第十話
(まったくこの男ときたら、一体どこまでが本気なんだろう)
聡子は朝日の輝く川辺をともに歩く金髪を見上げた。泣く子も黙る宝生グループの凄腕社長、と思いきや昨日みたいに下町の自分の父やダケさんともいつの間にか心を交わしている。
お弁当を勝手に食べられたり、『グラモンテ クラッシィ』の限定ランチボックスを買ってくれたり……挙句の果てはうちに泊まりにきたり、そしてよもや父に――――
(ああ、なんか思い出すのやめよ。なんかいろいろ、面倒な気がする)
そこまで考えて、聡子は思考回路を停止させた。
交差点の向こう側に見える、古びたアーケード。
とりあえず、二人して商店街に帰って来た。
宝生が時計を見る。
「六時か。とりあえず俺は寝る」
「私も寝るし」
東雲家、客用羽布団の上の二つのシルエットを、朝日がそっと抱きしめた。二人の寝顔をベランダに降り立った雀が不思議そうに小首を傾げて眺めていたのであるが、爆睡中の二人には知る由もない。
その頃。
「おーい、練習始めるぞ! 富雄の大将はまだ来ないのか。めずらしいな」
下町の阪神をこよなく愛するメンバーで構成された、若葉商店街の野球チーム、名を『ボロ勝ち』という。その名の通り輝かしい戦歴をもつのだが、まさに『好きこそものの上手なれ』である。『好き』という情熱はバカにできない。二十五年前のタイガースの優勝とともに産声を上げたこのチームなのだが、とにかくメンバーひとりひとりの意識が違う。熱い想いは練習量に比例した。サラリーマンとは違い、一人ひとりがその店の主なので時間の都合はある程度つく。朝は仕入れがあるので自主練とし。店を開けた後、客足がひと段落した昼と、夕飯の買い出しラッシュが終わった頃あいから、近くの堤防にある球場に集まって、ボールが見えなくなるまで練習する野球漬けの毎日を、もう二十五年間も続けているのである。如何せんこの商店街とともに年を重ね、さすがにピーク時ほどの強さはないが、その分各々熟練した技がある。
「ノックいくぞ!」
『魚正』の大将、ダケさんの生きのいい掛け声とともに、白球が小気味よい音を立てて朝焼けの空に放たれた。
その少し離れた土手の上に、黒塗りのロールスロイスが停まっている。
「着いたのか? 二宮。俺は早く家に帰って寝たい」
後部座席にどっかりと座りこんだ、黒髪の美丈夫が小さく欠伸をした。
「社長、彼らですよ。例の商店街の……」
昨晩は部下の二宮に連れて行かれたキャバクラで、やたらと安い酒を飲まされた。
挙句、現在は悪夢の二日酔いの最中であり、黒髪の男は軽くこめかみを押さえ、自嘲する。
(キャンキャンとやたらと騒がしいだけの品のない女どもなど、ただウザイだけだったが、たまにはそんな退廃した雰囲気に身を置きたい日もある。酒はいい。なにもかもをきれいさっぱりと流してくれる。だが、この二日酔いというものだけはどうにもいただけない。そういうわけで商店街とか、この際どうでもいいからとにかく帰って早く寝させやがれ!)
というのが現在の彼の本音だった。
体調の悪さのゆえに、部下の二宮の声が少し遠くに聞こえる。
「で、どうやら宝生グループは、この商店街の取り壊しに難色を示してるって話なんですよ」
そう言って二宮が鼻息を荒くした。
(宝生……)
二日酔いのボロボロ状態ではあるが、その単語だけは耳に残った。
「宝生が?」
体調は最悪だったが、その名を聞くと全身に力が漲る。
「ほう、ならばあの馬鹿の泣きっ面を拝むのも一興だな」
黒髪の美丈夫が氷の微笑を浮かべ、携帯を取り出した。
◇ ◇ ◇
「その場所、どいてもらえませんか?」
ノックをしていたダケさんは手を止める。
「俺たちがこの練習場所を正規に買い取ったんで」
『寿ファイターズ』のロゴの入ったユニフォームを着た男たちが、商店街チームの練習に割り込んできた。
「冗談いってもらっちゃあ困るよ、ここは俺たちがあらかじめ予約しておいた場所なんだから!」
寿ファイターズのメンバーが、バッドを立てていたビールケースを派手に蹴倒した。
派手な音を立てて、地面にバットが散らばる。
「怪我したくなかったら、さっさと立ち退きな! ここからも、そして商店街からもな!」
脅すように大声で怒鳴りつけた寿ファイターズのメンバーに、かっとなったダケさんが腕をまくる。
「なんだと!」
「やめなよ、ダケさん」
息巻いたダケさんを米屋の『上田』の孫息子、新之助が、羽交い絞めにして止めた。
「え? 君ももしかしてメンバーなの?」
新之助を見て、一瞬毒気を抜かれたように寿ファイターズのメンバーがきょとんとする。
新之助はまだ小学六年生だ。小さいからだにダボダボのユニフォームを着ている。
「あっはっは、笑っちゃう。なにこのチーム、老人と子供しかいないわけ?」
二宮が腹を抱えて笑いだした。
「笑うな! 新之助は亡き父親の意思をついでこのチームに入団した。身体は小さいがわしらの大事な仲間じゃ」
笑うなと、商店街チームの誰もが二宮を睨みつけている。
「へえ、一寸の虫にも五分の魂って? 馬鹿みたい。弱いくせにさ」
「わしらが弱いとなぜ決めつける?」
ダケさんが二宮を睨みつける。
「へえ、だったら賭けようぜ。俺たち『寿コンツェルン』はこの年末に青葉商店街の真ん前の工場跡地に大型スーパーを建設する予定だ。明日の試合に俺たちが負けたらその建設を取りやめてやる。だがお前たちが負けたら、『土地の権利書』を渡せ」
二宮がにやりと笑みを浮かべた。
商店街チームのメンバーに一様のざわめきが起る。
皆を制し、やがてダケさんが口を開く。
「お前たちだったらやりかねんな。ああ、わかった。そうしよう。どのみちあの場所にスーパーを建設されたら、わしらに生き残る術はないんじゃからな」




