26話
エルベ湖畔。
それは神代に栄華を極めた大都市跡地にできた湖である。
その大都市を滅ぼしたのは魔王ではなく当時の人間が行っていた研究だという。
何を研究していたのかは現在でも不明。
理由を調べようにも湖底に沈む大都市は有害物質により汚染されており、一呼吸するだけで死に至る。
その有害物質は一定深度より上には上がってこないため、深く潜りさえしなければ害はない。
湖を遊泳する魚を食べても有害物質を摂取する事にはならない。
直接の経口摂取だけが危険であると判明している。
同時に、その有害物質には魔力を分解する作用があり、魔法を行使して呼吸を止めて湖底に潜り、調査をするのも不可能である。
「……という設定になっています」
教師役はノエルである。
エルベ湖畔について千春が何も知らないと判明すると、嬉々として進んで解説を始めたのである。
「本当に湖の底は汚染されてんのか?」
「それは間違いありません。検証動画もいくつもありますよ」
というノエルの言葉と同時に千春たちはメールを受信した。
差出人はノエルで、内容は何かのアドレス。
話の流れ的に有害物質の検証動画だろう。
再生してみた。
青く澄んだ世界が始まった。
プレイヤー視点らしくカメラワークは少々忙しない。
それでも要所要所はピックアップしてくれる。
輝く宝石のようなもので出来ている珊瑚。
獰猛そうな見た目の巨大魚に追いかけられている小魚。
湖底には刃物のような葉を揺らしている水草。
何かしらの鉱石を含んでいる岩もゴロゴロと転がっていた。
カメラワークが正面に戻る。
すると立場一転、集団となった小魚に追いかけられている巨大魚を見つけた。
楽しい動画だ。
見ているだけでなく、目の前にあるエルベ湖に直接潜りたくなる。
そうしているうちにプレイヤーは湖底に到着する。
「あん? 何ともねえじゃねえか」
「それはそうでしょう。ここはまだ湖底ではなく中間地点なんですから」
ルシの声に応じたノエルの言葉の通り、ここはまだ中間地点。
動画を投稿したプレイヤーが前へ進む。
相変わらず忙しなく動く視点。
それがしばらくしてピタリと静止した。
前に進むための足場がなくなったからだ。
「湖底に沈んだ大都市は巨大な窪地の中心に作られていたようです」
ノエルの言葉の真偽を明かすようにプレイヤーの視点が下がる。
澄んだ湖の中。
視界は良好。
底まで見通せる視点の先、水深1000メートルほどの位置に大都市はあった。
「高層ビル……?」
「何だかエンドワールドの世界観に合わない建物だね~」
千春たちの生活する現実世界の都会に近い形の大都市の形を遺している。
今のエンドワールドでは観られない、それに建てられない高層建築物。
それらが乱立していた。
数千年、もしくは数万年も過去の遺物だというのに。
劣化もしているだろうに、湖底ゆえの水圧もあるだろうに、それなのに倒壊も破損もせずにビルディング群はその存在を遺しているように見える。
「水圧を無効化する魔法かスキル。無呼吸で長時間行動できる魔法かスキル。水中でも行動を阻害されない魔法かスキル。最低でもその三種類の対策は必須ですね」
実際に潜れば、さらに足りないものは出てくるだろう。
そのタイミングで動画投稿プレイヤーは、もはや崖のように切り立った足場を蹴って湖底の大都市にダイブした。
大都市に吸い込まれているように接近していく。
何らかの魔法を推力として使っているのだろう。
そして、
「「「あ」」」
三人の声が揃った。
見ていた動画の結末を見たからだ。
ある程度の水深まで落ちたプレイヤーは全身から赤いダメージエフェクトを発生させ、そして離脱した。
動画投稿プレイヤーの視点と連動して撮影していた動画も、当然、そこで終わっている。
あとには暗い画面上を投稿者の考察が流れていた。
「魔法の効果を強制解除され、湖底に溜まっている有害物質を吸って、瞬時にHPが溶けたと説明してます」
「毒系、呪い系にアイテムや装備で万全の対策をしたけど貫通してきたとも書いてるな」
「はい。神代の大都市には何らかのイベントがあると推測されています。それがまだ誰も発生条件を見つけられていないだけなのか。それともただ単に未実装というだけなのかは現時点では不明です」
「でも、この動画の人が潜ってた場所までなら行っても大丈夫って事でしょ、のんちゃん?」
「はい。あの中間地点より先に降りなければ大丈夫なはずです」
「あ! じゃあわたし潜ってみたいです!」
「私も私も! 確かのんちゃんって水圧軽減の魔法、使えたよね!?」
「本当ですか!?」
子供二人にキラキラとした目を向けられて、小さい子供大好き(危険な意味ではない)なノエルに『No』と言えるはずはない。
むしろノエルとしても千春と一緒にエルベ湖観光ツアーを楽しみたいと思っていたのだ。
だからわざわざ今の動画を用意したという面もある。
それにだ。
「千春は水の魔石がほしいんだろ? ならどっちにしても潜る事になんだろ」
「そうなんですか?」
千春とケイは不思議そうに顔を見合わせ、首を折る。
「はい。千春さんの求めている水の魔石は、水中にあった宝石のような珊瑚の事ですから」
▼ ▼ ▼
観光地になっているエルベ湖畔専売の装備品である『水着』を買って四人はエルベ湖へ潜る事にした。
「ああ! 千春さんの水着姿! か、カメラ! しゃしゃしゃ写真を! 永久保存版を!」
「本人の許可を取ってから撮影しろよ。あたしは友人を変質者として通報すんのは嫌だからな」
