第五話 契約
気がつくと、アオイは真っ暗闇の中にいた。
「ここは……!」
大聖堂とは全く異なる空間にいて、何も見えなくて、アオイは軽くパニックになる。
首を横に振って周囲を確認しても、暗闇が続いていることしか収穫はなかった。
「―――こんにちは」
背後から穏やかな挨拶が聞こえ、敵意がないと直感しながらも勢いよく振り返る。
見上げたアオイは、目を奪われた。
真っ暗なこの夜空のような空間を照らす、月のような少女を見て。
不思議な力で宙に浮くその少女は、雪のような真っ新な白銀の髪で、全てを見透かすような銀の瞳をしていた。
現実離れした美貌、纏う儚い雰囲気によって、小柄なこの少女が自身よりも遥かに長い年月を過ごしていることを思い知らされる。
「―――!」
あるモノを見て、アオイは息を呑む。
月を具現化したような少女は、耳がエルフのように尖っていて、頭に二つの禍々しい黒角が、背中にコウモリよりも邪悪な黒翼が、尾骨に体を貫くような黒い尻尾が生えていた。
アオイは、その少女の猫のように細長い瞳孔を睨みつけて言う。
「あなたは、誰、ですか……」
「私は、この『魔晶器』に封印された―――悪魔よ」
少女に悪魔だと明かされても、特段アオイは驚きはしなかった。
あの悍ましい姿を見て、本などで見た悪魔の容姿と一致していたため、おおよその見当がついていたから。
……しかし、警戒心は生まれた。
「これは、あなたの仕業ですね……。ワタシを、どうするつもりですか!? どうして、『魔晶器』にあなたのような悪魔が封印されているんですか!?」
「落ち着いて、ちゃんと説明するから」
人差し指を唇に当て、悪魔が優艶に微笑みかける。
アオイはその笑みをジッと見つめた。
(あの笑顔、あの声……思わず心を許してしまいそうになります。これが、悪魔の誘惑でしょうか? しかし、見たところ悪意はなさそうです……。油断はできませんが、今は情報収集に徹しましょう)
「わかりました。お話、お願いします……」
「うふふっ、ありがとう。……では、なぜ私たち悪魔が『魔晶器』に封印されているのか。それは人の子に、この美しい世界の『憎悪』を救済するための力を与えるためよ。私たちは魔力をもらい受け、その対価として契約者に力を貸しているの。いわば私は、ただそれだけの装置というだけよ」
「随分と自虐的ですね……。知りませんでした。幻滅師さんは、あなたのような悪魔の力をお借りして、シャドウと戦っていたのですか……」
「悪魔というのはイメージが悪いから仕方がないわ……。誤解を与えないよう、不安にさせないよう、そして幻滅師を志す人の子が減らないよう、隠していたのでしょうね」
優しく答える悪魔に、アオイの警戒が緩んでいく。
けれど、ニコやかだった悪魔の顔が真剣なものになった。
「本題に入るわ。さっき、私たち悪魔が封印されているのは、契約者に力を与えるためだと言ったけれど。それには、あることが必要なの。―――悪魔である私との、契約よ。契約が成立すれば、私はあなたの命令に従い、あなたが望む力を貸すの」
「……もし、その契約に失敗すれば、どうなるんですか?」
おそるおそる強張った声でアオイが聞く。
悪魔らしからぬ様子で、悪魔は瞳を伏せて重苦しい声で言った。
「……私に取り憑かれ、体を乗っ取られるわ。そして命尽きるまで、その体を使って暴れるでしょうね」
「そう、ですか……」
責める気にはなれなかった。
相手は悪魔だ。
対価もなしに力を得るなど、そんな甘い話などあるわけがない。
「今なら、あなたの意識を現実へ引き戻せるわ。……私との契約、やめる?」
「―――いえ、契約します」
間髪入れず、アオイは即答する。
その躊躇いのない返答に、悪魔は目を見開いた。
「……怖くはないの? 契約が失敗すれば、あなたは死ぬのかもしれないのよ……?」
