第3話 追放された荷物持ち、実はとんでもない逸材でした
「――というわけで、君を雇いたいの!」
「…………はい?」
宿場町の広場に、間の抜けた声が落ちた。
つい先ほどまで勇者パーティーの一員だった少年は、突然目の前に現れた少女を呆然と見つめていた。
栗色の髪に、商人らしい動きやすい服装。片手には小さな手帳と魔石ペンを持ち、まるで掘り出し物でも見つけたかのように目を輝かせている。
ミレイユ・ベルナール。
ベルナール商会の若き商会長である。
「ええと……ベルナール商会、ですか?」
「そう! 世界中を旅しながら、いろんな商品を仕入れたり、売ったりしている商会よ!」
「旅をしながら……」
「今はまだ小さな商会だけどね。これからどんどん大きくしていく予定なの!」
ミレイユは胸を張った。
その勢いに押されながらも、少年は戸惑ったように視線を落とす。
「あの……どうして、僕なんかを?」
「だって、荷物持ちなんでしょう?」
「……はい」
「ちょうどよかった! うち、荷物を運べる人が欲しかったの!」
少年は目を瞬かせた。
冗談を言われているのかと思ったが、ミレイユの表情は至って真剣だった。
「でも、僕は戦えません。剣も上手く使えないし、攻撃魔法も回復魔法も……」
「それがどうしたの?」
「……え?」
「うちは商会よ? 別に魔王を倒しに行くわけじゃないもの」
あっけらかんとした返答に、少年は言葉を失った。
そんな彼の後ろで、黒髪の青年が小さくため息をつく。
「……ミレイユ。少し落ち着け。相手はついさっき追放されたばかりなんだぞ」
「あっ、そうだったわね!」
ミレイユは慌てて少年に向き直った。
「ごめんなさい。突然こんなこと言われても困るわよね」
「い、いえ……」
「でも、雇いたいっていうのは本当よ。冒険者をしていたなら街道のことも知っているでしょうし、野営にも慣れているんじゃない?」
「それは……はい。三年ほど冒険者をしていたので」
「三年! それなら十分経験者じゃない!」
「……そう、でしょうか」
少年の声は小さかった。
彼の名はノア。十七歳。
これまで所属していたのは、勇者の称号を持つ冒険者が率いる《暁の剣》というパーティーだった。
ノアは冒険者ギルドを介して、その補助要員として雇われた。荷物の運搬、野営の準備、食事の支度。戦闘以外の仕事は、ほとんど彼が引き受けていた。
けれど、それらは誰にでもできる仕事だと言われ続けてきた。
剣が振れない。魔物を倒せない。役に立たない。
そして今日、とうとう追放されたのだ。
だからこそ、目の前の少女が自分を必要だと言う理由が、どうしても理解できなかった。
「……僕、本当に荷物を運ぶことくらいしかできませんよ」
「だから、それをお願いしたいんだってば!」
ミレイユは笑った。
「それに、仕事なんてこれから覚えればいいのよ。最初から何でもできる人なんていないもの!」
「…………」
「ちなみに、お給料は月に銀貨十五枚。食費と宿泊費は商会持ち! 仕事の内容によっては特別手当も出すわ!」
「じゅ、十五枚!?」
ノアは思わず声を上げた。
《暁の剣》にいた頃、彼が受け取っていたのは月に銀貨三枚ほどだった。装備品や食費、宿代などを差し引かれ、手元に残る金額は決して多くない。
それが、食事と宿泊まで保証されたうえで十五枚。
あまりにも条件が違いすぎる。
「そ、そんなにいただけるんですか?」
「もちろん! ただし、ちゃんと働いてもらうわよ?」
「それは、もちろんです!」
「よし!」
ミレイユは満足げに頷くと、隣の青年を手招いた。
「改めて自己紹介ね。私はミレイユ・ベルナール。こっちは護衛のレオン・ヴァイスよ」
「……レオンだ。よろしく」
「ノ、ノアです。よろしくお願いします!」
