第1話 婚約破棄は突然に。そして商機も突然に。
「――リリアーナ・フォン・エルムハルト! 貴様との婚約を、今この場をもって破棄する!」
華やかな音楽が途切れた。
王都アルフェリアの王宮、その大広間に集まった貴族たちの視線が、一斉に声の主へと向けられる。
声を上げたのは、この国の第二王子、アルベルト・フォン・アルフェリアだった。
金髪碧眼。絵画から抜け出したような美貌を持つ彼は、腕に一人の少女を抱き寄せながら、目の前の令嬢を睨みつけている。
「貴様がマリアに行ってきた数々の嫌がらせ、すべて調べはついている! もはや言い逃れはできんぞ!」
「……殿下。何のことでしょうか」
「しらばっくれるな! マリアの教科書を破り、階段から突き落とし、あまつさえ毒を盛ろうとしたそうではないか!」
周囲がざわめく。
王子の腕の中で、桃色の髪をした少女が小さく震えた。
「わ、私のために争わないでください……! リリアーナ様だって、きっと悪気があったわけじゃ……」
「マリア! 君はなんて優しいんだ!」
王子が少女を抱きしめる。その様子に令嬢は冷ややかな目を向け、呆れたような息を吐いた。
誰がどう見ても修羅場だ。
そんな大広間の片隅で、山盛りのローストビーフを皿に取り分けていた一人の女性が、ぴたりと手を止めた。
「……来た」
栗色の髪を後ろで一つに束ねた、二十歳そこそこの女性である。もぐもぐと口を動かしながら、お祭り騒ぎでも見るかのように目を輝かせている。
貴族たちが身につける豪奢なドレスとは違い、彼女の装いは控えめだった。装飾のない深緑色のロングドレスに、腰には小さな革のポーチを下げている。靴は動きやすさを重視した、上質な革のショートブーツだ。
彼女の名前は、ミレイユ・ベルナール。ベルナール商会の若き主であり、自ら各国を渡り歩く旅商人だ。
「ねえ、レオン。今の聞いた?」
「聞こえている。というか、この会場にいて聞こえない人間はいないだろう」
隣に立つ黒髪の青年が、うんざりとしたように答えた。
レオン・ヴァイス。元王国騎士団所属の剣士だが、現在はミレイユの護衛兼荷物持ち兼苦労人である。深い灰色の仕立てのよい上着に身を包み、ミレイユのそばであまり目立たないように気配を殺している。
「婚約破棄だって!」
「ああ」
「それも王族の!」
「ああ」
「しかも公爵令嬢相手!」
「ああ……、いや、お前、まさか」
ミレイユは皿に残った最後のローストビーフを口に放り込む。しっかりと咀嚼し、飲み込む。
そして、にんまりと笑った。
「――『ざまぁ』あるところに商機あり!」
「やめろ」
「まだ何も言ってないじゃない」
「言ってるだろ。それにろくなことを考えていないって顔をしてる」
不満げに唇を尖らせているミレイユを見下ろし、レオンは額を押さえた。
「いいか、ミレイユ。ここは王宮だ。相手は王族と公爵家だぞ。下手に首を突っ込めば、商売持ちかけるどころか首が飛ぶ」
「大丈夫よ。私、首が飛ぶような真似はしない主義だから」
「本当か?」
「首が飛んだら帳簿がつけられないもの」
「そういう意味じゃない」
ミレイユは彼の忠告を聞き流し、再び大広間へと目を向けた。
断罪劇は、いよいよ佳境に入っている。
「貴様のような悪女を王家に迎えることなどできん! エルムハルト公爵家には正式に抗議し、相応の処罰を求める!」
令嬢、リリアーナはしばらく王子と、その腕に抱かれた少女を見つめる。
やがてドレスの裾をつまみ、静かに頭を下げた。
「……承知いたしました」
その姿に、ミレイユは目を細める。ふむ、と観察するように声をもらす。
「ねえ、レオン」
「何だ?」
「あの令嬢、泣かないし、怒りもしないわね。言い訳もなし」
「……そのようだな。むしろ、安心してるようにも見える」
その言葉に、ミレイユは頷いた。
リリアーナは終始落ち着いているのだ。この展開も予想していたのだろうか。
