業業言う冷戦(前編)
今までで一番面白いです
自分がどこにいるのかよくわかっている。少なくとも、今は。
『バドゥン! バドゥン! バドゥン・ドゥビドゥビドゥビドゥ!』
これは見ての通り、バドゥンドゥビドゥ・ロックバンドのステージだ。飛び散る血しぶき、グロい死に様、カタコト言葉に謎のカンフー、カタナを振るう金髪美女。私の世代がイカれてるって? ほざけ。ならば、なんなんだ、この映画は。
「トネカ。ここまで観ておいて今更だとは思いますけど、ひとつも意味がわかりません」
酔わない体質。乗り込んだ船はここまでの数時間、ずうっと波にゆられている。
元『着物掛加絲子』。黒のボブ。ごく普通の学生だった。
そのはずだった。
理由あって現『カイコ』の私は、アナログテレビに映る映画よりも外の景色を眺めたくなって、隣に座っている赤いふんわりショートヘアの『トネカ』に向け、優しく胸ぐらを掴んで尋ねる。
「ひとつも意味がわかりませんって言っているんですよ。シーンのどこか一つにでも何らかの意図が込められていましたか? どうして主演女優の人が鑑賞する人と同じ気持ちで演じているんですか?」
まさしく、ソフトに、優しくだるだるなニットの胸ぐらを掴んだのだ。だけどトネカはそれでも、目ではなくって頭にかけた金色に光る大きな飾り眼鏡がずれたと感じたようで、同じ手に持ったタバコの火をものともせず、その位置を誰も知らない正しい位置へと微調整している。
「や、ぼくちゃん様はただ、カイコが日本が恋しくねえかなって思っただけで。ほら、小ネタのひとつひとつってんならタランティーノにかわって説明する事はできるけれども、んなの、おじさんっぽくてヤだろ、無粋ってもんだろ。パロディ元を聞いて名作に化けるわけでもねえし。ただ断言する。こいつぁ、いわゆる奇作のなかじゃ最も観れる。そいつぁすげえ事なんだ。だって名作じゃねえのに、駄作じゃねえんだぜ」
天才メカニック、天才臨床心理士・精神科医。この一連の並びがこの船の上で誰に当てはまるか? 私じゃない。信じられないのは私もだ。私の切れるカードはといえば、”中卒”の一枚だけ。
「センチメンタルを癒やすために? キル・ビルを?」
——キル・ビルの頃の栗山千明に似てるよ、てるよ、よ……、脳の奥底からうずく、葬り去った過去の恩師。鼓膜をねぶった日本人オブ・ザ・日本人の嫌な残響を頭から振り払う。
「あの昔の馬鹿の、いずれ本物の不快な婚活男に化ける教師に例えられたのだとしても、正直、うっすら”そんなに似ているのかなぁ”と思ってはいたんです。似ていなかったでしょうが」
「わかる、わかるって、カイコのほうが綺麗だ」
「栗山千明のが綺麗でしょうが」
「そりゃ女優だもん。あぁ、でも、カイコは鉄球どころじゃねえだろ?」
見ての通り、さ……、と言って、彼女は緑銀の刃に変わった私の腕に冷や汗を垂らした。
「肯定しましたね? トネカは”いいえ”と答えるべきでした。ガキの誘い受けは我慢なりませんか? 思い出させて、からかいたかっただけでしょう」
や~、とワンクッション。
「ま、ちっとだけ?」
そして彼女は強引に私の腕を引いて、薄汚れたソファに押し倒す。白衣のシーツを敷くように、私の全身を煙草の煙が包む。違うのは会話だけで、この一連の動作は同じ。船が出てから何回目なんだ。またなのか。底なしなのか。
いや、それはお互い様か。
『ニィ!』
すっかり見慣れた赤い甲虫が一度だけ鳴いて、テレビの電源をオフにした。
「トネカ、入る、けど、いい?」
ぎこちない日本語が、この愛しい赤いアザに気を遣ってドアをノックするが、彼だってトネカの性格はわかっているはずだった。少し顔が赤くなっただけの彼女は私に一枚まとわせると、おうおう、と返事をして、ずかずかと歩いていき、部屋のドアを全開にする。闇と潮風がどっと押し寄せてくる。すぐに金髪の男があたふたとよろめいて、どうせ閉じたままの目を隠した。
「どしたいどしたい、ワンちゃん」
そうは感じられないだろうけど、彼の名前だ。『王』と書いてワン。英語で一番という意味なのだと本人は言うが、私は立ち振る舞いを加味し、いつも犬のほうをイメージしている。
「ええ、前、きた時より、警戒、きびしい、なってるよ」
なるほど。要するに彼は今の今まで当然のようにステルスで空を飛び、国際的なあれこれのすべてをかいくぐって、なるべく多くの水を弾いてきたらしい。いつもの黒い礼服がわずかに乱れている。安全が何よりも好きな人類代表の私としては、そこに焦げ付きがない事だけを祈りたかった。
「ん~。ちょい見せてくれい」
王を狭い船室の中に入れて座らせて、ポケットで指を拭いてから、彼の頭の中身を覗くトネカ。書いたまま、そのままの意味だ。これまた当然のように彼はサイボーグなので、会話で伝えるよりも中身を見たほうが早いのだ。今からの言葉に多少の皮肉を込めるのを許してほしい、もう、”とてもとても理にかなっている”。
「えぇ? じゃあここも、ここのルートも使えねえって? いや待て待て、となる、と……、おいおいおい! そりゃないぜ、ひいきにしてくれるカルテルが全滅だ!」
「そうなのよ。困ったね、どうしようね」
「くう。こんな世の中じゃ、あんまりにも働き者が報われねえぜ。せちがれぇなぁ」
あなたたちの感性は間違っていない。もちろんさっきの働き者という言葉は私が訂正する。”犯罪者”だ。そう、トネカはここにいる私と同じクズたちが商売に使う密輸ルートが軒並みダメになってしまった、という話をしていたのだ。
大きなほこりが支配する世界に産まれた、ごみの小さな塊たちの通り道が塞がれている。
そして、その道は私たちの組織名である『シルクロード』の一部でもあった。ここで言うシルクロードとは自殺ほう助施設の皮を被った、わりと思いやりのある違法臓器売買屋さんで、一度、とある薄汚い大災害によって壊滅させられている。私たちはその残党だ。怪我を癒やして、行く先々で詐欺を働き、バカンスを満喫してからふたたびこの道へ帰ってきたら、このザマだ。
「どうするんです? 引き返しますか?」
「カ・イ・コぉ。いよいよ再始動! って時にだぜ? そういう消極的なのはよくねぇぜ、よくねぇ。コリ固まった考えはほぐしてやんなきゃなんねぇだろ」
「強行突破ですか、私は構いませんけど」
「いいや。敵のためにほぐすんじゃねえ、考えのために考えをほぐしてやんだ。決めた。ここはぼくちゃん様と大事なワンちゃんにお姫さま、新生シルクロードを大いに甘やかしてやろうぜ」
あれから、私たちが自分を甘やかしていなかった日が一日でもあったか?
ピッピッと以前まではなかった操作音が王から鳴っていた。それからの私はというと、押し倒されるかわり、彼女とともに王に抱きかかえられ、加工された黒衣に包まれ、一直線に空を切り裂くだけだった。
少しして、遠くで激しいフラッシュが炸裂して、見えない海が揺れたような気がした。
「うははは、後始末もこっちのが簡単だ! ぼくちゃん様が海路を選ぶ理由がわかったろい! 片道切符の近道といこうぜ、まったりした船旅はここまでってな!」
「トネカ?」
「あぁ、忘れてた! こっから先はお互い音が全然聞こえねぇけど、ワンちゃんのスピードなら長くはかかんねぇよ!」
ご満悦なので、まあ、大丈夫なんだろう。
それは大変よかったです。だって私はほとんど裸だったから。
「ごめんて、ほんとごめん、なあ、こんなに謝ってるじゃんかよう。や、もう、なぁ、ワンちゃん、なぁ、すげぇ似合ってるよな」
「に、似合ってるよ、いや、いや、その、ええ、うん、似合ってるよ」
「確かに、この黒地に蛍光ピンクの『うーメン』の文字、おぞましくクールジャパンでとっても気に入っています。すごくいい。『う』と『ン』だけが乳首を隠してくれるんですね。頼もしいです。どんな塗料を血管に入れればこんなラメ入り紫色パンツを思いつくのか、恐れ入りました。ええ、誰から見たって一目でわかります、私は、きっと慣れない旅先で盛大に吐いたか漏らしたんでしょうね」
「しょ、しょうがねえじゃんかぁ。それだってもう、め~っちゃ、いい服を買ったんだ。正当で哀れなぼくちゃん様は、よりにもよってここ、自分のふるさとで指名手配されてんだぜ? ほとんど誰ともまともに顔を合わせられねぇ。考えてもみてくれよ、ここまでの稼ぎはほとんどぼくちゃん様の活躍によるもんで、カイコは簡単な英語しか聞き取れねえし、ワンちゃんも口下手じゃねえか。このイケてる頭を封じられちゃあ、な~んにもできやしねえ。今どきスリじゃそれが限界、いい服なんか買えねえって」
「自分の吐いたセリフの矛盾と、内なるグレゴール・ザムザに気づきましたか?」
いい。もう何でもいい。雑念を捨てろ。私はここで自分を殺し、パラレル日本の通りを、アホがいざなうルートに沿って歩くだけなんだから。
「クリヤマ!?」「ミナミヨシヤ」「ヒグチ! ミサキ!」「ヤジュウセンパイ」「ジュセンパ」
雑踏だ。単なる雑踏だ。されど助けてくれ。本当に誰にも私は似ていないんだ。言うなれば神の定めた限界で、似せようとしても似る事ができないんだ。あの事件から、何かにつけ、誰かに似ているとばかり言われるようになった。なぜこんな辱めを。
私は赤い、自分に唯一残された蝶の髪留めにすがるように触れた。
「それで、なんでわざわざ指名手配されているおひとがここを?」
本当は知っているけれど、行動の目的は私にとっても、誰にとっても大切だ。そうとも、私は大人だ。そら、自分だけ身元を隠そうと黒いマスクをつけている女の口元がもごもご動きだす。殺すぞ。
「おいおい、言ったろカイコ? ボディパーツ、厳密に言やぁ素材の入手さ。ワンちゃんのスペックの底上げのためだな。シルクロードはあんな事があって、ほとんどの活動資金と武器の在庫を失っちまってる。いまぁ安物で代用してるけど、ど~してもシナプスの数が足りなくなんだよ。そこんとこがさ、どうしてもなあ。人間にとってそうであるように、サイボーグにとってもそうなんだよな。行動、言語能力に割くこたぁできても、戦闘となるとってな。兵器の操縦にゃ、なっかなか結びつけられねえ。今のワンちゃんは、ここで寝てるネコちゃんくらいの思考回路で生きてる。おうおうネコちゃん。うはは、ゴロゴロ言ってら、ちょ~かわいい。連れて帰りてえなぁ。んまぁ要するにダラダラしてるだけじゃ、このスーパーなワンちゃんが1%の力も発揮できねえんだな。またあのテの連中に攻め込まれたらお終いだぜ。ちっぽけじゃねえか。可哀想じゃねえか。なのにひでぇや。ケチすぎるぜ。連絡しても、ぼくちゃん様が指名手配犯だからって売ってくれねぇんだよ」
「連絡した? どこに? 組織を大切にしたいのか致命的にアホなのか、どっちなんですか?」
「だから業者を通さず、素材のほうへ向かっていく事に決めたんだ、天才のぼくちゃん様は」
「天才のぼくちゃん様が犯罪をするために犯罪を犯していませんか? ギャンブルの資金繰りのためにギャンブルをするのと何が違いますか?」
「さ、さすがよ、さすがよ、旅は楽しいよね、トネカ、カイコ」
言い争いというか、いつもの私の一方的なマウントパンチを毎日のように見ている王が長くなりそうな会話をさえぎった。
「カイコ、待って、待って、目立たない、ほうが、いいでしょ?」
「……まあ、王の言う通りです」
王はトネカが言ったように”間違いなく1%のスペック”だ。戦いが難しいとも言っていた。だけど、それでもまだ、私が少し劣っている。だからこらえた。
この情けないやり取りで十分におわかり頂けたと思う。悔しいが、現在のシルクロードは組織と呼べるものではない。なにせ、動かせる駒がまったくない。ただ、トネカというポン引きを守る、すごく強いが万全ではないボディガードと、そこそこ強いバカな服を着たボディガード……、この奇妙なトリオでしかないのだ。卑怯者と、それを守る傭兵。まさにやられキャラ三すくみ。
「トネカは指名手配されているんですよね? ここ、どこだか全然わからないですけど、まあまあ都会に見えますよ」
「おっ、さてはハラ減ってんだろ~? うはは。ぼくちゃん様も一緒に食いてぇからさ、テイクアウトにゃなるけど、ワンちゃんはもちろん死亡届出てるし、カイコは別に手配されてねぇし、この先にゃクリーンな金がいっぱいあっからさ、二人で外に出て好きなもん選んでくれていいぜ。だからもうちょい我慢してくれな」
オンとオフのスイッチでもあるのだろうか。いざとなれば引くくらい優秀なペテン師なのに、何故こういう場では当たり前の事すらわからないのか。トネカは能天気すぎる。
ちょっと考えればわかるではないか。都会を、それも、すごく偏見で申し訳ないが怖い都会を、等身高めの指名手配犯が真っ赤な髪に真っ黒なマスク、頭に金ピカの飾りをつけて、隣には等身高めの金髪に、これまた金の装飾が光る礼服姿の黒メガネ男、シメのうーメンを着た女。
算数の時間だ。連れて歩くと、どうなるか。
「『———!』」
突如響いた勇ましい声。無線。私たちではなく、おそらくは仲間に向けての声。そしてすぐに、ガチャガチャした装備の鳴りが、足音混じりに迫ってくるのを感じた。
