接試験を受けなくてはならなくなり、周囲の冷たい視線や嘲笑に居た堪れなかった。
しかしそういえば、なぜあれだけの悲惨な状態で、天下の宝生グループに採用されたのかは、聡子にとって未だに謎だった。
「まあ、あれのことなどどうでもいい」
男はサイドテーブルにミネラルウォーターを置いて、部屋の中央に置かれた黒い革張りのソファーにどっかりと腰かけた。
「俺は『寿コンツェルン』の総帥、寿秋人だ。宝生の腹違いの弟にあたる」
聡子は思わず生唾を飲み込んだ。似ていない、と思う。
(宝生社長はまるで夏の日の太陽のように笑う。だけどこの人は……。凍てついた真冬の青い月を連想させる。死を連想させるほどに冷たい月に)
「『寿』と『宝生』世間的にはライバル社として認識されているが、その実は違う。両家の実権を握り、当主として君臨しているのは我らの親父殿、宝生忠臣だ。どういうわけか親父殿は自身の生家のあるこの下町に、いたくご執心でな」
秋人は揶揄するようにちらりと聡子に視線をくれる。
「親父殿は時期当主の決定に際し、条件を出した。この街の再開発、立て直しを見事に成し遂げた方に時期当主の座を譲ると」
秋人は立ち上がり、なにやら書類を取り出すと、目の前のテーブルに放ってよこした。
「我が『寿コンツェルン』はすでにこの街の再開発に着手しており、市長とも話をつけてある。ただその計画を『宝生』は快く思っていないようだな。あれはどうやら再開発に難色を示す若葉商店街のメンバーに肩入れしているらしいが……これがなんだかわかるか?」
「土地の……権利書? まさか!」
聡子の唇が震える。
「商店街のメンバーと賭けをした。明日の試合で我が社の『寿ファイターズ』が勝てば商店街のメンバーは立ち退きを余儀なくされるわけだ。しかし……あれのことだ。試合に勝つためにはどんな非常な手段を使うか知れたものではない」
秋人が聡子の頭から爪先を値踏むように見つめた。
「つまらんな。実につまらん。なんの取り柄もない、ただの小娘じゃないか」
「うっ……」
聡子は言葉に詰まり、反論できない。
(そりゃあ、そうだろう。事実そうなのだ。そりゃ私だって日々鏡を見るのだから、他人にわざわざいわれなくたって、自分がどれほどのもんかなんて、ちゃんと弁えている。特別美人というわけではないし、着ているものといえば、ジーンズにネット通販で買ったRyu Ryuの白いカットソーと、オレンジのパーカーのトレーナー千九百八十円円だし。おまけにノーメイクだし)
しかし改めて他人にそう言われると、結構グサっときたりもする。
秋人の繊細な指が、聡子の頤にかけられ無理やり上を向かされる。
「だが、お前はあいつの、想い人なのだったな」
秋人は低く笑いをかみ殺す。
「せいぜい、お前を利用させてもらう」
秋人はインターホン越しに何かを指示している。
「ああ、彼女にバスの用意を。それからサロンに予約して……ああ、そうだ。彼女と食事を共にする」
「あの……一体何を?」
「なあに、景品をラッピングするだけの話だ。それとも……俺の女になるか?」
背後から、秋人がそっと聡子を抱きしめた。素肌を背中に感じ、聡子は硬直する。耳元で囁かれる低い美声に、情けなくも腰が砕けそうになった。
ほどなくノックと共に黒い制服に身を包み、髪をアップに結った年若い女が現れた。
「彼女だ」
秋人がそう一言いうと、女は微笑し目礼した。
「こちらへどうぞ」
言われるままに聡子は秋人から逃げるようにして女について行った。
長い廊下を何度か曲がったところで女が聡子を振り返った。
「大変ですわね。あなたも」
女が聡子に同情を込めた声色で呟く。
「秋人様も根っからの悪人ではないのです。ただ感情表現が極端に下手くそなのと、兄である宝生様にコンプレックスを持っていらっしゃって……。あと、兄の宝生様と女性の好みが類似するので、そこのところは是非気をつけてくださいね」
そういって、女はため息をついた。
「え? いえ、それは大いなる誤解なのです。社長は決してそんな気は更々なくって」
聡子はぶんぶんを顔を振って力いっぱい否定したのだが、女はそんな聡子の肩にぽんと手を置いた。
「あなたはいい加減、自分の置かれた状況を把握したほうがいいわ。宝生さまのことは存じませんけれど、秋人さまのあの目はマジですわ。使用人の私がこういうのもなんですが、粘着質で一度思い込んだらキモイほど一途なんで、ほんとウザイことになることを覚悟なさってね」
女の問題発言に、聡子の心中はかき乱されるのだった。




