Part 33
ミメットが町の依託書に署名した次の日から、黒装束らは退去を促して回りはじめた。
昼夜に関わらず、家々に押し入っては容赦なく退去を宣告し、
抵抗の気ありとみるや腰に差した刀にものを言わせる横暴ぶりだ。
麓に近いほうから順に、住民の約半数ほどは山のほうへ逃げた。
中央の商業区で生活していたのこり八十人あまりは、小運河を隔てた西の住民区へと追いやられた。
人々は対岸の町を闊歩する黒装束の姿を睨んだ。
弓や槍を携えた黒い影は、同じようにこちらを睨んでいる。
「退去まであと六日だ!」
黒い影は街の背後にある山を指して叫んだ。
「死にたくなければ、町から出ていけ!」
「ふざけるな!出ていくのはどっちだい!」
怒り眉の老人が対岸へ石を投げつけた。
石が対岸の石垣に跳ね返り水面に波紋が広がるのを、黒装束たちは嘲笑った。
机に広げた町の地図を囲むのは、治安維持隊の残党と町の消防団の面々であった。
迫撃砲に兵舎を破壊されたいま、チャックの実家の料理屋が彼らの拠点となり、街を奪還する機会を虎視淡々と狙っているが。───
一通りの議論が終わったのか、沈黙が流れ、誰かがため息を吐いた。
逆転は絶望的であるのは誰の目にも明らかである。
「武器も足りない。人も足りない」
「なんだって、こんな時にやって来るかね……」
「こんな時だからこそじゃないか」
と、ビショップが言う。
「隊長は殉職、治安部隊はガタガタ、町は手薄で隙だらけ。───」
「町の内情を知る人間が、奴らと手引きしたのかもしれない」
「きっと前の町長だぜ。隊長ともソリが合わなかった」
「弾劾された腹いせにやったに違いない」
扉を叩く音に、みなハッとして顔を上げた。
チャックがおそるおそる外の様子をうかがうと、
なんと料理屋の前には人だかりができている。
「な、なんだい、みんな、どうしたんだ」
狭い路地だが、人々の熱気が壁となって彼の頬を撫でた。
「私たちにも手伝わせておくれよ」
「手伝うって?」
「あの黒ずくめを追い出すんだろう?」
見回すと、老若男女、普段は仕事や家事に追われる者たちである。
黒装束に町を占拠されてからは仕事も出来ず、食い扶持もなく、
押さえつけられた鬱憤が溜まりに溜まっているに違いない。
いずれの表情にも、内にたぎる静かな怒りが見て取れる。
「追い出すと言っても、ただの喧嘩じゃないんだ」
彼らの気迫に押されながらも、むしろチャックは毅然として言った。
「これは戦争だ。殺し合いだ」
「そんなことわかってるよ」
「いや、わかってない。遊びじゃない。死ぬんだぞ!」
「ここで腐ってても、いずれ殺されるだけだぜ、チャッキー」
言ったのは、隣に住む顔馴染みのおじさんだった。
「俺たちは戦って生き延びてきたんだ」
「若いお前さんよりな!」
人混みの奥からの皺くちゃな野次に、笑い声が起きた。
「北国育ちを舐めるんじゃないよ!」
腕っぷしの強そうな婦人が拳を振り上げると、一同がワッと湧いた。
揚々とした闘気は、住民区の隅々まで浸透していたようで、
ふと気付けば、周囲にひしめくレンガ造りの民家の、
二階三階からも身を乗り出して雄叫びを上げている者もいる。
「まいったな……」
チャックは頭を掻いた。
店の中で顛末を見守っていた男たちも同様の反応だった。
治安部隊とは名ばかりの、丸腰も同然の自分たちに加勢すると言われて、
嬉しいような情けないような、それでもどこか安心している彼らがいた。
ビショップはカウンター越しにリディアと視線が合った。
「北国の連中は逞しいな」
「寒いのには慣れっこだから」
オウオウという彼らの高らかな雄叫びが冬空に轟いた。
それは周囲の山々にぶつかり、山彦となって町の隅々まで伝播した。
他の街区に潜んでいる人々にその存在を知らしめたのはもちろん、
油断していた黒装束たちを不気味がらせたのは言うまでもない。
ひとり店の裏口から寒空の下に出たフーゴは、夜の暗闇を一瞥した。
裏庭の中央には井戸があり、近所の憩いの場でもあるらしく、
大きなケヤキの木と、その下に荒っぽい手作りのベンチがある。
「どうやって居場所を突き止めたかは、いまは聞かないでおこう」
何者かが木の陰に潜んでいる。夜の闇に溶け込んでいる。
それは黒服に身を包んでいたが、フーゴが黒装束と見誤らなかったのは、
