Part 22
町にあるマディのセーフハウスのひとつは、表向きは酒場であった。
ビショップがここで仲間達と再会の祝杯を挙げたのは数ヶ月前のことであった。
部屋の中央に置かれた円卓には酒瓶とウイスキーグラスが五つ置かれており、
理由をつけては元同僚を再び集合させて酒宴を開こうとマディは企てていたが、
その計画が、彼自身と共に水泡に帰すことになろうとは誰が考えたであろうか。
その大きな円卓に席を並べたのは、二人のみであった。
ルネ・ビショップとフーゴ・フルドリッカである。
「ルドルフとクロキはどうした。何故来ない?」
ビショップは不満気に言った。
彼は雪山から帰還してからというもの二人と出会っておらず、
それはフーゴも同様であったが、
「ルドルフは出港したと、今朝がた情報が」
と、彼は煙草を吹かし椅子に背を預けて、天井を仰ぎ見ながら言った。
なんてこった。と、ビショップは頭を抱え、様々な感情を含んだ唸り声を上げた。
「お迎えの船とは、奴も出世したもんだ」
フーゴはビショップと同様、マディソン・ヤングに進んで協力した一人で、
山賊を狩らんと雪山へ向かった面々に代わり、町の警備に務めていた。
多くの人員が山賊狩りに割かれる際、町が手薄になる訳にはいかないと、
彼は少数の治安部隊員らとともに留守番を買って出たのだった。
他の二人も、表向きは協力的な態度を取っていたのだが、
マディが殉職した報を聞くや否や、彼らは別れの言葉もなく町から姿を消した。
「クロキのほうは、正直言って、わからない」
「葬列にも来やしなかった。町の連中だって顔を出したのに」
そろってため息が漏れた。部屋には沈黙が流れた。
仲間を失い、また仲間に反故にされ、二人は疲れ果てていた。
ビショップは過去に思いを巡らせていた。
帝国が消滅し、首輪を外され自由の身となった七人の男たち。
成功する者もいれば平穏を望む者もいた。大戦の記憶に悩まされ堕ちる者もいた。
小さな戦場で敵味方に分かれ、何度か顔を合わせることもあった。
一人、二人と何者かに消され、異常を感じた五人は集結した。
正体不明の暗殺者の素性を確かめ、返り討ちにする。それが彼らの総意だった。
しかし、マディは事を急ぎすぎた。
数多の戦闘経験と、岩のように揺るがない自信が、逆に彼の仇となった。
だが、本当に慢心だけが敗因なのだろうか?
遺体の周囲は、屠殺場にも引けを取らない血飛沫の跡の凄まじさだった。
雪面にはマディ自身の血と、そうでないものとが混ざり合い、
朱に赤、焦げ茶や黒といった色により不気味な模様が広がっていた。
遺体には矢傷はなく、毒物による変色の痕も見られなかった。
ただ無数の打撲と切り傷、胸に空いた穴だけが、壮絶な死闘を物語っていた。
彼は正真正銘、死力を尽くして相手とぶつかりったに違いない。
ビショップは事実を飲み込み、そして戦慄した。
マディソン・ヤングを破った相手を、自分に討つことが出来るのだろうかと。
「これからどうするんだ、フーゴ?」
くたびれた様子で横を向いたビショップは、
「どうするも何も、やることは一つしかないがな」
と、フーゴに面と向かって言われ、仕方なしに笑った。
外に出るとすでに日は沈んでおり、漆黒の夜空を見上げると雪が顔をかすめた。
トードリッジの町は、心なしか人気が減ったような気がした。
単に、時間が夜で、雪も積もり気温が下がったから…なのかも知れないが、
ビショップには、町に流れる悲愴の空気を感じ取ることが出来る。
「今日はどこも、こんな風ですよ」
声の主は、若い男であった。
彼は、ビショップが雪山で共に行動していた隊員の一人だった。
マディの遺体を一緒に担いで下山したのは、つい四日前のことだった。
たしかあの時、自己紹介を交わした筈だったが、ビショップは口を開けたままで、
「ああ、君は、ええと…」
「チャックです。チャック・オー」