慌てて頭を下げたノアに、レオンは軽く頷いた。
少なくとも、二人とも自分を嘲笑うような様子はない。
それだけで、ノアは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
「それで、ノアくん」
「はい?」
「荷物持ちって言ってたけど、実際にはどれくらい運べるの?」
「どれくらい……ですか?」
ノアは自分の肩に掛けた革鞄へ目を向けた。
長年使い込んだ、ごく普通の旅行鞄だ。表面には細かな傷が走り、留め具も少しくすんでいる。
「僕、生まれつき《収納》というスキルを持っているんです」
「……収納?」
「はい。別の空間に荷物をしまっておけるので、僕自身は重いものを持たなくて済むんです」
「収納魔法じゃなくて、スキルなの!?」
ミレイユの声が一段高くなった。
収納魔法自体は、非常に珍しいものの、存在が知られていないわけではない。鞄や箱の内部空間を拡張する魔導具は、高級品として流通している。
しかし、ノアが言っているのは、それとは少し違うらしい。
「容量は? 荷車一台分くらいなら入る?」
「……もっと入ります」
「じゃあ十台?」
「はい」
「……百台?」
「試したことはありませんけど、たぶん大丈夫です」
「…………」
ミレイユが黙った。
レオンも、さすがに眉を寄せる。
「……おい。百台分というのは、さすがに冗談だろう?」
「い、いえ。以前、採石場で使わなくなった石材を片づける仕事をしたことがあって……。山のふもとに積んであった石材を全部しまっても、まだ余裕がありました」
「…………」
ミレイユはゆっくりとレオンを見た。
レオンもまた、彼女を見返した。
「……レオン」
「……ああ」
「私、とんでもない子を見つけちゃったかもしれない」
「……どうやら、そのようだな」
次の瞬間、ミレイユはノアの両手を握りしめた。
「ノアくん! ちょっと、うちの馬車まで来てくれる!?」
「ひゃっ!? は、はい!」
「詳しく聞かせて! お願い!」
「……ミレイユ。まず手を離してやれ」
「あっ、ごめんなさい!」
ノアは二人を交互に見つめた。
何が起こっているのか、まだよくわからない。
けれど、少なくとも今、自分の能力を聞いて怒っている人は一人もいなかった。
◇
「――なるほど。空間に荷物を収納するスキル、ね」
ベルナール商会の魔導馬車。
外見からは想像できないほど広々とした車内で、銀髪の少女が興味深そうにノアの鞄を覗き込んでいた。
フィーネ・アルトマン。
ベルナール商会に所属する魔導技師であり、この馬車を改造した張本人でもある。
ミレイユの頼みで、ノアの能力を詳しく確認することになったのだ。
なお、リリアーナは「少し町を見て回りたい」と言って、馬車を離れている。宿場町には小さな商店がいくつも並んでおり、せっかくなので覗いてみたいらしい。
そのため、今はミレイユ、レオン、フィーネ、そしてノアの四人だけだった。
「……ねえ、ノア」
「は、はい!」
「ちょっと試してみてもいい?」
「もちろんです」
フィーネが工具を一本差し出すと、ノアは鞄の口を開いた。
そこに見えたのは、鞄の底ではなかった。
白く霞んだ空間が、切り取られたように広がっている。
「……へえ」
フィーネの目が輝いた。
ノアが工具を落とすと、それは音もなく空間に飲み込まれた。
「取り出して」
「はい」
ノアは鞄に手を差し入れ、すぐに工具を取り出した。
フィーネは受け取った工具をあらゆる角度から眺めると、小さく頷いた。
「……すごい」
「えっと……そうですか?」
「うん。すごく面白い」
その言葉に、ノアは戸惑ったように瞬きをした。
「もっと大きいものも入るの?」
「入り口の大きさにもよりますけど……」
「入り口?」
