元凶
そこは一面が緑だった。同じ色のみではなく、濃淡のはっきりした緑。所々水色や茶色、黒なんかもあった。直後、自分に体があることに気がついた。服の肌触り、地面を踏みしめる足の感覚なんかが伝わってくる。少し湿度が高く、蒸し暑い。この気温にしてはやけに厚着をしてしまっている。そして目の前にあった"色"も意味をもった形として再構築された。
視界の奥までびっしりと並ぶ木々、蒸れた土と生い茂る草の匂い、漆黒の剣をこちらへ向ける美少女。
全く意味が分からない。先ほどまで圭介は冬の都会を歩いていたはずだ。しかしここは考えるまでもなく夏の森の中だろう。そして何故か美少女に剣を向けられている。まず優先すべきことは、ここで首を刎ねられないようにすることか。圭介はゆっくりと、相手の顔を伺いながら両手を上に挙げた。
「あ、あの、すみません。こ、殺さないでください、お願いします」
圭介はこれまでの人生で最も間抜けな声を出してしまった。
「∀ε♭∃งδ…??」
「……ん?ご、ごめんなさい分からないです…」
聞いた事のない言語だった。外国人だとすれば英語なら通じるだろうか。
「あ、えっと、アイムノット…デンジャラスマン、あー、ソー、プリーズ…ドント…キルミー?」
「………」
美少女は口を開かない。心臓の鼓動がうるさい。
「……………」
沈黙が流れる。身長はそれほど高くない。小柄でスタイルの良さそうな体つきだ。上は体に沿う白い上衣で、胸元と腰のあたりがきゅっと締められている。腰には深い茶色のベルトが巻かれている。白いスカートは膝下まである。肩や腕は覆われず、動きやすさを優先しつつ、上質な軽装であった。
顔は丸っこく、大きなタレ目、鼻は小さいが少し高い。きゅっと結ばれた口も可愛らしく思える童顔であった。
長い黒髪を後頭部の低い位置で一つに束ね、首の付け根に沿って静かに垂らしている。前髪はきちんと整えられており、耳の横に残した細い後れ毛が頬にかかる。
そしてその両手は、彼女にはあまりにも似つかわしくない、禍々しく凄まじいオーラを放つ漆黒の剣をしっかりと握り締めていた。剣先は圭介にしっかりと向けられつつも、微かに震えているように見える。
「……これで聞こえる?」
「き、聞こえます!」
それはどこまでも透明な澄んだ声だった。どこかで聞いた事のありそうなありふれた声であるにも関わらず、その声の温度は計れなかった。
「名前は?」
「板橋 圭介と申します」
「…えっと、ファーストネームが、イタバシ?」
「あっいえ、ケイスケの方です」
「…そうなんだ。どこから来たの?」
どこから来たのか。いつもなら簡単に答えられる質問であったが、今回は難しく、言葉に詰まってしまった。初め言語が通じなかったにも関わらず、あとから通じるようになった。しかし日本語を元々知っていたという感じでもなかった。とにかく何か話さないと、始まらない。
「日本という国から来ました」
彼女は真顔のまま少しの間、沈黙していた。
「…そんな国この世界に無い。他の世界から来た?」
同じ可能性に、彼女も行き着いたのだろう。その是非を確かめるための質問を投げかけてきた。
「自分でもよく分かりませんが、自分がいた星は
地球と呼んでいました」
「…違う場所から来た時点で、呼び方が同じになるはずないか。確かめようが無いね」
彼女はまだ疑問の残った顔をしつつも若干声色が柔らかくなった。しかし漆黒の剣先は未だ向けられたままだった。
「あの!あなたの名前を教えて欲しいです」
そんな状況であるのに圭介は彼女の名前の方が気になってしまった。彼女はやはり真顔のまま数秒の間を開けてから口を開いた。
「私の名前は…」
彼女の呼吸が止まった。目は圭介の瞳の奥を覗き込んだまま、全身が硬直していた。再び沈黙が流れた。先程よりも空気が重たく、圭介の胸の鼓動が早まる。
彼女が口を開いた。
「私の名前は、レミリ・フュリオーラ」
それは感情が読み取れない淡白な声だった。微かな、綺麗な声だったが、口調ははっきりとしていた。
「そ、そうか、いい名前だね。あの、な、何で剣を向けるの?何か悪いことしました?」
「ごめん、今この世界がかなりややこしい事になってて、私も混乱してる」
圭介も混乱していたが、それほどまでに大変なことが起こっているというのか。今までの話を整理すると、恐らく圭介は地球からどこか別の星にワープ?かは分からないが飛ばされてきてしまったようだ。
「でもその中で一番ややこしいのが、ケイスケだった」
この星に圭介が来たことがそこまで重大な出来事に繋がるとは到底思えない。
「俺がややこしいって、確かにいきなりの事でビックリさせちゃったかもしれないけど」
ビックリしているのは圭介も同じであったが
「でもただの陰キャの俺がややこしいってのはちょっと理解できないよ。俺はそんな凄い存在じゃないし。だからその剣を…」
「いいや、ケイスケは特別だよ」
圭介の言葉が、小さな美少女の有無を言わせぬ語気に遮られた。表情は相変わらず固く、剣をしっかりと構えた体勢のまま言葉だけが置かれていく。
「この世界、いやそれよりももっと大きな"何か"に選ばれた特別な存在。運なんて陳腐な言葉じゃ言い表せない」
そこまではっきり言われると何だかそんな気もしてきてしまうが、冷静に考えると圭介はただのクソ陰キャであり、それ以上でも以下でもなかった。しかし確かに、この世界に飛ばされてきた?ということは彼女が言うように特別なのかもしれない。
