第77話 新人二十人、全員帰還
千葉第三ダンジョン、第三階層。
探索歴半年の健太は、荒い息を吐きながら、通路を塞ぐ硬装ボアを睨んでいた。
浅層では滅多に現れない、分厚い外殻を持つ中型種。
三人パーティーは帰還経路で遭遇し、避ける間もなく戦闘へ入っていた。
「もう少しだ! 押し切れる!」
仲間の声が飛ぶ。
硬装ボアが頭を下げ、突進した。
健太は貸与されたKUJO-G0の腹で牙を受け流す。
ギシッ、と嫌な音がした。
手首へ重い衝撃が抜け、体勢を崩した魔物の首筋が目の前に晒される。
踏み込めば、届く。
中型魔物の魔石を持ち帰れば、今日の稼ぎは一気に増える。
健太が剣を振り上げた瞬間。
鈍色の刀身へ、一条の赤い線が走った。
『赤線を確認したら、その場で使用を中止する。あと一撃は認めない』
講習で聞いた九条の声が、頭の中に蘇る。
剣はまだ形を保っている。
目の前の魔物も弱っている。
それでも、次の一撃に耐えられる根拠はどこにもない。
「撤退する! 閃光玉!」
「はあ? あと少しで――」
「赤線が出た! 訓練どおりに動け!」
仲間の顔から迷いが消えた。
講習を受けたのは、健太一人ではない。
後衛が閃光玉を投げ、もう一人が煙幕を広げる。硬装ボアが視界を失った隙に、三人は上層へ続く通路を走った。
背後で、魔物の蹄が石床を打つ。
健太は反射的に剣へ手を伸ばしかけ、止めた。
赤線が出た装備を、退路で使い直してはいけない。
代わりに予備の短剣を抜き、先頭を仲間へ譲る。
訓練で決めた隊形へ切り替え、三人は追跡を振り切った。
*
西原鋼業の事務所へ、協会支部から帰還確認が届いたのは、赤線発生の報告から二十三分後だった。
「帰還。三人とも負傷なし!」
芽衣が読み上げる。
俺は詰めていた息を吐いた。
一本の警告が、実際の撤退へつながった。
だが、まだ二十人のうちの一例に過ぎない。
「回収品の到着後、装備と外付け記録器を別々に確認します。本人たちへの聞き取りも、記憶が新しいうちにお願いしてください」
*
翌日。
健太は剣を収めたケースを抱え、仲間二人と一緒に西原鋼業へ来た。
「すみません」
ケースを開きながら、彼は俯いた。
「倒せそうだったのに、逃げました。借りたばかりの剣も、もう赤くしてしまって……」
相馬が剣を受け取り、まず外観と警告線を撮影する。
次に、柄へ封印していた負荷記録器を外し、校正記録と照合した。
「瞬間負荷が、事前に定めた警告判定帯へ入っています」
モニターへ、衝撃の波形が表示される。
「赤線が出た時刻と、あなたが戦闘を離れたと申告した時刻も整合しています。ただし、この記録だけで『次の一撃で必ず折れた』と断言はできません」
相馬は、言葉を選びながら続けた。
「それでも、刀身内部には限界へ近づいた兆候がある。追撃していれば、重大な変形や破断へ進んだ可能性は高い。撤退は正しい判断でした」
健太が、赤い線の残る刀身を見つめる。
「逃げて、よかったんですか」
「謝る必要はありません」
俺は答えた。
「あなたは、仲間と決めたルールを守り、三人で帰ってきた。今回の実証で、俺たちが一番確認したかった結果です」
仲間の一人が、気まずそうに頭を掻いた。
「あの時は、倒せるのにって思いました。でも、合図を聞いたら体が動いた。全員で講習を受けてなかったら、俺が健太を止めてたかもしれません」
重要なのは、剣の性能だけではない。
警告を共通言語にし、仲間全員が撤退へ切り替えられたことだ。
「今日の魔石は持ち帰れませんでした」
健太が悔しそうに言う。
「ですが、次の探索へ三人で行けます」
俺は答えた。
「今回失ったのは、一日分の収入です。装備の点検結果と撤退手順を見直せば、次の判断材料に変えられます」
「この装備は、継続使用不可です」
西原が刀身を光へかざした。
「内部検査へ回す。代替品は実証契約の条件に従って渡すが、次の探索は協会の再講習を受けてからじゃ」
「はい」
健太は、今度は迷わず頷いた。
*
それから、実証期間の終了まで報告は続いた。
五人の装備に赤線が現れ、いずれも講習どおりに探索を中止した。
残る十五人は赤線を確認しなかったが、指定日を守って装備を返却した。中には刃こぼれや軽微な歪みが見つかり、赤線の有無にかかわらず点検が必要だという事実も得られた。
最後の一人の帰還を協会が確認した夜。
芽衣が、一覧の最終行へチェックを入れた。
「二十人、全員帰還。実証期間中の死者と重傷者はゼロです」
事務所に、歓声と安堵の息が重なった。
俺も、素直に嬉しかった。
あの在庫の山を前に、中堅探索者が未知の装備を怖がる理由すら理解できなかった俺たちが、ようやく二十人の使用開始から返却までを途切れさせずに回したのだ。
「これで、G0の安全が証明されたね」
芽衣が目を潤ませる。
「一つの限定実証が終わっただけです」
俺は、回収された二十本を見た。
「対象者は選定され、全員が事前講習を受け、協会の通常支援が使える条件でした。比較対象もなく、人数も二十人です。この結果だけで、どの新人も安全だとは言えません」
「……うん。そうだね」
「ですが、警告、撤退、返却、点検という一連の運用が、現場で実行可能だという最初の記録にはなりました」
相馬が、匿名化した集計画面を開く。
使用回数。
活動階層。
警告発生の有無。
発生から使用中止までの時間。
返却時の摩耗と内部状態。
五件の警告のうち、三件は突発的な衝撃、二件は小さな負荷の累積だった。
同じ赤線でも、原因は一つではない。
赤線が出なかった十五本から見つかった歪みも含め、次回の講習では「警告だけを待たず、違和感があれば撤退する」という項目を強める必要がある。
「装備だけを試験機で壊しても、人が警告に従うかは分かりません」
相馬が言った。
「今回、五人が実際に使用を止め、二十人全員が期限内に返却した。統計的な結論には足りませんが、次の検証項目を決めるには十分な材料です」
俺の端末に、一通の面会要請が届いた。
送り主を見て、俺は第1プラントの計画を始めた頃に受け取ったメールを思い出した。
KUJO-G0の検査証明と点検履歴に、早い段階から関心を示していた中堅の損害保険会社。
『二十人限定実証の集計結果について、匿名化された範囲で確認したい』
彼らが見たいのは、「全員帰還」という宣伝文句ではない。
警告を受けた人間が、実際にどう行動し、装備がどの状態で戻ったのか。
保険会社が、赤線の後ろに残った履歴を見に来ようとしていた。