「それに、王子様の言い分も変よ。婚約破棄って、王族同士の取り決めに近いものでしょう? こんな大勢の前で勝手に決めていい話じゃないわ」
「普通はな」
「つまり、あの王子様、相当な馬鹿か……」
「おい」
「相当な事情を抱えているか、ね」
レオンは何も言わずに、ミレイユの手にある空の皿を受け取った。
「さて」
ミレイユは開いた手を腰のポーチへと差し込む。
中から取り出したのは、小さな手帳と、インク不要の魔石ペン。
「まず、婚約破棄によって発生する損失を考えましょう」
「……始まった」
レオンはやれやれと肩を落とした。
「王家と公爵家の婚姻なら、婚礼衣装、宝飾品、式場装飾、引き出物、祝宴用の食材、馬車の手配。全部もう発注済みのはずよね」
「まあ、そうだろうな」
「それが突然キャンセルになったら?」
「……大量の在庫が出るな」
「そう!」
ミレイユは嬉しそうに手帳を叩いた。
「特に婚礼用の絹や宝石なんて、買い手が限られるでしょう? でも、仕入れ値を下げてもらえれば、別の国で売れるわ。隣国じゃ来月、建国祭があるもの!」
「お前、よく覚えているな」
「お金の匂いがする情報は忘れないの」
「……そうか」
「それから、婚約破棄で一番困るのは誰だと思う?」
「あそこにいる公爵令嬢だろう」
「もちろん。でも、その次は?」
「次?」
「結婚式のために準備していた商人たちよ。王家からの注文なんて断れないし、特注品も多いはず。もし代金を払ってもらえなかったら、小さな工房なんて潰れちゃう」
ミレイユは手帳に何かを書き込んだ。
「だったら、その商品を買い取ってあげればいい。工房は損失を減らせる。私は安く仕入れられる。隣国のお客さんは良い品を手頃に買える」
「……なるほど」
「ね? 三方良し!」
彼女は胸を張った。
レオンはしばらく考え込み、やがて諦めたように息を吐いた。
「確かに、お前が言うように商売としては成立するかもしれないな」
「でしょ?」
「だが、肝心の王家が注文を取り消すとは限らない。そもそも、こんな身勝手な宣言で本当に婚約破棄になるのか――」
「うん。だから、まずは確認しなきゃね」
「確認って、お前、誰に」
ミレイユは、にっこりと笑い、ステップを踏むようにレオンの前へと進む。
「もちろん、当事者に!」
「ばか、待て」
レオンは手を伸ばしたが、予想していたミレイユは簡単に逃れて人垣へとからだを滑り込ませる。
するすると人々の合間を抜け、騒動の中心へと向かっていく。
野次馬たちの先頭へとたどり着いたちょうどそのとき、王子が高らかに宣言した。
「リリアーナ! 貴様には王都からの追放を命じる! 二度と私の前に姿を見せるな!」
広間に沈黙が落ちた。
公爵令嬢が、ゆっくりと顔を上げる。
「……王都からの追放、ですか」
「そうだ!」
「それは、国王陛下のご裁可をいただいたものでしょうか」
「私の決定は父上の決定も同然だ!」
その言葉に、周囲の貴族たちが顔を見合わせた。苦いものを口にしたような表情を見て、ミレイユはどうやらそういうものではないらしいと察した。
リリアーナは何かを言いかけたが、結局口を閉じた。言い争うのも面倒なのかもしれない。
「……承知いたしました。では、失礼いたします」
彼女は優雅に一礼すると、踵を返した。
そのときだった。
「あのっ!」
場違いなほど明るい声が響いた。
リリアーナは足を止める。周りの貴族たちは、一人の女性に視線を向けていた。
周囲の視線を一身に受けてその場に立っていたのは、満面の笑みを浮かべたミレイユだった。
「リリアーナ様! 少々お時間をよろしいでしょうか?」
「……あなたは?」
「ベルナール商会のミレイユと申します」
ミレイユはリリアーナの前へと歩み、深々と頭を下げた。
そして、顔を上げるなり言い放った。
「突然ですが、王都から追放されるのでしたら、ぜひ当商会の馬車をご利用になりませんか!」
