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Part 28

 扉の上部の隙間から、黒煙が天井を伝って這入ってくる。

大男ハヌマと、彼に捕らわれたリリィは二人とも身動き出来ずにいた。

先程まで階下に鳴り響いていた喧しい怒号と爆発音はピタリと止んだ。

蜂の巣をつついたような騒ぎのあとに残るものは、

微かに伝わる熱気と、音もなくにじり寄る死神のような黒煙のみであった。

「ぬかったわ」

ハヌマはリリィを抱きしめながら歯ぎしりした。

「お前の連れは、さっさと殺しとくべきだったわ」

「ここにいるのね?」

「ふん、知ったところでもう遅いわ」

彼は邪悪な笑みを浮かべて、

「炎と煙で、下の連中もろとも、お陀仏よ」

「黙れッ!」

 リリィは唯一自由である頭を猛然と振るって、

ハヌマの筋骨隆々とした胸や腕に頭突きを食らわせる。

彼の筋肉は岩そのもので、まもなく頭痛と眩暈に襲われるが、

それでも怒りに狂った体は止まらなかった。

「おうおう、跳ねっ返りの強いところもまた良いの」

 ハヌマは仔犬とじゃれ合うように彼女の暴れっぷりを笑いながら、

部屋の窓を塞ぐ、幾枚もの木板を片手で一枚ずつ剥がしにかかった。

「一人で逃げて、恥ずかしいと思わないの」

「ここに居るのは、小僧(ガキ)と雑魚だらけの使いっ走りばかりだ。

 他に控えている隊に合流すれば良いだけの話よ」

「なら、アンタも使いっ走りの一人ってワケね」

 鼻で笑ってみせたリリィだったが、ハヌマは

背面のハヌマと前面の壁に挟まれて彼女は息が出来なくなった。

少しでも空気を吸おうとすると、ハヌマの巨漢が背中から押し潰す。

「はっ……あ……」

「あんまり気に障ることを言うんじゃないよ。

 お前だけは持ち帰らんと大陸(ここ)まで来た意味がないのでな」

木板はすでに窓枠から引き剥がされ、彼女の目の先には外界が開かれている。

月明かりにも朝日にも似た、淡い光が淀んだ室内に差し込んでいた。

 煙は部屋の上部を満たし、開け放たれた窓の外へと向かっている。

 ハヌマは脱力したリリィを小脇に抱えて、窓枠に足をかけた。


「彼女を放せ」

 巨漢の男は振り返った。

炎に包まれた建物の、焼け落ちた壁の向こうから、黒い影がヌッと現れた。

影は刀を持っていたので黒装束の生き残りかとハヌマは思ったが、

その異様な闘気は、使いっ走りの雑兵部隊はあるまじき凄まじさだった。

「お兄ちゃんが追い付いちゃったじゃないか」

 ハヌマはニッと笑って、窓から飛んだ。アランもそれを追う。

焚き火で聞いたようなビチバチと破裂音がして、建物の梁が悲鳴を上げた。

ついに屋根全体が落ちて、つづけて二階の床が屋根の重みに耐えかねて崩れた。

 屋敷は辛うじて残る四方の壁と、三人の立つバルコニーの一角のみになった。

 ハヌマは片手でリリィの首根っこを掴むと、目の前に突き出した。

「その刀で首を掻き切れ!出来ないのなら貴様の妹は死ぬ!」

「待った。アンタをどうこうするつもりはない。

 妹を返してくれれば、もう俺たちはアンタ達とは関わらない」

「うるせぇ!命令するのはオレだ!」

 山の裾がきらめいている。太陽がのぼろうとしている。

すでに町の方角からは、異常事態を知らせる半鐘の音が何度も鳴り響いている。

「町の誰かが来るぞ。いや、もう来てるかも知れない!」

「だったら尚更、さっさと首を斬るんだよ!」

ハヌマは激昂した猿のように、伸びた犬歯をむき出しにして怒鳴った。

 アランの言う通り、麓の廃屋敷に潜伏していたハヌマら黒装束にとって、

人目につくことはなによりも避けねばならない筈なのである。

それが爆発に炎上騒ぎ、おまけに死屍累々を築いたとなっては、

ふてぶてしいハヌマも、屋敷の外に飛び出して惨状を確認したいま、

自身の失態を今更悟ったのか明らかに焦りの色を隠せないでいる。

 その為、リリィとアランとが目配せをしたのを、ハヌマは気付いていない。

 リリィが憔悴し気絶したように崩折れると、ハヌマは彼女を覗き込んだ。──


 リリィの手の中がキラっと光った。

ハヌマは、この愛くるしい人形が白刃を潜めていることを、

まったくと言っていいほど予想だにしていなかった。

 短刀は、男の顎下に深々と突き刺さり、口内を貫通した。

「ゴエっ」と、カエルのように鳴いたハヌマは一瞬、硬直し、

その分厚い手のひらが、白く細い少女の首を掴みかけたその時、

岩のような大胸筋の狭間目掛けて、アランの突きが炸裂した。

 三人はバルコニーから地面まで、五メートルほどを落ちた。

兄妹はハヌマの筋肉にまみれた亡骸を下敷きにしたおかげで無傷だった。

「行けるか?」

「そっちこそ、大丈夫?」

リリィはアランの焦げた前髪を指差した。

「それは、お互い様だろ」

二人とも、顔も体も、返り血と汗と煤とで惨憺たる有様であった。

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