幸せ
……何かが、俺の頬に触れる。
なんだ……?
痛む全身と、割れそうな頭を押さえながら、俺は目を開けた。
するとそこには――割れたガラスが剥がれ落ちるように、崩壊していく空が広がっていた。
崩壊した景色はヒラヒラと揺れ落ち、地面に触れた途端、綺麗な粒子となって消えていく。
剥がれ落ちた箇所の奥には、晴れ渡った空が覗いていた。
俺は、周りを見渡す。
左には、俺に背を向けて茫然と立ち尽くす緋音さんの姿。
コモは少し離れた地面にへたり込み、ただ空を見上げている。
なんで、緋音さんがここに……?
というか、ここは一体……。
「痛っつ……」
思い出そうとすると、頭に激痛が奔った。
「起きたか」
俺の声に、緋音さんが振り向く。
その顔は、喜びとはかけ離れた、なんとも微妙な表情をしていた。
「――おーい! 零人、大丈夫か!?」
遠くから、俺を呼ぶ声が聞こえる。
声のする方へ顔を向けると、凪達がこちらへ駆け寄ってくる姿が見えた。
俺は、今まで何をしていたんだっけ……。
「零人! すずちゃんは?」
駆け寄ってきた凪が、辺りを見渡しながら俺に問う。
すず……?
――そうだ、すずは!?
――瞬間。
頭が割れそうな程の激痛が奔った。
……。
…………そうだ。
す、ずは……。
俺は、何も持たない両手を見る。
その手は、赤く血に染め上げられていた。
震える手を内ポケットへ忍ばせ、すずから貰った小さなキャンバスを取り出す。
相も変わらず、そのキャンバスには、とても美しい芸術が彩られていた。
空から落ちてきた空間の断片がキャンバスに触れ、砕け、粒子となって光る。
その表面には、滴に濡れた跡が、点々と残っていた。
「……凪。ご、めん……。お……俺は……」
「おい……。まさか、そんな訳……」
――俺は、すずを守れなかった。
――ましてや、すずに守られた。
――あれだけ、誓っておいて。
――あれだけ、格好つけた癖に。
――結果、この様だ。
――口だけで、何も守れやしない。
――俺が……俺が、弱いから。
――意思も、覚悟も、実力も。
――何もかも、全部!
緋音さん以外の全員が、顔を伏せている。
すずの結末を、察したのだろう。
誰も、口を開かない。
「私は、そのすずという人間を知らない」
沈黙が支配するこの空気を、緋音さんが破った。
そうだろう。
緋音さんは、すずに会ってすらいないのだから。
「大切な人だったのか?」
そう、俺に問いかける。
……当たり前だ。
過去の話を聞いた。
辛い目に遭ってきた事も知った。
そして、すずの優しい心を知った。
こんな人が辛い目に遭うのは、間違っていると思った。
助けたかった。
幸せに、なって欲しかった。
「幸せにしたかったんですよ……俺は!」
気持ちが、溢れ出す。
俺の中でドロドロに煮詰められ、濁流となった負の感情が、口から止めどなく溢れ出す。
「なんで……なんでもっと速く来てくれなかったんですか!!」
「……」
緋音さんは、何も言わない。
止められない。
間違っていると頭で分かっていても、この感情を止める術を、俺は知らない。
「緋音さんがもっと速く来てくれれば、すずは……すずは死な――」
「……歯ァ食いしばれ!」
凪は、俺が最後まで言い切る前に、俺の顔面へ強烈な右ストレートを放った。
俺は吹っ飛ばされ、地面に情けなく倒れる。
「……零人。俺はお前の、そんな情けねぇ言葉を聞きたくねぇよ。……誰かのせいにする姿なんて、よ」
――分かってる。
分かってるさ、俺だって。
でも……俺は、どうすればいいんだよ。
「零人。私を殴れ」
緋音さんは俺の前に立つと、そんな言葉を口にした。
「それで気が済むだろう? 私を殴れ」
「……無理ですよ。そんなの」
出来るわけが無い。
緋音さんは、何一つとして悪くないのだ。
俺が子供で、弱いから……。
「……人にやれることなんて、限度がある」
緋音さんは俺の胸ぐらを掴み、鷹のように鋭い目を、俺の目と合わせた。
「全員が全員、守りたい物を守れるわけじゃない」
その瞳は赤く燃えていて、そのまま俺の身まで焦がしてしまいそうだった。
「それでも守りたい物があるなら……強くなるしかないんだ」
緋音さんはそのまま、俺を突き飛ばす。
俺はよろめきながら、後退した。
「少し、頭を冷やせ」
強く……なる?