「トネカ、どこかで騒ぎがあったみたいですね。私は尺足らず、とりあえず予告編で使える部分、コテコテの映画展開にならない事だけを願っています」
「こうなんのも計算通りだぜ。……や、ぼくちゃん様って嘘つきだけど、さっきのが嘘で、今から言う事が実はホントなんだけどさ、ナメてた。だいぶ前の話なんだって、政府に出回ってんのは、こ~んなちっせぇ頃の写真で……、まあ、だから、その……、AIってすげえよなぁ」
静かに王に両脇を抱えられて、子供のようにかつがれる私。
じりじりとにじり寄ってくる警棒……、というか、また、本当に勝手なイメージで申し訳ないのだけれど、たぶん彼らだか彼女らだかの心の中では選択肢はほとんど銃ではないだろうか。あくまで予感だけれど、ちょっと前、あの日突きつけられたテーザー銃と同じく、すぐに実弾へと化けるのではないだろうか。
どうかカメラの映像が出回っていませんように。
不要な経験上、この警官たちは見せかけだ。そして、ああして見せかけるって事は、おそらく倍以上の数が影に潜んでいるはず。
ああ、好きな女性と一緒にいるだけで、こんな脳みそばかり育っていく。
「ワンちゃん、バッテリーってまだ余裕……、まぁ、ねえよなぁ。索敵にも使っちまったし、その後は移動だ、わかってんぜ」
「ああ、ああ。ごめんね、もう、アイアンマンは、できないのよ」
「謝るこたねぇって、だったらキャプテン・アメリカになるまでだろい」
辺りを見渡す。ははあ、なるほど、完全に包囲されているのか。
ちなみに知る限りだけれど、さっきの発言もめちゃくちゃに厚かましいので、皆さんには自分の感性を信じて安心してほしい。この場におけるヒーローとは、警察の皆々様方だ。
「トネカ、ルートはわかっているんですね?」
はあ、と一回ため息をついて、王の肩に抱えられた米俵っぽい姿の、逆から見ればインスタントな壁尻のまま、私は深く息を吸う。
「お? なんだよう、うはは、ツイてるねぃ。若手社員が何かやってくれそうだ。ああワンちゃん、その肩に抱えたキュートなおしりを、あっちに向けてくれりゃ嬉しいぜ」
王が指をさされたほうへと向きを変え、あっ逆か、といらない小ボケを挟み、私から見える警官たちが揃って身構える。
親愛なる誰それである読者の皆さんに言っていなかった事がある。
私の腕の変形、緑銀の触腕の事。この腕が武器になり、特殊で、呪われているのは船の上で見せたはずだ。私は腕が変形する。さらっとやってしまったので見逃されてしまったかもしれない。だからつまり、もうご存知だと仮定して、その、実際は呪われているのとは違う。
“もっと呪われている”。
変形させるべき姿は、ぬめった剣なんかじゃない。
言ってしまえば、そんな剣で済んでいるうちが華だ。
だって、どうしようもない。腕が、彼が勝手に、私よりもずっと激しく怒るのだから。そして、怒った彼はといえば、その怒りのままに、周りがどうなろうとお構いなし、ひたすらに辺りの色を塗り替えようとするのだ。私はこれまで何度もそれに遭遇してきて、彼の姿を見た者がどんな形になるかも知っている。
そら。こうして私が腕を突き出すだけだ。
ずるりと緑銀の、ねばり気を失った粘膜のさなぎがはがれて脱皮して、真紅の脅威が姿を表す。
警官の皆様、さようなら。
聡明な方ほど、安請け合いだった、と、今になってお考えでしょう。
あなたたちは実に上手に仕事に集中している。今、仕事以外の事は何も考えていない。新米、ベテラン、プロ中のプロ。そして当然、神さま仏さまだって、あなたたちの事なんてなんにも考えていない。それを知らない者が混ざってしまっている。もちろん、単なる不運だ。ただ立つ場所がそこだっただけ。サー・イエッサーと頷いただけ。それが優秀な人間だからと親、教師、教官や上司、上から上の教えのままにパスとパスで繋がれて育った大きな大きな赤ん坊たち。古い映画でウィル・スミスが鼻で笑った”ベスト・オブ・ベストのハイハイ人間”だ。
とてもこらえきれない。そんな情けない腰をへこへこ打ちつけさせてくれるご家族がいるんでしょうか、ご立派な警官の皆様には。
ええ、ええ、とっても立派なお仕事で、私にも仕事ならありますとも。シルクロードの邪魔をする類の仕事をすべて取り除く。ぶち消してこじ開けるのが私の仕事なんです、それだけ? なんて楽で馬鹿らしいんでしょう!
引き金を引くのは間違いなく私の自我。エゴ。淀みだらけのエゴだ。犯罪を犯す。真紅の呪いを引き受けたのも私なら、成り行きで受け取った、殺しを楽しむ幼いサディストを制御するのも私だ。
そう、結局、私ってこうなんですよね。常識人ぶってごめんなさい。小娘に騙されてくれたのなら嬉しいです。何もかも大丈夫、私に比べればあなたたちって、すごく潔白で、綺麗な身なりをしている。それに、とっても純粋。
あの警官どもと同じ。皆さん上に言いなりの、都合がよさそうな能無しの馬鹿ばっかり。
憎たらしいったらありゃしない。
聞いていますか? 聞いていますよね、トネカ? そうなんです、私にも人の心が読めるんですよ!
「あ~、カイコ、カイコ、いいかい、ぼくちゃん様だって皆と同じで清廉潔白だ。シルクロードのネガキャンをやめてくれ、どうぞ。え~~と、んじゃいいかな、母国語に切り替えさせてくれよ」
トネカはハンドレッドリンガル、言葉は達者ですからね。どうぞ。
「『全警官に告ぐ! そ、今はきみらだ。いやぁ、ぼくちゃん様はなにがしのなにがしとは赤の他人だし、ぜ~ってぇ人違いなんだけれどもさ。ちょっちそこを開けて、そっちはあっちへ、そっちはそっちへ逃げたほうがいいんじゃねえかなぁ。や、もう、手におえねえんだよ。かなり必死に走んなきゃ間に合わねえと思う』」
何を言ったか全然わからないけど、違う言葉を話す姿って、かっこいい。
宣戦布告なら惚れ直しちゃうな。それでこそって感じがする。
きゅるきゅると音が鳴り、腕が駆動域を無視し更に変形・回転を繰り返す。私は随分変わってしまったなあ。今や、敵に向けて放つのは、ミニガンやグレネードランチャーのようなくッだらない殺戮兵器じゃない。
「きゅる、きゅる、きゅる」
いつも通り。いざ殺すって時には、混沌に言葉が混ざりゆくものだ。ぎょろりとしていて、きらきらした、小さな小さな赤子の顔が回る世界の景色を眺めている。その唇は速度によって見えないけれど、よだれまで垂らして、あぶあぶ、きゃっきゃと喜んでいるのが伝わる。
おそろいだね。これから起こる事が好きなんだ。
成り行きだったのに、名前まで知る仲になった。私たちは本当に気が合うって事。ぐるりるぐるり、回り回りに色が混ざり合う。どうして紫なんだろう。この赤の砲台には幼い青がよく似合うから?
「『MODE』・『BABY』」
私がそう呼ぶと、応えるべく、あきゃっと鳴いて、切った果実に似た口が開く。開けていたのは私もだ。どうしたって笑いがこみ上げる。この子は養子。産まれる場所を間違えたのかもね。
「『しねしね・びいむ』」
赤子の”はえ揃った大人の歯”から空気が抜けて、明確に言葉が発された後、ぱあっと視界がひらけた。
奇跡的に生きていたって助からない、そんな手応えがあった。そこにいた生命をうち破る衝撃が走った。あの青白い熱線が大好き。頭が勝手に雨を降らせて、そこで雷が鳴っている。逆算ができる。こうなったからには、たくさんの魂のすべてのどこかに触れたのだと確信できる。私が見ていたのは綺麗な花火だ。ここに住む市民の皆様方の見ている前で綺麗な爆発と汚い爆発がぶちまけられて、恐ろしい思いをされたんですねとお生憎、ご挨拶にご挨拶。これだ! これって社会だ! もしも爆音によってかわいらしい心臓がグチャグチャに潰れる事があっても、悲鳴は少しも聞こえないはずだ。だって、どいつもこいつも、シルクロードにとってクソの役にも立たない喉が焼けてただれているんだから!
やがて、すっと頭からなにか降りてきて、意識がひんやり冷める頃には、私はトネカの笑い声とともにトネカの走る速度で移動していて、後ろには、それはそれは、たくさんのかけらがあたりに飛び散っていた。
「カイコ~! きみって最高だなぁ! 後でいっぱいチューしようぜい!」
なんて喋り口調だ。どうして最初に出会った時、鳥肌が立たなかったのだろう。
もちろんトネカはきれいな資格と同時に反社会性パーソナリティ障害、ニコチン依存症、セックス依存症のトリプルファッキンライセンスも持っているし、不快な人にはとことん不快な女だ。
だけど役立たず、冷笑家の嗤うファッションセンスを心の内とともにさらけ出すならば、私だって負けず劣らずの淫売だ。殺した後の罪悪感を情動でぬぐう意地汚い醜い人間のキスが好きだった。犯したものが穢れていれば穢れているほどよくって、苦痛で失神しても咬まれるままにベロを出し、オーガズムに浸りたい。そうして自らまねいた不幸を皆さんにとってのペニス、もしかしたら私にとってのバカ女に似たクリトリスに必死にしごいて、もごもごと芋虫の動きでうごめいて、うめいてわめいて、かわいそうな自分を嘆いて、もう死にたい、殺してくださいなんて懇願したり、まるでボケきった年寄りが漏らした便をこね回すように壁や床に汚い汁を散らすのが、意地悪く刺さったのこぎりを引き抜くのと同じ要領でぎこぎこ脳髄を擦られながらイき続けるのが人間の性欲であって、それが人並みに好きなのだ。
だから答えは「お役に立てたようでなにより、我が愛しのリーダー、このダメ人間」。
どうかしましたか? かわいい。大丈夫。全部嘘ですよ。そうそう人って壊れません。私はこんなに人を殺したって結局、いちゃいちゃした普通のセックスが好きです。女の子の口からクリトリスとか、いちいち反応して、あなたたちって本当に心がきれいなんですね。
いや、カイコは完璧にイっちまってるって。こえぇよう。どうしようかな。
ラブラブなセックスにだって限界があるぜ、とクールにキメながら、すたこらさっさ、一生懸命にパニック状態の町を駆けるぼくちゃん様ことスレンダー美女のトネカちゃん。後は追いつかれないように道を走って、もしも追いつかれたら、やむなし、コトを起こすだけだ。簡単だぜ。
でもまあ、そう、そうなんだよな、ぼくちゃん様は間違いなく天才で何だってできちまうのに、これまでずっと、カイコに埋め込まれた厄介な何かを取り出す事ができずにいたんだ。
あぁ、厄介な何かってのはさっきの赤ん坊ビームの話さ。あれがなぁ、ぼくちゃん様は関与してねえんだ。超能力、特殊な特性『第三の目』なのは間違いねえ。つっても『目』はあくまでその人間の特性、”見えるだけの感情のビジョン”だから、まず大前提として絶対に触れられねえ、だから取り出そうにも取り出せねえ。
例のオリナシやアタリメとか、そういう稀なケース……、あるいは『解眼』、そういう目を実体化させる技術があって、そうさせるか、そうしてくれりゃ捕まえられるんだろうけれども、どっちにしろ、大体、なんとか眼ってのは”生きた目の所有者がやる事”か、”所有者が死んだ後に目が勝手にやる事”だ。ところがベイビーなんちゃらとやらの本来の所有者は生命維持装置に繋がれてる。ようは、ほとんど死んじまってるのにギリ生きてる。
そう、ここなんだよな、死んでねえから目はけして実体を持たねえし、急な所有者の覚醒イベントだとか、努力、修行だとか、そういうのも期待できねえときた。どうしても実体化が起こり得ねえ。これに関しちゃ今んとこ詰みだ。赤ん坊には間違いなくこの狙いがあって、そんでカイコに乗り移ったんだろうな。
娯楽のためなんだか何なんだか、ちょいと調べようとしても、なるべくぼくちゃん様にゃ姿を見せようとしねえ。困ったらかわいこぶってカイコに守らせる。おとなげないようってな。そういう事さ。あの赤ん坊にゃあ病んだ理性があんだ。
ぼくちゃん様が一番嫌いな言葉は相手の口から出る”チェックメイト”だからさ、ストレスになったらヤだし、もう考えないようにしてる。くぅ、思い出すぜ、あの時の事。ウキョウ・スギシタに一回やられたんだよなぁ。いやいや本当だって、逮捕できた事件だけ撮って流してんだから、あいつら。
「あやあ、安心できない距離、数、きてるよ、トネカ、向こう、パトカーも」
「着きゃこっちのもんだ、ワンちゃん。カイコ落っことさねえでくれて、ありがとな」
「あはあ、いや、ワタシ、これくらいしか、やく、立てないからね」
「なぁに言ってんだぃ、たとえ両手両足なくなろうが、男前ってなぁ、いるだけで値打ちもんだぜ!」
やけっぱちで撃たれた弾丸が存外いいところをかすめたもんだから、ちょっちヒヤッとする。
「カイコ、どうにかするし、いちお~なんだけれども、リチャージしといてくれな」
「了解」
とはいえ、もう目立つのは避けてぇな。何よりも今必要なのは安心できる場所だ。戦ってこれ以上の損害を出したら……、や、ぼくちゃん様でもマジにひええって感じだぜ、やぁ、もうもうもう、ふるさとは特に洒落になんねぇんだって。おっかねぇんだから。
「こっちは足です。車ならすぐに追いつかれる。私がやって済むなら、喜んでやります」
「きゅる?」
きゅる、じゃねぇぜ。ホントはもっと話せんだろ、謎のベイビーちゃん。
“バブバブ。車が来てる来てる、おぉやったぜ、またオモチャが来る”って? それで”またまた殺しができる!”ってか?
