貴族の最期
(どうしてこうなった)
血みどろの中に身を沈めるアラスは思う。
手足を失い、妻を失い、今自分の命すらも失われつつある。
(私が一体何をしたというのだ)
己に罪の自覚はない。
(復讐だと……、ふざけるな! この世は弱肉強食。奪われる者が全て悪い)
顔を上げたアラスは、直前まで迫るソニアを睥睨する。
ソニアは手に黒い風の刃を構え、アラスの首元に突き付ける。
「最期に言い残す言葉はあるか?」
そう囁いたソニアに、アラスは悟る。
ここまでか……、と。
悟り、アラスは死に際の言葉を紡ぐ。
「……思い上がるなよ、小娘。この私を殺すのは貴様の憎悪ではない」
アラスは思い出す。
聖アングルス王国の巫女の予知のことを。
『ーー生れし雛は羽ばたく為に親鳥を食い殺し、止まり木に滅びを齎すであろう』
あれはこのことを指していたわけではないだろう。
あの予知は遠い未来のことを示すものだ。
遠くても十年後の話で、少なくともこんなに早く訪れるものではない。
それでも結果として自分は滅びの中にいる。
予知が早まった。
引き金は恐らく子殺し。
エルリスを殺すことで、予知が別の形で成ってしまった。
つまりアラス自身の選択のミスだ。
「私たちの失態に過ぎないのだ」
エルリスを殺す以外にも予知を回避する選択肢はあった。だが、元より家督を継ぐことのできない娘などにそこまでの価値はなかった。故に始末することを決めた。
それだけだったが、それこそが最大のミスだということを彼は最後の最後で理解する。
自分たちを軽く捻り潰すことのできるあの化物は、ディアボロス家を引き継ぐのに相応しい。
性別など関係ない。
「ふふ、ははは、貴様の憎悪の刃では我らには届かなかったな。愚かで惨めで無様だ。そんなんだから何も守れずに全てを取りこぼした。くく」
アラスはソニアに嘲笑を送る。
ソニアは風の刃を振り上げる。
「無意味な十年をご苦労様」
それがアラスの最期の言葉になった。
振り下ろされた黒い刃に切断されて、アラスの頭は飛ぶ。
所詮は負け惜しみだと鼻で笑うこともできた。だが、今のソニアの心にはその余裕はない。
「無意味な十年、か。ふふ……、確かにそうかも」
結局、自力では目の前の男を殺すことはできなかった。
エルリスが現れなければ、殺されていたのは自分自身。
そこでふっと力が抜けて、ソニアは仰向けに倒れ込む。
刃状に圧縮した風は、溶けるように大気の中へと消える。と、ひょこりと倒れたソニアの顔をエルリスは覗き込む。
「もう満足した?」
「……満足。これは満足……なのかな」
十年に渡って探し続けた仇を殺したのに、心は曇天のまま。
「あれだけ憎かったのに……、殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて仕方なかったのに……」
心は一向に晴れない。それどころか気分は暗く沈んでいく。
「……まだ足りないなら私を殺す? 相手になってあげるわよ」
ソニアは一瞬考えるが、ゆっくりと首を横に振る。
「もうこれ以上あなたを殺したくない」
殺せるかどうかは別にしても、それは本心だ。
「ふーん、あまちゃんなのね」
「そんなんじゃないよ。私はただもうあなたのことは殺したくないだけ」
くすっとエルリスは笑った。
「二度も私を殺したひとの言葉とは思えないわね」
「だからだよ。だからもう殺したくないの」
ソニアは仰向けのまま目線だけを伏せ、
「ねえ、エルリスお嬢様」
この家に雇われた頃の口調で
「復讐とはこうも虚しいものなんですね」
言い、笑う。
「虚しい……」
胸が張り裂けそうだ。
「結局あの男の言う通り無意味。何の価値もない。私はあの時に皆と一緒に死んでおくべきだった」
ソニアは胸に下がる七歳の誕生日に両親から送られたペンダントを握り締める。
「無意味、ね。馬鹿な子」
ふっとエルリスは笑い、ぽんぽんとソニアの頭を優しく叩く。
とても五歳の子供とは思えないようなどこか母性のある声音。
「あの男の言うことに耳を傾ける必要はないわよ」
「……お嬢、様?」
ソニアは困惑する。
頭に触れるその温もりは子供特有の体温ではあるけれど、この心に齎す熱は何だか懐かしいものだ。
幼い頃に感じていたものに似ている。
「ただの負け惜しみに過ぎないわ。復讐を成功させたあなたは勝者。その厳然たる事実がある以上、あなたは敗者の戯言に耳を傾ける必要はないの」
エルリスはソニアの頭を撫でる。
「あなたは復讐したことを後悔している? あの男達が何の裁きも受けずに幸福な天寿を全うする。そんなことに耐えられる?」
想像しただけで腸が煮えくり返りそうな気分になる。
「あなたがその皆と一緒に死んでいたら間違いなくそうなっていた。分かるでしょう、あなたは何も間違ってはいない。復讐に費やした時間は、全く無駄ではない」
じわりと心が温かくなる。
この十年、壊れていた心が徐々に回復を始めた。その兆候として目尻に涙が浮かぶ。
最後に泣いたのは一体いつだろう。
夢の中では何度も泣いていたような気がする。だが、現実では一度も泣かなかった。
悲しくてもその悲しさを感じる余裕が心になかったからだ。
ソニアは目を閉じて心に広がる熱を確かめる。その熱の正体を彼女は知っている。
(ああ……、そっか)
ソニアはエルリスに手を伸ばして、縋るように抱き着いた。
「……ママ」
その熱は十年前には毎日のように与えられていた母性によるものだった。
ソニアは目を瞑ったままエルリスの胸の中で静かに寝息を立て始める。
(ママ……、そんな風に呼ばれるのは初めてね。ふふ……、おやすみなさい、ソニア)
エルリスは笑い、控える骸鳩の方に視線を向ける。
「それじゃあ計画を進めるけど、あなた達の方の準備はいい?」
「はっ! 我々の方の準備は終わっています」
「よろしい。なら始めましょう」
エルリスは微笑み、まるで赤子をあやすかのようにソニアの背を撫でる。