――遅いよ。
もう、ここにすずは居ないんだ。
俺はみんなの目線を避けるように、ログアウトするため、街の方向へ歩き出す。
「コモ。一緒に居てやらなくて良いのか?」
トボトボと歩く俺の後方で、何か話している声が聞こえた。
「……今の僕に、そんな資格はないから」
――――
――――――
――――――――
俺は、ダイブギアを外す。
その勢いのまま、ダイブギアを棚へ投げつけた。
ガシャァァン!
棚にしまってあった物が、色々と落下していく。
窓を見ると、日が落ち、雲に覆われて月すら見えない夜の暗闇が映っていた。
「……寝よ」
寝て目が覚めたら、実は今のが悪夢で、ソウルリンカーにはすずが生きているかもしれない。
――そんなこと、あるはずもないのにな。
俺は、目を瞑る。
カチカチカチ、と秒針の動く音が部屋に響く。
普段ならそんな音、気にもしないのに。今の俺には、やけに癪に障った。
――。
――――。
目を開ける。
……いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。
最近連続でダイブしていたから、脳が疲れて、気づかないうちに寝ていたのだろう。
……今日は、学校か。
――休もう。
到底、学校に行けるような気分じゃない。
だが、この最悪な気分を少しでも晴らしたくて、外には出たかった。
俺は適当な私服を引っつかみ、今着ている服をベッドへ放り投げ、着替える。
玄関へ行き扉を開くと、外は土砂降りの雨だった。
ハハ。
まさに今の俺の気持ちそっくりだ。
このクソみたいな俺を、そのまま洗い流してくれよ……。
俺は傘も持たず、アパートの階段を降りる。
すると雨のためか、いつもの中庭ではなく、一階の廊下にベンチを移してタバコを吹かす薫さんがいた。
「零人、おはようさん。……ん? 今日、学校のある日だよな。私服なんて着て、どうした?」
「……」
薫さんに話しかけられる。
しかし俺は今、誰とも話す気分になれない。
顔を俯け、出来る限り顔を見られないようにして、雨の中を駆け出した。
「おっ……おい!」
薫さんが俺へ手を伸ばす。
しかしその手は、空を切った。
雨が、全身を濡らす。
その不快感が、今の俺には、心地よかった。
土砂降りの雨の中、傘も差さずトボトボ歩く俺に、通行人はギョッとした反応をしながらも、脇を通り抜けていく。
今は、誰にも話しかけられたくない。
「……大丈夫ですか?」
誰かが俺の前で立ち止まり、傘を差しかけてきた。
なんだよ。
俺を心配するなよ。
……もう、放っておいてくれよ。
しかし、傘を持つ腕を俺へ向けたとき、フッと香水の匂いが香った。
金木犀の匂い。
梅雨時だというのに、この季節はずれの匂い。
そして……この声。
俺は、顔を上げる。
そこには――。
――すずが、いた。
俺を心配するような表情を浮かべ、片手にハンカチを握っている。
――なんで……。
すずはネーディアで、ソウルリンカーの世界にしか居ないはずなのに。
俺は、思わず声が漏れた。
「す、ず……?」
俺の呟きが聞こえた彼女は、目を見開く。
「え……? どうして私の名前を? ……どこかで、お会いしましたっけ」
違う。
顔も声も、一つ一つの仕草も、まるですずだ。
しかし、俺の心は明確に「違う」と叫んでいる。
「あっ……間違え……ました」
彼女は俺の答えに、不思議そうな顔をした。
「こんな雨の中、傘も差さずにいたら、風邪を引いちゃいますよ」
すずであり、すずではない。
グチャグチャになりそうな感情の中、俺は、無意識に口を開いていた。