そして最初は無口だったレミリがだんだん話してくれるようになって圭介は口元が緩んできた。女の子とまともに話すと言うことがほとんどなかったため、この機会にもっと話したいと思った。
「レミリ…さん、俺ってすごいの?」
「レミリでいいよ。凄いとかいう次元ではないね、理解できない。」
レミリと会ったときから言われている『理解できない』という表現が引っかかる。"特別"ではあるのに何故理解不能なのだろうか。
「それって、強いってこと?」
「…まだ分からない。私と戦ってみる?」
圭介でも感じ取れる程の殺気が伝わって来た。圭介は慌てて口を開いた
「いやいやそれは…いきなり戦いたくないよ。それに女の子だし」
圭介は一歩後退り、手を大きく横に振った。レミリはそれまで寸分も揺らがなかった面差しに、わずかな歪みを浮かべた。口元の張りが、わずかにほどける。しかし眉の内側がかすかに寄っていた。
「そっか。ちょっと残念…何で女の子なら戦いたくないの?」
レミリは首をかしげて聞いてきた。
「やっぱり女の子は男が守る存在みたいな?感じじゃん?あ、多様性の時代に合わない発言だったかもしれないけど」
「そ、そうなんだ」
圭介が早口で捲し立てると、レミリは困り顔を浮かべていた。急いで新たな話題を探す。
「その黒い剣は何?」
「この前面白そうだから拾った。まだよく分かってないけど、なんか強そうな感じする」
そんな恐ろしい剣を、綺麗な石のように軽々しく拾ったなどと言って良いものなのか。それともこの世界には道端に剣が落ちているのだろうか。
「俺とどっちが凄いの?」
「うーん、悩むけどやっぱりケイスケの方が凄そうかも。この剣は、理解不能とまではいかないから」
禍々しい漆黒の剣よりも理解不能な圭介は、この世界にとって一体何なのだろう。
会話に夢中で忘れていたが、上げていた腕が少々痺れてきた。レミリに怪しい者ではないと伝わってくれただろうか。
「あの、出来ればその剣向けないで欲しいんだけど」
「………」
レミリは黙ったままじっとこちらを見つめる。
「わかった」
レミリが剣を下げた。空気が温度を取り戻したようだった。圭介はレミリの圧による束縛から開放された。圭介は腕を下ろし、大きく息を吐いた。涼しい風が圭介の頬を撫でる。
「よかった。ありがとう」
ひとまずは命を失わずに済み圭介は胸を撫で下ろした。しかしこれからどうしたものか。周りには木々しか見えない森の中、サバイバル術などは一つも持ち合わせていない。人を探すにしても、ケイスケのコミュニケーション能力で生きていくことができるとは思えなかった。このままでは餓死するか、その前に動物に食べられて死んでしまいそうだ。
家にはもう帰れないのだろうか。本来なら母が風呂を沸かして圭介の帰りを待ってくれているはずだ。父は圭介が幼少の頃に病死してしまったので、母がその身一つで圭介をここまで育ててくれた。一人っ子ではあったが、子供一人養うのはそう簡単なことではなかったと思う。それなのにそんな苦労も感じさせないほど手際良く家事をこなし、十分な小遣いまで貰っていた。裕福では無いけど、特別貧乏であると感じたことは無かった。だからこそ国立の大学へ進学し、いい仕事に就いて母に恩返しをしたいという思いがあった。その夢は叶わないのだろうか。圭介は顔をしかめ、唇を噛んだ。
「何故苦しそうな顔をするの?」
淡白な声で質問を投げかけられた。
「いや…元の世界に帰れないのかなって思ったらちょっと悲しくてさ」
「何故それが悲しいの?」
「え」
「忘れ物しちゃったとかなら残念だけどケイスケは二度と戻れないと思うよ。」
レミリはそれが当然のことであるかのように言い放つ。もしそれが本当ならもう二度と母にも遥人にも会うことが出来ない。
「何でだよ……これからどうすればいいんだ。住むところも無いし……」
「たしかに寝るところは大事だよね。健康に関わることだし。それなら……」
レミリは斜め後ろを向き、木々の向こう側を指さした。
「あっちの方向に歩いていけばまず草原に出て、更に進んでいくと小さな村があるからそこの人たちを頼ってみると良いんじゃないかな」
「ガチか。ちゃんと人いるんだ…」
圭介は身構えた。基本的に人とのコミュニケーションは苦手なので誰かを頼るということは少しハードルが高い。
「教えてくれてありがとう。…あのレミリさん、一緒に着いて来てくれたり…しますか?ちょっと僕人と話すのとか苦手で…」
「ええ人苦手なんだ、わかる。なんか何考えてるかよく分かんないよね。でもごめんね私やらないといけないことがある。」
レミリは圭介の方へ足を進める。圭介の肩に手を置き顔を近づけ耳元で囁いた。
「またね。ケイスケ」
感情の読めない、透き通っていてどこか重みのある声が圭介の頭の中にこだました。全身のエネルギーが活性化するような感覚に数秒酔いしれた。正気に戻りあたりを見渡すともうレミリは消えていた。
「なんなんだあの子は……」
レミリ・フュリオーラ。恐らくだが今まで出会った、もしくはテレビやスマホなど合わせて見てきた人類全ての中で一番圭介にとって異質な存在に感じられた。ここが異世界であろう場所ということを抜きにしても変わった人だった。そして何故か分からないがいつか必ずまた会う事になる予感がしていた。
「異世界召喚ってやつは、最初に美女が仲間になるってのはお決まりの流れじゃなかったんですか……」
圭介は折角勇気を出した誘いを断られたことを微かな声で嘆いた。