「…………」
「…………」
こうして広間が静まり返るのは何度目だろうか。
不愉快そうにミレイユを見ていた王子はぽかんと口を開け、腕に抱かれた少女も訳がわからないとばかりに瞬きを繰り返している。
少し離れた場所にいるレオンが「この馬鹿……」と悪態をついているのが聞こえたが彼女は無視した。
この商談はきっとうまくいく。ミレイユはそんな確信があった。なぜなら、驚いているリリアーナは、先ほどの全てを傍観するかのような遠くを見るような眼差しではなく、しっかりとミレイユを見ているからだ。
「……馬車?」
「はい! 長距離移動に最適な魔導馬車でございます! 防寒、防音、魔物避けの結界付き! ベルナール商会にお任せいただければ、最高に乗り心地のよい馬車を破格のお値段でご用意できます!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
「はい!」
「あなた、今の話を聞いていたの?」
「ええ、もちろんです! 王都から追放されるんですよね?」
「え、ええ……」
「でしたら、移動手段が必要でしょう?」
「……それは、そうだけれど」
「お任せください! 当商会は、お客様の新たな門出を全力で応援いたします!」
リリアーナは口元に手を当て、ミレイユを見つめている。
どう答えるのか、周囲はリリアーナの返答に興味を示していた。しかし、その前に王子の怒声が飛ぶのが早かった。
「貴様! 何者だ! 今がどういう状況かわかっているのか!」
「はい! 婚約破棄に伴う国外……いえ、王都からの追放が決まったところかと!」
「ならばなぜ商売の話をしている!」
ミレイユは王子の怒りに晒されながらも、不思議そうに首を傾げた。
「ええ? だって、お困りになるでしょう?」
「なっ……!」
「リリアーナ様はこれから王都を出られるんですよね。突然とはいえ、お荷物もあるでしょうし、宿泊先も必要になるでしょう。旅先で身分を証明する書類だって用意しなきゃいけないし。そんな雑事もろもろ含めて、そういうときにお手伝いするのが、私たち商人のお仕事ですから」
ミレイユは指折り数え、最後に笑顔を浮かべて手を叩く。
「それに、せっかくの新生活ですもの。まずは新しい一歩となる旅を快適なものにしていただきたいじゃありませんか!」
「き、貴様……ッ」
王子は怒りに満ちた表情のまま一歩踏み出し、ミレイユへと手を伸ばす。
その瞬間、黒い影がミレイユの前に滑り込む。
「失礼いたします、殿下」
レオンだった。彼は片膝をつき、騎士らしい礼を取った。
「当商会の者がご無礼をいたしました。ですが、殿下のご命令に従うための移動手段をご提案しただけでございます」
「……何?」
「王都からの追放をお命じになった以上、速やかにご出立いただくことが殿下のご意向に沿うものかと」
王子は言葉に詰まった。確かに、ミレイユの提案は王子の命令に沿うものではあるのだ。
ミレイユはこっそりと親指を立ててウインクして見せるが、レオンはちらりと横目で見て小さく首を振っている。余計なことをするな、と訴えかけているようだが、もちろんミレイユは気にしない。
「それで、リリアーナ様!」
「……ええ」
「いかがでしょう? 当商会の馬車!」
リリアーナはミレイユへと再び視線を向ける。
しばらく黙っていたが、小さく肩が震えだす。
「……ふふっ」
手で隠していた口元から、笑い声が漏れた。
「ふふ、……あははっ!」
広間の視線が再びリリアーナに集まった。
先ほどまで婚約破棄を言い渡されていた公爵令嬢が、肩を震わせて笑っていたのだ。
「お、おかしい……! こんなときに、馬車の売り込みだなんて……!」
「お気に召しませんでした?」
「いいえ! とっても素敵な提案だわ!」
リリアーナは目尻に浮かんだ涙を指先で拭った。
