2201.02.13 ②
《13:00 Sランク寮》一也side
ここ数週間ほど、泰久様はぼーっとしていることが多い。
壁にぶつかったり、自販機で紅茶を買おうとして炭酸飲料のボタンを押してしまっていたり、哀花様が寮にやって来ると趣味である読書にも集中できない様子でしばしば視線を本から外したり戻したりと忙しない。
さすがに訓練の時は集中しているとはいえ、いつもの泰久様らしくないのは明白だ。
電波ジャックのニュースを観ても怒りもしなかったし、頭の働きが鈍っているとしか思えない。
「最近何かありました?」
いい加減気になるのでそう声を掛けると、昼食後の一時を過ごしていた泰久様はゆっくり顔を上げた。相変わらず、男の僕でもぞっとする程綺麗な顔をしている。
「よく気付いたな」
「分かりますよ、何年一緒にいると思ってらっしゃるんですか」
「……少し、気掛かりなことがあるんだ」
手に持っていた今では珍しい文庫本に栞を挟んで机に置いた泰久様は、難しい表情をして言った。
「最近、哀花といると鼓動が速くなることがある」
「……は?」
「哀花といる時だけだ。訓練を終えて十分時間が経った後でも、運動をした直後に似た状態になる」
「……」
「どうしてなのかずっと考えていた」
ずん、と重たいものが肩の上に乗った気がした。
僕は心の何処かで現状に甘んじていたのだ。
泰久様は絶対に哀花様を好きにならない。
哀花様が泰久様以外を好きになることも絶対にない。
二人が結ばれることは無く、哀花様が誰かの物になる可能性も無い。
―――だが、泰久様が少しでも振り向いたら?哀花様の強い恋心に揺れたら?
今まで考えもしなかった可能性が今になって現実味を帯びた形で浮かんできたせいで、死角から刺されたような気分になった。
じくり、と体の端から蝕まれるような感覚が広がる。
サスペンス映画の次のシーンを待つかのような気持ちで泰久様の次の言葉を待った。
泰久様は僕の目を真っ直ぐ見て、―――ゆっくりと口を開く。
「ただの不整脈といえど甘く見てはいけない。WPW症候群やブルガダ症候群、先天性QT延長症候群、急性冠症候群、狭心症といった心疾患が原因である場合もあるようだ。しかし軍の定期健康診断で引っ掛からないことから可能性は低いだろう。それに、今のところ不整脈以外の異常はない。俺は煙草を吸わないし、アルコールやカフェインが原因ではないかとも考えてみたんだがやはりそれでは哀花がいる時だけ鼓動が平生より強くなることへの説明がつかない。原因がよく分からないんだ。早めに専門的知識を持った人間に診てもらうべきかもしれないんだが、お前はどう思う?」
「ぶん殴っていいですか」
身構えて損をした。
そういえばこの男はこういう奴だった。
僕にしては過激な発言をしたことに対し疑問を抱いたのか、泰久様は小首を傾げる。
「いきなりどうした?お前らしくもない」
「ソーデスネ、僕らしくもない愚にも付かぬ心配をしてしまいましたよ。貴方が肝心なところでどこかズレた鈍感であることは重々承知していたはずなんですがね」
「……馬鹿にしてるのか?」
「あーいえいえ、泰久様はそのままでいいんですよ。泰久様が泰久様で安心しました」
自覚が無いのなら無いでいい。
寧ろその方が好都合だ。
泰久様にとって哀花様がただの幼馴染みの枠を越え、多少は女性として意識され始めたのかもしれない。
しかし恐らくこの男はそう簡単には自分の変化に気付かない。
「心疾患を疑うのは早とちりでは?低血圧や貧血でも動悸は起こりますし」
そして僕は、泰久様の言う“不整脈”の正体を教えてやるほどお人好しじゃない。
「……そうか。そうだな」
安心したのかふっと笑う泰久様を見てこちらの方が余程安心したということを、この男は知らない。
