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この世界で君に出会って

 賑やかな笑い声に背を向けると、世界が静まり返った。

 交差点はネオンサインで赤や青に輝き、その光が白銀の雪に反射されて余計に眩しかった。金髪頭を刈り上げた若者、短いスカートの地雷系女子、酔いつぶれたハゲ頭のサラリーマンが並んでいる。何回来ても落ち着かぬ"眠らない街"に、圭介は一人圧倒されていた。

 孤独にはそれなりに慣れてきたつもりだった。一人でゲームをしたり、音楽を聴いたりする時間は嫌いではない。しかし今日は何故か落ち着かなかった。いつもなら、交差点に立った時点でイヤホンを耳にねじ込んでいる。お気に入りの プレイリストをランダムで再生している。曲が再生されている間は、世界と自分との距離を保てる気がしていた。今日はそれができなかった。


 信号が変わり人の波が広がりはじめた。


 前から歩いてくるサラリーマンが横断歩道の白線で足を滑らせ転びそうになっていた。冬場は地面の至るところが凍る。気を付けていなくてはすぐに足をすくわれる。人が転びそうになる姿は間抜けなものだが今はそれが面白く感じられなかった



「おーい、待てよ」



 雑音の中、後ろから自分に向けられた声が聞こえた。少し息切れはしてるものの、聞き慣れた落ち着いた声だった。わずかに残った横断歩道を先に渡り終え、振り返ると、遥人がこちらへ向かってくる。



「どうしたの」



「いや皆カラオケとか行くっぽいんだけど、気分じゃなかったから。まだ腹減ってる?全然足りなくてさ、なんか食いいこうよ」



「うん俺も正直腹減ってる。行こう」



 川村遥人とは、高校二年のときに同じクラスになり出会った。連絡先は知っているが、用がなければ互いに連絡することはない。いつも誘ってくるのは遥人の方で、圭介は断らずについていくだけだった。

 圭介より一回り大きい背、顔は男の圭介からみても悪くない。薄く綺麗に整った真っ直ぐな眉、キリッとした二重の目に控えめな口元。となりに並ばれると圭介の方が悪目立ちしてしまいそうだった。


 ひとまず商店街の方へ行こうということになり、遥人と並んで歩き始めた。

 ネオンサインの明かりがアスファルトに滲む。スピーカー越しの呼び込みの声が耳の奥に残った。 遅れてやってきた寒さに、圭介は無意識に首をすくめる。 遥人と二人で並んで歩くのは数か月ぶりで、歩幅の合わせ方を忘れたみたいだった。



「ガチで久しぶりすぎるな。さっきの一次会でもなかなか話せなかったし。てかあれ謎に席決められてたし、食べ物も全然回ってこなかったしちょっとゴミすぎたよな」



 遥人は何気ない調子で言った。圭介は頷きながら、ポケットの中でイヤホンを握り締めた。



「ちょっとキツかったね。なんかの行事の班ごとだったよね。確か余って入れられたとこだったから誰とも話せなくてずっとスマホ見てた」



「ヒドすぎだね。もういいやこれから楽しも」



 遥人は眉をひそめてから呆れたように笑った。変に身構えてしまっていたが、話し始めると言葉がすらすらと出てきた。



「そうだね。てかさ受験お疲れ様だね。結局上京することにしたの?」



「そうだね。試験受けに行ったけど多分受かったと思う。」



「マジか!凄いな良かったね。受かるといいな」



 遥人はかなり勉強が出来る方だった。その本人が手応えを感じているならきっと受かったのだろう。しかし偏差値49の高校から現役で東京の有名私立大学に合格するのは大したものだ。



「だろ。やるときはやるんだよ俺も。」



 遥人は冗談っぽく笑って見せた。遥人は陽キャと呼ばれるグループに属してはいるが、いじられる立ち位置をとることが多いようだった。その点で圭介と共鳴したのかもしれない。遥人の交遊関係が広いとはいえ、誰でも彼でも話しかけているわけではない。圭介にとって、遥人は大切な存在だった。そのことを、本人に伝えたことはない。遥人がどう思っているかは、考えないようにしていた。



「そっちは教育大だったっけ?」



 遥人が圭介の顔色を伺うように聞いてきた。



「うん。二次試験はあんまり出来なかったんだけど、共テでめちゃくちゃ上振れたからそれで突破できないかなって感じ」



「うわマジか。でも受かってるだろ俺ら頑張ったんだし」



 その言い方には軽さがなく、しっかりとした口調で聞こえた。



「ちょっと気が早いかもだけど合格祝いの会みたいなノリで焼肉行っちゃうか?」



「行きたい。今日母さんに栄一貰ったから使いどころ来て良かったよ」



 圭介は地面に気を付けつつも軽い足取りでネオンの中に混じっていった。




○




「味噌ラーメンお待たせぃ!!」



 活力溢れる店主の掛け声の後、ほぼ同時に二つのラーメンがカウンターに置かれた。卒業式のあと、予約なしで入れる焼肉屋はどこも埋まっていた。どの店も二時間半待ちといった様子でとても待ちきれず、結局どこにでもありそうなラーメンのチェーン店に入った。



「なんかごめん。張り切っちゃったのに、興ざめだな」



 遥人も残念だったろうに、律儀に謝ってきた。そして誰を責めるでもなく顔をしかめていた。



「いや謝らないでよ。いきなり行けるわけないよな。俺もなんも考えてなくて恥ずかしいわ」



 油の染みた壁、くすんだ照明、やけに低い椅子と、安っぽい店内であった。圭介は深く腰掛け、この店にしては綺麗なラーメンを覗いた。チャーシュー二枚、味玉、海苔、きちんと横に揃えられた細麺。七百円にしては割と上出来ではないか。