——冗談キツいぜ。ぼくちゃん様以外の人生が、そうそううまくいくもんかい!
ぱちん。タイミングは間違いねえ。だから指を鳴らしたのさ。
サイレンが鳴り止んで、大きな衝突音が鳴り響く。ほぉれ、どんなもんだ。第三の目の話ぁほんの伏線さ。今までダテに逃げてきたワケじゃあねえんだ。大まかな追跡ルートはトネカちゃんの頭ん中の地図を参照して、人力AIがバッチリ学習の成果を発揮だ。
ぼくちゃん様はカメラのほうを見て、だ~い好きなきみたちに向けてポーズをキメた。
「『ドブロウ・ノッツ』は電気の目だぜ」
バァ~ン!
バン! ババン! え~、ドン! ……なあ、ワンちゃん、解説係がいねえと、ほら。わかんねえからさ。かっこつかねえよ。
『ニィ! ニィ!』
ぞろぞろと群れで飛来してくる赤い甲虫。ぼくちゃん様の相棒、第三の目。意味のわかんねぇやつらに意味のわかんねえままボロ負けして意味のわかんねえ成長をしてんのは、ぼくちゃん様とこいつらも同じだぜ。
「あ、ああ、はあ、ええ、サイレン、消して、信号”進め”にしたよね、すごいね」
「そ! かなりの距離だぜ。やりゃあできんじゃねえか~、もう」
『ニィッ!』
「私に負けず劣らずの大惨事では?」
“ちょっとやっちゃったかな感”のある、素のお姫様も精神的にお戻りだ。まあ、そうだなぁ、やっちゃったかなぁ。夕飯はもう絶対、出前館かウーバーか出前館か出前館だもんな。
ぼくちゃん様たちはゆっくり汚くなっていく通りを進み抜け、時々コソコソ歩いたりしつつ、ルートを完ぺき、予定通り抜けていった。
臭くて汚い。
景色は、さも誤魔化したげにゆったりフェードインしていった。でも私は煮られるカエルではない。鉄柵を何回も抜けて、階段を何段も降りて到着した場所は完全に狭い吹き溜まり、とにかく汚かった。
長い通路に多くの小部屋、つくりそのものはカラオケにも似ているけれど、灯りのほとんどを担うであろう電球が、早く動けと急かすようにちかちかしていて居心地が悪い。特に私個人にとっての決定的な違和感は、その、ひと部屋ひと部屋が人間の居住スペースになっている事だった。
どれだけ通路が長かろうが、どこを探してもドアはなく、何らかの布、人それぞれの努力を示す”仕切り”ばかりが揺れている。意味はないに等しく、こちらが少し動けば丸見えで、プライバシーは期待できなさそうだった。
コンクリート、腐った木にこぼれる灰。ここに住む人間に人生があるなんて、失礼かもしれないけれど、だけど心底思ったのだ、お気楽なトネカに振り回されて犯罪で生きているだけ、私は恵まれていると思わされた。ここでの生活は私には、いや、たぶん、ほとんどの人間にも、とても考えられない。
「うはは。まるで独房ってかい?」
私は、はっと、赤ん坊をこころに宿した日の光景を思い出した。そうだ、トネカの育った場所も、それはそれはひどいものだった。
「やぁ違う違う、なんでか見られてたのは照れっけど、ここぁ、もっといい場所だぜ、ほれ、あそこのイケてる彼を見な、電波だって通じる。ぼくちゃん様は電気もほとんど使えなかったからなぁ、作んのが大変だったぜ」
「その何かを作るのをやめれば出れたのでは……?」
だけど確かに、まばらに身なりのきれいな人がいた。
「外にゃ出れっし、家賃も払う。言うなれば、アパートのちっちぇえの、シェアハウスのでっけぇやつさ。貯金のために選んで住んでるやつもいんのさ。夢のある場所なんだぜ」
階段も通路も、点滅しっぱなしの電球も、何て事ないのに、一歩歩くたびに語りかけられているような、そして、死に誘われているような気がする。狭いところが苦手な人には無理だろう、なんて、浅い考えが浮かぶけれど、理由はたぶん。それだけじゃない。
「おう、いたいた。老師ぃ」
トネカは何を目印にしたのか、一室の前で立ち止まって”のれん”をくぐった。
「ああ、久しぶりだね、トネカ」
それは信じられないくらいのぼろを着た、さらさらの、金色の髪の……、男性? だった。
「連絡をありがとう、こちらも色々大変でね」
線は細く、声はまだ高い。だけど私に配慮して、日本語で話している。
「きみが聞いていたカイコか。まだ若い。人生は白黒に善悪、幸に不幸、色々ある。だけど君は呪われたって生きる道を選んだ。トネカのビジネスの前でこんな事を言うのはなんだけれど、立派だよ」
まだ若いって、そっちは私よりも……、と言いかけた矢先、
「普通に接してくれ。『老師』と呼んで。コードネームだよ。百二十四歳だ」
数字だけで軽いめまいを感じさせられた。もう、なんて言ったらいいのか、歴史の深さなのか。
「八歳の頃に八十八歳の女を強姦して逮捕された。車椅子から立ち上がる姿にムラっときて。あぁ、だけどぼくはキリシタンだよ。若い頃はひたすらにマリア様のふかふかの胸の匂いを想像して勃起と射精を繰り返していたなあ。そうそう、生まれはアメリカなんだ」
「アホのカスクズじゃないですか」
「うはは、いい悪者を期待してたのかい、カイコ。しかし安心したぜ。場所もひとも、ぼくちゃん様が世話んなってた頃のまんまなもんだから」
老師は、これで修繕もしてるからね、と言って腰を上げると、いつの間にか、気づけばのれんの下を抜けていて、何事もなかったかのようにちょいちょいと手招きをした。
「ここだ」
老師が、どうぞと手をやっている。階段を少しだけ降りて、だけど、それほど遠くはなかった。なんの変哲もない、さっきまでと変わらない、空いた部屋の一室だ。
「ああ、そうそう、ここだよ、ここ」
トネカがしめしめと手をこすり合わせてベッドの下に腕を伸ばすと、たぶん、ちょっと幼いトネカの手書きの字、『EXCELLENT!!』という表示が壁に現れた。
数秒して、あんまりにもあっさりと、ウィン、と軽い動作音をたててベッドが上下逆さになり、はしごへと変形した。つまり、リアルから急に別の世界にぶっ飛ばされる事になる。そう、さっきまで初めての貧しさや文化に心を揺り動かされ、己の生き方を省みるくらいに、若い世代が感心すらしていたのに”それじゃあ、いいっすか?”みたいな感じで、世界はチャラ~くファンタジックになったのだ。温度差にキレそうになって、とどまる。
「指紋認証か何かですか? ふざけやがって」
「な、なんだよ、かっこよかったろい。あぁ、えぇと、疑問のほうに答えんならちょっち違くて、なんだったかな、指紋とか網膜とかだとスパイ映画とおんなじで、とられたりしたらおしまいだぜ……、とか思ってたんだっけかな? 簡単に言やぁ、老師とぼくちゃん様だけの生体スキャンだ。より厳密なスーパーセキュリティだぜ」
「きみはそう言っていたね。そして結果的に、それがぼくの命を政府から守ってくれている。ぼくは本当にいいメカニックを拾った。おかげで儲かって仕方がないよ。五歳の頃は、老いぼれた売春婦とヤりまくれる日が来るなんて思わなかった。金を見た瞬間の死に損ないの雌豚の嬉しそうな顔、喜んでむしゃぶりつく半乾きの臭い口、それを買う快楽といったら。もうとっくの昔に死んだ女だけれど、殴って罵り続けたからか二年と少ししかもたなかったけれど、幸福だった。あの間だけは女を金で買わなかったんだよ。彼女も最後の最後までローションを健気に足し続けてずぶ濡れだった。本当に愛し合っていたんだ。今でも看取った日の事を思い出す。すると、先走りが溢れて止まらなくなる」
「嬉しい事言ってくれるじゃねえか~、老師ぃ」
何が嬉しい? 肘でツンツンやるトネカ。私は老師の股間が勃起していないかだけ確認して、一番最初にはしごに足をかけた。
……でも、すごかった。
陰謀論そのままの空間。ゲスさに対して、とんでもないスケールだ。暗闇を宝石が、陳腐なたとえだけれど発光している、空の星星のように広がっている。
「ここを『女王の蜜』と呼んでいるんだ」
いらない! お前の人間性を考慮すると、絶対に別の名前のほうがいい。私がそう言うよりも早く、トネカが解説を入れてくれる。
「今まで降りてきた場所が周りからぁ『蟻塚』って呼ばれてんだよ、カイコ。ここって、あー……、いつだったかなぁ、ぼくちゃん様がいた時ちょうど、まあ、場所自体がちょっとした社会問題になっててさ。いよいよお国に潰されちまうぞって時に、颯爽と現れたどこかの天才が、こう、場所に値打ちをつけてやったワケだな。つまり、ここがその天才女王アリのお部屋なのさ。研究で出たごみのおこぼれを、ちっとだけ”ろ過”していただこうかって場所。石は影響を受けて光ってんだ。もちろん”ヒミツのごみ”だから、政府は下手に手出しできねえし——」
「ぼくに締まりのいいケツを掘られてまで掘りたがる。やつらはどうしたって、認証なしには扉を開ける事ができないんだ。このシェルターは見かけより精密で、他に侵入経路はない。一度わからず屋に捕らえられてね。ぼくをただ押しつければいいとでも思ったのか、やろうとしたんだよ。きみの読みどおりにね。もちろん”システムは正常に反応した”。国をまたいだ大騒ぎを起こし、上にも身をもって理解させる事ができた。さらには、ちょうど鍵の片割れであるきみが盛大にやらかして国外逃亡してくれていたものだから、やつらはいよいよ、ぼくにすがるしかなくなった。いわゆるリバだね。何人を勃起不全の雌犬にしてやったかな。きみは本当に頭のいい子だ」
「そういう事さ、蜜ってのは……、その、密約のミツと、かかってんだ、ぜ!」
ちょっと”しけた”姿を見て、あ、トネカが考えたんだ、と察した私は、ああ、あの、すごくいい名前だと思ったから、たまらなくなって、次の話題を早々に切り出した。
「じゃあ、この石がシナプスでしたっけ、そういうのに?」
「ああ。それどころか、ここの全てに利用価値がある。うまくやれば、散った砂にだって使い道があるんだよ。当然、石とサイボーグの相性に関して言えば抜群、いい選択で、言う事なしだ。もともとがトネカのアイデアだからね。まあ、使いこなせないひとには無縁の話という事になるのかな。加工は難しいし、難し石。石だけに、ある程度の技術は必要だ。だけれどトネカなら間違えない。真っ当な価格で譲っても問題ないだろうと考えているよ、いくつくらい考えているのかな」
「ん~~……。ワンちゃんのカスタムはマジでなぁ……。できればもらえる分だけもらいてえけど、今のぼくちゃん様は前と違って、ほい、んじゃあ利益だ! って感じのコンディションじゃねえんだ。まだ老師には蟻塚の管理人を続けてもらいてぇからさ。こっちはそっち次第って考えてる、貯金じゃ足りねえだろうし、いっそ頼んで、ローン組ませてもらおうかってさ」
「へえ。きみ、ずいぶん大人になったね、トネカ」
「え、そう?」
「ああ、昔のきみだって文無しだったけれど、その時は”ぼくちゃん様が百倍にして返してやらぁ!”って感じだったよ」
老師がくすくす笑う。なんだか、邪悪な二人だけど、家族っぽい。私はそう思った。
「んおお、くう、簡単なのによぉ、すげ~難しい商談だなぁ。ワンちゃん用の設備を作っとくんだったぜ。なあ老師、老師はどう思う?」
「ふふふ。きみにとって、そうそう来れる場所じゃあないものね。それこそ好きなだけ持っていけばいい、すべて任せるよ」
「ん~~~~……。じゃあワンちゃん、カイコ。道具はそこにあっから、あっちから入ってくれ。着て、持って、掘りまくって。入る時も出る時も、そこんとこのちいせえエリアがいっちばん大事だから必ず経由してくれ。しっかり見張ってるとはいえ、気をつけて、ご安全によろしくな。あと、作業服を脱ぐ時も、べたべた触んねえように、特に慎重に。最後に”お清めルーム”に入って、こっちに戻ってめでたしめでたしって流れだ」