彼が声をかけると同時に発せられた並ならぬ殺気のためであった。
「ここで俺を殺すか」
「…………」
「一人か?他に仲間がいるのか?」
「…………」
「まぁ、仲間がいれば、コソコソ隠れる必要もないか」
彼は壁にもたれて煙草をくわえると、悠々と火を点けて吸い始めた。
隙だらけの格好に見えたが、人影が微動だにしないのは、彼もまた、
フーゴから発せられる異様で恐ろしい空気を感じ取っていたからである。
遠くで歓声が聞こえてくる。
黒装束への反撃という、ひとつの目的のもとに一致団結した人々の熱気が、
怯えるだけだった夜を、真昼の露天通りのように活気付けているのだ。
しかし、二人の間に流れる空気は依然として冷ややかなままである。
「店にはビショップもいる」
「…………」
「それに怒り狂った町の連中もな。真っ黒なお前を見たら、きっと血眼になって追っかけて来るぜ」
「…………」
「いまは待て。お前も薄々、勘付いているはずだ」
「……お前の指図は受けない」
暗闇からはじめて声がした。若い男の声だ。
「敵の親玉はクロキだ。お前も狙ってる男だ」
「…………」
「奴はマディの消えて手薄になったこの町を乗っ取ろうとしている。いや、実際、乗っ取りは完了した。町長を脅して契約書に印を押させた」
「…………」
「町の人間は一人残らず追い出されればよし、さもなくば殺されるか、奴隷のように働かされて死ぬかだ」
「……町がどうなろうと、俺の問題じゃない」
「果たしてそうかな」
フーゴは腕を組みつつ、
「この町を狙うのは、ここが大戦期の軍港としての役割を損なっていない唯一の場所だからだ」
彼は先の灯った煙草で、遠くの夜空に浮かぶ巨大なシルエットを指した。
それはたしかに町に点在する、鉄骨造りの重機のひとつであるが、
はたして町の中でその正体を知り、仕組みを理解する人間がいるかどうか。
「ここが終われば、奴は確実に内陸部へと歩を進めるだろう」
「…………」
「いまより更に多くの軍勢を引き連れてな。この町の人間だけじゃない、お前は勿論、俺やビショップでさえ、過去を知る者をクロキは逃しはしない」
「なぜそう言い切れる?」
「長い付き合いだからな」
ふと遠い目をしたフーゴは、そう呟いた。
「あんた達と手を組めって言うのか?」
「組もうとは言わない。今夜だけでいい。手を貸せ」
「その前に、どちらも殺す───と、俺が言ったら?」
暗闇の声が、そう言い終わらないうちに、ビュっと風切り音がした。
眼前にそびえるケヤキの大樹の、よく伸びた枝の一本が宙に飛んだ。
枝は天高く舞い上がると、音もなく、さらに数個の木片となった。
───いったい何が起きた?
アランは驚愕した。
フーゴという男は、依然、壁にもたれて煙草をふかしている。
アランとて相手の初動を見逃すつもりはない。しかし、フーゴは彼の目の前で、
身動きひとつせず、四五メートル先の大樹の枝を刎ね上げてみせたのだ。
それだけではない。陰に潜んでいた自分を一瞬のうちに感じ取り、
全身脱力しているように見えて寸分の隙を見せない佇まいも異様だ。
フーゴもまた、大戦を生き抜いた猛者であることに変わりはないが、
その研ぎ澄まされた感覚は、それ以前に修練を経てきたに違いない。
「俺だって、今すぐお前をそこから引きずり出して、輪切りにしてやりたいさ」
そう小さく呟いた彼は、短くなった煙草を傍らへ放ると、
「───中央庁舎に、町長の印の入った書類があるはず」
「なに?」
「町の受け渡しに関する書類だ。見つけ出して処分しろ」
「───見返りは?」
「望み通りのものをやる。金でも土地でも、俺の命でも」
「お前の言葉を鵜呑みにして、小間使いをしろって?」
ふざけやがって。と、アランは内心、舌打ちした。
「いま我々が正面切って事を起こすには、色々と不足している。どちらでもない、顔を知られていないお前が動く必要がある」
「俺が。───」
「出来るさ。マディを倒した男なら。───」
そう言い残し、フーゴは店の中へと戻っていった。
アランは、木の幹の陰からヌッと現れた。
ひとり残された中庭にしばらく佇んで、やがて夜闇に溶けていった。
そして夜明け前、人知れず中央庁舎に火が放たれた。
駐在していた数人の黒装束らは残らず斬り捨てられ、書簡箱は姿を消した。
退去までの猶予は、あと五日。───




