戦う決意
「すみません、招待しておいて遅くなってしまい……その、女官たちから服装を窘められまして」
一度会釈をしてから説明をするパトリスの服装は確かに普段よりも洒脱な雰囲気があった。
青い血管が浮かぶ白い肌に似合うようにシャツは淡い水色をしている一方でベストは濃い青のビロードが使われており、白いパンツと合わさって清潔な印象を与える。
もっとも、パトリスの髪型や肌は相変わらず不摂生が現れているために完璧とは言い難いが女官なりの試行錯誤が感じられた。
だが、今のジゼルにはパトリスを呼び止めた女官たちの本当の狙いは王妃がこの部屋にいる間のパトリスの足止めだったのではないかと思えてしまった。
「……あの、何かありましたか?」
「い、いえ、ちょっと考え事をしていただけですから」
反応の鈍いジゼルを案じて声をかけてくれたパトリスにジゼルは急いで首を左右に振った。
幸いにして針で刺された傷跡は小さく、血が止まってしまえば目立つものでもなかったためにジゼルは手をかるく握ったまま微笑みを浮かべた。
「その、新作の詩はどうなりましたか」
「ああ、はい、フォルタン嬢のおかげで良い具合に進んで……良いところまで出来上がったので、ぜひ貴方に読んで欲しくなったんです」
「よろしんですか!?」
まさか自分が新作の詩を読ませてもらえるなど想定さえしていなかったジゼルは歓声をあげながら自分の口元に手を添えてまっすぐパトリスを見上げた。
パトリスもまた、ジゼルの素直な反応を見ていると我知らずに頬が緩んできてしまい、自分の口元へと手をやった。
こほん、と一度咳払いをしてからパトリスは少し足を進めてジゼルを先導しながら自室に向かっていった。
城内の廊下は広々としていて大人が8人ほど横並びに歩いてもまだ余裕のありそうな廊下で、右手の方には大きな窓ガラスごしに手入れの行き届いた庭木が黒々とした葉に雨を受けていた。
廊下を歩いている間は話をするのはマナーに反するためジゼルもパトリスも無言であったが、ちらりとパトリスが目をやると今から読む詩を想像しているのか、それともジゼルには廊下までも楽しい素敵な空間に見えているのか頬をほんのりと赤らめ、両目をきらきらと光らせて歩いていた。
パトリスは思わず吹き出しそうになる口元に手をやって、自分の部屋の扉へと目をやった。
パトリスの部屋の扉は深い黒っぽい色をしたウォールナットでできていた。
ウォールナットは歪みの少ない木材であったため、騒がしいのを嫌うパトリスは部屋がぴったり閉ざしてしまえるこの扉が好きだった。
しかし、今はその扉がほんの一条開いておりパトリスは目を見開いた。
「まさか……」
嫌な予感を感じ取ってパトリスが目を見開くと、ジゼルは急ぎ足になったパトリスを追いかけて小走りになった。
パトリスが自室の扉を開くと散乱した紙の束が床に散らばる部屋の中で、王妃ガブリエルがやわらかな笑顔を浮かべてデスクの上にある紙束を手に取っていた。
その紙は真鍮の留め具ではめられており、決してゴミなどではないということは初めて見たジゼルにもよくわかった。
「あらあら、女の子を招待するのにこんなに汚い部屋ではいけないわよ」
ガブリエルはまるで親切心から案じるような口調で告げていたがその姿を見たパトリスの体は緊張感からこわばっていた。
ジゼルもまた胸の内側に空気の塊が詰まるのを感じていた。
ガブリエルの手に握られているのはおそらく、パトリスがあの日から書き溜めてきた詩だろう。
きっと彼が美しいと思ったもの、素晴らしいと思ったもの、そういったすべてが丁寧に優しい穏やかな情熱を込めて書き込まれているに違いない、その確信がジゼルの体を固くさせていた。
「すみません、部屋の片付けは後ほどいたしますので」
「だめよ、貴方、そればっかりで結局いつも散らかったままなのでしょう?」
パトリスが冷たい口調で言っている間もガブリエルはまるで気にする風でもなく、軽い足取りで部屋のなかを暖かく照らしている暖炉へと近寄っていった。
パトリスはもはやガブリエルの行動を諦めるように眉を下げて自分の唇を噛み締めた。
そうやってパトリスが自分の作品を失う覚悟をしているのをみると、ガブリエルは微笑みを浮かべたままひょいと手を暖炉の方へと伸ばし、紙束を投げ込んだ。
だが、その瞬間ただ立ち尽くしていただけのジゼルが飛び出すようにして手を伸ばした。
「ダメです!」
暖炉の中に手を突っ込むと表紙に火が燃え移りかけた紙束を引き寄せ、抱きしめるように胸のうちに抱くとジゼルはそのまま暖炉に転がりかけた。
すんでのところで頭ががつりと暖炉の飾りにぶつかりよろめいたおかげでジゼルは火の中に倒れずに済んだ。
しかし、薄い生地のドレスの裾は火が燃え移ってしまった。
その火を見てパトリスは急いで駆け寄ると手で火のついた袖を掴み、引きちぎった。
「あらあら、大変。 大変だわ」
その様子を見ながら面白そうに笑ってガブリエルは部屋から出て行った。
その足取りはとても軽く、義理の息子の部屋で怪我人を出したという風ではまるでなかった。
「い、つ……」
ジゼルの指先は一瞬炎のなかを通っただけだったので無事に紙を掴んでいたが炎がまとわりついた腕には真っ赤な焼け跡がついていた。
そして、パトリスもまた強引に裾をちぎったために両手の皮膚がめくれ上がっていた。
そんな状況だというのにジゼルが少し焦げただけの紙束を握っているのをみてパトリスは堪らない感情に突き動かされて声をあげた。
「こんなもの……こんなもののために、火に飛び込むなんて!」
信じられない、というように声を張り上げたパトリスを見上げてジゼルはぐ、と眉根を寄せた。
いつもは情けなく垂れ下がっている眉を高くあげて、ジゼルはそのままパトリスの深い青色をした目を見つめた。
「こんなものじゃありません!……これは、パトリス殿下の心なんですから」
「ッ……」
パトリスはジゼルが泣き出すものだと思っていた。
しかし、ジゼルの目は大きく見開かれて、泣き出すのをこらえたままパトリスを見つめ続けていた。
ジゼルは初めて強い怒りを感じていた。
その怒りはガブリエルの非道に対してであり、それと一緒に自分の作品を見捨てようとしたパトリスに対してもだった。
自分に向けられた怒りの生々しさ、そしてその根底にあるジゼルの熱に揺さぶられるような思いにパトリスはジゼルの体を抱き寄せた。
ジゼルの体は痩せていて、年よりも幼い体格をしていて、パトリスの腕の中でさえも頼りなげに揺れていた。
その細い肩を震わせて、それでも紙束をしっかと抱きしめて腕に力をこめている姿にパトリスは静かに頷いて、ジゼルの顔を見つめた。
「私は、戦う。 貴方のために、私自身のために戦います」
「パトリス殿下……?」
告げられた内容に戸惑うようにジゼルは顔を見上げた。
パトリスの分厚い一重瞼の下で真っ直ぐに切れ上がった目が一点を見据えていた。
その見据えた先には先ほどガブリエルが出て行った扉があった。




