第七話 覚醒
約1000人の入隊志望者のうち、半数が悪魔との契約に失敗し、体を取り憑かれた。
その者たち―――憑依者は牙を剥き、咆哮を上げ、契約者と未だ契約をしていない非契約者を問わず、無差別に襲いかかっていた。
それは、眼前のレンも同様だった。
「ウガアアアアアアアアアアアア!!」
レンは獣のように吠えて、黒剣を片手にアオイへ一直線に突進する。
凄まじい速度でアオイに肉薄し、その勢いを乗せて黒剣を振り下ろした。
しかし、アオイは辛うじて反応ができ、咄嗟に黒槍を横に構えて剣撃を迎える。
初撃を防ぐことに成功するも、レンの攻撃は終わらない。
縦横無尽に放たれる、無数の斬撃。
それもアオイは、巧みに捌いていく。
しかし、剣と槍がぶつかって生じる火花が苛烈さを増すごとに、アオイの表情が辛そうに歪む。
「―――ウガァッ!」
振り下ろした渾身の一撃は、ついにアオイの防御を突破した。
アオイは、その強さに耐え切れず倒れた。
刃を届かせようとレンが押し込み、アオイは押し返せず、ジリジリと刃が首に迫る。
(なんて、力ですか……ッ!?)
とても人間が持っている力ではない、とアオイはこの窮地で思った。
実際その通りで、悪魔に取り憑かれたことで、レンは通常よりも遥かに強くなっている。
だからこそ、あんな乱暴で力任せな攻撃でも、アオイの槍捌きを攻略してみせたのだ。
(このままでは押し切られて、ワタシは……。なんとかしなくては、レンさんに殺されないためにも、レンさんを人殺しにしないためにも……。ヌルさんの指示に従って、他の方に処分されないためにも……! レンさんはおそらく、悪魔が見せたトラウマでああなっているはず。なら、ここからレンさんを正気に戻せば―――!)
「―――レンさん! 悪魔なんかに、トラウマなんかに負けないでください! 元に戻ってきてください!」
「ウガゥッ!」
(ダメですか……!)
呼びかけても、レンは元に戻らなかった。
アオイに覆いかぶさったまま、先ほどよりもレンの力が増していき、さらにアオイの首に刃が届きそうになる。
文字通り、黒槍によって、なんとか首の皮一枚繋がっている状況だ。
再び呼びかけようにも、それすらも封じられた。
最早、アオイに為す術はなくなった。
その時、トン、トン、と足音が聞こえた。
軽やかで、楽しそうな、スキップでもしていそうな足音が。
なんとか目だけを動かして、アオイは足音を発する正体を暴いた。
「―――エルザ、さん……」
振り絞るように、アオイは掠れた声で紡ぐ。
黒大剣を床に置き、エルザは愛らしくしゃがんだ。
その金色のサイドテールを揺らすと、
「ピンチだね、アオイっちっ★ どーするっ? 今ならエルちゃん、隙だらけのレンっち―――ぶっ殺せるよっ★」
アオイの苦しげな顔を観察して、エルザは満面の笑みで宣言した。
エルザのチャームポイントである八重歯が、今のアオイには憎々しく見えた。
「何を、バカなことを……! レンさんを、人を、そんな簡単に、殺そうとするなんて、あなたは……!」
「バカなのはアオイっちじゃんっ★ レンっちはレンっちだけど―――アレが本当にレンっちに見えるのっ?」
「―――ッ!?」
猫のような目を細めて言うエルザに、アオイは納得してしまった。
今のレンは、レンじゃない。
細長い瞳孔、尖った耳、二本の黒角、牙、黒爪。
どう見ても、これはどう見ても……人間ではない。
―――悪魔にしか、見えない。
友達が悪魔になったという、受け入れたくない現実を突きつけられて奥歯を噛むアオイ。
そんな悲劇のヒロインに、さらにエルザは追い打ちをかける。
「レンっちはもー、立派な悪魔だよっ★ 見境なく暴れて人を殺す、そんな危険な存在っ★ 悪魔には正義の鉄槌をっ★ だから―――ぶっ殺さないとっ★」
「―――ウガアアアア!!」
瞬間、吠えたレンが、エルザを攻撃しようと襲いかかる。
エルザはしゃがんだ姿勢のまま、重たいであろう黒大剣を掴む。
―――横たわるアオイの上に走る、紅い剣閃。
いとも容易く、エルザはその攻撃を振り払った。
あまりの威力に限界を超えたレンでも防ぎ切れず、緩やかな曲線を描きながら吹っ飛んでいく。
