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我輩さまと私  作者: 雪之
日常
50/50

離れた時間の埋め方

 咲ちゃんが帰ったあと、我輩さまはじっと扉を見ながら腕組みをしている。

 明らかに不機嫌な様子に、つい下から顔を覗き込んでしまった。

 ローブを着ていないから顔は隠れていなくて、寄った眉と引き結んだ口元がよく分かる。


「我輩さま?」


 呼びかけると、我輩さまは私の手を引いて元の椅子に乱暴に座った。

 真横に立った私に目を向けることなく、我輩さまは私の手だけを大事そうに包み込む。

 どうにか何事もなく始まれたはずなのに。我輩さまが何を考えているのか分からない。


「咲ちゃんに、何かありましたか?」


 聞いてみても、我輩さまは返事をしてくれない。

 なのに私の手を離すことはなく、指を絡め合わせた。


「咲ちゃんを紹介してくれたの、我輩さまですよ」


「……それとこれとは別だ」


 ようやくの返事に少しだけほっとする。

 せっかくうまくやっていけそうな後輩に対し、よくない考えを抱いているなら今のうちに知りたいから。

 率直に聞いても教えてくれなさそうだから、気になっていたことから聞いてみることにした。


「咲ちゃんはどうして、私の補助役になってくれたんでしょうか」


 これは、忙しさにかまけて聞けていなかったことだった。

 正直、私と咲ちゃんに面識はない。咲ちゃんが入学した年は、私は学園に居なかったからだ。

 だとしたら、兄である草薙さんの勧め? それにしたって、少し強引のような気もする。


「彼奴からの希望らしい。始業式でお前を見て、補助役になろうと思ったのだと」


「始業式、ですか……?」


「そう思ってしまうくらいに、壇上のお前は魅力があったのであろうな」


「いえ、それはないです」


 あの準備も何もなかった場面を見て、そう思えることはないだろう。

 むしろ、恥ずかしい意味で賑やかにさせてしまったくらいだ。

 あの時のことを思い出すと、今でもなんだかこそばゆい気持ちになってしまう。


「……みんな、我輩さまの卒業式のことを覚えてたみたいですよ」


「それは良いことだ。悪い虫が付き辛くなる」


「そんなの付きません」


「現に付いているではないか」


「まさか、咲ちゃんのことを言ってるんですか?」


 そんなはずはないと思っての質問に、我輩さまの眉がぴくりと動いた。

 後輩の女生徒に対して、そんなことを考えていただなんて。

 相変わらず私の想像を超える発想に、思わずため息が出てしまった。


「縁があるなら都合が良いと思ったが、あやつの真意を追求するべきであったな」


「真意なんてないですよ、きっと」


 さも重大なことのように考え込む我輩さまに、分かりきった答えを投げかける。

 補助役になる理由なんて、草薙さんから話があったのかもしれないし、学園側の評価を思ってのことかもしれない。

 私が補助役になる時だって、我輩さまはそんなことを言っていた。

 だから、咲ちゃんには我輩さまが疑うようなことなんてないだろう。


「それでもだ」


 座ったまま私を見上げる我輩さまは、明るい照明の下でも美人だ。

 そんな人が、まるで拗ねているかのように、繋いだ手を引っ張った。


「我輩の知らぬ場所で、我輩以外の人間と共に居るなど……その相手を、心底呪いたくなる」