「わかっています!」
興奮しているという言葉では生温い、すでに最高潮すら突破しているノエルは黒のビキニ姿だ。
スレンダー美人で白皙の肌には対極の黒がよく似合う。
対して全身が筋肉の塊であると思われていたルシは情熱的な赤のビキニ姿。
二の腕、ふくらはぎ、腹筋と確かに筋肉で盛り上がっている。
だがしかし、彼女の胸はそれ以上に盛り上がっている。
筋肉で、ではなく、れっきとした脂肪でだ。
「ほら! ちーちゃんも早く脱ぎなよ!」
「い、いえ! わ、わたしはこのままで! このままがいいの!」
オレンジ色のスポーティな水着姿のケイが千春の手を引いていた。
否。
引いているのは手ではなく水着の上に羽織っている無粋な白のパーカー。
前もしっかりと上まで完全に閉じる徹底ぶりだった。
「ダメだよ~。ちーちゃんの可愛い水着姿を待ってる人はたくさんいるんだから~」
「ええっ!?!!?」
例え冗談でも完全に逆効果である。
千春はヤドカリが殻に閉じこもるように、頭を除く全身を大きかったパーカーの中に隠してしまう。
エンドワールドではたとえフレンドでも他人の装備を剥ぐ事はできない。
なので自発的に脱いでもらうしかない。
普通であれば。
「にししっ。ちーちゃん、知ってる?」
「え? あの、なんだかすごく嫌な予感がするんだけど……」
悪戯っ子のようなケイの笑顔を見れば嫌でも気付けた。
逃げなければいけないと本能が危険信号を発する。
しかし、このタイミングで観光地エルベ湖畔は真価を発揮した。
異性同性問わず大勢の観光客プレイヤーたちがやってきたのだ。
特に問題なのは異性。
見られていないとしても異性が極度に苦手な千春は固まってしまう。
その隙をケイが見逃すはずもなく、
「ここのパーカーはね同性プレイヤー限定で『剥ぎ取り可能装備』なんだよ~!」
「え……きゃああああああああああああっ!!?!?!?!!!??!?」
ケイの言葉を理解する前に背後を取られ、パーカーの裾を持たれたと思った直後、シャツを脱ぐようにスポッとパーカーを脱がされた。
万が一の時のために隠れやすいように一番大きなサイズを買った事が仇となったようだ。
おかげで、というか自分の悲鳴のせいで千春とケイに周囲全ての視線が集中した。
擬似太陽の陽射しの下。
映える真っ白の水着はビキニである。
千春がビキニを着ているのには理由がある。
自分で選んだのではなく、ここにはビキニしか置いていなかったから泣く泣くだ。
それに湖に入るには専用装備の水着着用必須。
着ていないプレイヤーは湖に入れない仕様にもなっている。
そして珊瑚は潜らなければ届かない水位にある。
運営の悪意というか欲望を強く感じられる場面であった。
何はともあれ、千春は最大のコンプレックスである胸を隠してしゃがみ込む。
「にししっ。ちーちゃん、似合ってる。可愛いよ」
「か、返してケイちゃん! わたしのパーカー!」
「ダメダメ。それに」
言ってケイは周囲を見回す。
「ここでこんなの着てる方が目立つよ?」
「ううっ……」
周囲にいるプレイヤーたちは全員水着姿だ。
パーカーを着ているプレイヤーは一人もいない。
というのも『パーカー着用者は容赦なく脱がせ!』が合言葉として定着するほど、エルベ湖畔ではパーカー狩りが行われている。
知り合いでも何でもないプレイヤーからも容赦なく剥ぎ取られる。
時にはそれを利用したプレイヤー主催の鬼ごっこイベントが行われる事もあるほどだ。
「それに水に入ったら気になんなくなるって。ね? 行こうよ、ちーちゃん」
差し出された手。
まだまだ恥ずかしさは強い。
迷いだってある。
それを察してかケイは、それでも少しだけ伸ばしてくれた千春の手を進んで掴みに行く。
そして見せる笑顔。
その笑顔が千春には擬似太陽よりも眩しいものに見えた。
▼ ▼ ▼
あの後、エルベ湖に入り水中の光景を満喫している間に千春も恥ずかしさを忘れて楽しんでいた。
ノエルも本人の許可をどうにか得てレアな水着姿の千春をスクショしまくった。
もうメモリがいっぱいに!? とノエルが嘆いていた事を、景色に夢中だった千春だけが気付いていなかった。
もちろん景色を楽しんだ後は採取にも精を出している。
たくさんある珊瑚群には多くのプレイヤーが集っている。
皆、景色を楽しみに来たのではなく、今回のイベント対策として水の魔石を手に入れに来たプレイヤーばかりだった。
幸いにも争奪戦にはならなかったけれど、この後からはまたさらに水の魔石狙いのプレイヤーが増える事が予想される。
タイミング的には最適だったと言えるだろう。
その帰り道。
テレポーターNPCのいる場所までの移動中。
「また来ようね、ちーちゃん!」
「うん。でも水着は恥ずかしかった……」
「でも湖底の大都市のイベントに挑戦する時はまた着ねえと入れねえぞ?」
「そうですね。おそらく水着姿でクエストに挑戦する事になると思いますし」
「千春だけ地上で留守番は嫌だろ?」
「それは嫌です……。ワンピースの水着が実装されるように要望メール出します、毎日」
「毎日か!?」
「運営もうんざりして実装してくれるかもね~」
「ビキニ姿は永久保存できましたからね。次はワンピースも……。私もリクエストしておきます」
キリッとした顔で言ったノエルの発言にケイとルシは笑い、千春は頼もしい味方を得たと憧れの先輩を見る眼差しを向ける。
茜色の空に向けて快哉の声を上げたくなる衝動を抑え込むのに苦労したノエルだった。




