二人目の番人
「本当にすまんかった……!この通りだ、許してほしい!」
京の話を聞き終えた、黒衣の坊主――嵯峨野善十郎は、声を大にしながら、地面を覆う青いタイルに自らの禿頭をこすりつけた。
潔いまでの土下座に、思わず京のほうが引いてしまう。いつまで経っても頭を上げようとはしない坊主に向かって、少年は言葉を投げかけた。
「そんなに気にしなくていいですよ。……それより、俺の話を信じてくれたことに驚きです」
「ふむ、『もっともらしい』と思ったのだ。おぬしの行動は、まさに沙耶から聞いていた弟そのものだったからな。――とはいえ、さすがにワシも沙耶も、おぬしが『冥府』に来ることは予想できなかったが」
頭をゆっくりと上げながら、坊主は告げる。
「……ワシはもう一年半もの間、ここの番人をしていてな。ある日、突然この塔にやってきたのが沙耶だった」
各々の十六能力が消え、再びの暗闇が空間を支配する中、嵯峨野 善十郎はぽつりと昔の話を語りはじめた。
「彼女はなんと、この世界に来てから半年で8000ポイントを貯めたというのだ。それほどまでの早さでポイントを集めた人間など見たことがなかったから、ワシは驚愕したよ。……そのまま何も言うことができないまま、ワシは塔に彼女を入れた」
「ふうん、それが二人の出会いってわけやねえ」
「う、うるさい!その話はもういいだろう!」
坊主の言葉に、再び車椅子に座りなおした八千代が茶々を入れる。彼女の能力は、「大太郎法師」が姿を消した時点で「執着」の対象を失い、ふたたび八千代の胸にペンダントの形として収束した。「片っぽは全壊、もう片っぽもちょっと壊れてもうたから、しばらくは使えへんなあ」とは彼女の談である。
「……とにかく、彼女は規格外の強さだったのだ。後から聞いた話だと、いち早く生き返って弟に会うために、彼女はポイントを稼いだのだという――」
「あの、嵯峨野……さん」
そこで坊主の話を遮って、京は彼の名を呼ぶ。
「詳しい話は後にしてもらって……今すぐ、俺をこの塔の中に入れてもらうことはできませんか?姉ちゃんが昏睡状態だって、俺はある人から聞いたんです」
「む……それは誰から聞いたのだ?」
質問を質問で返され、少し面食らいながらも――京は、石田刹那の名前を口にした。彼のことは、塔の番人であるこの坊主も知っているはずだ。
嵯峨野 善十郎は、その名前にさほど大きな反応は返さなかったものの……ゆっくりと、静かに口を開いた。
「ふむ、あの刀使いの青年か。覚えているぞ。確か、彼もまた塔の頂上に辿りついた者のひとりだな。そこで沙耶を見たのだろう。……結局、彼はワシらの仲間にはならんかったが」
どこか含みを持たせた坊主の物言いに、京はじれったそうに彼を睨んだ。その視線を受けて、「わかった、わかった」というように手を動かしながら、彼は核心へ向けて語りはじめる。
「……そうだな、どうしてもというなら、おぬしをこの中に入れてやらんこともない。だが、ワシの十六能力はそこの婦人に破壊されたし、彼女もまた同様だ。おぬしが他人の協力なしで正気を保ったまま沙耶のところまで行くことは難しいだろう。それに、沙耶に会ったとしても、おぬしが彼女にできることは何もない。彼女は確かに昏睡状態に陥ってはいるが、それは厳密に言うと――――」
「そこまでですよ、善十郎」
その時。
なんの前触れもなく。
向かい合って立つ京と坊主の間に、ひとつの人影が現れた。
「え……?」
あまりにも、突然。気配も足音もなく、最初からそこにいたかのように、その人物は京のほうを向いて立っている。全身を白いマントで覆い、その顔すらもフードで隠しているその人物は、自身の背中側にいる黒衣の坊主を諌めるように口を開く。
「あなたの良いところは、人に優しいところですが……あなたの悪いところは、人に甘いところです。『番人』である以上、特例は認めてはいけません。――それがたとえ、沙耶の弟であっても」
声や背丈からするに、この人物が女性であることだけはかろうじて理解できる。だが、その人物の声や身に纏う雰囲気からは、人間味がまったく感じられない。無機質な物体のように、あるいは死体のように、ただそこにいるだけの存在。そんなものから人間の言葉が発せられていることが不思議に思えるほど、その人物は無感情にそう告げた。