「はい。今はこの鞄を入り口にしていますけど、収納口の大きさはある程度変えられます。大きな荷物を入れるときは、もっと広げることもできます」
「……なるほど。入り口を自由に設定できるんだ」
フィーネは顎に指を当て、何やら考え始めた。
一方、ミレイユはすでに別のことを考えていた。
「レオン! 木箱を持ってきて!」
「……何をするつもりだ」
「実験よ、実験!」
「嫌な予感しかしないんだが……」
そう言いながらも、レオンは馬車の奥から木箱を一つ運んできた。
ノアが頷くのを確認してから、鞄の口へ近づける。
箱の角が白い空間に触れた瞬間、木箱はするりと吸い込まれて消えた。
「……おお」
レオンが珍しく感嘆の声を漏らした。
「すごい! レオン、もう一個!」
「……おい」
「お願い!」
「……まったく」
結局、木箱だけでは終わらなかった。
香辛料、布地、食器、魔導具の部品。馬車に積み込んでいた商品が、次々とノアの鞄へ消えていく。
レオンが最後の箱を運び終える頃には、荷物で埋まっていた棚がすっかり空になっていた。
「……まだ入るの?」
ミレイユが尋ねる。
「はい。まだまだ大丈夫です」
「…………」
ミレイユは空になった棚を見た。
次に、ノアの鞄を見る。
そして、ゆっくりと息を吸った。
「……フィーネ」
「なあに?」
「これ、魔導馬車の空間拡張よりすごくない?」
「……容量だけなら、比べものにならない」
「そうよね!?」
「でも、馬車には馬車の役割がある。人が乗れるし、休めるし、結界も張れる」
「もちろん! フィーネの馬車も最高よ!」
ミレイユが即答すると、フィーネは嬉しそうに頬を緩めた。
「……えへへ」
「……お前たち、少しはノアにも説明してやれ」
レオンの言葉に、ノアは慌てて首を振った。
「い、いえ! 僕は大丈夫です!」
「そう? じゃあ、もう少し聞いてもいい?」
ミレイユは手帳を開いた。
「収納したものって、重さはどうなるの?」
「僕には何も感じません。どれだけ入れても、鞄が重くなることもないです」
「……ふむふむ」
「あと、生き物は収納できないみたいです。生きた魚や虫を入れようとしても、弾かれてしまうので」
「……じゃあ、植物は?」
「畑に生えているものは駄目でしたけど、収穫した野菜や薬草なら大丈夫です」
「……ふうん。面白い」
フィーネは顎に指を当て、何やら考え込み始めた。
「生きているかどうかだけじゃないんだ。収納できるものと、できないものの境界がある……」
「研究するのはいいけど、まずは商売に使わせてね!」
「……わかってる」
頷いたフィーネに笑いかけたミレイユだったが、そこでふと、先ほどのノアの言葉が気になった。
「……ねえ、ノアくん」
「はい?」
「収穫した野菜や薬草は収納できるのよね?」
「はい。もちろんです」
「じゃあ、それって収納している間に傷んだりするの?」
「え? いえ、しませんよ」
「……しない?」
「はい。収納している間は、時間が止まっているみたいなので」
魔石ペンが、ミレイユの指から滑り落ちた。
ころん、と小さな音を立てて床を転がる。
「……ミレイユ?」
レオンが声をかけた。
返事はない。
ミレイユはノアを見つめたまま、固まっていた。
「……時間が」
「は、はい?」
「止まる……?」
「……はい」
沈黙。
やがてミレイユは、両手で顔を覆った。
「……なんてこと」
「……あの、僕、何か変なことを……?」
「いや」
レオンは首を振った。
「お前は何も悪くない。いつものことだ」
その瞬間。
「あはははははっ!」
ミレイユが突然笑い出した。
「すごい! すごいわ、ノアくん!」
「ひゃっ!?」
「だって考えてもみて! つまり、獲れた魚をその場で締めて収納すれば、何日かけて運んでも獲れたてのままってことよ!?」
