第28話 知っていたから
「マリア夫人…!ご無沙汰しております」
マスターに連れられカウンターまで来たフリージアは挨拶をし、マリア夫人の隣の椅子に座りがら、なぜここにマリア夫人がいるのか気になった。
「ふふっ、なぜ私がここにいるのか、気になるのでしょう」
マリア夫人は笑ったあと、目の前にあるコーヒーを持ち一口飲んだ後、静かにソーサーへカップを置く。
「私の父がね、先日亡くなったのよ。それで、今日はマスターに話を聞いてもらいに来たの」
マスターにニコッと笑いかけたマリア夫人は、よく見ると、全身黒い服装で、黒い帽子を隣の椅子に置いていた。
「そうだったのですか…演奏した後どうされているか、気になったこともあったのですが…お悔やみ申し上げます…」
「…父ね、あなた達の演奏の後、随分と痛みが楽になったみたいだったの。だから、いつか2人にお礼を言いにいかなきゃって思っていたんだけれど、そうこうしている間に父が亡くなってしまったわ…。本当に、あの時はありがとう」
「そんな、私は大したことは…。でも、少しでもお力になれたのなら、私も…救われます…」
最近は効果をかけた後、上手くいかないことばかりだったフリージアは、夫人の言葉に少し気持ちが安らいだ。
「…あの、マスターとマリア夫人はお知り合いなのですか?まさか、夫人がここをご存知とは驚きまして…」
マリア夫人とマスターは目を合わせると、互いに穏やかに笑い合う。
「私たちは親同士が幼馴染でね、親同士仲が良かったから、私と彼も幼い頃からよく遊んでいたの」
マスターはマリア夫人の話に優しい笑みを浮かべながら頷くと、カウンターの奥の部屋へと静かに下がってしまった。
「フリージアさんこそ、今日はどうしてここに?…少し目が赤いようだけど、何かあったの?」
心配そうにフリージアの顔を覗き込むマリア夫人が、優しくフリージアの背中を撫でてくれたのをきっかけに、せきを切ったように泣き出してしまい、これまでのことを全て話した。
◇◇◇
「…そう…そういうことがあって、ここに来たのね…」
能力のことは流石に伏せて話したが、ファビウスが王子だったことや、家族との関係性、受けた仕打ち、ウィン公爵家のことなど赤裸々に話した。
「もう大丈夫よ、私はイザベラに今聞いた話をしたりしないし、あなたがここにいることも伝えたりしない。もし良ければ、今日は私の家に泊まりに来ない?」
優しいマリア夫人の言葉に、また涙がこぼれ落ちるフリージア。
思えば、実の両親を失ってから、こんなに誰かに親身に話を聞いてもらったことはなかった。
「いいのですか…?もし…お邪魔でなければ…お願いしたいです…」
「もちろんよ」
すぐ返答してくれたマリア夫人に、優しく抱きしめられたフリージアは、母のような温かさを感じる。
「それは、もう少しばかり待たれた方がいいと思いますよ」
カウンター奥の部屋から、優しい笑みを浮かべマスターが出てきた。
「え、どうしてですか…」
フリージアは不安にかられ、カウンターに戻るマスターを目で追う。
「とりあえず、この紅茶でも飲んで、落ち着きなさい」
マスターがフリージアの前に紅茶を出すと、フリージアを優しい眼差しで見る。
「私がこの店の名前をつけるにあたり、参考にしたのはファビウス坊ちゃんの名前なんです」
マスターは、紅茶を両手で持っているフリージアに、ニコッと笑いかける。
「坊ちゃんの名前と店の名前を似た響きにした理由は、私がこの店を開くのを、全力で応援してくれた唯一の王族の方だったからです。坊ちゃんは、私の無謀とも勝手ともいえる行動に一つも文句を言わず、開店準備が整うまでずっと協力してくださいました。そして、開店後は時間を見つけては、私の店に足を運んでくださった」
マスターは店外に視線をやると優しく微笑み、またフリージアに視線を戻す。
「ファビウス坊ちゃんは、幼少の頃から利発なお方でした。勉学にも熱心で真面目で、それでいて、とても優しい性格です。好きになった相手には一途だと思います。なので、フリージア様は心配する必要はないんですよ」
