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1-85.初めての「待機命令」/MHR-1

 第三ラボ・試験区域。

 

 一次試験を終えたMHR-1は、

 まだ余熱の残る機体を夕陽に照らされていた。

 

 飛んだ距離はわずか。

 速度も出していない。

 

 それでも。

 

 もう誰も、これを試作品とは呼ばなかった。

 

 

 主任の端末が、小さく震えた。

 

 着信。

 

 管制室。

 

「……主任だ」

 

『管制より連絡』

 

『本日付で、MHR-1を救援機待機リストに登録します』

 

 主任は、一瞬だけ言葉を失った。

 

「……待機?」

 

『はい』

 

『運用ではありません』

 

『あくまで待機です』

 

 つまり――

 呼ばれる可能性がある。

 

 主任はゆっくり振り返る。

 

 少し離れた場所で、

 綾芽が機体を見上げていた。

 

 まだ届いていない世界を見るように。

 

 

「綾芽」

 

「はい?」

 

「管制からだ」

 

 一拍。

 

「MHR-1が待機リストに入った」

 

 沈黙。

 

 風の音だけが通り過ぎる。

 

「……待機」

 

 小さく、繰り返す。

 

 主任は頷いた。

 

「出動命令じゃない」

 

「まだ飛ばさない」

 

「だが」

 

 一拍。

 

「もう“候補”だ」

 

 

 綾芽は、何も言わなかった。

 

 ただ機体を見る。

 

 白い外装。

 無駄のない形。

 

 しばらくして、静かに聞いた。

 

「……いいんですか?」

 

 主任は眉を動かす。

 

「何がだ」

 

「まだ、試験途中です」

 

「想定外も、出るかもしれません」

 

 主任は短く答える。

 

「それでも登録された」

 

 つまりそれが評価だ。

 

 査察官も、試験官も。

 “使える側”に置いた。

 

 

「責任、増えましたね」

 

 綾芽がぽつりと言う。

 

 主任は少しだけ笑った。

 

「今さらだろ」

 

「……そうですね」

 

 否定しない。

 

 

 そのとき。

 

 管制から、追加通信。

 

『補足』

 

『現時点での出動優先度は最低ランク』

 

『既存機優先』

 

『ただし――』

 

 主任が目を細める。

 

『他機が対応不能の場合、

要請が入る可能性があります』

 

 沈黙。

 

 それはつまり。

 

 本当に間に合わないときだけ呼ばれる。

 

 

 主任は通信を切る。

 

 しばらく誰も喋らない。

 

 風が、少し強くなる。

 

 機体が微かに軋んだ。

 

 

 綾芽が一歩だけ近づき、

 外装に触れる。

 

 冷たい金属。

 

「……よかったな」

 

 誰に言ったのか分からない声。

 

 

 主任が聞く。

 

「怖いか?」

 

 少しだけ間。

 

「……少し」

 

 正直だった。

 

「でも」

 

 顔を上げる。

 

「間に合わない方が、怖いので」

 

 

 主任は何も言わなかった。

 

 代わりに、機体を見る。

 

 そして思う。

 

(この思想か……)

 

 速さじゃない。

 強さでもない。

 

 “間に合うこと”が最優先。

 

 

 その夜。

 

 協会内部記録に、一行が追加された。

 

 救援機待機リスト(更新)

 

 ・既存救援ヘリ ×3

 ・長距離搬送機 ×1

 

 そして。

 

 ・MHR-1(試験機)

 

 備考:

 

 未実戦。

 技術評価:高。

 運用判断:主任一任。

 

 さらに別筆跡。

 

「本機は“最後の選択肢”として扱うこと」

 

 

 第三ラボへ戻る途中。

 

 主任が何気なく言った。

 

「呼ばれない方がいいな」

 

 綾芽も頷く。

 

「はい」

 

 一拍。

 

「でも、呼ばれたら」

 

 迷いなく答える。

 

「行きます」

 

 

 主任は、小さく息を吐いた。

 

 空はもう暗い。

 

 試験区域の照明だけが、機体を照らしている。

 

 

 MHR-1は動かない。

 

 まだ空を知らない。

 

 それでも。

 

 もう、救援の数に入っている。

 

 

 遠くの管制室。

 

 オペレーターがリストを見て、呟く。

 

「……使う日、来るのかな」

 

 隣の職員が答えた。

 

「来ない方がいい」

 

 一拍。

 

「でも」

 

 画面の文字を見つめる。

 

 MHR-1

 

「来たら――」

 

 静かな声。

 

「間に合いそうだな」

 

 

 まだ、飛ばない。

 

 だが。

 

 初めて、“来るかもしれない日”が生まれた。

 

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