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春の風

 開け放した窓から入る風に、甘い花のような匂いが混ざっている。すっかり気候も春めいてきていた。


「萩本さん、これ教えてもらってもいいですか? ちょっとわからなくて」

「ああ、それは……」


 和季もいつの間にか人に業務を教える立場になっていた。


「萩本さんがいなくなると、困りますよー。この仕事のこと、何でも知ってるんだから」

「そんなことないよ。僕がいなくなった後は、よろしく頼むね」

「えー」

「大丈夫。もうすぐ二年目になるんだから、自信を持ってやればいいよ」


 話しているのは今年度に入ってきた新人だ。

 生き返り課の部屋の中に、和季がこの仕事に就いたときと同じ顔触れはない。この年度末に和季も異動が決まっている。

 思い返してみれば、白瀬と一緒に仕事をしたのはほんの数ヶ月だった。それなのに、こんなにも彼女を待ち続けることになるとは思ってもいなかった。

 生き返りたちと接している限り、白瀬の存在は和季を支え続けて、そして同時に縛り続けてきた。

 和季の想いはあの日、完全な一方通行になった。

 白瀬の記憶はあまりに鮮烈だった。

 手を伸ばそうとした途端、ぶつりと途切れた糸。それを、和季は今も必死でたぐり寄せようとしている。

 人から見れば、和季の恋は滑稽に見えるかもしれない。

 あの日、彼女に何事もなければ二人の関係はどうなっていたのだろう。そんなことはわからない。

 すでに和季は振られて、もしくは白瀬のことは高嶺の花だと諦めて、別の恋をしていたかもしれない。

 あの日が平穏に過ぎていたら。

 全ては仮定でしか無い。

 確かなのは、今でも和季は白瀬のことを忘れられないということ、想い続けているということだ。

 白瀬のことを知る人も、今ここにはいない。彼女のことを思い出しているのではないかと心配してくれる人も、ここにはいない。

 事故に遭った職員がいると知ってはいても、人としての白瀬を彼らは知らない。

 白瀬のことを知る松下、霧島、そしてひよりの存在は、いなくなってみれば有り難いものだった。少なくとも、同じ思いを共有することは出来ていた気がする。それが、和季のような重い感情ではなかったとしても、だ。

 実際、ばったり会うときにはいつも心配そうに何かしら声を掛けてくれる。

だが、それは同時に辛いことでもあった。みんな前に進んでいる。霧島もひよりも、以前と同じではない。人と人との関係も時間と共に変わっていく。

 和季には、この先の景色が見えない。

 この場所で、彼女を待つことが出来なくなることが辛い。彼女と過ごした場所が変わってしまうことが、辛い。

 和季は机の引き出しを開ける。異動が決まってから少しずつ片付けているので、もうあまり物は入っていない。

 まだどうしても使うものに混じって、一つだけ毛色の違うものがある。

 白瀬に渡すつもりだった、あのマグネットだ。今でも白瀬が目覚めたら渡す為に、ずっと取ってある。

 四年近くが経った今でも、白瀬はこのキャラクターを好きなままだろうか。

 眠っているようなものだから、目覚めたとき白瀬にとってその日は、事故に遭った日の続きなのだろうか。

 わからない。

 和季はマグネットを手にとって鞄の中に入れる。


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