「だ……だが!会うだけならば良いだろう!沙耶は、あれほど弟に会いたがっていたではないか!」
黒衣の坊主が、言葉につまりながらも反論する。しかし、その言葉は白いマントの人物には届かない。
「確かに……情を優先すれば、この子を沙耶に会わせてあげるべきかもしれませんね。ですが、私たちがどうしてこの塔を守っているかを考えれば、答えは出るはずです。8000ポイントを持たない者は、この塔に入るべきではない」
表面上は穏やかな口調で、しかしその実はどこまでも冷徹な響きをこめて、謎の人物は坊主に告げた。嵯峨野善十郎はもう一度何かを言おうと口を開くが、そこで思いとどまったように押し黙る。彼の表情からは、諦めの様子が見てとれた。
「それでいいのです」
自分からは背後に立つ坊主の顔は見えていないはずなのに、白い人物は満足そうに呟く。そして、同じくどこまでも無機質な声色で、今度は京に語りかけた。
「京くん。沙耶から話は聞いています。そして、なぜあなたが今ここにいるのかも、先ほどこっそりと盗み聞きをさせてもらいました」
その人物を前にして、京はどういった表情を作ればいいかが分からなかった。
受容でもない。拒絶でもない。
まるでこの冷たい「冥府」そのものが人の形を成して自分の前に立っているかのような感覚。かろうじて形容するとすれば、それ以外の言葉は思いつかなかった。
「あなたは……誰ですか」
それは、至極まっとうな質問だった。謎の人物に、その正体を尋ねる。なにもおかしいところはない。
――だが、少年はその問いを発するために、あるいは能力を使いつづけるよりも莫大な労力を必要とした。彼の額には脂汗がにじみ、鼓動はしだいに早くなる。
「そうですね。……私は、名乗るほどの者でもありませんよ。ただ、沙耶の親友、とでも言っておきましょうか」
少年の予想通り、具体的な返答は返ってこなかった。ただ、なにもない広大な空間で叫んだ声が自分のところに跳ね返ってきただけのような、そんな感覚を覚える。
その人物には、得体の知れないような不気味さだとか、少年に対する敵対心だとかは微塵も感じられなかった。ロボットよりも無感情に、石ころよりも無機質に――ただ、人間に理解できる音を発する存在。
と、その時、それまで黙っていた八千代が口を開いた。
「なんやなんや、姉弟の感動の再会に、とんだお邪魔虫が出てきたみたいやねえ」
その、高ぶる感情に満ち溢れた声色に対して、京は一種の安心感を覚えた。良かった。ちゃんとした人間の声が聞けた――と。
「坊さんはちびらせられても、うちはそうはいかんで。なんやったら、今ここでやるか?」
「ちびらせたわけではないんですが……いいでしょう。あなたのお好きにどうぞ」
白いマントで身を隠したその人物が、何一つ声色を変えずに、無感情でそう告げた瞬間――八千代は車椅子を操り、恐るべき速さでその人物へと突進を始めた。
もともと、両者の間には3メートルほどしか距離はなかった。弾丸のような勢いで進む八千代は、一秒と経たずに、白い人物のところにたどり着き、右手で手刀をくりだす――――
はずだった。
「なっ……!?」
京がその次に認識したのは、右手を振り上げたまま固まる八千代の姿だった。彼女は、白いマントの人物に手刀を振り下ろす一歩手前で、突然その動きを止めたのだ。
だが、それは八千代が攻撃をためらったわけではない。見えない何かに拘束されるように、その動きを封じられた。……少なくとも、京に理解できたのはそこまでだった。
謎の人物が十六能力を使ったのかは、京にはわからない。白いマントに覆い隠された「彼女」の腕が動き、「輝石」を握りつぶしたかどうかは、外側からでは判断できないからだ。
「なんやねん、これ……!」
京にも聞こえるほどの大きさで歯ぎしりをしながら、八千代がその呪縛から脱しようともがく。だが、彼女の体はかすかに動くのみで、その拘束から抜け出せる気配はない。その様子を見て、あくまでも無感情に、マントの人物は告げた。
「まあ、なかなか規格外の腕力ですね。この技を受けて、かすかにでも動けるとは。あなたの持っているポイントがいかほどかはわかりませんが、少なくともこの塔に入れる人間と同等の強さがあるとお見受けします。……それでも、私には敵いませんが」