「確かに怖いです。取り憑かれ、もしかすると誰かを殺めた上に、罪滅ぼしができないままワタシは死ぬのかもしれません。最悪の結末です……。しかし、それを恐れては前に進めません! ワタシは逃げたくありません―――!」
アオイは、決意を言葉に変える。
なんとしてでも成し遂げたい『夢』がある。
その『夢』を叶えるためになら、どんな障害が立ちはだかろうと、それに立ち向かう覚悟はとっくの前にできていた。
こんなことで臆したりなんかしない、こんなことで臆している場合じゃない。
だから、迷わずに決意することができたのだ。
その意志を知って、悪魔はやはりらしからぬ微笑を浮かべた。
「……それがあなたの意志なのね、わかったわ。でも、契約を始める前に、あなたの心の強さを試させてもらうわ。ここは、あなたの潜在意識。つまり、あなたの全てを私は知っている。その中から、あなたの最も心の脆弱な部分―――トラウマに触れ、見せ続けるわ。それに最後まで心が壊れることなく乗り越えることができれば、契約を始めるわ。いい?」
「―――どんとこい、です!」
アオイは合気道の構えを取って、トラウマを待ち受ける。
悪魔は両手をアオイに向け、力を溜めるような素振りを見せる。
「わかったわ……では、いくわよ! ハア~~~……というのは、嘘なのだけれど」
が、何かオーラのようなものを飛ばすフリをした悪魔が、そんなことを言った。
ガクッ、とアオイのキレイな構えが崩れた。
「う、嘘とは、どういうことですか……?」
「契約者の力量を試す上で、トラウマを見せるのは本当なの。……でも、あなたには通用しないから、その必要がないと判断したわ」
「だったら、さっきの謎の溜めはなんだったんですか!?」
「だってあなたには―――想い人が、いるものね?」
と、瞬間移動でもしたのか、悪魔はアオイの耳元で囁いた。
「なっ―――!」
赤面して、ギョッとした顔で悪魔から一歩下がる。
そんなアオイのかわいらしい反応に、悪魔はクスクスと笑った。
「ど、どどど、どうして、ワタシに想い人がいると……!?」
「ふふっ、動揺しすぎよ。さっきも言ったじゃない。ここはあなたの潜在意識で、私はあなたの全てを知っていると。だから、あなたが誰に恋焦がれているのか、すぐにわかってしまうの。……そしてあなたが、その想い人を思いながら、毎晩写真を見て―――」
「あ~~~~~!? やめてください! それ以上、言わないでください! 恥ずかしくて死んじゃいますうううううううう!!」
もっと顔を赤くしながら、アオイは悪魔の口を塞ごうと両手を伸ばす。
が、悪魔は黒翼をはためかせて上へ飛んでいき、それを回避した。
「ちょっ!? と、飛ぶなんて卑怯です!」
「回避できる手段があるのなら、そうするわよ。それにいいじゃない。あなたのソレを知っているのは、私とあなただけなんだから。本人にバレてないだけマシよ」
「マシじゃありませ~~~ん!」
頬を膨らませてプンプンと怒るアオイに、手で口を隠しながら笑う悪魔のクスクスが終わることはない。
そう思われたが、悪魔は急に下降してアオイの前に立つ。
宙に浮くのをやめて、自分の両足でこの暗闇を踏んでいた。
なぜ怒っている自分のところやってきたのか、アオイは不意を突かれて何もできなかった。
そのままボーッと見ていると、悪魔はそっとアオイの手を取って、心配げな瞳で上目遣いをした。
「あなたは私と契約ができるわ。でも、契約者は必ず『絶望』に巡り合うことを運命づけられているの。……トラウマを見せるのも、それに耐えられるかどうかを確かめるためなの。その『絶望』は多岐に渡って、大小様々な種類があるのだけれど。その中でも最も破滅的で避けるべき、『本当の絶望』だけは自身の選択によって回避することができるの。……けれど、今のままだとあなたは、それに巡り会ってしてしまうわ。だってその原因は、あなたの想い人の―――」