「やめてください」


 そんなことを思われたら、この学園に居る全員が対象になってしまうだろう。

 本心からの言葉ではないんだろうけど、我輩さまが言うと冗談に聞こえないところがある。


「私は普通に過ごして、問題なく卒業したいんです。じゃないと……申し訳ないので」


 私はすでに黒峰家に属している。

 つまり、未成年である私の保護者は当主ということになる。

 黒峰家の嫁に相応しくあるように。

 その言葉には、しっかり応えていきたいから。

 繋いだ手に力を入れると、我輩さまは小さなため息を漏らした。


「お前の周囲に蔓延る存在を、認めてやるのも夫の度量というものか」


 明らかに不満そうだけど、そう言ってくれるのならありがたい。

 その言葉をしっかりと肯定しようと口を開こうとしたら、我輩さまは言葉を続けた。


「たとえ離れていようとも、お前の隣に居るのは我輩なのだからな」


 再会からまだ少ししか経ってないとはいえ、その中で私たちが一緒に居られた時間は短い。

 距離だけを考えてしまえば、我輩さまより近くに居た人は両手を超える数だろう。

 でも、だからといってそれがそのままの意味だとは思いたくなかった。


「そんなの、ずっと前からそうですよ」


 私が一年生の間も、会えなかった間も。私の隣には我輩さまがずっと居たんだから。

 ……いや、ぷーさんは別か。だけどぷーさんは我輩さまの分身なんだから。

 寮の部屋でお昼寝をしているだろう様子を思い浮かべ、あえてここでは言わないでおいた。


「出来るだけ会いに来る」


 我輩さまが手を引くと、私の身体は前へと傾く。

 慌てて後ろに重心を戻そうとしたけど、その行動は叶わなかった。

 傾いた身体は黒一色に包まれて、力の込められた腕に捕らえられてしまう。


「……お前と離れた時間を埋めたいのだ。お前に触れることが出来るのだと、実感させろ」


 白い指が私の顎を掬い、顔と顔が向き合う。

 身体中で触れているというのに、まだ足りないのか。

 触れる場所による感じ方の違いは、私だって分かるけど……。


「駄目です」


「……何故だ」


 はっきりと言い切って手の平で我輩さまの顔を遮る。

 その距離はとても近く、文句を口にする吐息すら感じられるものだった。

 顔が見えなくても声色で分かるくらい、我輩さまは不満らしい。

 何故と言われても、そんなの当たり前だとしか答えようがないだろう。

 黒峰家と同じように過ごそうとしている我輩さまに、きちんと教えてあげることにした。


「ここは級長室です」


「知っておる」


「学園内での不純異性交遊は校則違反です」


「その校則は夫婦故、適用されぬ。それにこれは純な異性交遊だ」


 広げた手の平に言葉と共に唇が押しつけられ、咄嗟に手を引いてしまった。

 そうして見えた我輩さまの表情は、まるで私をからかっているような笑みを浮かべている。


「そもそも、許可はいらぬと言っていたではないか。夫は妻を愛するものであろう?」


「そういう問題じゃないですし、あと、後輩の前で……妻って、言わないでください」


「事実を口にして何が悪い? お前は我輩の妻なのだから」


 これは絶対わざとだろう。

 咲ちゃんが居る時は顔に出ないよう努力できたけど、こんなに近くで覗き込まれたら無理だ。

 熱くなっている頬は、きっと赤い。

 