「……あ」
「焼きたてのパンも! 作りたてのお菓子も! 傷みやすい薬草だって運べる!」
ミレイユは興奮した様子で手帳を拾い上げた。
勢いよく文字を書き込み始める。
「しかも大量に運べる! 輸送費も減らせる! 保存のための魔導具もいらない!」
「……なるほど。確かに、物流の常識が変わるな」
レオンが感心したように頷いた。
「でしょう!?」
ミレイユはノアへ向き直る。
「ノアくん! あなた、絶対にうちの商会に必要よ!」
またしても両手を握りしめられ、ノアは目を白黒させた。
「え、えっと……!」
「あなたがいれば、ベルナール商会はもっと大きくなれるわ!」
「……僕が、ですか?」
「そうよ!」
そのとき、横から小さな手が伸びてきた。
「……ミレイユ」
「なあに、フィーネ?」
「ノアばっかりずるい」
「……え?」
「わたしも手、握ってほしい」
ミレイユは一瞬きょとんとしたあと、にっこり笑った。
「もちろんいいわよ!」
ノアの手を離し、フィーネの両手を握る。
「フィーネもいつもありがとう! 大好きよ!」
「……えへへ。わたしも」
フィーネは満足そうにミレイユへ抱きついた。
その様子を見て、ノアは思わず笑みをこぼす。
「……仲がいいんですね」
「……ああ」
レオンは疲れたように頷いた。
「まあ、悪い奴らじゃない」
「レオンも握ってほしい?」
「いらん」
「遠慮しなくてもいいのに!」
「遠慮じゃない!」
馬車の中に笑い声が広がった。
ノアはその輪の中で、少しだけ不思議な気持ちになっていた。
つい先ほどまで、自分は必要ないと言われていた。
それなのに、この人たちは自分の能力を知って、こんなにも喜んでいる。
まだ実感は湧かない。
けれど、胸の奥にあった冷たいものが、少しずつ溶けていくようだった。
◇
「……なるほど。確かに、とんでもない能力ね」
買い物から戻ってきたリリアーナは、ノアの話を聞き終えると感心したように頷いた。
改めてノアと挨拶を交わし、互いの事情を話してもよいと確認したうえで、これまでの経緯を説明したところだった。
「それにしても、よく勇者パーティーの方々も手放す気になったものだわ」
「本当よね! 私だったら絶対に手放さないわ!」
「……冒険者にとっては、戦闘能力が何より重要だと考えているんだろう」
レオンが腕を組んだ。
「だが、補給や装備の管理がなければ、どれだけ強くても長期間の遠征は難しい。あいつらはその重要さを理解していなかったんだろうな」
「もったいない話ねえ」
ミレイユはそう言いながら、手帳に新しい項目を書き加えていた。
リリアーナはその様子を眺め、ふと口を開く。
「……ところで、ミレイユ。一つ確認してもいいかしら?」
「なあに?」
「ノアの収納能力は、ノア本人がいなければ使えないのよね?」
「はい」
ノアが頷いた。
「僕が意識を失っている間も、取り出すことはできません」
「……ということは、ノアが別行動をしている間、商会は収納した商品を取り出せないわけね」
「……あっ」
ミレイユの手が止まった。
リリアーナは続ける。
「それに、どれほど大量に運べても、商品の管理は必要でしょう? どこに何があるのか、誰が把握するのか。ノア一人にすべてを任せるのは危険だと思うわ」
「……確かにな」
レオンも頷いた。
「護衛の問題もある。ノアが狙われるようなことになれば、商会の荷物すべてが危険にさらされる」
「うーん……」
ミレイユは腕を組んだ。
しばらく考え込んだあと、手帳に三つの項目を書き込む。
『ノアがいないと取り出せない』
『商品管理が必要』
『通常の倉庫・輸送業者との併用』
そして、顔を上げた。
「……じゃあ、使い分ければいいのよ」