―――僕の物にならないのなら、せめて誰の物にもならないでほしい。
いつも僕の胸にあるのは、そんな控えめでいて強欲な願いだった。
泰久様と別れた後、人気の無い廊下にある自販機でブラックコーヒーを買っていると、後ろから抱き付かれた。
香りですぐに分かってしまうのがいっそ腹立たしい。
「だーれだっ」
隠すつもりもないくせにふざけてそう聞いてきた哀花様は、くすくす笑いながら僕の前方へと回る。
「……見られたらどうするんですか」
「ここ誰もいないじゃん」
僕の手にある缶コーヒーを勝手に奪い、味見して「苦っ」なんてすぐ口を離す哀花様。ブラックは苦手なようだ。
「よくこんなもの飲めるよね」
「珈琲は意外と体にいいんですよ」
「飲むと体にいいと言えば、精液飲むと体にいいみたいな話無かったっけ?あれ?上の口からじゃなくて下の口からの話だったかなぁ?忘れちゃった」
どうしてそういう話題にばかり持っていくのか……と内心呆れながらも哀花様が返してきた缶コーヒーに口を付ける。
「でもフェラ苦手なんだよねー。体に良かったとしても飲みたくないや」
「へぇ。そう言われてみれば僕にしてきたことないですね」
「精液の味がさ、好みじゃないの。初めて口内で受け止めた相手のがすっごい不味くてさ。それからフェラできなくなった。あんなん飲めたもんじゃないよー」
「……」
「ん、どうかした?」
「いえ、何でもありません」
一瞬良からぬ想像をしてしまったが、あまり具体的に考えると下半身が反応してしまいそうなので無理矢理思考を停止し、他の質問を投げ掛ける。
「泰久様に何かしました?」
そう、これが哀花様に今最も聞きたかったことだ。
優香様しか眼中に無かった泰久様が、何故哀花様を今になって女性として意識し始めたのか。それが分からない。
僕が見ている間には何も無かったはずなんだが……と思いながら哀花様の答えを待ったが、
「え?何かって何?」
どうやら哀花様自身は特に何もしていないつもりらしい。
あれは泰久様の内から生まれ出た変化ということなのだろうか。
「あぁ、いえ。泰久様が電波ジャックの件に関して言及なさらないので、珍しいなと思いまして」
「あ、それだよね!ほんと謎!ニュース観てないのかなぁ?ずっとやってるのに」
「ずっと放送していると言っても、最近落ち着いてきましたよね」
「まぁ育成所の取り締まりも終わったみたいだし、国民の注目が他の事件に向くように私が仕向けてるからね」
にひっといたずらっ子のように笑った哀花様は、ふとポケットから端末を取り出し、画面を見て真面目な顔になった。
「……あー、電話だわ。そろそろ行くね。また今度」
僕に背を向け小走りでどこかへ行ってしまう哀花様の手にある端末は、見慣れないもので。
買い換えたのか?と少々疑問に思いながらも、椅子に腰をかけコーヒーを飲む。
哀花様が苦いと言ったブラックコーヒーは、僕にとっては甘いものだった。
《13:30 廊下》
「もしもーし?かけ直してくれてありがとね。朝掛けても出なかったからてっきり無視られてんのかと思ったよー」
『ったり前じゃあん?時差ってもんを考えなよねえ、時差ってもんを』
私の持つエフィジオの端末に電話を掛けてきたのは、イタリィの秘密警察オヴラのお偉いさんであるルフィーノ。
私が今朝彼に電話を掛けたのは、勿論理由がある。
「オヴラって、VIPの護衛もするよね?」
『お答えできませえん』
まぁ、そりゃそうか。業務内容なんて言えないよね。
前置きはやめにして、質問を変えた。
「人を見て安全か危険かって分かるもん?」
『そりゃ挙動で分かることもあるけどお……何、何かあるのお?』
「ちょっとね、事件を未然に防ぐお仕事任されちゃって」
警備のプロなんて知り合いにはいない。国は違えど、聞くならルフィーノがいいと思った。
