Part 32
朝がくると、教会の奥にある炊事場では朝食の仕度が始まった。
リリィがニンジンやカブを花びらの形に飾り切りをすると、
そばにいた子ども達だけでなく大人までもが、わあっと驚嘆の声をあげた。
飾り切りの技法はジェファーの手伝いをしていた頃に教わったもので、
やんちゃ盛りの双子に野菜を食べさせるための工夫であった。
直接、ジェファーから教えを請うようなことはなかったが、
リリィは彼女の包丁から、そのノウハウを吸収していた。
いつしか主婦顔負けの技量を身につけたリリィは、
ユニークな技法でもって炊事場のスターとなった。
「どこでこんなやり方を教わったの?」
「お母さんね?」
「ええ、まぁ…」
火炊きをしていた年長の子ども達も、両腕で薪を抱えたまま、
「わたしにも見せて」と輪の中に混じって、繰り出される技巧に見入った。
歓声を聞きつけた小さな子供たちも厨房にやって来ると、
花びらの形になった野菜に手を伸ばして顔を輝かせている。
華やいだ炊事場であったが、不意の地響きに、みな身を縮こませた。
ミシミシと教会全体が音を立てたのを一同は不安に感じながら、
「また大砲かい?まったく、朝っぱらから」
「治安部隊は、なにやってんだろうね」
と、口々に漏らした。
三日経ったが、黒装束は依然として町を徘徊している。
具体的な声明もないので、町民にとっては混迷極まりないところだ。
能天気な露天商が商売を再開しようと通りに出たところ、
黒装束はなんやかやとイチャモンをつけては衝突を起こしていた。
それだけなら些細な喧嘩ということで片付くが、問題は別にある。
そうした小さな騒ぎが起きるたびに、それを諌めるかのごとく、
港に停泊している大型船からは臼砲が火を噴き、町のどこかを爆撃するのだ。
まだ日も昇って間もないというのに、はやくも今日一発目の砲弾が
町のどこかに着弾したようだ。
落雷のような轟音と衝撃は、町民たちを萎縮させるのに充分だった。
自分たちの頭上に落ちなかったと胸をなでおろしながらも、
次はいつ、どこが狙われ破壊されるか、動揺せずにはいられない。
「いつになったら、お日様の下を歩けるのかしら」
「元気なのは商人くらいなもんさね」
露天商はこんなときでも店を開いて、黒装束を相手に商売を始めた。
壁に貼られた町の地図をクロキは眺めていた。
赤いピンがいくつも刺さり、それらを赤い糸で結んでいる。
すでに地図の北半分ほど、湾内から中央広場までが囲われているが、
さらに領土を広げんと、ピンの位置は少しずつ南下していく。──
「ハヌマの部隊は、───やはり来ぬか」
部下らしい若い男は「はっ」短く返事をして、
「ただいま、十四班に捜索させております」
「そうか」
相槌を打ちつつ、彼は長椅子に座したままでいる男を見た。
頭を抱えた男───ミメット町長は長いこと動かなかった。
「じ、陣取り合戦のつもりか」
「いけませんかな」
「あなたも過去の権力者たちと同じだ」
ミメットはキッと老獪を見据えて、
「無意味な争いを生み、最期は惨たらしく死んでいった」
「怯えて生きる鼠どもには、そう見えるのでしょうな」
ドドン、と大砲の砲撃音に、庁舎全体が揺れた。
それが何発目の砲撃だったか、ミメットはいつしか数えるのを諦めていた。
やや遅れて、遠くで短い地鳴りのような着弾音がしても、ただ彼は悶えるばかりであった。
「ほら、ご覧なさい、町長さん」
何かに気付いた彼は窓の外を指差した。
南方の青空に、高く上がる数本の白煙が見える。
「朝と夕方にね、ああして狼煙を上げるのですわ」
即ちそれは、町と領土との境界点を表しているに等しい。
位置を確認するのは勿論、定時連絡であり、町民への威嚇の意味もある。
「町長さんのご自宅は、どの辺りですかな」
「…………」
「ご家族が心配ですな」
日に日に遠ざかる白糸を見上げながら、クロキは呟いた。
──これしか、方法はないのか。
ミメットは震える手で、親指を紙面へ押し込んでいた。
朱色の指紋が紙の上にじんわりと広がり、それを見て彼は、
自身のした決断に再び絶望してしまうのである。
ついに、町を手放してしまった。数百の住民のいる町を。
港にとまる船の大砲が、彼の自宅に狙いを定めている。
クロキの言葉の一つ一つが嘘か真か、彼に推し量る余地はない。
眠ることも、他者との連絡や相談も許されず、ミメットは朦朧としていた。
最初から、これは交渉ではなく脅迫なのだと、彼は霞がかる意識の中で悟った。
孤立を強いられ、家族を標的にされたことで彼の選択は決まっていたのだ。
「ご立派な指紋ですな」
クロキは彼の文字と指印に目を通しながら、
「雑魚っぷりが、よく滲み出とるわ」
と、笑った。周囲にいた配下たちも鼻で笑った。
部屋の中央でうなだれるミメットは、膝から崩れ落ちた。
見送りもなく追い出されるように庁舎を後にしたミメットは、
人の往来のない、茫乎としたトードリッジの町を見回した。
──どうして、どうして、こうなってしまった。
すでに彼のいる地域は占拠されてしまっているのだから当然といえば当然だが、
いままで賑わいをみせていた魚市場には人影はなく、子どもの声も、
朝から夕方まで途切れることのない職人たちの仕事の音も聞こえない。
たった一日か二日のうちに、町の平穏はひっくり返されてしまったということを、
ミメットは町にただよう殺伐とした空気から実感した。
──誰が、何をしたというのか!
黒装束の五、六人が、やつれたミメットとすれ違う。
しかし、なにをするということもない。いまの彼は死人も同然だった。
天国を目指す死人のように、彼はひとり南へ向かって歩き出した。
背後で臼砲が唸りを上げた。
砲弾は遥か頭上を飛び越え、町のどこかを破壊した。