「使い分ける?」
「そう! 普通の商品は今までどおり馬車や倉庫を使うの。ノアには、鮮度や品質が大切な商品を優先して運んでもらう」
ミレイユは手帳を掲げた。
「それなら、ノアの能力を一番価値の高いところで使えるでしょう?」
「……なるほど。付加価値の高い商品に絞るのね」
リリアーナは感心したように頷いた。
「それなら、通常の輸送と併用する意味もあるわね」
「でしょう!?」
「ただし、商品ごとの利益率はきちんと計算する必要があるわ。珍しいものを運べるからといって、必ず儲かるとは限らないもの」
「……うっ」
ミレイユが言葉に詰まった。
「……ミレイユ?」
「だ、大丈夫よ! ちゃんと計算するもの!」
「本当か?」
「レオンまで!」
そのやり取りを聞いていたフィーネが、そっと手を挙げた。
「……ねえ、ミレイユ」
「なあに?」
「ノアの能力、ちょっと研究してもいい?」
「研究?」
「うん。空間の中で時間が止まるなんて、普通の収納魔導具じゃありえないから」
フィーネはノアへ向き直った。
「……もちろん、嫌だったらしないよ?」
「い、いえ。僕でよければ……」
「……やった」
フィーネはぱっと顔を輝かせ、ミレイユへ抱きついた。
「ミレイユ! 新しい研究ができる!」
「よかったわね!」
「……ところで」
リリアーナが静かに口を開いた。
「研究費は、どこから出すつもりなのかしら?」
「…………」
「…………」
ミレイユとフィーネが同時に固まった。
しばらく顔を見合わせたあと、二人は小声で何やら相談を始める。
「……ねえ、フィーネ。そんなにかかる?」
「……たぶん、ちょっと」
「ちょっとって?」
「……魔石、十個くらい?」
「十個!?」
レオンは額に手を当てた。
「……まったく。頼もしい経理担当ができそうだな」
「まだ引き受けるとは言っていないわよ?」
リリアーナはそう返したが、その表情はどこか楽しそうだった。
◇
「……あの」
ひとしきり騒いだあと、ノアが小さく口を開いた。
「……僕、一つ聞いてもいいですか?」
「もちろん!」
ミレイユが顔を向ける。
ノアは膝の上で両手を握りしめていた。
「……どうして、そんなに僕のことを評価してくれるんですか?」
「……え?」
「前のパーティーでは、荷物を運ぶだけなら誰でもできるって言われていました。戦えない僕は、役立たずだって……」
言葉が途切れた。
ノアは俯いたまま、続ける。
「……だから、こんなふうに必要だって言ってもらえるのが、まだ信じられなくて」
ミレイユはしばらく黙っていた。
そして、ノアの向かいに腰を下ろす。
「……ねえ、ノアくん」
「……はい」
「前のパーティーでは、どんなものを運んでいたの?」
「……食料とか、薬とか、予備の武器とか……。あとは、倒した魔物の素材とかです」
「それって、全部大切なものよね?」
「……はい」
「食料がなかったら、冒険は続けられないでしょう?」
「……はい」
「薬がなかったら、怪我をしたときに困るわよね?」
「……はい」
「武器が壊れたとき、予備がなかったら?」
「……戦えなくなります」
ミレイユは頷いた。
「じゃあ、あなたはずっと、みんなの冒険を支えていたのよ」
ノアが顔を上げた。
「……え?」
「戦う人だけが偉いわけじゃないわ。荷物を運ぶ人がいなかったら、遠くまで冒険することだって難しいでしょう?」
ミレイユは続ける。
「商人だって同じよ。商品を作る人、運ぶ人、売る人。誰か一人が欠けたら、商売は成り立たないの」
「…………」
「だからね、ノアくん」
ミレイユは真っ直ぐに彼を見つめた。
「私は、あなたの能力にものすごい価値があると思ってるわ!」
「……価値」
「そうよ。だから、ちゃんとお給料を払って雇いたいの!」
ノアは唇を噛んだ。