「俺の……独り言を、聞いてくれませんか?」
「え?」
駄目だ。
止められない。
鼻をくすぐる金木犀の香りが、俺を狂わせる。
見ず知らずの人間にこんなこと言われても、訳が分からないはずなのに……。
「――守れなくて……ごめん。あれだけ格好つけて……誓った癖に。守るどころか、守られて……」
彼女は、黙って俺の話を聞く。
俺は、彼女の顔が見られない。
どんな顔をしているのだろう。
どんな気持ちで、俺の話を聞いているのだろうか。
だが、見なくても――彼女がまっすぐ俺へ視線を向けているのが、分かった。
「幸せにしたかったのに……。すずを……すずを死なせて――」
その先の言葉が、出なかった。
溢れ出す感情に、口が追いつかない。
「……私には、貴方に何があったのか、分かりません」
言葉に詰まり俯き続ける俺に、彼女は静かに声をかけた。
「だけど……私なら……そう。私がそのすずさんだったら、幸せだったと思います」
俺はその言葉に、思わず顔を上げる。
そこには――俺に傘を差し出したせいで、自分は濡れているにも関わらず、俺へ笑顔を向けるすずがいた。
「私を守るために、必死になってくれて。守れなくて、こんなに悲しんでくれて。そんな人に守ってもらえて……そして私が守れたなら……たとえどんな結果であれ、私なら……幸せに感じると思います」
俺は、顔を上へ向ける。
目の前には彼女の差し出す傘があるはずなのに、空から降る雨は、俺の顔へ落ちることを止めない。
彼女の言葉で、俺の中に渦巻いていた感情の嵐が――雨となって、世界に降り注いでいくようだった。
「あ……ありが、とうござい……」
溢れ出す感情に言葉が詰まり、感謝の一言すら、まともに言えない。
「よかったら……これで元気出してください。つまらない物ですけど……私が作ったんですよ!」
彼女はハンカチをポケットへしまい、肩にかけた手提げ鞄を漁る。
そこから取り出されたのは、オリジナルらしき可愛いキャラクターが描かれた、アクリルのキーホルダーだった。
「こ、れは……」
「私、自分の作った物で人を笑顔にするのが夢なんです。……漠然としてるでしょ?」
あぁ……。
ちゃんと、すずはこの人が元になっているんだな。
心優しく、才能に溢れ、強い。
そんな彼女が、とても眩しかった。
「貴方なら……叶えられますよ。絶対」
「ありがとう。励ましてるつもりが、なんだか私が励まされちゃったね」
彼女は照れながら、笑みを浮かべる。
「私、折りたたみ傘も持ってるんで、この傘あげます! その代わり、元気出してくださいね」
手提げ鞄からピンクの折りたたみ傘を取り出し、彼女は俺へウインクをした。
「それじゃあ、お元気で!」
彼女は土砂降りの雨の中、力強い足取りで俺に背を向け、歩いて行く。
俺は、そんな彼女の背中を見送った。
――強く……ならなきゃな。
守りたい人を、守れるように。
この理不尽で、それでも素敵な世の中を、力強く歩んで行けるように。
俺は振り返り、彼女の進む道とは逆の道を歩き出す。
謝らなきゃいけない人が、大勢いる。
ふと、頬に当たる雨が、少しだけ弱まった気がした。
俺は、空を見上げる。
遠い空の先――雲が途切れ、その隙間から、黄金色に輝く太陽が顔を覗かせていた。
第一章の終わりです。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
もっと話を長くしたかったんですが、僕の力不足により、駆け足になってしまいました。
反省です……




