07-2
父がどこへ行ってしまったのかはわからない。
けど、今はそんなことより、フランカの髪のことだ。
客間のソファやテーブルをどけて作ったスペースに大きなシートを敷き、その上に置いた椅子に、フランカが座っている。
切った髪の毛が服に残らないように、中心に穴を開けたシートに首を通させてから、随分時間が経った。
「……ジゼル。そろそろ始めてくれない?」
「は、はい。しかし……」
ギラリと輝く銀色のハサミを手にしたジゼルの顔色は、悪い。準備を整え終えてからずっと、ジゼルはフランカの髪に手を伸ばせないでいた。
……まぁ、気持ちはわからないでもない。
その様子を、部屋の隅に並んだレオーネと修道女2人が、ジゼル同様、顔色を悪くして注視している。
ちなみに、この修道女2人もフランカの使用人で、名前はキアラとロザリーという。
そして私は、フランカのすぐそばに立っている。
彼女にそう頼まれたからそうしているんだけど、正直、ジゼルの葛藤なんかがひしひしと伝わってきて、すごく居心地が悪い。
「ジゼル。早く切りなさい」
「姫様……」
いつまで経っても動かないジゼルに対し、さすがのフランカも声に苛立ちが混ざり始める。顔は穏やかだけど。
「早くしなさい。……命令よ」
そう言った一瞬のみ、フランカの眉がぎゅっと寄ったのを、私は見逃さなかった。……意外と、怖い顔もできるんだな。
「はっ、……はい。わかり、ました」
とうとう観念した様子で、ジゼルはフランカの髪を一房持ち上げた。その手も、ハサミを持つ手も、ブルブル震えている。
だ、大丈夫か、これ。見てる方がハラハラする。
「では、行きます」
「お願い」
「! ……」
大きく深呼吸するジゼル。そんな彼女からは見えないだろうけど、見ない方がいい。
「フランカさん」
彼女の腿の上で固く握られた拳に、そっと触れる。
ジゼルだけでなく、レオーネたちにも見えないだろう。
横に立っていた私だけが、気付いてしまった。
「……ありがとう」
掠れた声を発したフランカの目には、今にもこぼれそうなくらいに涙が溜まっていた。
一房切ったら、後は作業だ。ジゼルは慣れた手つきでフランカの髪を切っていく。
フランカも落ち着いたのか、いつもの穏やかな顔で、私に「今どんな感じですか?」などと聞いてくる。私はそれに生返事で応じつつ、父のことを考えていた。
買い物に行くと言って出て行ったきり、未だに帰ってこない父。一体、どこで何をやっているんだろう。
ていうか、買い物って何さ。何を買う必要があるっていうの?
「どうされました? ティナさん」
よほど私が妙な顔をしていたのだろう。フランカはやや困惑した顔で首を傾げた。
私はパッと表情を戻し、「え? 何でもないよ。あはは」と笑って誤魔化した。
フランカの髪は、みるみる短くなっていった。
そして、長い部分を粗方切り終えたジゼルは、前後左右からフランカの髪を見て、そして全体のバランスを見た後、口の中でブツブツ何やら呟きながら、再び作業に入る。
その様子をジロジロ見ていた私に、フランカが笑いかける。
「ジゼルはね、城にいた頃も私の髪を切ってくれていたんです。……まぁ、ちょっと伸びたところを切って整えるくらいのもので、髪型が大きく変わるほど切ってもらったことはないですけどね」
私は「へぇ」と呟き、ジゼルの顔を窺う。彼女の顔には、フランカの言葉を聞いてか、わずかに笑みが滲んでいるように見えた。
「……ところで、クレイグ様はどこへ行かれたのでしょうか」
そうなんだよ、帰ってこないんだよ。一体、何を買いに行ったんだ?
「さぁ。……それより、フランカさん」
私は、ずっと胸の中に引っかかっていた違和感の正体に気付き、それを消すためにフランカに聞いてみることにした。
「なんでしょうか?」
「フランカさんってさ、どうしてお父さんのことを様付けで呼ぶの? どっちかと言えばさ、私たちの方があなたに様付けするべきだと思うんだけど」
離れたところで、レオーネが「まったくだ」と呟くのが聞こえた。
そう、違和感の正体はそれだ。フランカは、父と会った時から今までずっと、父を様付けで呼んでいる。
やっぱり、憧れとかそういう理由だろうか。
ふと気付くと、なぜかフランカは頬を染めて視線を下げていた。
……どうした?
やがて、フランカは恥ずかしそうにもじもじしながら、再び私を見て言葉を紡いだ。
「……クレイグ様は、私にとって、白馬に乗った王子様なんです」
「へ?」
父が、何だって?
思わず妙な声を上げてしまった私と同様、ジゼルはびたっと手を止め、壁に並ぶレオーネたちを見れば、彼らもまた、口をぽっかり開けて固まっていた。
「……フランカさん。あの、……それってさ、つまり、……そういうこと、だよね?」
恐る恐る言葉を引き出そうとするけど、あまりに曖昧すぎてフランカは首を傾げるだけだ。
「いや、だから、えっと……」
なんで私がドキドキしなきゃいけないんだよ。
頬を染めたまま、「ジゼル、手が止まってるよ」と注意するフランカを眺めながら、彼女と出会ってから今までのことを思い返す。
……確かに、フランカの父に対する態度は、そう考えれば納得できる、……か?
なんだよ。ただの憧れじゃなかったの?
白馬に乗った王子様って、……それって、つまりそういうことでしょう?
フランカは、父のこと……
「ちょっと、あなた!」
「――!」
突然腕を掴まれ、思考の世界から引き戻される。振り向くと、そこにいたのはフランカの使用人という2人の修道女。……キアラとロザリー、だっけ?
「な、何?」
「話があるの。来なさい」
「ちょっ、えぇ?」
訳が分からないまま、私は修道院の外に連れ出された。