これまで、どれだけ働いても褒められることはなかった。
荷物を運ぶのは当たり前。野営の準備をするのも当たり前。食事ができていて当然で、何か一つ失敗すれば怒鳴られた。
自分はそういう役割なのだと思っていた。
けれど、目の前の女性は違う。
自分がしてきた仕事を、必要なものだと言ってくれた。
「……本当に、僕でいいんですか?」
ようやく絞り出した声は、ひどく小さかった。
ミレイユは一瞬きょとんとしたあと、笑った。
「何言ってるの!」
そして、迷いなく答えた。
「あなたがいいの!」
「…………」
「ほかの誰かじゃなくて、ノアの力を借りたいの!」
その言葉を聞いた瞬間、ノアは俯いた。
肩が、小さく震え始める。
「……っ」
「えっ!? ちょっと、どうしたの!?」
ミレイユが慌てて身を乗り出した。
「ご、ごめんなさい! 私、何か変なこと言った!?」
「……違うんです」
ノアは袖で目元を拭った。
「……嬉しくて」
声が震えていた。
「……こんなふうに言ってもらったの、初めてで……」
ミレイユは一瞬言葉を失った。
それから、そっとノアの肩に手を置く。
「……そっか」
その声は、先ほどまでとは少し違っていた。
ノアが顔を上げると、レオンもリリアーナも、何も言わずに見守っていた。
フィーネはノアの隣へ移動すると、その頭をぽんぽんと撫でる。
「……大丈夫」
「……え?」
「ミレイユは、こういう人だから」
フィーネは小さく笑った。
「……必要な人を見つけるの、得意なの」
そして、少しだけ声を落とした。
「……わたしも、そうだったから」
ノアはフィーネを見た。
その言葉の意味を尋ねようとしたが、フィーネはそれ以上何も言わなかった。
ただ、嬉しそうに笑っていた。
◇
「それじゃあ、正式に雇用契約を結びましょう!」
ミレイユの提案で、一行は宿へ戻ることになった。
ところが、馬車を降りて歩き始めたところで、ノアが「あの」と声を上げた。
「どうしたの、ノアくん?」
「実は、前のパーティーの荷物をまだ預かったままで……。先に返しておきたいんですけど、いいでしょうか?」
「もちろん! それはちゃんと返しておかないとね」
ミレイユが快く頷くと、ノアはほっとした様子で頭を下げた。
「ありがとうございます。ギルドの倉庫に預ければ、あとで引き取ってもらえると思います」
「それなら、途中で寄っていきましょうか」
そうして一行は、冒険者ギルドに併設された倉庫へ立ち寄ることになった。
ノアが収納していた荷物を取り出し始めると、倉庫の職員は驚いた顔をした。次々と現れる木箱や袋が、みるみるうちに倉庫の一角を埋めていく。
「……ノアくん、まだあるの?」
ミレイユが尋ねると、ノアは申し訳なさそうに頷いた。
「はい。あと少しだけ……」
その言葉に、レオンは積み上がった荷物を見上げた。
「……あいつら、これをどうやって運ぶつもりなんだ?」
「さあ?」
ミレイユは首を傾げた。
「まあ、それはあの人たちが考えることでしょう?」
ノアがすべての荷物を出し終え、ギルドの職員に引き渡しを確認してもらったところで、一行はようやく宿へ向かった。
出発を一時的に延期し、宿の食堂へ戻ったミレイユは、早速書類を広げた。
ノアは椅子に座り、緊張した様子で背筋を伸ばしている。
「……契約、ですか?」
「もちろん! お仕事をお願いするんだから、条件はちゃんと決めないとね!」
ミレイユは契約書を一枚ずつ並べた。
「まずは月給銀貨十五枚。食費と宿泊費は商会で負担するわ。能力を使った特別な輸送には、別途手当をつける予定よ!」
「……ずいぶん手厚いな」
レオンが書類を覗き込んだ。
「だって、優秀な人材にはちゃんとお給料を払わなきゃ!」
「……まあ、そうだな」