私はフルフェイスのメットを被らされて、”つなぎ”を着せられて、両手には明らかに石だけを掘り出すための謎のアイテムを持たせられる。コシューコシューと謎の音、ずしんずしんと重い足取り、まるで月面を歩く宇宙飛行士。適当な事を言うしかないけれど、私は昔から宇宙飛行士になりたかったのだ。色々できていい人生だと思う。嘘だ。この空間のヤバさ、威圧感はなんなのだ。
「シルクロードは実にうまくやったね、あの手口なら需要を失う事はそうそうないだろう」
「悩める子羊はどこにでもいっから。でもなんつうか、なんつうのかな、正義っぽいやり甲斐だってあんだぜ」
「正義っぽい?」
「ああ。シルクロードの生活で立ち直って社会復帰するケースも、ハリボテの現実味を出すためにゃ必要かと思ってさ、ちょくちょく無理にそういうやつも作ってたんだよ。割り切れる、秘密を守れるやつから選び出してさ。んだけれども、あいつらがまたなぁ、律儀に連絡してくんだよなぁ。トネカさんのおかげで、とか、感謝してもしきれないとかな、結婚するならトネカさんみたいな……、なんて、うはは、そいつぁやめとけやめとけい。んま、なんつうか、それはそれで、悪くねえなって思う時があんだよ」
筒状の部分を石にあてがうと、しばらく稼働音がして、すぽん、と石だけがケースに吸い込まれる。例えが悪いかもしれないけど、思い出したのは角栓を抜く動画だった。最初は怖かったけど、正直、今は気持ちいい。多分これ、新たなるASMRになる。再生数と、いろんな意味で命を引き換えにする覚悟があるなら、こちらまでどうぞ。
「『王、ちゃんとやれていますか?』」
「『や、や、しんどい、よね。かなり。省エネモード、やってるよ』」
「『この後、バッテリーの充電ができるといいですね』」
「『あはあ、いいね』」
コシュコシュ、マイク越しの会話。みるみるうちに私のケースは綺麗な石でいっぱいになる。いや、とんでもない危険物なのは百も承知なのだけれど、それでも、もっとやりたかった。皆さんもそうなると思う。私よりも感覚が麻痺するのが早い人もいるだろう。単に、光る石がすぽっと取れるのが気持ちいいのだ。
「あの子、ずいぶん採掘したね。まあ、額はともかく、あれなら失敗し放題だろう」
「いいだろ。若ぇ愛には遠慮がねえのさ。元を取れるとか取れねえとか考えちゃいねえ。あれはあれで、トネカなら何とかできるでしょう、って信頼してくれてんだよ。……カイコ、ワンちゃん! OKだ! ケースはそこ、んで、あっちの箱ん中で脱いで、しつこく言うけど、うかつに触れねぇように、くれぐれも気ぃつけんだぜ。洗浄はそっちだ。余すとこなくな。洒落になんねぇから、気ぃつけてくれよ!」
私は手を振って応じる。トネカは同じ事を何度か言った。若者をナメすぎだ。私の世代は、このテのヤバさだけは嫌でも知っている。鬱陶しいくらいに、経験してもいない大人すらもが浸って、不幸自慢として上から言ってくるからだ。
「ふふ、あんな少女にやらせるなんて。少しでもミスがあったらと思うと、ストライクゾーンからずいぶん離れているけれど、ゆく末を考えて勃起してしまう」
「今から言うこたぁ、けっして言わねえんだ。言ったら変わっちまうからさ。けど、カイコはズレてるだけで、頭はマジにいいと思うぜ。ただ思いやりがありすぎんだな。人を騙して生きるにゃ感受性ってのが強すぎんだよ。サイコパスとは違ぇ。だから相手の事を必死に考えてるうち、関わった人間に寄っちまうんだよ、ちっとずつ」
「へえ。たとえば誰に? きみにかい?」
「うんにゃ、ぼくちゃん様なんかよりもっとろくでもないくせして、一丁前に社会に適応した連中とかの事さ」
「世界各国のトップ、ヤクザ、ギャングやマフィアと渡り合っているきみよりも?」
「とんでもねえよう! シルクロードは運命に恵まれぬ人々のための慈善事業だ。ワルと関わるのは仕事と趣味の時だけさ。ぼくちゃん様が言ってる連中はなんとほぼほぼサラリーマンなんだ、もうほんの、下請けなんだよ、下請け。いやぁ、あのさ、とんでもねえのがいんだぜ。世界は広ぇんだ、老師」
全てを滞りなく終えた私たちは洗浄装置の機械音声に指示されるまま、特別な通路を通り、こんな場所でもタバコをふかす二人に歩み寄った。
「おう、おつかれぃ、カイコ、ワンちゃん」
「掘り出したジェムの受け取り場所はわかっているね? 商談は部屋でやろう。トネカ、実は昔と違って、女王の部屋と蟻塚の電力供給が別々なんだ。さっきの政府の話だよ。こればかりは、どうしてもいじる必要があってね。ミスター・ワンチャン、きみを充電する事ができればいいけど」
あぁ、そのほうがいいかもだな、と、軽い納得を挟むトネカ。
「もち、できるぜ。今のワンちゃんはとってもチープ仕様だけれども、チープなりに、一般家庭用のコンセントでも充電できんだなぁ、これが」
「あはあ、ありがたいよ、もう、へとへとで、だめ」
スマホじゃないんだから、と言おうとして、またとどまる。
……私は、昔よりおしゃべりになっちゃいないか。気をつけよう。
「それはよかった。とてもエコなカスタムだ。きみ、もっと真っ当に生きられただろうにね、その腕があれば世界を救えるだろう」
「老師。ありがてえ言葉だけど、ぼくちゃん様は救われねえよ。救いから逃げ回んのが性に合ってんだ。本質はこの場にいる誰よりもずっと邪悪なのさ。自己分析ってやつ?」
そう、と言って、老師はまた、いつの間にか背を向けていた。
「生き返るなあ、ありがてえ、ありがてえや」
ワンちゃんは無事にコードに繋がれ、スリープモードに入っている。もちろん家庭用のコンセントじゃ大した電力を得られねえから、これまたやっぱり1%のまんまなんだけれども、それでも、今まさにぼくちゃん様がカイコと一緒にジャンキーなメシを食って、タバコを吸って、メシを食って、水を飲んで、タバコを吸って、タバコを吸って少しずつ体力を回復しているように、ワンちゃんにも少しずつエネルギーが満ちていっている。タバコ、うめ~。
「食の好みは大切だ。そして排泄も同じくらいに大切だ。カイコとやら、溜まっているね? ここでするかい? それとも階段をいくつか登って共用の汚いトイレを使うかな? ここでしてくれるのなら、喜んで受け取るよ」
「トネカ。トイレに行ってきます」
「おうよ。ここで見張ってる。襲われやしねえから、安心して出してきな」
「言い方を考えてください、次はありません」
連中は実際、いいやつらだ。住む事を選んだんだとカイコに言ったけれども、蟻塚に人が集まるのは、なにも家賃が法外に安いからってだけじゃねえんだ。
ドアだよ。カイコの思考は真っ先にそこに行ったし、一番ヤだったのも、ぶっちゃけそこだろ。狭い暗い汚いってより、ドアがねえのさ。ドアは心理的な隔たりだ。
要するに、通路も含め全部、ここの狭い部屋ってのは”繋がって”んだ。でけえ、でけえ一室さ。隔たってねえんだもんな。余所者から見りゃ独房でも、馴染んだ住人から見りゃものすごく広いシェアハウスなのさ。
人間だから、同じ目的を持つ連中とつるんで高め合うやつもいりゃ、慰め合うやつだっている。あくまで寝泊まりする場所として使って、夢を追って外で働き通すやつもいる。ここで死にてぇから放っておけと言やぁ、放っておいてくれるし、もしかしたら、最期の友達だってできちまうかもな。そう、ここは完成された社会なんだ。
言ってしまやぁ、シルクロードのプロトタイプが、この蟻塚。ぼくちゃん様という天才を育んだ巣、ふるさとの中のふるさとってワケさ。
だから、ぼくちゃん様は偉いので、ちゃんとごちそうさまをしてから、ひとまず最後のタバコを吸い終わって、まさに今、ここに起こっている現実に向き合って——
できればそれが夢である事を願いつつ、老師に最後の問いかけをした。
「老師ぃ、何から何までありがとな。お言葉に甘えて、今日はここで寝る事にするぜ。なあ、なあ老師さぁ、あんだけ言われたのに、あんっだけ好き放題やっておいて、まだ神さまってのがいるなんて信じてんのかい? あれだよ、ほら」
ちらりと目をやった先には古い十字架があった。
コンマ一秒の沈黙があって、
「いいや。思い直したんだ。ぼくはちょっと気まますぎた、これほど歳をとれば嫌でも気づく。主には見放されているよ。次は蟻にでも生まれ変わるのかもしれない。まあ、もう思い出さ。散々にやられて、正直なところ、神はいないと知っている。あれはインテリアみたいなものだよ」
「んだよなぁ、そっか、よかったぜ」
ごみをがさがさビニール袋に入れて片付けていると、カイコが怒り心頭って感じで戻ってくる。
「汚いなんてものじゃないですよ。どうしてあそこまでこぼせるんですか?」
「あぁ、連中は酔うとダメになんだよなぁ」
ワンちゃんも、1%中の0.01%くらいは充電できたかな、っと。ぼくちゃん様は四つん這いのまま動いて、ずぼっとコンセントとコードを引っこ抜く。
「オワ!? ど、どしたの、トネカ、まだ、ワタシ、全然よ」
かっとまぶたを開いて飛び起きて、貴重なお目々のお披露目シーンをこんなところで使っちまうチャーミングなワンちゃん。それを見たカイコが不思議そうな顔をしている。
これぞ平和ってやつだよな。
はあ、せちがれぇよ、本当にせちがれぇ。
「ところで——
ちゃっ、と小さな額に突きつける、仕込みの改造デリンジャー。ワンちゃんは慣れてる。カイコはコトを予感して、無意識に姿勢を低くする。
ヤだなぁ。けど、どうしても聞かなくっちゃあな。
「てめぇは誰だい?」
まあ、聞くってより、ほとんど脅迫さ。
だけれども老師のふりをする何者かは、まだとぼけられると思っているようだった。
「トネカ。これは本当に悪い冗談だな。女王の蜜を久しぶりに見て、しめた、一足飛びができるぜ、とでも思ったのかい? その答えは政府じゃないとあえて先に言っておくけれど、ぼくが何故この年齢まで生き延びられたか、知らないわけじゃあないだろう」
ぼくちゃん様は家族思いだから、引きたかなかったんだぜ。
……つまり、もう引き金を引いちまったって事になる。
とち狂っちゃいねえ。ぼくちゃん様の感情はそのまま、コードよりも確かな目によって、ワンちゃんのボディの制御に繋がってんだ。だから、むしろ”狂い”の逆さ。戦いはほぼ決まり、ここで撃って発散しなきゃ、コンディションの差で負けが決まっちまうのは確実だった。これ以上の怒りがあっちゃいけねえ。こいつぁ正しい判断だった。
乾いた残響が嫌でも辺りに飛び散っている。
「トネカ! 何をしているんです!」
「老師はいっつも先を歩きたがる性格だ。なのに、生体認証システムを自分で通そうとしなかった。自分が先を行っていたのに、わざわざ道を譲って、ぼくちゃん様に認証させた。どうしてか? 単なる親切かもな」
こっちに来たがるカイコと、腕で制止するワンちゃん。や、カイコのやらかしは頭ぶち抜くどころじゃあさぁ。まぁ、まぁまぁ、な、若ぇからな。ぼくちゃん様はへらっと笑って、びくともしない何者かに話の続きを言って聞かせる。