「儀式の間で過ごしたお前も良かったが、こうして明るい場所で見るお前も良いものだ。

 今も変わらず、すぐに頬を染めるのだな」


「……っ!」


 五感を一切操作していないのに、我輩さまの動きすべてが私の身体に強い刺激を与える。

 指で触れられた場所は熱と痺れを感じるし、低い囁きは心臓を締め付ける。

 近くだから分かるほのかな香りに息が漏れそうになるし、光の下の瞳から目が離せなくなりそうだ。

 だけどこのままじゃ危ない。

 流されてしまうのが分かっているから、思いっきり身体を引き起こし距離を取った。


「む……何故離れる?」


「これから一年、この級長室を使うんです。なのにこんなことされたら……」


 思い出してしまうから。

 ふとした時に、この感覚が、呼び起こされてしまうから。

 落ち着く気配のない鼓動を押さえつけながらそう伝えると、我輩さまは口の端をゆっくりと引き上げた。


「そのような愛らしい理由というなら考慮してやろう。ならば、どこでなら良い?」


「え……? 黒峰家、でしょうか」


 少なくとも、学園内は駄目だろう。

 もしも誰かに見られたら、というよりも、私の心情的に不可能だ。

 私にとっては当たり前の返答に、我輩さまの身体から薄墨色の魔力が漂ってきた。

 これは……明らかに機嫌を損ねてしまったらしい。


「夏休みまで待てとでも言うのか」


「基本的に、学園からは出られませんので……我慢してください」


 駄目で元々と思っての言葉に返されたのは、無言の魔力だった。

 じわじわと迫るものに後ずさりすると、すぐに背中が壁に付く。

 すぐに逃げなければ。そう思っているのに、圧倒的な魔力に身体が動かない。

 魔力の制限された場所で長時間過ごし、学園内でこんな魔力を持つ人と出会うこともない。

 晒されることの久しい濃厚な魔力は私の全身を絡め取った。


「お前はそんなに長い間、触れ合わずとも良いと言うか」


 言葉と一緒に、立ち上がった我輩さまが壁に手を付いた。

 魔力と、言葉と、身体と。

 そのすべてで捕らえられた私は、鳴り止まない鼓動と漏らすべきではない欲を押さえつける。


「我輩はこんなにも、お前を欲しているというのに」


 怒っているわけではないんだろう。

 だけど眉を寄せる表情は、見ていて辛い気持ちになってくる。


「この気持ちは、我輩だけだと言うのか」


 光を背にした我輩さまは、影の中でも輝く瞳を向けてくる。

 紫色の虹彩を持つ瞳は、いつ何時であっても私を離さない。


「気が変わった。ここで過ごす間、何度でも思い出せ。これは命令だ」


 私の返答を待たずに、我輩さまは私に唇を寄せた。

 触れた場所に熱が灯り、強ばっていた身体から力が抜けてしまう。

 あまりにも強引な言葉とは裏腹に、包み込んでくる魔力は温かい。

 我輩さまから伝わるすべてのものに、私の身体が充足感を覚えてしまった。

 やっぱり、こうして流されてしまうんだ。

 分かりきっていた結果に観念し、我輩さまの思い込みを訂正することにした。


「……欲してないわけ、ないじゃないですか」


「そうであろうな。顔で分かる。お前も、我輩を欲している」


 ほとんど離れていない位置で、我輩さまは笑みを浮かべた。

 触れたくないわけがない。

 でも、その考えをここで出していいとは思えないから。

 私が求めたら、きっと我輩さまはそれを叶えてしまうから。

 学園生活をしっかり過ごそうと思っているのに、温かな心地よさに溺れてしまいそうだから。


「お前の欲を認めたくないのであれば、我輩の責にすれば良い。

 妻の求めるものを与えるのは、夫の勤めであるからな」


「……妻が求めたら、夫は受け止めてくれるんですか?」


「無論だ」


 慣れない名称での質問に、間髪入れずに答えが返ってくる。

 その言葉に、甘えてしまってもいいのだろうか。

 薄墨色の魔力だけでなく、壁に触れたままの腕に包まれたいと思ってもいいのだろうか。

 そう思って見上げた我輩さまの顔には、余裕すら感じられる。

 私の気持ちを、分かってる。隠したところで、意味はない。

 だから私は、手を伸ばせば届く位置に居る我輩さまに、ぎゅっと抱きついた。


「……人前では、しないでください」


「仕方あるまい。それは認めてやろう」


「あと、咲ちゃんの前で、あんまり変なことも言わないでください」


「彼奴の行動次第だが、考えてやらないこともない」


「また来るなら、学業に支障が出ないようにしてください」


「それは互いに問題あるまい。しかし、それも考慮しよう」


 私の些細な求めを、我輩さまはすべて受け入れてくれる。

 だから……今、私が一番求めていることを、最後に口にした。


「……抱きしめてください」


「良かろう」


 長い腕に絡め取られて、強く強く抱きしめられる。

 温かい指に触れられて、何度も何度もキスされる。

 私だって、我輩さまと離れた時間を埋めたい。

 触れることが出来るって、実感したい。

 だから、こんな場所でいけないことだと分かっているけど、どうか許して欲しい。

 頭に浮かぶたくさんに人にそう願いながら、響くチャイムに聞こえない振りをした。

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