「フリージアの前での坊ちゃん呼びは、やめてくれと言ったじゃないか」
低く優しい声に思わず振り返るフリージアの目にうつったのは、汗を顔にたらし荒い息をするファビウスだった。
「えっ——?ファビウス…えっ?どうして、ここに——?」
動揺したフリージアは、なぜ彼がここにいるのか困惑する。
「マスターが使いの者を私宛てに出してくれてね、フリージアがここにいると聞いて慌てて来たんだ。フリージア…無事で良かった…今日姿を見ることができて…会えてどんなに嬉しかったか」
優しい眼差しのファビウスは、手を広げてフリージアに近寄ってきたが、フリージアは両手拳を胸の前でギュッと握り、警戒した顔で彼を見る。
「ダリアはどうしたの?親密そうにしていたけど」
(効果をかけているはずなのに、私の所に来るのはおかしいわ)
フリージアは、これも父シード公爵の策略なのではないかと疑う。
「彼女とのことは——誤魔化すためにも、ああするしかなかったんだ。彼女と、どうこうなるつもりは毛頭ない」
「何を言ってるの…?それは、おかしいわね。だって、だって…、あなたは…ダリアを妃にするはずだから…」
「——なるほど。今回はそういう願いの効果をかけたってことか」
ファビウスが小さく呟き、少しずつフリージアに近付いてくる。
「えっ、なぜ効果のことを——?!」
「先日のウィン公爵家での騒動で、あなたを救出した際に、公爵とあなたの会話を聞いて知りました。なので、今日も何かしらしてくるだろうとは予想して防衛していましたが、まさかそんなとんでもない効果をかけるとは」
フリージアは顔を青ざめさせ、近づいてくるファビウスを見上げる。
「ご、ごめんなさい…えっ、でもどうやって効果を受けないように…?」
「これです」
ファビウスが胸ポケットから取り出し手のひらを広げ見せてくれたものは、耳栓のようなものだった。
「演奏前にこれを付けて、あの場に出席しました。防げるかどうかは一か八かでしたが、音さえ聞こえなければ、効果はかからないようですね」
ホッとした表情でフリージアを見つめるファビウスに、フリージアはまだ動揺を隠せないでいた。
「えっ…それじゃあ、演奏の後のあれは、全部演技だったの…?」
「そうです。本当はあんなことをしたくはありませんでしたが、ダリア嬢の私を見る目から、私との間に何かを企んだのだろうと思い、それとなく彼女と親しいフリをしたのですが」
ファビウスは、恥ずかしそうに咳払いをすると、フリージアをじっと見つめる。
「本当は、フリージア、今日あなたを見た瞬間から、抱きしめたくて触れたくて、仕方がありませんでした」
恥ずかしそうにフリージアを見つめるファビウスの真剣な瞳に、フリージアも赤面し思わず顔を横に背ける。
「そ…そんなこと…だ、だいたい、ファビウスは名前もセレス王子だということを黙っていたし、あなたの言うことを簡単に信じられないわっ」
「名前のことは伝えておらず、すみませんでした。私の名前はファビウスも、セレスもどちらも正しいのです。アンダーネームはセレスなのですが、母が自分の故郷の名前も付けたかったようで、父が特別にそれを許してミドルネームとして付けられたのが、ファビウスです。ファビウスという名は、ごく限られた私の大切な人にしか教えていなかったので、フリージアが騙されたと思っても仕方なかったですね、ごめんなさい」
「大切…な人…?」
「そうです。フリージアは、とても大切な…私が愛している唯一の女性です」
ファビウスが、椅子に座っているフリージアを優しく抱きしめる。
「心の底から、本当に本当に会いたかった、フリージア」
ファビウスの胸で彼の優しい声と温もりと匂いを感じ、気持ちが安らいだフリージアは、涙が溢れる。
「私も…とっても会いたかった…」
泣きじゃくるフリージアが泣き止むまで、ファビウスは優しく、そのまま抱きしめ続けてくれた。