「もちろん、そんだけってこたぁねえ。だから肘でつついてみた。最悪だぜ。案の定、固くて冷たかったんだ。異変に気づいたなぁそこんとこだ。ま、何があってもおかしくねえジジイだから、一瞬、もしかしたらその”何か”があって、キリシタンもやめたんかもな~って思ったぜ。あり得る。破天荒だし、もしも第三の目がありゃそれくらいはやる。生き汚ぇのを別に責めやしねえよ。だけど絶対に違ったよな。てめぇは宗教の教えに背くどころか、混同してた。ぼくちゃん様は一度ジャポニズムのケアレスミスで痛ぇ目を見ててよ、アジアにゃ気をつけるようにしてんだ。いやぁ、いてぇし、苦しいし、ムカついたなぁ」
イケてるニヒルな笑顔をどうにかキープしたまま、ぐっと、もう一発ブチ込めるように、生きているのなら、そんな風にこいつが思い込むように、倒れたみぞおちに足をかける。
「キリスト教の教えは”罪を犯せし者は死後、地獄に落ちる”だよな。”蟻に生まれ変わる”? “神はいない”? うははは、おいおい、違うだろぃ。そいつは輪廻転生、ブッダさまの教えだぜ」
老師の、女を千人以上犯してからというもの、ずうっと幼いままだった顔を思い出す。
ああ、そうだ。老師は”こんな顔じゃねえ”。
「わかんねぇか? わかんねぇだろうよ。胸の、ここんとこにさ、かってぇ、しぶてぇ信念があるジジイなんだ。正しさからはほど遠い、ドス黒い、悪ぃ悪ぃ信念さ。だが奥にある芯は、けっして歪んだりしねえ。やめる、っつったら死ぬ気でやめんだ、あのクソジジイはそういうクソジジイだった」
笑顔が、ちょっち、消えてたかも。
ふっ、と空気の漏れる音。
「わははははは、わはははははははは」
ひゅーっと息を吸って、また、頭に穴が空いた何者かが、わははと笑い出す。
この様子じゃ、まだ弾ぁ勿体ねえな。
ぼくちゃん様はスーパー・デリンジャーを一旦しまって、これを機に、おニューのシステムを試すほうに思考をシフトチェンジした。
むくりと起き上がっている。出血もほとんどない。
私は少し離れた距離で見ていたし、不思議な現象には身に覚えが死ぬほどある。
これは第三の目によるものだ。
私が今考えるべきは、腕を変形させるかどうか。トネカの事だから、敵はまだ全てを知らないはずだ。私の力を知らないかもしれない。
特性の正体がわからなくても、どこかで不意をつくチャンスが作れるかもしれない。
「いいや、すべて知っているよ、それに正体もじきに知る事になるだろう。そうとも、我は正直者なのだ、”着物掛加絲子”」
「なっ……!」
しまった。この動揺も覚えがある。もっともっと日常的な驚き、もう驚かなくなった、慣れたはずの力。トネカの読心。どういう事か。
「老師もぼくちゃん様と同じ才能の持ち主だった。もしや政府の雇った殺し屋かい、ずいぶん冒涜的だぜ」
「ああ、殺し屋には違いない。だが腐った政府に雇われてもいない。我は罪だけを見ている。そして裁きを与えるのだ。お前がタバコの煙なら、我は夜の風。あらゆる罪にまとわりつく死である。キスネコトネカ、ずっと前からお前を狙っていた」
その口調はもはや完全に、老師のものではなかった。
「夜は正義を好む。我が名は『ハゲタカ』。目の名は『カルマ』」
「んなこた、どうでもいんだよ。それよか、ずっと見てたってのが気になるねぃ。ぼくちゃん様は乙女だからさ。どこからどこまでだい、照れるぜ」
「この者は罪を抱えていた。だから死んだのだ、我が手によって罪は浄化された」
「ん~、どうも、こう、噛み合わねえな。ど~してもそこのくだりを言わねえと満足いかねえって感じだ。決め台詞かい? もしかして、てめぇって言うほどでもねえのかな。きみ、いくつだい?」
私にだって、読めなくたって、トネカの心がわかる。どうにかいつもの調子をキープするトネカを置き去りにして突如、映像が切り替わった。違う、私が目で追いそこねたのだ。がきん、という音の後は、軽いパニックを起こした私の脳にとって思い出すのが精一杯の事態だった。トネカは老師から放たれた頭部への疾く鋭い蹴りを膝を曲げてかわし、落下の勢いのままに放たれた二段目の蹴りを腕で受けている。いや、待って、ダメだ、足には刃が仕込まれている! それを腕で受けてしまったなら——
「ほう? 戦闘に向かない目だと思っていたが、それはすごいな、解眼か? いいや違うな、お前は精一杯、工夫してやっているだけだ」
トネカの腕は無事だった。虫の群れが動かす、小さな装甲の群れに守られて。
『ニィィ~ッ!』
「裁きさんよう、ご存知かどうかは知らねえが、ある日、人間に着せるでっけぇ虫の殻は全部ボロボロにやられちまったんだよ。素材も費用もなけりゃ、作れもしねえ着せられねえときた。だったらどうする? 大きいものが作れねえなら、小さく小さくしてみりゃどうか。自由研究、楽しい楽しいDIYさ。殻の残骸をかき集めて、ぼくちゃん様自身の電気信号で動くよう改造した」
全然知らなかった。いつそんな事をやっていたんだ。この様子じゃ浮気もされているな。でもすごい。さすが長年ゲスをやっていませんね、トネカ!
「ふぅむ、だが、虫の群れの数はそうでもないなぁ。二の腕ほどの面積が限界のよう——
ハゲタカと名乗った者の口を、群れの装甲をまとったトネカのハイキックが顎ごと閉ざした。伸びた足は地面とほぼ垂直、私には名前のわからないカンフー・ハイキックだ。めしゃりと後ろに大きくのけぞった後、座り込み、面白くなさそうにぶるぶると顔を振るハゲタカ。
「だからこそのカンフーだろ。やっぱきみ、さてはさてはだな? 98798かけ66834の答えはいくつだい?」
ムッとしたハゲタカが老師の声で目をむいて、ハイヤァと叫び、再び飛びかかってくる。トネカはそのラッシュを全身を使っていなしながら叫んだ。
「ワンちゃん! カイコ! どんな低スペでもいい、パソコンのある部屋を探してきてくれ! 合図の仕方はわかるよな!」
私は、はい、と言って駆け出すほかなかった。
「ふふふふ……、死ねい! アタァッ! ハイ、ハイ、ハイッ!」
あぁ、くそ、きッちぃなぁ。タバコ吸いすぎてんのかな、これって。
もちろん、この野郎どういう力なんだ、だなんて聞いてやらねえぜ。明らかに目の特性には死者への憑依、そして記憶の共有が含まれてる。そういう特性だろ。この体捌きは本物さながら、そして読心もやってみせた。老師の記憶がなきゃできねえ。さっきから冷たくてばきばき鳴ってるこいつぁ間違いなく老師の死骸だ。なら——
「そうとも、我になぜこの老害を殺せたのだ? 不思議に思っているだろうな。そろそろ説明が聞きたいだろう、お前とて、理由もわからず死にたくはあるまい」
さなか、女の声が背後からフェードイン。鉄を弾いた音と床を擦る砂埃。カイコだ。ぼくちゃん様の後ろの通路にまで、カイコがぶっ飛ばされて戻ってきた。
「げほッ……、理解、できました、トネカもこれから理解しますし、私は必ずこいつを殺します」
振り向いたところを、また足刀。やはり”けして老師じゃねえ”。技の切れは確かに老師の得意技そのままでも、記憶は記憶にすぎないらしい。これはゲームの操作だ。対戦じゃあ煽られまくりだろうな、ワンパターンすぎるぜ。こいつは間違いなくガキんちょか、大人ならADHD、でなきゃ自閉症スペクトラム……、は、ねえかな、ADHDまでか。
「全ての人があんな風ではありません。確かめたかったんです。ダメージは承知の上で無理をしました。襲撃は一瞬だったんでしょう、ご遺体は”全て”腐っていないし、生存者のほうが多い。孤立していた人間を操り、次から次へ、アサシンごっこで殺していた。それをできるだけ同じ空き部屋に集めて、隠していたんです。私に何があったか聞く必要はありませんよね?」
通路まで押し出されたぼくちゃん様とカイコの両端を挟み撃ちにするかのごとく、他の死骸がすべて、頭をこちらに向けて積み重なっていた。こいつぁまるで……、ここまで動いてきたかのようだぜってか。な~るほど。
「カイコ、きち~とは思うんだ。思うんだけれども、やむなしだ。老師の死骸が一番強ぇから、老師にも警戒しつつ、そっち側頼むぜ」
ストップモーションのクレイアニメのようなカクつきをもって、死骸がこちらににじり寄ってくる。老師の死骸も、そのたびにぶれている。
「むしろ、ぶっ飛ばされてきてくれてラッキーだった。偉いぜ、カイコ。無関係な人間を巻き込みたくねえなんてさ。警官の時は、まぁ、ありゃ事故だよ、たまたまだよな。さっすがぼくちゃん様のお姫様だ。後はワンちゃん待ちかな」
相変わらずメインは老師の死骸。みっちり左右と前にいて、後ろにゃボロい壁。狭くて暗い、完全なる死者の包囲網。死者の兵隊。カルマ。いや、こいつぁ、ぼくちゃん様へのお仕置きにぴったり過ぎる特性だぜ。
「もうおわかりだとは思うが、キスネコトネカ。説明させていただこう」
老師の中のハゲタカが勝ち誇ったように笑っている。
「我が『カルマ』は死に宿る目! お前の虫けらよりもさらに遥か小さく、そして神とやらに誓って言うのならば、天使の鳴らすベルの音よりも速い! 速すぎるゆえ、スローな視界の中を動く! 時は止まり! 止まった時の中で常に憑依を繰り返す! だからお前たちには同時に動いているように見えるのだ! 『カルマ』は言うなれば天の光の目! 声なき死者の憤怒の目だ!」
天使のベルのイメージは割とゆっくりしてねえかい。死骸の一体がかかってきたのをカイコが串刺しにして蹴り飛ばす。その後ろからまた来たのは、ぼくちゃん様のすらっとしたビューティ足技の仕事だ。
「『カルマ』の視界は我が視界! お前には見えぬ視界! 我には果てしなき星空の世界が見えているぞ! 罪深き生者は闇の黒、罪なき死者は光の白として瞳に映る! 光から光へと飛ぶのだ! 射程距離は無限! 第三の目ゆえ、けして捕まえられない! そして、どこへ逃げようともお前を追い詰める!」
なるほど、じゃ、やっぱ、ワンちゃん待ちだ。
死者の軍勢を薙ぎ払いながら、カイコの背中を見る。もう、頼もしくなっちまって。
「老師の最期も想像がつく。蟻塚の主だ。人質取られちゃお終いだぜ」
悲しいさ。けれども悲しんだり怒ったりで負けるのはもう生涯一切ごめんだ。ぼくちゃん様は頭の中を冴え渡らせて、ただひたむきに、死骸を潰すことだけに集中する。
だけどチーム戦ってなぁ難しいもんで、ふと、遠くからわざとらしく手斧を投げてきた死骸がいて、ぼくちゃん様は踏みとどまったのに、カイコがそれにひっかかっちまったんだ。腕の銃で狙撃した。どうもこれがまずかった。
気づけば、その散った肉片がこっちに飛び、セクシーな鎖骨の下のあたりにめり込んでいた。
血を吐いて膝をつく可哀想なぼくちゃん様。
「……おいおい、おい、そりゃ、話は変わってくるな。つえぇよ、ふつーに」
「トネカ!」
「だいじょぶだいじょぶ、まだ動ける。げほっ、けど、あぁ、また肺に負担がかかっちまったじゃねえかよう、ちくしょう。さっき、ようやく我慢してたのを一服できてさぁ、こんな仕打ち、あんまりだぜ」
幸い、老師のトドメの足刀をカイコが触腕で受け止めてくれた。”読み”だよな。カイコはこいつと違って頭がいいから、不意の二発目もやや下、似たとこにくると予想していた。ちっと舌打ちをして、くるくると縦回転、片足で着地し定位置につくハゲタカ。
「仕留めそこねたが、確かに喰らったな。死こそが『カルマ』。骨であろうが肉であろうが操れる。死は無限に存在する」
「わあったわあった、わあったって。ちょ~~お、キマってるぜ」
さて、プロファイリングその一、こいつの信念はハリボテ。
正直とか正義とか言ってたが、逃げ隠れて戦う特性。ハゲタカってのがきみの本名かい。