それは、婚約破棄を告げられてから初めて見せた、年相応の笑顔だった。
「そうね。どうせ王都を出るのなら、快適な旅がしたいもの」
「はい! お任せください!」
「殿下! そういうわけですので、私は明日にでも、ベルナール商会様の素晴らしい魔導馬車で”速やかに”王都を去りますわ。……ああ、ミレイユ様、公爵家が注文していた婚礼衣装や調度品の『キャンセル手続き』もこれから大変ですの。そちらの雑事も諸々、ご相談に乗っていただけるかしら?」
「もちろんです! 安心してベルナール商会にお任せください!」
にこやかなミレイユとリリアーナが歩き出すと、貴族たちは割れるようにして道を開ける。
「それでは皆さま、ごきげんよう」
広間の扉の前で、リリアーナはそれはそれは優雅な礼をしてその場を去った。
◇
エルムハルト公爵家へと向かうために、ミレイユたちはリリアーナと共に公爵家の馬車に乗っていた。
これから商談に入るのだとミレイユはずっと浮足立っている。
「あっ、リリアーナ様、よければこちらの契約書にご署名を! 料金は移動距離によって変動しますが、今回は特別に――」
「ミレイユ。その前に、目的地を決めたほうがいいんじゃないか。まさか公爵令嬢をお前の気ままな旅に付き合わせるわけにもいかないだろ」
「それもそっか。リリアーナ様、どこかへ向かわれるご予定はありますか? それともご家族と相談しますか?」
「実は近いうちこうなるのではないかと思って、すでに相談はしてあるの。母方の叔母が隣国にいるから、しばらくはそちらに身を寄せようかと」
「隣国って……、グレンツェシアですか!?」
ミレイユの目が輝いた。リリアーナはその様子に瞬きをし、頷いた。
「来月、建国祭がありますよね!」
「そうね」
「それに、王都では新しい商業区画の開発が進んでるとか!」
「ええ、よくご存知ね。叔母がその事業に関わっているわ」
「……えっ?」
ミレイユは固まり、リリアーナを見つめる。
「今、何と?」
「叔母が開発事業に関わっている、と。興味があるのね?」
「大アリですっ!」
大きく頷き、ミレイユは噛み締めるように目を閉じ、天を仰ぐ。
「…………」
沈黙。
そして。
「聞いて、レオン」
「……なんだ」
「私、運命ってものを信じることにしたわ」
「随分都合がよく、突然やってくる運命だな」
レオンの呆れた声は無視して、ミレイユはリリアーナの手を両手でしっかりと握りしめた。
「リリアーナ様……!」
「はい」
「グレンツェシアまで、責任を持ってお送りいたします!」
「ええ、よろしくお願いするわ。そして、ちゃんと叔母に紹介するわね。ただ、その先のことまでは、私にも約束できないのだけれど……」
「ありがとうございます! もちろん! 商売の機会は自分の手でつかみ取ってみせますから!」
その言葉にリリアーナは目を丸くし、そして、また笑った。
「あなた、本当に商売が好きなのね」
「大好きです!」
ミレイユは満面の笑みを浮かべた。
その様子を隣で眺めながら、レオンはぼそりと呟く。
「……まだ契約書に署名もしてもらっていないぞ」
「あっ、そうだった! 先ほどのお話の続きなんですけど……っ」
慌てて契約書を差し出すミレイユに、リリアーナはとうとう声を上げて笑った。
こうして、ベルナール商会は一人の公爵令嬢を顧客として迎えることになった。
王族との婚約を破棄され、王都から追放を命じられた令嬢。
これが、小さな商会が世界へと大きく羽ばたくための、重要な一歩になるということを、ミレイユはまだ知らなかった。
ただ一つ、確信していることがある。
それは――。
「ふふふ……。婚礼用品の在庫も、忘れず確認しなくちゃね……!」
「……お前、本当に懲りないな」
「当然よ、レオン!」
ミレイユは得意げに人差し指を立てた。
「だって――」
「『ざまぁ』あるところに商機あり!」
夜の王都に、商人の明るい声が響き渡った。