「―――ありえません」
今度も、即答した。
悪魔にとってもこの宣告は心を痛めたのか、終盤になって顔が下がっていた。
しかし、アオイの真っ直ぐな声によって瞬時に上がる。
その時にはもう、アオイからは怒りが消え失せ、温かな微笑を浮かべていた。
「ワタシを救ってくれた『あの方』が、ワタシを絶望させるわけがありません。だって『あの方』は、どんな闇をも晴らす―――ワタシの『太陽』なんです……」
そうアオイに微笑みかけられた悪魔は、
「……そうよね。誰にとやかく言われても、この気持ちは止めることも、消えることはないもの―――永遠に」
もう届かない恋慕を呟き、悲しげに微笑む。
不覚にもアオイは、この悪魔がなぜか、女神のように錯覚してしまった。
すると、いつの間にか悪魔の表情から悲しさは消え、いつもの柔らかな微笑で言う。
「では、契約を始めるわよ。目を閉じてくれるかしら?」
「は、はいっ!」
ギュッ、とアオイは強く目を閉じる。
いよいよ契約が始まるのだと、緊張したからだろう。
悪魔は、アオイの頬にそっと触れる。
悪魔だからか、体温は感じなかった。
……でも、どこか安心するような温かさを感じた。
アオイの強張った顔が和らいだ。
「そう。力まないで、その調子。……いくわよ」
悪魔は顔を近づける。
そっと、人間と悪魔の少女のおでこが重なった。
(もしかして、ワタシの頭に角でも植え付けるんでしょうか?)
契約中にアオイはそんなことを考えていると、
『―――そんなことしないわよ』
頭の中で聞き覚えのある声が響いた。
思わず「きゃっ!」と悪魔の手から逃げて、アオイは尻もちをついてしまう。
「い、今のは一体……!?」
「心の中で会話する、テレパシーのようなものよ。これで私たち、四六時中好きな時にお喋りできるわね」
「あまり素直には喜べませんね……」
アオイがこの契約の恩恵に苦笑いすると、悪魔は手を差し伸べる。
「これで契約は完了よ。これからよろしくね、アオイ」
「はい!」
急いで立ち上がって、アオイは握手に応じる。
悪魔の手の黒爪は鋭く尖っているが特に刺さることもなく、何より予想以上に手が子どものように小さかった。
そんな感想を抱きつつ、小首を傾げる。
「えっと……悪魔さん、あなたのお名前は?」
「あ、すっかり忘れていたわ。私からあなたのことは知れるけれど、逆はできないものね? 私はリース。契約し続けている限り、あなたの命に従い、あなたの力となることを―――誓うわ」
「リースさん……はい、よろしくお願いします! ―――って、なんでワタシの体、光っているんですかー!?」
ふと、全身が光に包まれていることに気がつく。
その不可解な現象に、アオイは叫んだ。
それとは対照的な様子で、リースは冷静に答える。
「契約を終えたから、意識が現実に帰ろうとしているのよ。大体、あと10秒もないかしら?」
「早すぎますよ!? リースさんに、お聞きしたいことがあるのに!?」
「何かしら、聞きたいことって?」
「―――リースさんは、本当に悪魔なんですか?」
アオイは違う意味でリースのことを疑っていた。
丁寧に説明してくれるし、契約する前は入念に確認までしていた。
リースは、悪魔らしからぬ気遣いをしていた。
まあ、からかうこともあったが……。
でも、それを含めても、そこには確かな優しさがあった。
これは最早、悪魔のすることではないとアオイは思った。
突然の問いに一瞬驚くが、
「悪魔よ―――善良な、ね?」
リースは困ったように笑って答える。
その時、リースの小さな口から牙がチラッと見えた。
アオイは理解する。
リースが今まで口をあまり開けないで話したり、笑う時に手で口元を隠していたのは……その牙を見せないようにするためだと。
けれど、理解した時には―――アオイの意識はもう、ここになかった。




