同じ音の村
ルディアを出たのは、その二日後だった。
必要な食料を買い、カイルは地図を何枚か追加し、セラは薬屋で包帯と薬草を補充した。
レグは町の練習場を見つけて一日だけ弓を引いたが、最後まで「もっとやる」と言っていた。結局、セラに腕を確認されて切り上げている。
ソルドまでは半日ほど。
ルディアから北東へ伸びる街道を途中で外れ、細い道へ入る。
最初のうちは荷馬車の跡も残っていたが、進むにつれて人の気配は減っていった。
「ほんとに村ある?」
レグが前方を見ながら尋ねる。
「地図が正しければ」
カイルが答えた。
「五年前にはあったって地図屋の爺さんも言ってたし、道も消えてない」
「五年でなくなる?」
「なくなる村はある」
さらりと返され、レグが少しだけ振り返る。
「怖い話?」
「普通の話だ。人が減ったり、水が出なくなったりすればな」
ハヤトは周囲を見渡した。
山奥というほどではない。
林の間にはところどころ畑らしき開けた土地も見えるし、古い石の柵も残っている。
人が暮らせない場所には思えなかった。
「昨日の話が本当なら、今も人はいるんだよね」
セラが言うと、カイルは頷いた。
「ルディアでもソルドから来る人間はいるらしい。多くはないけどな」
レグはそれを聞いて、少し安心したようだった。
気になっているのだろう。
名前と役目が結びついた村。
自分とは関係ないかもしれない。
それでも、確かめたい。
今のレグは、知らないまま嫌うことをしなくなった。
◇
昼前。
木々の向こうに、低い石垣が見えた。
さらに進むと畑が広がり、その奥に家が並んでいる。
「村」
レグが足を速める。
「走るなよ」
「走ってない」
「ちょっと速い」
「歩いてる」
言いながらも速度を落とした。
村の入口には門らしい門はなく、代わりに一本の木柱が立っている。
そこには《ソルド》とだけ彫られていた。
その下に、小さな印が四つ。
水滴。
木。
一本の道。
そして、麦の穂。
「これ、役目か?」
ハヤトが聞くと、カイルが柱へ近づいた。
「多分な。地図屋の爺さんが言ってた四つと一致する」
水路を見る家。
森へ入る家。
道を見る家。
畑を守る家。
「古い?」
「柱自体はそんなでもない。でも印は昔から使ってそうだ」
「同じ仕組み?」
レグが胸元に触れた。
そこにあるのは、もう外から見えない印。
カイルは首を横に振る。
「まだ分からない。似てるだけかもしれない」
その答えに、レグも頷いた。
今度は急いで結論を出さない。
村へ入る。
◇
最初に声をかけてきたのは、畑の脇で籠を運んでいた若い男だった。
「旅の人?」
「はい。ルディアから来ました」
ハヤトが答えると、男は少し珍しそうに一行を見た。
クロのところで視線が止まったが、怯えた様子はない。
「宿なら中央に一軒あるよ。ただ、今は空いてるか分からないけど」
「ありがとうございます」
「俺、案内しようか?」
「いいんですか?」
「ちょうどそっち行くから」
男は籠を持ち直した。
「俺はノル・ファド。畑のファド家」
ハヤトの足が一瞬止まる。
セラも同じだった。
レグはもっと分かりやすく首を傾げる。
「ノル?」
「そう」
「ファド?」
「家の名前」
男――ノルは何が不思議なのか分からないようだった。
「畑のファド?」
「うん。うちは代々畑を見る家だから」
地図屋の老人から聞いた通りだった。
ハヤトは無意識にカイルを見る。
カイルもすでに覚えているらしく、小さく頷くだけに留めた。
「他の家は?」
レグが聞く。
「森ならメル。水ならシア。道はトル」
「名前の最初も同じ?」
ノルが今度こそ不思議そうな顔をした。
「よく知ってるね」
「聞いた」
「うちは畑だから男ならノル、女ならノアが多い。全部じゃないけど」
「同じ名前の人いる?」
「いるよ」
「困らない?」
「後ろの名前で分かるから」
当たり前のこととして答える。
レグはしばらく考えていた。
「嫌じゃない?」
ハヤトが横を見る。
いきなりそこまで聞くとは思わなかった。
だが、ノルは怒らなかった。
「名前が?」
「うん」
「別に」
「畑も?」
「別に嫌じゃないよ」
答えも簡単だった。
「親父も畑やってるし、俺も子どもの頃からやってる。性に合ってると思う」
レグが少し驚いた顔をする。
「好き?」
「好きだよ」
「そっか」
それ以上は聞かなかった。
ハヤトは少しだけ安心した。
村へ入って最初に会った人間が、役目を押しつけられて苦しんでいる。
そんな分かりやすい話ではないらしい。
◇
村の中央には、小さな広場があった。
井戸。
集会所。
宿。
その周囲に四つの印が刻まれた石が置かれている。
ノルが宿の主人を呼んでくれた。
「客だって!」
奥から出てきたのは、六十前後の女性だった。
「珍しいね。四人……と、その子も泊まるのかい?」
クロを見ている。
「大人しいです」
「部屋を壊さないならいいよ」
宿帳を出しながら、女性は名乗った。
「シア・レメ。水のレメ家だよ」
まただ。
今度はハヤトもすぐ分かった。
名前の頭。
役目。
家。
全部が結びついている。