プロファイリングその二、未熟な精神。
98798かけ66834の答え、あんなもん普通、備えもなく急に言われて即答できるわきゃあねえし、答えられるなら答えてみせるはずだ。ぼくちゃん様だって6603361926、ふふん、どんなもんだ。ちょろすぎだぜ。天才なのさ、すげぇだろ。……ともかく、きみぁ最後まで答えなかった。いやわかんないよ! とも、さっぱりわかりませんね、とも言えなかったろ。隠して、自分で隠したのをもう忘れてる。いっちばん子供っぽいプライドの守り方さ。
プロファイリングその三、あの日、シルクロードから救出された誰かである。
ぼくちゃん様へのねちっこい執着心が並大抵のそれじゃねえんだ。実験兼ねて、かなり念入りにズブズブに依存させたから、実際どこまで覚えてんだかな。老師を殺したってこたぁ、目的ぁ普通の人間が欲しがる蟻塚の資源とかじゃねえ。ぼくちゃん様自身だ。自業自得のカルマか。もっとも、ぼくちゃん様が魅力的なのは否めねえけれどもさ。や、さっきぁ照れちまうなんて言ってのけたけれども、ずっとじいっと見られてたのかと思うと、ホント、よくねえんだけれどもさ、気持ち悪くってマジに泣けてきちゃうぜ。
そして最後に、究極の問題点。
ぼくちゃん様はシルクロードへの勧誘ついでに抱いた奴の人種も顔もいまいち、いちいち覚えて——
「いだッ!」
カイコの腕がたまたま後頭部に直撃した。
「謝るべきですか?」
ごめん、ごめんて。なんで読んでんだよう。今はサイコに化けねえでくれな。
土気色の肌の群れ、じりじりと縮まる距離。正直、敵の目の特性は超長距離特化型って感じだ。つえぇ。潰しても操れちまうってのはやべぇぜ。そんなん、数でゴリ押しゃあ、ぜってぇ追われる側が不利になるじゃんかよ。
いっそ、サイコになってもらうか? なんて、ワルな考え。そういうのが、ちっとよぎってんだ。死体は全て新しく、死体を焼いた煙は微粒子で、高速移動させるにゃ軽すぎる。仮に一粒一粒チマチマ飛ばせようが、しょせんはエアロゾルだ。致死量に達する事なく代謝されるか吐き出される。あの赤ん坊を抱かせて、もろとも焼き払っちまうのが楽なんだけれども——
いやぁ、それじゃあ、無実の死体に追い打ちをかけるだけさ。とことん正義の味方だぜ、今日のぼくちゃん様は。
「カイコ、ぼくちゃん様、人殺しっぽいかい?」
ちらっと顔を見る。そしてお姫様の肩をぽんと叩き、遠くから嬉しい音を聞いたのもあって、返事を待った。
「……いいえ! まだギリギリ、だらしないクズっぽいです!」
「うはは、それもなんかヤだなぁ!」
カイコはすぐに応えてくれて、背中から青白い手を大量に生やし、ぼくちゃん様を抱えて天井にびったり張り付いた。轟音がどんどん迫ってきて、死の山が下を抜けて、波立つ動きで片側へ追いやられていく。
あのかっけぇ金色!
そう、ぼくちゃん様の最高傑作、ワンちゃんのお出ましさ!
「トネカ、カイコ、遅くなった。ごめんね。パソコン、見つけたよ」
見上げる彼にちょっち見惚れてから、すたっとかっこよく床に着地する。おうおう、まだ片側にずいぶん駒が残っているようだ。奥のほうはミンチだろな。ナムアミダブツ。
ぼくちゃん様への執着をちょびっと見越して、今、どこに宿ってんだか知らねえが、どうせ多動症だろうから、ワンちゃんにチュッとやってから、老師の死骸に向かって意味ありげにウインクしてみた。
「お前という女は!」
「そ~んなにぼくちゃん様の事が好きなら、見逃してくれねえかなあ。会いに来てくれよう。あの時の被害者だってんなら、きみ、たぶん、すっげえマゾだろうしさ。またいっぱい甘やかしてやれるぜ?」
ワンちゃんの背中に隠れて、ちゃっかり交渉を試みる。
「笑止! お前は死骸くずれだ! キスネコトネカ、この『カルマ』のビジョンを飛び回る我にとって、お前は死骸にたかるハエをまとった腐った死体だ! 生者の黒! 邪悪の黒よ!」
次の一言は予想できるけれども、そりゃ言うべきじゃあないぜ。
「見える! 今になればわかるぞ! その男も虫の兵隊だったのだ! 機械のボディ! ゆえに透けている! 今は漆黒の虫けらが見え——
蹴り上げてやったときとは違う、完全に顎の砕ける音がした。
ずん、とめりこんで、壁にクモの巣状のヒビが入っている。
「ごめんね、痛い、思うけど。ワタシは、ワタシよ。やむなしに。だけどね、しってて、いちばん、おうさま、してるのよ」
——ワンちゃんがやってくれたって!?
おいおい、命令はまだだろい! やっべぇ。かっけぇ。ぼくちゃん様、また惚れちゃうぜ。
金の装飾が、ゆったりした礼服が今頃になって揺れている。壁に押し付けられた少年風の壊れた頭蓋がまだもがいて、モゴモゴなにか言おうとしている。死者の軍団も、じりじりと。せっかくワンちゃんとのキスシーンにいけるかもってときに、キリがねえたぁこの事さ。マジにしつけえ目だな。
「トネカ、何か私にできる事は」
「どうする、トネカ?」
わあったよ、しょ~がねえなあ。
かわいい仲間のため、世のため人のため、か。
ずれきった眼鏡の位置を直して、ちっとだけ真剣に考える。
なあに、起こんのはいつもの事だけだ。
まず、どこからか暗闇がやってくる。
いったいぼくちゃん様はどこから見てんだか、周りの景色を切り取ったように見えてくる。最初だきゃ変な音がちきちき鳴ってくれてんだ。ピントも合ったり合わなかったり、ほら、眼科で覗くあれに似てんぜ。考えれば考えるほどにだんだん自己が遠くなって、ひどく客観的になる。
やがて、かち、かち、ってさ。あそこにいる自分自身で腕につけた時計の音すらもだんだん鈍っていって——
最後にさあっと風が吹く。ほら、これだ。もう、な~んも聞こえねえ。
しん、ってな。静かだろ。こういう風になんだ。マジになるといっつも。
だけど頭の中はワガママで、”止まれば止まるほど、がちゃがちゃと騒がしくなる”。
ぼくちゃん様はこの世界が嫌いなんだ。寂しいし、つまんねえし、なにせ動けねえ。全部が小さくまとまっちまって、ぽつんと置かれた写真の中で、うるせぇ何かが完成するまで、永遠に止まっているだけ。
『模神眼』。過去に打ち破られたハッタリ。
またもやまたも、随分言われちまった。今回のはなんだっけ。「時は止まり!」うははは。しょうもねえ。じゃあ今のこの静かな視界は、機械の音だけの世界ってのは、控えめなきみにとっちゃあ、すげえスペシャルな事なんだな? 結構なこった。
感心するぜ。
尊大なぼくちゃん様は、時間ってなぁ疲れるだけで、止められるもんだとばかり思ってたよ。
さ、これでいっちょ、いってみっか。
時間さん、さっさとかちかちしてくれよ。ほら、動きな。
ぽん、とようやく窮屈なとこから、ぼくちゃん様が生まれるように解き放たれる。
こきこきと肩を鳴らした自分が、視界をぐっと掴んで引き寄せる。
『デウス・エクス・マキナ』ってな。
「ワン・トネカ・カイコ。シルクロードだ。久しぶりに思いっきり悪ぃ事しようぜ」
「いつもでしょう?」
ぼくちゃん様はワンちゃんに命令して、死骸もろとも床を数枚、あえてぶち破らせた。
蟻塚の人々のむせ返る声、混乱、狂乱といってもいい。
死骸の嵐と……、備え付けてあったのか、警報まで鳴っている。
「何をしようが無駄だ! 我は無限の目! 無限の距離! 無限の速度! 死は絶対に倒せない!」
別の死骸に宿ったハゲタカが叫ぶ。
すかさず衝撃が、ぱちん、と鳴った。
叫び声を、警報を、狂乱を、不思議とするどく、トネカの指のはじける音が打ち破った。
「プラグ・ザ・ホールだ! このままじゃらちがあかねえよな。ぼくちゃん様はきみに、ここ、蟻塚での一対一の決闘を申し込むぜ」
トネカが打ち立てたのは意外にも悪事とかじゃなくって、ひとつの約束だった。
「……何を言っている?」
「命乞いと思ってもらっても構わねえ。決闘の場に、このカイコと、ワンちゃんはいねえと誓う。きみの目なら決闘前にいくらでも確認できんだろ? きっかり二日後でどうだい、時刻は今とちょうど同じ時間だ。もちろん時差でひっかけようとしてるワケじゃねえ、意味はわかるよな? ぼくちゃん様のストーカーなら。ようは、ケリをつけようぜって事さ」
「お前の言葉など信頼できるか」
「だけど、ここにワンちゃんがいる限り、そっちだって相当、長くかかるぜ」
王から伸びるケーブルと、コンセントを見せつける。
「……その間に逃げるつもりではないのか」
「おい、きみなら、きみからどうやって逃げんだい? 逃げる方法があるなら教えてほしいもんだな」
トネカはつらつら言葉を並べる。だけど口出ししたくなる、どうしても聞こえてくる条件は、こちら側にメリットがあるように思えない。
「きみだって蟻塚の人間を全員殺しゃしなかった。そのほうが楽だったろうに。きみぁ正義にこだわった。つまり、ここにいんのは悪党だけじゃねえって知ってたんだろ。罪のない人間がいるってさ。わかってくれねえかな」
トネカはそう言うと取り出した銃で、狭い崩れた部屋の入口から狙いを定め、避難する人間の足めがけて引き金を引いた。大きな声がして、そこに転がる人。
ハゲタカは黙り込んでいる。ただ立ってそこにいる。
「な? こういう事なんだよ、悲しいけど、やるからにゃ、ぼくちゃん様は悪に染まらなきゃならねえ。きみに選択を迫るには、こういう犠牲も出さなきゃならねえ」
壁に背をつけて、座り込んだトネカ。
「こっちだって必死なんだぜ、命が惜しいんだ。それはぼくちゃん様の命じゃあねえ。わかるだろ? 選択の時間は今も迫ってる。だけど、これはきみが自分で選ぶ宿命なんだ。『きみ自身が正義に溺れる』か『蟻塚の人間を見殺しにする』かの、ふたつにひとつ」
「全く話にならないな!」
「だったらワンちゃんにここをすぐに崩してもらって、おしまいだ。ぼくちゃん様、せめて、家族と一緒に死にてえもん」
想定外の落ち込みに、またも沈黙が生まれる。
「……いったい、誰がそんなに大切なのだ」
「ワンちゃん、それとカイコだろ。わからねえか? 決闘にぼくちゃん様が勝とうが負けようが、この二人だけは見逃してくれねえかな」
「笑止! そこのワンちゃんとやらは、お前が死ねば消滅するのだぞ!」
「だからだよ」
低く冷たい声だった。
「だからきみは選ばなきゃならねえんだよ。この決闘は『正義』と『悪』の対立だ。シルクロードを潰すんだろ。ぼくちゃん様は逃げも隠れもしねえ。それも自由自在のカメラ監視つきで。そうすりゃ、トネカちゃんが一人きりで立ち向かってくれるってんだぜ? ロックンロールだ、やろうぜ」
ハゲタカは少しだけタメて、それから、また高笑い。
「わははははは! やはり信用できん! 二日後の同じ時刻、この場所で、キスネコトネカが孤立して待っている!? そんな事は有り得ない! 保証がどこにもないではないか!」
「ビビんなよ。んまぁ、そ~んなに決闘に保証が必要だってんなら、いっそ世界中に流しちゃうかぁ。ぼくちゃん様がどこにも行けねえって、心配性のきみへの前金みたいなもんだな」
なに? と小さく言って、死骸から出ればいいだろうに、ハゲタカが目線を動かした。
パソコンを見ていたハゲタカと、いつのまにかスマホを操作していたトネカ。何回かコール音が聞こえて、それが途切れて、聞き取れない言葉で話す。
電話らしきものが終わって、しばらくぽちぽちと何かのデータを相手に送ってから、トネカはふたたびハゲタカのほうを見た。
