#4[迷走]-2-
「――おや、まあ」と声を上げられて目が点になる。
日用雑貨店の店主が大きな声を上げたせいか、買い物にやってきていた客がちらりとこっちに視線をむけてきた。買い物客は二、三人ほどいた。
店内の商品はキレイに並べられて、整然としている。
一週間前の強盗さわぎで、店のなかをめちゃくちゃにされたのがうそみたいだ。
「いらっしゃい」
フロレンシアはレジカウンターから、気だてのよい笑顔でカレルたちを迎える。
「今日はうちで買い物かい? アンタ、まだいたんだね。はじめはだれかと思ったよ」
サバサバとした物言いに内心しりごみする。
いちゃ悪いのかとか、髪の毛みじかくなったこと言われたんだろうなとか思ったが、不思議と気分は悪くならない。
店主のあっけらかんとした笑顔のせいだろうか。
――はっとして、カレルはキョロキョロ見わたす。
ななめうしろのほうで、スペアミント色のスケッチブックを抱きしめたメレディが立ちすくんでいた。
表情は暗い。
彼女の見たことない表情のせいで、カレルは内心、とまどっていた。
店に到着するあいだもずっとこんな感じだった。
「……なにか、あったのかい?」
フロレンシアもただならぬ雰囲気を感じとったらしい。
だが、客が勘定のためにレジカウンターにやってきたことで、会話が中断される。
「悪いけど、店で待ってて」と言われて、仕方なく店のものを見ながら待つことにした。
気になって、メレディのようすをうかがっていると「……ごめんね」と彼女が弱々しく微笑む。
なぜか、苦々しくなって、カレルはぎこちなく首を横にふって見せた。
「大切なものだから……とられちゃったって思うと、落ち着かなくて」
なんて言えばいいのか、返答に迷う。
会話が途切れてしまって、手持ちぶさたになってしまった。
こまり果てたところで、フロレンシアが「はなし聞いてあげるから、おいで」と声をかけてきた。
客の姿は、いつの間にかなくなっていた。
「メレディちゃん、どうしたんだい?」
問われて言葉につまる。うしろをふりかえった。
メレディと目が合う。
彼女は困惑したそぶりを見せて「実は……」とためらいがちに口を開いた。
今までの経緯を伝えるメレディの声に力はない。
事情を聞いていたフロレンシアの顔が、みるみる厳しいものになる。
「それで、ケガはなかった?」
「え? わたしは大丈夫だけど……」
フロレンシアはカレルに一瞥をくれる。つづいてため息。
相手から注がれた視線の意図がわからなくて、カレルはうしろ指をさされたような気分になった。
「――ったく、あの子は……どうしようもないねえ。いっしょにいたのはルシオだったんだね?」
メレディがうなずく。
名前を聞いて、カレルはエミリオのそばにいた少年を思い出した。
「わるかったね。こわい目にあわせて」
「ううん。ふだんは悪い子じゃないのに、どうしたんだろう……」
「そう言ってくれるのはありがたいけどね、買いかぶりすぎだよ。まったく、ふだんおとなしいくせに。ルシオといっしょになると、なにするかわかったもんじゃないんだから。――でも、なんでスケッチブックなんか……?」
エミリオといっしょにいた少年は、見るからに小生意気そうな印象だった。
――店の商品棚のむこう側で、ちらちら姿が見えるちっこいのにそっくりだ。
スナックと菓子パンの袋を両手にたくさん抱えた二人組の子供の姿を見て、ふと、思考がとまる。
子供の片方は見覚えのあるウサギのヌイグルミをしょっている。
「――あ!」
思わずカレルは指をさしてしまった。
「げっ!」
「うわ、見つかった!」
「――コラっ、あんたたちっ! 腹へったからって店のもの勝手に盗むんじゃないよっ!」
フロレンシアのするどい怒号が上げると、エミリオとルシオが「うわあ!」と声を上げて一目散に逃げていく。
スケッチブックはエミリオがしっかりと持っていた。
カレルはあわててメレディ肩を軽く小突く。
「追いかけよう!」
刹那、目の前が暗くなって『お前になにができるんだ』と幻聴が聞こえてきたが、頭をふって追いはらう。
黒いものに心を捕らわれてるひまなんてない。
「え?」とメレディが目を見開いてきょとんとしているあいだに、カレルは店をあとにしていた。
「あ、えっ、ちょっと……待って!」
彼女の声がして、ちらりと後方を確認する。おたおたと走ってくっついてくるメレディの姿が見えた。
つづいて店の表からフロレンシアがでてきて「また、おいで!」と声を張り上げた。
――なんでか、びっくりした。
フロレンシアはこっちをまっすぐ見て、はっきりと言ったからだ。
『また』はあるのだろうか。
あっけにとられて目を離したスキに、悪ガキどもが大通りの雑踏にまぎれこもうとしていた。
見失うと、二度と見つけられないかもしれない。
通りを行きかう人たちの合間を縫って、子供らのうしろ姿を見逃さないように走りぬけた。
通行人たちが、不思議なものを見つけたような視線をあびせてきたが、かまうヒマなんてない。
ペースを落とせば二人に逃げられること間違いなしだ。
子供らが足をとめる気配はない。
通行人にまぎれて、ガキどもは交差点の横断歩道をかけ足でわたっていく。
追いかけようとして、カレルも横断歩道に足を踏み入れようとした。
――すんでのところで服のすそをつかまれて、はっとする。