宿帳へ名前を書き終えると、女性――シアはセラの腰にある冒険者証へ目をやった。
「冒険者?」
「はい」
「仕事探してる?」
セラがハヤトを見る。
「まだ決めてませんけど、何かあるんですか?」
「村の依頼じゃないよ。困ってる子が一人いる」
少しだけ声を落とす。
「怪我?」
セラがすぐ聞く。
「違う」
シアは広場の向こうへ視線を向けた。
そこには一人の少年がいた。
年は十五、六くらいだろうか。
細身。
腰には短い槍を下げている。
だが、その本人は広場の端に座り、小さな木片を削っていた。
「トル・エン」
シアが言った。
「道を見るエン家の子」
「何に困ってるんですか?」
ハヤトが尋ねると、シアは少し迷った。
「道を見たくないんだとさ」
◇
荷物を置いたあと、四人は広場へ出た。
少年――トルはまだ同じ場所にいた。
近くで見ると、削っているものが分かる。
小さな鳥。
翼。
尾羽。
まだ途中だが、かなり細かい。
「上手」
レグが足を止めた。
トルが顔を上げる。
「……ありがとう」
「鳥?」
「たぶん」
「たぶん?」
「見ながら作ってるわけじゃないから」
レグは隣へしゃがんだ。
「飛ぶ?」
「木だから飛ばない」
「そっか」
しばらく二人で木彫りを見ている。
ハヤトは少し離れた場所で様子を見ていた。
シアから聞いた話を、いきなり本人へぶつけるつもりはない。
セラも同じらしい。
「旅人?」
トルの方から聞いてきた。
「そう」
レグが答える。
「どこから?」
「いっぱい」
「いっぱい?」
「ハヤトたちとずっと歩いてる」
トルはハヤトたちを見る。
「外って、何ある?」
今度はレグが少し考えた。
「町」
「それはあるだろ」
「森。温泉。竜の谷。ごはん」
「最後だけ雑じゃない?」
セラが思わず笑う。
トルも少しだけ口元を緩めた。
「海は?」
「見たことある」
「でかい?」
「でかい」
「どれくらい?」
レグは両手を広げた。
「これじゃ足りない」
「分かんないな、それ」
「すごくでかい」
トルは木彫りへ目を落とす。
「見てみたい」
言葉は小さかった。
レグが聞き返さずに、隣へ座る。
「行けばいい」
「行けない」
「なんで?」
今度は少し間があった。
「俺、トルだから」
レグが首を傾げる。
「名前?」
「道を見る家の名前」
トルは腰の短い槍へ触れた。
「来年から、親父と一緒に村の外周を見る。道が崩れてないか、獣の跡がないか、外から誰か来てないか」
「やりたい?」
レグはまっすぐ聞いた。
トルが黙る。
今度の沈黙は、ノルのときとは違った。
「……分からない」
「分からない?」
「やったことないから」
それは当然だった。
嫌だと決めているわけではない。
やりたいとも思っていない。
「でも、お前は海見たい」
ハヤトが初めて口を挟む。
トルがこちらを見る。
「見たいです」
「じゃあ、見に行っちゃ駄目なの?」
「駄目っていうか……」
少年は言葉を探した。
「そういうこと考える人、あんまりいないから」
その答えの方が、ハヤトには気になった。
「禁止されてるわけじゃない?」
「村を出るなって決まりはないです。商いで外へ行く人もいるし」
「じゃあ道を見る家だけ?」
「トルの家は道を空けちゃ駄目だから」
カイルが静かに尋ねた。
「誰か一人でも残ればいい?」
「……多分」
「多分?」
「考えたことなかった」
トルは困ったように笑った。
何かに縛られている。
けれど、その縄がどこにあるのか本人にも分かっていない。
そんな感じだった。
◇
夕方。
宿へ戻る途中、レグは珍しく静かだった。
「どうした?」
ハヤトが聞く。
「トル」
「気になる?」
「うん」
少し歩いてから、レグは続けた。
「ノルは畑好き」
「そうだな」
「トルは分からない」
「うん」
「じゃあ同じじゃない」
セラがレグを見る。
「何が?」
「役目」
ノルにとっては、家から受け継いだ仕事が自分のやりたいことと重なっている。
トルはまだ分からない。
「でも名前は二人とも決まってる」
レグはそこで、自分の胸へ触れた。
「レグも名前二個あった」
「そうだね」
「でも選んだ」
セラが頷く。
「うん」
「トルは?」
「まだ選んでないのかもね」
その言葉に、レグはしばらく何も言わなかった。
宿の前まで来て。
「じゃあ」
レグが足を止める。
「選ぶ前に決まってる?」
ハヤトはすぐ答えなかった。
簡単に「そうだ」と言うには、まだこの村を知らなすぎる。
「明日、もう少し見よう」
そう答えると、レグは素直に頷いた。
「うん」
それでいい。
決めつけるのは、見てからでいい。
その夜。
夕食を終えて部屋へ戻ろうとしたとき、宿の外から低い鐘の音が鳴った。
一度。
二度。
三度。
シアがすぐ入口へ向かう。
「何?」
レグが尋ねると、彼女は振り返らず答えた。
「道の鐘だよ」
「道?」
「トルの家の仕事」
外へ出る。
広場の向こうから、数人の男が走っていく。
その中には、昼間のトルもいた。
腰の槍を握り、父親らしき男の後ろを追っている。
昼に見た木彫りの鳥は。
広場の石の上に置き去りになっていた。