精悍な顔をした彼──チャックが右手を差し出した。
ビショップも右手を出して、二人は握手する。
大丈夫ですか?と、チャックが目元を指しながら言うので、
ビショップが自身に触れてみると、見上げた際に顔に乗った雪の名残が、
水滴となって頬をつたい落ちる最中だった。
「なにか拭くものを…」
「ああ、違う。これは違うんだ」
ビショップは首を振りながら、素早く手で拭った。
「なんてことない、ただの雪だよ」
「ああ、そうでしたか」
チャックは小さく笑いながら、
「てっきり、泣いていたものかと」
「なに。まさか。そんなことあるもんか」
二人は笑い合った。吐く息は白く、頭にはだいぶ白くなってきた。
「なにしてたんだ?」
「ちょっと、買い出しを頼まれまして」
「ああ、なるほど」
「あの、よろしかったら、どうですか、食事でも」
「食事か」
まだ室内に居るであろうフーゴを誘おうとして、ビショップはやめた。
彼は宗教上の理由から食材に関しては普段から細心の注意を払っているし、
まったく面識の無いチャックと席を共にしても気まずくなるだけだろう。
「僕の家ね、店やってるんですよ」
「本当か」
「ええ。ご馳走しますんで、行きましょう」
店内では至る所で酒盛りが行われている。
客の入りは上々で、なかなかの盛り上がりを見せていた。
店主である年老いた男、チャックの父親が、目で挨拶を交わした
チャックは父親に道すがら購入した、香草の入った紙袋を渡すと、
若干、照れ臭そうにして、ビショップを連れて奥へ向かった。
「大盛況じゃないか」
「ここら辺は、ほかに飲み食いするところがねェんですよ」
チャックは笑いながらテーブル席の一角を指して、二人は座った。
間もなく人混みを縫って給仕の女が現れた。
彼女はビショップを一目見るや首を傾げて「見ない顔ね」と言った。
はじめまして。と、ビショップが会釈すると、彼女は微笑み、
「リディアよ」と彼に握手を求めた。
「ビショップだ」柔らかな手の感触に彼はおどろいた。
「弟の友達…にしては、ずいぶんと年上ね」
「弟?」
「姉です」
チャックは気まずそうに、こめかみを掻いた。
「ご注文は?」
「すぐに作れるもんでいいよ」
「なにカッコつけてんのよ」
からかうようにリディアは言って、
「ええと、ビショップさんは?」
「魚、かな」
とだけ言うと、彼女は了解したのか微笑んで、厨房の方へ姿を消した。
「あんなんだから、いい歳してまだ独り身なんだ」
「いい人だと思うけどな」
「こんだけ男がいるのに一人も作らないってのは、つまりそういうことですよ」
ほどなくしてリディアは両手に皿を乗せてやって来た。
スライスされた数枚のパン。魚のシチューは皿にひたひたに注がれている。
丸ごと炙られた魚は、脂を出しながらはち切れんばかりに身を膨らませて、
肥えた腹からは無数の魚卵が溢れ、香草の香りをこれでもかと放っている。
腹を空かせた男二人が、この強烈な誘惑に耐えられるはずもなかった。
チャックが脇目も振らず料理に飛びつくのは若さ故に当然のことながら、
壮年やや上のビショップもまた、チャックに負けず劣らずの食いっぷりを見せた。
素早く、残さずが、彼の食事における基本であり、
少年時代から叩き込まれた習慣は、そう簡単には治らなかった。
魚などは頭から目玉、尾、背中を通る骨まで噛み砕いて飲み込んだ。
まぁすごい。と、リディアは感心しながらも、半ば呆然としていた。
「今日はありがとう」
「またいつでも来てください」
「必ず来るよ」
待ってます。と、チャックは笑顔で手を振り、曲がり角に消える彼を見届けた。
雪は止んでいた。ひんやりとした空気は少しだけ酔いを覚ましてくれた。
ビショップは店の壁にある木の看板を見た。
ぶっきらぼうに大きく『O』と、小さな『s』が書かれている。
「『オーズ』か…」
彼は白い息を吐きながら、帰途に着いた。
給仕の黒い瞳が頭から離れなかった。