『んー、敵国の人間とはいえ女の子だしい、ちょーっとだけイイコト教えてあげる』
「そりゃ有り難いね」
『まず、見るだけでその人の危険性を見抜くってのは素人には難しい』
「……うん」
『だけど、機械を操るだけなら素人でも可能。日本はその手の技術発達してるしい、そういうのに頼るといいよ』
「機械?」
『あるでしょ、人を映すだけで危険性を判断してくれるマシーン。表情挙動でその人間の感情が分かるっていう、今まで何度も暗殺事件を未然に防いでる機械だよ。まあ、使用許可が下りるかどうかはまた別の話だけどお』
……ふむ。最新の警備技術だ、聞いたことはある。
しかし、そんな物を一般人に貸してくれるほど気軽な組織は無いだろう。……乗っ取るしかない。
「ありがと、ルフィーノ。参考にするね」
『うんうん、お礼に君との素敵な時間をくれなあい?今度ゆっくりお茶でも…』
ルフィーノの話の途中でブツッと通話を切って角を曲がろうとしたところで、誰かにぶつかった。
おおーっとこれはかの有名なぶつかったところから恋が始めるアレ!?なんて思いながらちょっとよろけたが転ける程では無かった。
顔を上げると、そこには見知った男―――大中華帝国少将の泰然がいた。
見るからに堅物だが所謂美形の彼は、20歳になったばかりの若手だ。
「え、1人?案内人は?」
大中華帝国の上層部が何でほったらかしにされてるんだ?
「1人になりたかったから便所に行くって言って逃げた」
「ぶははははは!お前真面目そうに見えて案外不真面目だよね~。騒ぎになる前に戻りなよ?」
「分かってる」
「てか今回何人来てるの?そっちは」
「某と春梅、緑仙だけだな」
毎度の事ながら日本語完璧なはずのタイランから出てきた某という一人称があまりに古風で吹きかけた。戦国時代かよ!
危ない危ない、ここで笑ったら某という一人称がおかしいと気付かれてしまう。面白いからできればこのままにしておきたい。昔からそうだったし。
一体何の影響を受けた日本語なんだか……。
それにしてもそうか、全員は来てないのか。
まぁ全員同時に日本へ来るとその間国の防衛が手薄になるしね。
次に質問してきたのはタイランの方だった。
「ティエンはこっちに来てないか?」
「来てる来てる。バリ来てる。てか私の部屋にいる」
「やっぱりか……迷惑をかけてすまないな」
「うん、早いとこ持って帰ってくれる?」
「しかし、お前といる方があいつは大人しい」
「え?もしかして押し付けようとしてる?え?」
信じられないと顔で訴えたが、タイランは「変顔のバリエーションを増やしたのか」と感心してきただけだった。
タイランを長くこの場に居させると案内人が困るだろうと思いそこで話を区切って去ろうとしたのだが、タイランは私の格好が気になるらしくじろじろ見てくる。
「本当に超能力部隊に入ったんだな」
「前も言ったじゃん。まだ信じてなかったの?」
「お前の吐く言葉はどれが本当でどれが嘘か分からない」
酷い言われようだなぁと思ったけれど、事実なので何も言い返せなかった。
「男のふりをしてまで入る意味が分からない」
「私には意味あることなんだよ」
「何が目的なんだ、お前は」
「別に大した目的なんかない」
「相変わらずの秘密主義だな」
「どうしたの、今日は妙に踏み込んでくるね」
「……別に。気分だ」
タイランはそこで漸く戻る気になったらしく、私から視線を外して元来た道を戻っていく。
タイランの背中をきちんと見たのは久しぶりな気がした。
いや、会うことは多いのだが、こうして後ろから見ることはあまり無かった気がする。
……大きくなったなぁ。
私は5年前を思い出し、思わずくすりと笑った。
【第五章】終了です。
長い話ですが、ブックマークありがとうございます!