「安く使い潰したら、逃げられちゃうでしょう?」
「……そういうところは、しっかりしているな」
「商人ですもの!」
ミレイユは得意げに笑った。
その隣で、リリアーナが契約書に目を通している。
「……労働条件も明記してあるのね」
「当然よ! 後から揉めたら困るもの」
「ふふ。思ったよりずっと堅実なのね」
「思ったより!?」
「褒めているのよ」
「本当かしら……」
そんなやり取りを聞きながら、ノアは契約書を見つめていた。
月給、食費、宿泊費、特別手当。
先ほどミレイユが説明した条件が、一つずつ丁寧に書き込まれている。
「……ここに、名前を書けばいいんですか?」
「そうよ。内容を確認して、問題がなければね」
ノアはもう一度、契約書に目を通した。
これまでは、仕事を与えられれば黙って従うだけだった。報酬が少なくても、文句を言える立場ではないと思っていた。
けれど、目の前の少女は違う。
自分の仕事に価値があると言い、その対価を払うと約束してくれている。
ノアはペンを取った。
少し震える手で、契約書の末尾に自分の名前を書き込む。
『ノア』
姓はない。
それでも、今の彼にとっては大切な名前だった。
「……書けました」
「うん!」
ミレイユは契約書を受け取り、署名を確かめた。
「これで契約成立! 今日からノアも、ベルナール商会の仲間よ!」
「……はい!」
ノアは顔を上げた。
「よろしくお願いします!」
今度の声は、先ほどよりもずっとはっきりしていた。
レオンも手を差し出す。
「よろしくな、ノア」
「はい!」
ノアは、その手をしっかりと握った。
その様子を見ていたフィーネが、嬉しそうに笑う。
「……仲間、増えたね」
「ええ!」
ミレイユは頷いた。
「これで、ベルナール商会もますます賑やかになるわ!」
リリアーナはそんな彼らを眺めながら、静かに微笑んだ。
「……本当に、賑やかな商会ね」
「でしょう?」
ミレイユは得意げに胸を張った。
「リリアーナも、ぜひ!」
「……ふふ。考えておくわ」
◇
「……それにしても、さっきの荷物はすごかったわね」
「ああ。あれだけの量を運んでいたとはな」
「あの……やっぱり、迷惑だったでしょうか?」
「どうして? ちゃんと返したんだから、何も問題ないわよ!」
「……でも、普通の馬車だと何十台も必要になるみたいで……」
「…………」
ミレイユとレオンは顔を見合わせた。
「……まあ、頑張ってもらいましょう!」
「……そうだな」
レオンも肩をすくめた。
ノアは二人を見比べる。
「……いいんでしょうか?」
「いいのよ!」
ミレイユは笑った。
「ちゃんと荷物を返したんでしょう? だったら、あとは向こうのお仕事よ!」
ノアは少しだけ安心したように頷いた。
「……はい!」
◇
一方、その頃。
宿場町の冒険者ギルドに隣接する倉庫では、赤髪の青年が頭を抱えていた。
「……ふざけるな!」
目の前には、山のように積まれた荷物がある。
武器に防具、食料と薬品。魔物の素材に、旅の途中で買い集めた道具。
倉庫の壁際から天井近くまで、大小さまざまな木箱や袋が積み上げられていた。
「……何なんだよ、この量は!」
仲間の一人が叫んだ。
「これ、本当に全部俺たちの荷物なのか!?」
「そうらしいわよ。ギルドの人たちが確認したんだから……」
「……あいつ、こんなに持ってたのか?」
赤髪の青年は額に手を当てた。
冒険者ギルドで新しい依頼を受けようとしたところ、ノアが預けた荷物が倉庫を圧迫していると苦情を受けたのだ。
慌てて引き取りに来たものの、あまりの量に言葉を失ってしまった。
「……馬車を借りるしかないだろ」
「何台必要なんだよ?」
「……二十台以上はいるってさ」
「二十!?」
仲間の一人が素っ頓狂な声を上げた。