「さっ、開戦は盛大にいこうぜ」
『ニィ!』
ぷつ、という音で、部屋のテレビがついた。ドカン! と爆発するCGアニメーション、その手前で静止画の男二人が並んで拳を握っている。下には立体感のあるフォントで『ジャガーノート』と書かれていた。
「無敵の人が二人! ジャガーノート!」
これはナレーターの声だ。
「カルマの所有者、ハゲタカくん。こっちぁ今は夜だ。どうなんだろ? そっちぁどんな番組やってんだろうな? ハッカーもこの時期ぁ持て余してんだなぁ。世界地上波ジャックだ。時差を考慮してくれるってさ。だからきみんとこにも、きみんとこの言語で流れてるはずだぜ、フェアだろ? 手元にあるならつけてみな、面白ぇから」
私は映像の顔を一瞬見てしまって、心がゲロを吐きそうになって、思わず目をそらした。銀髪のふわふわ、深緑のボサボサ。その男たちというのは私の知っている顔、どちらも私にとって、トラウマ級の気狂いだったのだ。かつて尊厳とシルクロードを大いに荒らして去ったトムとジェリー。
もう、なんか、ヌルヌル動いているし。どう見てもガビガビの、ちょっと昔のAI合成で。そいつらがスモーク、ド派手な点滅、ド派手な音楽に合わせて、奥から二人で駆け出してきた。
何かが始まる。うまく言えないが、もうアニメ化が絶対にできなくなるような何かが。
「どうも~」
「どうも~」
「新規精鋭テロリストグループの指導者、緑のミスター・ヒゲダン・カワラズです」
「指導者の補佐、銀のミセス・グリーン・トガリです」
「ジャガーノートと申します~」
「はぁいよろしくお願いします~」
「そうなんですコンビ名がカッコいいんです~」
「ねぇごっつイカツいカッコいいんですわ」
「なぁ戦争ってあるやん」
「なんやどうしたん。戦争は今まさに起きてるし、これからも起こるやろ」
「えー我々は! 結局うっすら嫌だと思うので! どこの国にも属したくありません!」
「えどうしたん急にスピーチ! 死ぬ前の山本太郎のうわ言みたい!」
「なので今ここに各国首脳の皆様に宣戦布告し! 皆殺しの戦争をしたいと思います!」
「話の飛躍先がエレン・イェーガーやないか! キチガイやん! 知的障害者か!」
「なぁお前ら気持ちええやろ、そうやぞ、不幸は気持ちええんや、謝れるだけ立派なんやぞ」
「ガイジの親に無理やり仲直りさせられた日から時計が止まってる人ぉ!」
「せやけど謝れるだけ偉いいうのは、大人なったらある意味ほんまにそうや思うよな」
「ホンマ個人と個人の間やと誰っひとり謝らへんもんなぁ。親が子どもに謝らへんねん、せやから子どもも謝らへん」
「じゃあねぇ今日はこいつら連れてきましたんで、見せしめに殺したいと思います!」
「おぉいよいよや、これどこの人どこの人? 白? 黒? 黄? 茶? 虹色?」
「迷ったんですけど……、全種類持ってきました!」
「いや平等か! 虐げられる側に立って初めて真の世界平和訪れとるやないか!」
「こんなんしても……、また虐げる奴が現れるだけ……」
「そんな悲しい達観にまで至ってるんやったらそもそも誘拐すな!」
「うわ~! 一秒でも長生きしたい!」
「え!?」
「死にたくな~い! うお~! どけ~! 一秒でも長生きするんだ~!」
「うわうわうわ」
「……死の順番で争ってる~!」
「あかんあかんあかんあかん! そんなんいらんねん変なリアリティお前!」
「これボイロに読ませてみ? 絶対ウケるで」
「ウケへんねん! 客観性欠けてる! 俺らの笑いはIQ高すぎてウケへんのとはちゃうねんて!」
「なぁヴィーガンの前で死んだ子供ミンチにして食わへん?」
「怒るやん! 急にかりそめの狂気出してくるやん! なんでかYouTuberだけが好きなやつ!」
「楽しみで仕方がない。次は獣の子に産まれ、ようやく堂々と命を喰らえるのだから」
「あかん言葉の感じがもう死刑囚の最期のイキリや~!」
「いい事言った。信じていいのはジャック・ザ・リッパーだけだ。嘘だ、信じてない。実在性が怪しすぎるよ。もみ消し係がでっち上げたんじゃないの。ところで、なんでお前のスマホの中でだけ再生数が多いのか少ないのか常に微妙な芸人もどきがホーム画面に常に現れて、常の常にエセ狂気アピールしてるのか説明してやろうか? させてくれよ、汚言症なんだから」
「馬鹿馬鹿しい! 僕は愚かではない。結構です。だが、ジャック・ザ・リッパーがもしも虚偽であったとしても、誰かが殺しをうまくやっているという意味においてはそうでしょう。他が揃いも揃って間抜け揃いという事実を加味すれば、やはり、そうとしか言いようがない」
「いたとしてさ、会ったらどうする?」
「苦痛を与えます。だが仕留める前に性器を確認したい。大抵は性へのコンプレックスだ」
「いいね、なかなか下劣だ。出版社がこの前アマプラで観たザ・ボーイズのパクリ漫画を描かせたくて夢中になってる今がチャンスだ。疎い。疎い疎い、これは預言者の手口に似てる。これから流行る全部を俺の手柄にしたいんだよ。せっかくヒロアカも終わったんだし、ホームランダーになるべく近いキャラを出さなきゃ。今度はヴィランサイドの話で残尿を出し切りたいって? じゃあもしかして、出そうとしてるのか? もう出た? なら言葉を誤解しないでほしいんだけど、日本人にホームランダーは再現できないって、ここに先に置かせてくれ。いいや、たとえジェネリックであっても無理だね。絶対に作れない。人生レベルのリアリティを味わってない。あいつはあいつを描く奴が、本物のホームランダーが自然と生えてくる豊かな土地で共に生まれ育ってきたからこそ輝くキャラクターなんだ。あぁ違うって、ちゃんと俺はお前のスピンオフ小説のテーマに合わせて……、あ、え、そうなの? いやなんか、この漫才も含めて大事な伏線らしいよ。じゃあ……、ええと、スヌープかぶれ! そうそう、お前だよ。あのさぁ、いくら凡作ドラマでおなじみフェイク映像でもしんどいって。何やってんだ? 読者は心を痛めてるよ、こんな暴言すら寒いなんてさ。だけど同じひどい漫才でも不快感はウエストランドのが上だったろ。なんでかって? 俺達のコンセプトは一貫してるからだ。ウエストランドはミルクボーイほど画期的なシステムでもなければ、錦鯉ほどくすぶりおじさんの逆転劇っぽくもない。ああ、採点競技にドラマの介入が必要だって俺は言ってんだ。そんなのはイカれてる。出てる人よりも偉い人が全部決めちゃってるんだから。大吉さんの顔を見ろよ。どう見てもトリビアでいうタモさん係だ。確かにひがみ屋の毒舌コンビが優勝すればドラマは生まれるかもしれないよ、でも悲しいかな、偉い人はシナリオを作るだけで、エンディングのその後の事までは想像できなかった。偉い人の全員が愚かだったって俺は言い切るつもりだ。唯一だ、あいつらこそ唯一優勝しちゃダメなコンビだったんだよ。グランプリを優勝して底辺じゃなくなって、責任と義務で人をひがむようになった。そもそものコンセプトが破綻したんだ。言うまでもなく、そこから審査員と視聴者の間にも亀裂が入ったろ? そう、凡作ドラマ、ドラマといえば、あぁ、俺を信じてくれ、ドラマの脚本家は少なくとも令和の最初らへんまで”w”のコメントが横向きに流れていく場所が最もナウい動画サイトだと思ってた。マジにジジイとババアばっかりなんだよ、テレビのジジイとババアはインターネットと政府を死ぬほど憎んでるし、インターネットのジジイとババアはテレビと政府を死ぬほど憎んでる。光と闇。Z世代の対義語はやくみつるだ。じきに類義語になるよ。テレビをつけると、いつも今は令和の何年だって混乱する。だってまだ時々、寒々しい映像の最後に昔に見たような名前があるんだ。俺みたいな若造でも10代から30代までを経験してれば、しかも、俺は最低限、勉強に関わる仕事してんだぞ、それでも年齢とともに脳がみるみる劣化していくのが身をもってわかるよ。テレビ関係者が意味なく何となくリスペクトして、だけど俺や私のほうが頭がよくてクリエイティブだって内心見下してる間違いなく確かに頭が悪くてコマーシャルじゃ棒読みで、いつも親と監督とコーチに言いなりのお人形で、勝とうが負けようが自分に酔って泣くアスリート達が産まれてから何年で引退すると思ってんだよ? あいつらが立派なのはそこだけだろ! それを、そこからまるで何も学んでない。薄っぺらいジジイとババアがお年玉のためにヨイショされ続けて、架空の上級国民か反社、社会的弱者を偏見のもと自我丸出しで喋らせて、引き際のわからないままにやっぱり信頼できる同世代のジジイとババア、だけど頭なんか下げたくないから、やや、やや若い、まあまあジジイでまあまあババアの俳優たちを主役にして今も脚本を書き続けてるんだ。生きた亡霊だろ。そうだ、もちろんあいつらはまだ、ゆうちゃみとあのちゃんを若さだと思ってる。そんなジジイとババアのブレインフォッグを可視化したようなドラマを誰が観るんだって? 答えを言うよ、それは”テレビを観ないなんて、マルマルしないなんて遅れてる”って同調圧力、日本式脅迫セールがすんなり通ってた、電通が100ワニでボロを出すよりもずっと前、坂本龍一とユーミンがまだ生きてた頃、ジャニーが勃起できた頃の時代をともに生きてた、そして、そいつらの躍動を観て育ってすっかり壊れたジジイとババア達だ。とにかくベテラン脚本家って奴らはクドカンを代表として、クドカンが飛び抜けてるけど、まあ揃ってマジでダメなんだ。観れる老人ホーム、政治家への悪口に染まりきった笑点メンバーくらい若手の道を塞いでる」
「喋りすぎです。時計を見てください、ランジャタイ以上に時間をオーバーしている。彼らは中途半端な社会不適合者でも、僕は言うまでもないが、あなただってまがりなりにも社会人でしょう。この場をフィギュアスケートのような出来レースにしたくはない。僕の境遇からくる感情なのか、できもしない演技の出来にむすっとして偉そうに横に座った鍵山の父親を見るたび、子の代わりをつとめてやりたくなる。ああ、そこのおなごにははっきりと、あの時殺しておくべきだったと伝えておこう。そこは汚らしい暗がりだな。実に、ふさわしい場所だ」
「なあ。あいつ、ぼくちゃん様はキャラ立ってるぜいうはは~~ってツラしてるけど、肝心の人気がないんだ。マゾバレを終わらせた女だぞ。”じゃねえし、じゃねえ”が多くて気になるんだよ。言葉の強調グセが一回気になったら全部台無しだ、書き直せ。それも、単なる書き直しじゃねえ、こいつぁ添削なんかじゃねえ、全部さ、全部が書き直しになっちまった。ほらもう気持ち悪いだろ」
「そんな体たらくで、あわよくばおなごのオタクをメロがらせようと企てていたのか?」
「らしいね、けど俺が思うにややズレてる。西尾維新ならまだいい、空知英秋っぽい口調がまずキツい。どうしたってキツいよ。吉沢亮でもキツいんだぞ」
「情報を付け足そう。ニコチン中毒者に人権を与えた松井優征が僕のリストには乗っている」
「ああ、さも当ててますみたいに振る舞ってるけど、暗殺教室からは誰も読んでない。ネウロだけだ」
「大学生の性欲が今頃やってきたのか? 信者に正当化してもらえるとでも思っているのか」
「え!? あちょっと待って!」
「何!? 何やねん!?」
「うわ~! え、うわ~! ちょっと待って待って何何何何? 何~? なにも~ちょっと待ってちょっと待ってうわうわうわ! ねぇ待ってよ~! ちょっと待ってねぇムリムリムリムリ! えもうさぁ! 連れてきたやつら全員死んじゃったんだけど!」