 遥人はというと入口のドアのほうをちらりと見て、肩をすくめた。



「ここ、すげえ寒くない?」



 そんなことを小声で言いながら箸には手をつけず、不服そうにラーメンを眺めている。



「今日くらい良いもん食いたかったなあ。圭介とも最後になるかもだし」



 ようやく割り箸を割り、麺をかき混ぜていた。



「そうか、確かに。東京行っちゃうんだもんな」



 自分は上京するのとは無縁であったから考えもしなかったが、他の県へ行ってしまう同級生も少なからず居たのであろう。圭介は思わず奥歯を噛み締めた。



「ていうか、それなら俺のとこ来て良かったの?いつもの皆と遊びに行った方が良かったんじゃない」



 遥人は視線を落とし、少しの間麺をかき混ぜながら見つめていた。聞いてはいけなかったのかとも思ったが、そういったことではないような落ち着いた顔をしていた。



「本当は今日もそいつらと遊ぶ予定だったんよ。彼女も他の子たちと遊ぶって言うからさ」



 圭介は俯き、唇を噛んだ。



「三年間ずっと集団で遊んできて、楽しかったし心地よかった。でも同時に満たされてないような感じもしてて、自分でも良く分からなくてさ」



 遥人と目が合った。しんみりとした沈黙が立ち込める。どうして良いか分からずいると遥人は再び視線を落とし、麺と海苔を掴みゆっくりとすすった。



「なんかもうよく分かんなくなっちゃってさ、最後に抜け出してみたくなった、みたいな」



 遥人はどんぶりの中をぼーっと眺めながら独り言のように呟いた。いきなり聞かされてもどう反応して良いのか分からない。何か言おうとしたが言葉が喉につっかえて出てこなかった。同じように麺をすすり、水を飲み干した。



「俺なんて毎日楽しくもないし、満たされてもないからその気持ちが分からないな。ごめん」



 圭介の毎日は、何一つ実が無かった。学校へ行って帰って、適当にアニメや動画を見て寝る。それだけだった。



 外の世界から逃げたいと思ったのは、まだ物心ついて間もない頃だった。



『チビ』


『きもちわる』


『次から圭介抜きでやろうぜ』


『走り方おもろ』



 小学生の頃、軽くイジられることが多かった。少し不快だったけど言い返す勇気もなかったし、反発するほどでも無かった。

 ある日の教室で、今までのが爆発したのか、何かをされたのかは覚えていないが大泣きをしてしまった。涙を止めようにも止まらず、皆の前でずっと泣いていた。気まずそうに視線をそらす者、面白がってにやける者、苛立ったように眉をひそめる者、全ての意識が圭介に向かっているように思えた。



『みんな何してるの!ひどいよ謝って』



 庇ってくれる女子が現れ、それを皮切りにいつもイジって来ていた男子たちが非難の的になり、次第に大事になってしまった。その後どうやって収まったのかは思い出せない。

 みんなの顔も、名前も忘れてしまったがそのときの周りの雰囲気、温度、言うことの聞かない体の震えは今でもはっきりと思い出せる。


 その日以来、一人で過ごすことが多くなった。小中高と、クラスメイトのことはほとんど覚えること無く学年を上がっていった。


 だからこそ遥人は大切な友人だった。遥人の方から関わってきてくれた。嫌なことを言われることも無かったし、自然体でいられた。圭介はそっと息を吸い、口を開いた。



「俺にとって遥人はずっと憧れだったよ。それでも意外とそういうことで悩んだりするってのはちょっと意外だった」



 声がうわずらないよう、緊張しながらも平然を装おって話した。遥人は勢いよく顔を上げた。笑顔とも困り顔とも取れない微妙な顔をしていた。



「ははは。ホントごめんな変な話しちゃって。今度こっち帰ってきたときなんか奢らせてよ」



 遥人の声はまだ弱々しかったが、普段の落ち着いた声に戻ったようにも聞こえた。

 その後は取り留めもない思い出話や将来の話をしながら食事を終えた。いつもより少しだけ長い時間を過ごしたような気がした。




○




「また会おうな。帰ってきたら連絡するよ」



「うん分かった。気をつけてね東京、怖い人多そう」



「ありがとう。そっちも雪で凍え死なぬなよ」



 遥人は笑いながら拳をこちらへ向けてきた。圭介が拳を合わせると遥人は満足したように笑い、あっさりと去っていった。

 ここら辺で飯を食うときはいつも店を出るとすぐ別れる。遥人はJRで、圭介は地下鉄で帰る方が都合が良いためだ。



「また一人になるな」



 遥人とは高校で出会ったため、小中はほとんど一人で時間を過ごしてきた。大学生になってそれを変える自信も気力も圭介は持ち合わせていなかった。

 人とはコミュニケーションも上手く取れない、得意なこともない、平凡以下の人間。だとすれば俺は、これから何のために生きるのだろう。何をして楽しめば良いのだろう。俺がこれからの生活を少し憂鬱に思いながらも駅へと足を進め始めた。



 何かが近づいてくる。



 目眩がした。



 世界から音が消えた。



 世界から光が消えた。



 誰かに体を触られるような感覚がした。



 体が揺れる。



 内側からバラバラになりそうだ。



 胃のなかのものを全て吐き出しそうだ。



 声が聞こえる。



 どこが上なのか、どこが下なのか分からなくなった。




○




 声が聞こえる。




『∀ε♭∃งδ…??』

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