「そんなに借りられるわけないだろ! 金がいくらかかると思ってるんだ!」
「じゃあどうするんだよ!」
「知らねえよ!」
赤髪の青年は舌打ちした。
今までは、ノアがすべて運んでいた。
どれだけ荷物が増えても、彼が鞄にしまえばそれで済んだ。
だから、何も考えずに買い込んでいたのだ。
安売りされていた食料も、いつか使うかもしれない装備も、売る機会を逃した魔物の素材も。
全部、ノアに預けておけばよかった。
「……食料はどうするのよ」
女の仲間が、木箱の一つを開けた。
中には、まだ新鮮な肉や野菜が詰まっている。
「……これ、今まではずっと傷まなかったのよね」
「……ああ」
「でも、もう普通に傷むんでしょう?」
「……そうだな」
「……じゃあ、早く食べるか、売るかしないと……」
「そんな大量に食えるか!」
赤髪の青年が怒鳴った。
仲間たちは顔を見合わせる。
「……今後は、携帯食料にするしかないな」
「ちょっと、そんなの嫌よ。あれ美味しくないのよ」
「じゃあ、どうやって運ぶんだよ!」
「そんなの知らないわよ!」
「いや、知らないじゃ済まないだろ!」
口論が始まった。
誰もが苛立っていた。
これまで当たり前だったことが、突然できなくなったのだ。
野営地に着けば食事が用意されている。
武器が壊れれば予備が出てくる。
必要な薬は、頼めばすぐに手渡される。
それが、どれほど便利なことだったのか。
今になって、ようやく思い知らされていた。
「……くそっ!」
赤髪の青年は拳を握りしめた。
「……あんな荷物持ち、いなくても平気なはずだったのに……!」
しかし、いくら怒鳴っても、目の前の荷物が減ることはなかった。
◇
「……さて!」
宿の食堂で、ミレイユは手帳を小気味よい音を立てて閉じた。
「ノアが仲間になったことだし、次の町へ向けて出発しましょう!」
「……ようやく出発か」
レオンが疲れたように息を吐いた。
「ええ! ノアの能力を活かせる商売も考えたいし、善は急げよ!」
「……僕の能力を、ですか?」
ノアが顔を上げる。
「もちろん!」
ミレイユは頷いた。
「新鮮な魚を遠くの町へ運ぶのもいいし、傷みやすい薬草を扱うのもいいわね! あとは季節限定のお菓子とか!」
「……お菓子?」
レオンが眉を寄せた。
「また商売が増えるのか」
「増えるわよ!」
ミレイユは当然のように答えた。
「だって、商機があるんだもの!」
ノアはそんなミレイユを見つめていた。
つい先ほどまで、自分は必要ないと言われていた。
荷物を持つことしかできない。
戦えない。
役に立たない。
そう言われ続けてきた。
けれど、今は違う。
目の前の少女は、自分の能力を使って何ができるのか、楽しそうに考えている。
その隣では、護衛の青年が呆れた顔をしながらも、彼女の話を聞いている。
銀髪の魔導技師は、新しい研究ができると喜んでいる。
そして、公爵令嬢は、そんな彼らを楽しそうに眺めていた。
ノアは小さく笑った。
ここでなら、自分は上手くやっていけるかもしれない。
「……僕も、頑張ります!」
ミレイユが振り返る。
「もちろん! 期待してるわよ、ノア!」
「はい!」
ノアは元気よく頷いた。
ミレイユは手帳に新しい項目を書き加えた。
『鮮度保持輸送』
その文字を見つめ、満足そうに頷く。
「……ふふっ」
レオンが眉を寄せた。
「……今度は何だ?」
「ううん、何でもないわ」
ミレイユは笑った。
そして、いつものように胸を張った。
「やっぱり、ざまぁあるところに商機あり! ね!」
レオンは深々とため息をついた。
「……まったく、お前というやつは」
ノアは二人のやり取りを見て笑った。
追放された元・勇者パーティーの荷物持ちの少年。
彼にはもう、帰る場所ができていた。