「見せしめの処刑が下手すぎるやろ! オモロない素人のゲーム実況か!」
「せやけど芸能人のゲーム実況かて死ぬほどオモロないやん」
「オモロのうてええねん、周りにオモロ言わせといたらそれはオモロになるんや」
「頭の弱い者への洗脳を通り越してカルト教団の専門用語のようです、オモロ」
「そして国のお金は軽度から中等度の障害者を通じて反社か、なんでか全員基本顔パンパンのキっショい実業家に渡る。インターネットのシルクロードだよ」
「劣った者のせいで真面目に働くのが馬鹿らしくなる。まったく悪循環に他ならない。心は強くあってほしいものだ、障がい者のクズ共め」
「ちゃっかり”がい”って書くなよ。お前には害があるんだから。俺が親にそう言われたんだよ」
「はあ。ところでゲーム実況の話ですが、ゲーム自体がつまらないという点も考慮すべきでは? あれの何が面白いのかが昔からわからない。特に、スポーツのゲーム。スポーツなら、外に出て自分の体でやればいいでしょうに」
「そうだな、やっぱ実況者があらゆる点と線上を動く点Pにおける業界の害悪だと思うよ。変に顔色うかがってこないレトロゲーのが好きって法務部の目を見てはっきり言い切れる。構成員の声に合わせて揺れる絵前提のゲームが現代のスタンダードで、ただでさえ声優から入る部類のアホしかいないクリエイター側がリアクション待ちでニチャニチャしてるのを感じるとキモくなって無理になる。でも、それでもちょっと俺は浅倉透が好きなんだ。あー……。ノクチル。好き、結局、めっちゃ。でも聞けよ運営、お前らのマジに危ういサービス継続のために本当に大事な事を言うぞ。テストに出してもいい。全シャニマスのユーザーはノクチルとヤりたいんじゃないんだ、ノクチルの同性の友達になりたいんだよ! でもこれは……、俺の立場上うまく言っちゃいけない事ってだけで、それは樋口が異性として魅力的じゃないって事じゃないぞ。なっ、福丸! だぁから市川~、立場の話をさっきしたばっかだろ!? ダメ、どうしてもだ! 事務所の中ならいいけど、外で雛菜って呼んじゃダメなの! あれ、浅倉どこ行った!? ほ~~ら標準的ソシャゲの厚かましさがわかったろ!? 実在性、独自性ってのはこうじゃないだろ!? 俺はノクチルの友達で、スカウトを断ってアイドルにならなかっただけで、まだ皆と連絡だって取って。他の人も私は仲良しだって……、聞けばそう言ってくれる。本人たちだってきっとそう言ってくれる。普通に卒業して、普通に働いて、もしかしたら普通に結婚して——アイドルにならなかっただけで。皆だっていつか”そうじゃなくなる”のに。なのに。ずっと変わらない仲良しのはずなのに、それなのになんで——私はここで泣いてるんだろう。なんで私、学校にいるんだろ。なんで勝手に置き去りにされてんだろ……。はいここで皆と一緒に撮ったスマホの画像にぱたぱた大きな粒が次々降り落ちます! こうだろ! 何プロデューサー映り込んでんだ! どこに余地があるってんだよ! どけバカ!」
「身に覚えのあるそこのあなた、二日後に同じ場所でお待ちしております」
「俺が話してんだろ! 文脈で勘違いされるよ。ノクチル好きな奴が来たらどうすんだ? 俺の話は読み飛ばされたのか? それとも著作物から思想を削れって俺の法案がついに通ったのか? 超いいじゃん、前々から頭の中が一生ファンタジックな奴らに表現の自由を与えるのはもったいないって思ってたんだ。障子チンポの小説おじいちゃんはともかくとして、メガネのチビ男があわわそんなつもりじゃないのに~って萌え萌え美少女に囲まれ続ける漫画を描いてた赤松はまだ元気にしてる? いや 違うって! 称賛してるんだよ。あの厄介なブルアカと学マスの設計図を少数精鋭で作ってたレジェンドだ。俺には本物の生徒がいるけど、生徒に向けて犯罪をやるなら轢殺だって決めてる。その生徒ってのがお前だ地味系! 地味系久しぶり! 元気にしてた!? 冒頭にイキれるだけイキりまくって読者をふるいにかけた素晴らしい地の文で説明しておいてほしいんだよ。いいか? こくごの、せんせいが、いきものがかりさんに、なかゆびを、たてました! 中卒のお前のために語順を大切にして区切ってやったんだ、二度と日本の土を踏めないと思え!」
「では、世界のひととおなごの皆様も、合言葉は『ハゲタカのカルマ』。チャンネルはそのまま」
「待った! 察した。絶対このタイミングだ。これだけは絶対に俺がやるからな。……チャン! デン、デッデッ……、チャン! デッデッデ……、おやすみ、そして最後に! これ——
ぷつん、と、突然切れた。何事もなかったかのように元々の番組が流れていた。私は目を閉じて耳も塞いでいたけれど、あいつらはどうせ多分、フェイクを貫通したはずだ。
「……これは」
「うはは。ぼくちゃん様も——それと悪ぃけど、きみも逃げられねえって意思表明さ。時間も場所も言わせてねえから、なんにもならねえけど、意味を見出せるのは戦士と戦士だけだ。そうだろい? 全世界に流れたんだぜ。こんな規模のハッキング、安い買い物じゃねえ。きみにゃわかんだろ」
ハゲタカは、またしばし思考した。
「……いいだろう。その覚悟を賛辞し、受けよう。だが我は公正さを重んじる正義の使者だ。決闘は正しくあらねばならない。二日間、プライバシーはないものと思え」
死骸がぐしゃりと倒れ、かさかさとゴキブリ、クモなんかの虫が揃ってこちらへ這ってくる。おそらく死んでいて、ストップモーションのあの動きで。言い残した事でもあったのか、ふらっと別の死骸が起き上がる。
「死はどこにでもいて、動きを常に監視しているぞ。全て駆除するか? 砕くも潰すも自由だが、それもまた、死からつらなる死だ。キスネコトネカ、かつてお前が操った生者まがいの死者の軍勢の事を言っているのだ。我が『カルマ』に比べ、お前の『ドブロウ・ノッツ』は、ひどく不自由だとは思わないか?」
「んなこたねぇさ。かわいくって仕方がねえよ」
『ニィ!』
トネカが甲虫のあごをエアコチョコチョしている間に、ハゲタカはいつの間にか消えていた。
「どうするんです?」
「トネカ、どうするの?」
私たちは今、残党らしく、女王の蜜の部屋でコソコソと話している。ここには生物も死骸もない。私のアイデアだ。聞かれるのをなるべく避けたかったのだ。
けれど、できる事が何も思いつかなくって、尋ねるほかになかった。王も、ひどく少ないバッテリーの残量よりも作戦が気になるようだった。
「情報を整理しましょう。カルマは光の目で、光の速さで死から死へと移動する。いつでも私たちを狙えるし、実体がないビジョン。倒せず、けして捕まえられない。トネカ、第三の目を封印する機械の設計図でも思いついたんですか?」
「うんにゃ、ぼくちゃん様はゴーストバスターズじゃねえし、んなもん作れねえって結論が出た」
「じゃあ……」
トネカは自分のスマホを取り出して、私にぽいっとよこす。
「……トネカ、これは?」
操作したスマホの中で、ハートまみれのメッセージのやり取りがずらりと並んでいる。私のブーストのかかった握力によって、画面に、めり、とヒビが入る。
「なぁんで真っ先にそこなんだよう! わざわざブラウザ開いてあったろ!?」
「すみません、つい」
しゅっしゅっと画面をスワイプして、相手を全てブロックした後、ふたたびブラウザを開いた。
「……『ハゲタカ女』?」
そこには、すごくカルトっぽい雰囲気の、裏サイトとでも言おうか、ダサい禍々しさのページが表示されている。
「昔、日本にいた正義の使者さ。悪人を裁くんだと」
法で裁けない相手を捕らえて拷問し、ビデオ映像にて”被害者の被害者”へ向けた謝罪会見を開かせる。その後、主演俳優はむごい死を迎え、一部始終が録画されたテープが届くべき場所へと届く。そう書いてあった。
「トネカはこのシリアルキラー、正義中毒のハゲタカ女がカルマの所有者だって考えているんですか?」
「や、ハゲタカ女はある日を境に、さっぱり活動をやめちまったって書いてあるぜ。もう十分だと思って行方をくらませたのか、危ねぇ橋を渡ってただろうし、負けて死んだって事も考えられるよな。ぼくちゃん様が言いてえのは、そのご当地ダークヒーローはあまり有名じゃねえって事だ。メディアは触れなかった。そりゃそうさ、人間、身に覚えがねえやつなんか、そういねぇし」
「なら、あのハゲタカは名前だけ借りた模倣犯。トネカはよく本物に殺されませんでしたね」
「うはは、ま、来たって負けなかっただろうぜ」
はっ、とひらめきがバタバタ走る。このページは日本語のページで、戦闘中、私にも全ての言葉が聞き取れたのだ。
「じゃあ、偽のハゲタカは……、日本に住んでいる?」
「かわいいねぃカイコ~。それ、ロン! かもしれねえぜ。可能性は確かにある。ただ、向こうだって、んなの重々承知してるだろな。その国の死体に乗り移りゃ、例の特性ならどこの国の言葉でも話せる。今みてぇに、カイコに伝わるようにあえて日本語で話してハメる事だってできちまうワケだ。つまり結局、所有者の居場所はさーっぱりわからねえのさ。本体を叩くってなぁ無理だ」
「……何もわかってないじゃないですか。この戦い、本当に勝てるんですか?」
「わかった事ならあるじゃあねえか」
何もわからなかった。王も……、当然、わかっていない。
「シリアルキラーの通り名ってのは”かつて誰かが成功した道”だろ。そこを通ってる。あんなに尊大なのに他人のルートを丸パクしてんだ。ここに大きな矛盾がある。やつが目指して意識している人間像との違いさ。ここがいっつもややこしいんだよなぁ。特定のパターンを好む個性といい、正しさへの強いこだわりといい、にしちゃどうも怪しい、嘘くせえなと思っていたけれども、ようやくまとまったぜ。ようは、制御された自閉症スペクトラムとの決定的な違いってのはここにあったのさ。やつにゃ、絶対にあるはずの独創性がちっともねえ」
相手がわかろうがわかるまいが、つらりつらり、話は続く。
「だから主義には反するけれども、この場合は治療じゃねえからと割り切って、性格と障害を分割して考えてみた。性格を簡単に言うなら、卑怯でずる賢いよな。こいつが障害とあわさってかなり厄介になってんだよ。やつぁ相当なジレンマを無意識のうちに抱えてるぜ。診断名は自己愛性パーソナリティ障害、言うなれば”前向き病”の持ち主さ。強いネガティブと混ざった、暴走するポジティブ。光と闇のカオスだ、そりゃ最強の正義に違いねえ。カオスだぜ? 言葉の響きがちょ~かっこいいじゃあねえか」
長い話を終えたトネカはまた眼鏡の位置を調整して、いつものへらっとした顔で私の両肩を抱いた。
「ワンちゃん、特にカイコ。今回はガチのチームプレイだ。一から百まで騙し切るぜ。指示を与えてからはそれぞれ別行動、つまりは追従、盲信してもらわなきゃならねえ。なのに、知っての通り指揮者は狼少年ときてる。それでもぼくちゃん様を信用しきれるかい?」
私は一切のためらいなくキスをして、口の中に残ったヤニ臭い血を吸ってやった。
「あなたのような狼少年を信じ続ける聖女が、私以外にいると思いますか?」
「自己愛性パーソナリティ……、あ、や、なんでもなくて、うはは、ありがとな、そんじゃ」
そのままトネカに押し倒されて、私たちは作戦会議のついでに王の気持ちはそっちのけ、いつもの事をやった。