ぐっと押しとどめられて、足をとめるしかなかった。
カレルは目をしばたたかせて、すそをつかんだ相手を見下ろす。
メレディは首をたれて、肩でぜいぜいと息をしていた。
「……だっ、だめだよ。赤信号だよ」
カレルは虚をつかれた気分になって、道路のほうを見やる。
クルマたちが、次々と横断歩道の上を走っていた。
ぶつかったら、ただじゃすまなそうなスピードだ。
喉からうめき声がもれる。
目線をメレディのほうにもどした。
「キミ、走るの速いんだもん……びっくり、しちゃった」
息もたえだえ、といった調子でメレディが言う。
うしろめたい気持ちが押しよせてきて、彼女と視線を合わせるのが苦痛になってくる。
メレディが服のすそから手をはなした。
それから彼女は、迷わずカレルをまっすぐ見つめ返してきた。返答を要求されているとすぐに察した。
無言のまま、時間がすぎていく。
――唐突にぎゅうぎゅうと腹の底から虫が鳴いた。
かちんと思考が凍りつく。
いきなり冷水をあびせられた気分だった。
今すぐこの場所から逃げ出したくなる。
メレディが、狐につままれたような顔になって、目をぱちぱちさせた。
なにをしたわけでもないのに身がすくんだ。
青信号になったのか、横断歩道で立ち往生していた通行人たちがちらほらと歩きだした。
そういえば。
今日起きてから、水以外、なにも口にしていない。
ふいに彼女は顔をほころばせて、ぷっと吹きだした。
どうしようもない恥ずかしさがこみ上げてきて、顔ぜんぶが真っ赤になるのに時間はかからなかった。
「……あっ、ご、ごめんね?」
あわてたようにメレディがあやまってくる。こっちのむくれっ面に気づいたらしい。
ちょっと悪いことをしてしまった気がする。
笑ったことを気にしていると思われたのか「……怒ってる?」と彼女は聞いてくる。
カレルは首を大きく横にふった。
先に進もうと横断歩道に足を踏み入れる。
「あっ」とメレディが声を上げて、うしろからくっついてきた。
歩道の反対側に到達すると、カレルは周囲をなめるように見まわす。
――子供の姿はひとつもない。どうやら逃げられたらしい。
落胆のせいで、体の緊張がいっきにほどけてしまった。
気がぬけたせいで、真面目に腹がへってくる。
なんだか目がクラクラしてきた。
「大丈夫?」
すかさず聞かれて、カレルはメレディの顔を見やった。
一瞬、なんと答えようか迷う。
メレディはスペアミント色のスケッチブックを抱きしめたまま、うつむいた。
「もう、スケッチブックのことはもういいよ」
なぜか、ちくりと胸が痛む。
メレディがもういいというのなら、このまま引き返して帰ってもいいのかもしれない。
でも、彼女がさみしそうな表情をしているような気がして。あきらめていいんだろうか、と思ってしまう。
なぜか、ざわざわして落ち着かなかった。
本当に、いいのだろうか。
「……よくない」
カレルは、ぴしゃりと一言。
メレディが面を上げた。きょとんとしている。
「――えっ、でも」
うろたえている彼女を見ていてイライラしてきた。なんだかまどろっこしい。
ぐずぐずしているなら、あの二人を早く追いかけたほうがてっとりばやい気がした。
カレルは歩きだそうとメレディに背をむける。
数歩進んだところで、メレディが「あ、待って!」と言った。
――ゴスンという鈍い衝撃。ぱちんと目のなかで火花が散った。つづいて鈍い痛みがじーんと横顔から肩にかけて広がっていく。
「だっ、大丈夫?」
あわててメレディが駆けよってくる気配がする。
なんだか、痛みのせいで体がへにゃへにゃになった感じだった。
目の前がチカチカして、彼女に返事をするのも忘れてしまう。
体をささえるのにぶつかった物体に手をかけた。木の幹の感触がする。
……街路樹にぶつかったのか。
「――なんかさあ。コイツって、ダッサイよなー」
「えー、そんなの見ればわかるよ。なんかマヌケそうだし」
反射的に、悪態が聞こえた方面に顔をむけた。
数メートル先で、カレルたちのようすをうかがっていた悪ガキ二人組と、視線がぶつかった。
ふつふつと怒りがわき上がってくる。
カレルの表情を見た子供二人の顔が、さあっと青ざめた。
かたわらでメレディがどうしようと言わんばかりにおろおろしだした。
間合いをつめようと、カレルは足を前にだす。
エミリオとルシオがじりっと後ずさりする。
メレディは、ただうろたえているだけだ。
またたく間に子供らは身をひるがえして走り出した。
スタートは紙一重の差でカレルのほうが速かった。追撃せんとばかりに手をのばす。
――が、とどかなかった。
脱力感が襲ってきて、走るペースが落ちてしまったせいだ。
いいところだったのに、力が萎えた。
「ばーか!」と捨て台詞を吐いて、悪ガキが逃げていく。
くやしいんだか悲しいんだか、もうわけがわからなくなって、足をとめるしかない。
ぐったり、その場にへたりこみそうになる。
情けないことに腹がへって、力がでない。
残念ながら、くやしいという感情もわき上がってこない。
あとからやってきたメレディと顔を合わせるハメになって、沈黙のあと。
彼女はうろたえながらも「えっと……なにか食べようか」と、打開策を提案してきた。
おとなしく従ったほうがよさそうだった。