黒衣の坊主との戦いにおいてあれほどの強さを誇っていた八千代が、この白いマントの人物には手も足も出ない。京はその事実を受け入れられないまま、ただ、呆然とその状況を見送っていた。
自分は、今、なにをするべきか。京の胸に渦巻くのは、そんな問いかけ。確かに、この人物は沙耶のもとへ行くための障害として立ちはだかっているが――「彼女」は京を妨害しようとしているというよりは、ただ、そこに立っているだけの無機物のように思えた。受容も拒絶も、この人物には意味を成さない。あるいは、石田刹那のように飄々とした中にも殺意が隠されていたり、黒衣の坊主のように溢れ出んばかりの憤怒が感じられたりすれば、対処に迷うことなどなかったかもしれないが――
と、そこで再び白いマントの人物が口を開いた。
「私はべつに、あなたたちの敵ではありません。この塔に、弱き者を入れないようにしているだけで――その基準が、8000ポイントなのです。ですから、あなたたちも、それだけのポイントを集めてから来れば、この塔に入れてさしあげます。善十郎の十六能力も、壊れてしまったようですし――ちょうどいいですね、これからは私が『番人』をします」
その言葉に、黒衣の坊主はうなだれるようにしていた顔をあげ、「彼女」を見る。なにかを言いたげに口を開くが、またしてもそれが言葉となる前に彼は身を引いた。
「善十郎、あなたは能力が修復されるまで、塔の中にいなさい。これは命令です。……ここまで別の誰かを呼んでくるから、その人と一緒に塔を登るように。――いいですね」
有無を言わせない口調に、黒衣の坊主はゆっくりと頷く。そのまま彼は目を閉じて、なにかを考え込むように黙ってしまった。
そして、白いマントの人物は、なおも呪縛から抜け出そうともがく八千代と、呆然と立ち尽くす京を見据えて、まるで石ころが声を発したかのように無機質で無感情に、その言葉を投げかけた。
「次にこの塔に来る時は、必ず規定のポイントを貯めてから来てくださいね。――そうしなければ、私はあなたたちを殺さなければいけなくなる」
*
「あーむかつく!十六能力が治ったら、真っ先にあいつをぶっ倒しに行ったんねん……!」
「蒼魔の塔」からの帰路、八千代は地団駄をふむように体を揺らしながら、両手を上にあげて怒りをあらわにした。車椅子を押す京は、冷や汗をかきながらその様子を見守る。
「八千代さん、それは遠慮しといてください……」
彼女に振り回されるガイは、いつもこんな気持ちなのかな……と、いらぬ思考を巡らせながらも、続けて真剣に言葉を紡ぐ。
「あいつとまともに戦えば¬¬――たぶん、俺たちは簡単に死にます。だから、今は戦うべきじゃない。……もちろん、俺が姉ちゃんに会うために超えるべき障害ではあると思いますが――俺は、戦う気すら起こらなかった」
それはまるで、自然災害を相手にしたような感覚だった。立ち向かうとか、乗り越えるとか、そんな次元ではなく――相手にすること自体が間違っているかのような、超越的な存在。
あれが、自分と同じ人間であるとは、京には到底思えなかった。
歩を進めながら、少年は遠ざかっていく蒼い巨塔を振り返る。
「蒼魔の塔」。あそこが一体どんな場所で、その中に何があるのかは、ついに分からなかった。坊主の代わりに謎のマントの人物が「番人」になってしまった以上、あそこに入るのはより困難になってしまったといっても過言ではない。
だが、あの中に沙耶がいることは、これで疑いようもなくなった。あの天に向かってそびえ立つ巨塔が、京の目的地であることに変わりはない。
「――八千代さん」
だから、少年は、自分自身の決意を形にするように、車椅子に座る女性へと語りかける。
「俺……強くなります。さっきは、なにもできなかったけど……あの白いヤツとか、『巨臣級』に負けないくらい強くなって――姉ちゃんのところまで、必ず辿り着いてみせます。……それが俺の、生きる理由だ」
夜空に光る星に向けて、嵐山 京という少年は、強く、強くそう誓った。
その言葉に、車椅子に座る八千代は薄く笑って、見上げるようにして京の目を見据える。
「はは、気張りいな、京くん。うちも出直すことにするわ」
道は険しい。だが、諦めずに進んでいれば、きっと辿り着ける。
彼らが戦い続けるのは――きっと、いつか来る分岐点のために。