常軌を逸したその様を、アオイは驚愕に見つめていた。
10メートルほど吹っ飛んだところで、レンは背中から床に墜落する。
呻き声を上げ、その場で踠いていた。
アオイはわかってしまった。
エルザの言葉は嘘ではない―――本当に、軽々と、ぶっ殺せそうだと。
「お話、邪魔されちゃったっ★」
おいしょっ、とエルザは立ち上がる。
そして、アオイを見下ろした。
「それじゃ、このままエルちゃん、悪魔退治いってくるねっ★」
黒大剣を肩に担いで、エルザはレンの元へ向かおうとする。
全身に痛みが広がって、焦る気持ちとは裏腹に、アオイは緩慢な動作で起き上がってエルザの背中に手を伸ばす。
「ま、待ってください!」
呼び止められて、エルザの足が止まる。
そのまま何も言わなかった。
「ワタシがなんとかしますから、お願いですから、レンさんを、殺さないでください……!」
懇願するその声に、エルザは呆れたような溜息をついて振り返る。
「あのね、アオイっちっ★ エルちゃんが何もしなかったら、あのままアオイっち、ぶっ殺されちゃってたんだよっ? それ、ちゃんとわかってるっ?」
「はい、わかっています……。エルザさんが来なかったら、ワタシはレンさんに殺されていました……確実に」
自分の無力さが悔しく、アオイは黒槍を強く握る。
エルザがいなければ、力で押し負けて……アオイの首はあの凶刃によって切断されることを理解していた。
悔しがるアオイの心情を把握しながらも、エルザはなおも続ける。
「それじゃ、アオイっちはレンっちに殺されたいのっ? 殺されたかったのっ? アオイっちは、どーしたいのっ?」
「―――そんなの、決まってます。エルザさんにレンさんを殺させない! レンさんに誰も殺させない! レンさんを、元に戻すことです!」
力強い言葉に、エルザは面食らう。
大きな紅い双眸が見開かれた。
が、すぐに不敵な笑みへと変わる。
「元に戻すにしても、アオイっちはどーするつもりなのっ?」
「それは、そのー……。れ、レンさんを無力化すれば、為す術がないと悪魔が諦めて、レンさんに体を返してくれるはずです!」
「ニャハハッ★ アオイっちが無力化っ? エルちゃんがいなかったら、ぶっ殺されそーになってたのに、どーやって無力化するつもりなのかなっ? なーんにも―――『魔晶器』の使い方わかってない、アオイっちにっ★」
「うっ……」
アオイは、ぐうの音も出なかった。
(……確かに、エルザさんの言う通りです。今のワタシでは、あのレンさんを無力化する力なんてありません。エルザさんみたいな強さは、ワタシには……)
どうすることもできず、アオイは俯く。
その時、あることが頭の中に浮かんだ。
『私たちは魔力をもらい受け、その対価として契約者に力を貸してるの。いわば私は、ただそれだけの装置というだけよ』
―――リースの、言葉だ。
(もしかすれば……!)
何かに気がづいた。
アオイは顔を上げると、エルザの『魔晶器』に注目する。
レンの黒剣と同様に、黒大剣の剣身に紅光の線が浮かび上がっていた。
そのことを確認して、手の中にある黒槍に視線を移す。
エルザたちとは違って、紅光はどこにも浮かび上がっていなかった。
―――アオイは、確信を得る。
(やはり、そういうことですか! あの紅い光は『魔晶器』に魔力が送られている証拠! だからお二人とも強かった……! だから魔力を送っていない
ワタシは、弱かったんですね……! となれば―――)
「リースさん、あなたに魔力を与えればいいんですね! ハア――――――ッ!」
横にした黒槍を突き出し、強く握って目を瞑る。
アオイは体の内に秘めたる、魔力を流し込んだ。
アオイを中心に風が舞い、艶やかな長い黒髪が靡く。
心血を注いで集中するアオイを、エルザは試すような目でジッと見つめた。
しかしその表情は、いつもと違っていた。
(どうかな? アオイはアレ、できるかな? でも、アタシと同じなら―――できるに決まってるよね?)
「―――ハッ!!」
最後に気合を入れた瞬間、アオイは開眼する。
吹き荒れていた風が止み、
「―――これなら、レンさんを無力化できます!」
予想通り、アオイが魔力を送ったことで―――黒槍に紅光が浮かび上がった。




