第35話 御堂龍之介、勝負に出る
三葉物産、本社ビル。
新規事業部長の御堂龍之介は、海外装備メーカーとの輸入販売契約を画面上で確認し、最終承認を実行した。
西原鋼業への買収提案は拒絶され、素材開発部門にいた相馬直人も、適法な手続きを経て九条側へ移った。
だが、御堂に私怨はない。
九条への対抗心だけで巨大企業を動かすほど、彼は無能ではなかった。
問題は、九条が製品より先に、品質基準と供給網を市場へ根づかせようとしていることだ。その規格案が事実上の標準になれば、三葉物産は後から参入しても、九条の作った物差しで評価される。
「国内試験と法務審査の報告です」
部下が資料を表示した。
海外メーカーが製造する魔力耐性合金の刀剣は、限定された試験条件の中では、一定の物理負荷と魔力負荷に耐えた。
複数のサンプルでは、重大な変形に至る前に、刀身表面へ赤色の反応が現れることも確認されている。
一方で、長期間の反復使用、不規則な実戦負荷、製造ロット間のばらつきについては、まだ十分なデータがない。
「追加検証を続けるなら、販売判断は数か月後になります」
「その頃には、KUJO-Gが市場の基準になっている」
御堂は報告書を閉じた。
九条側にしても、長期の実戦記録を蓄積できているわけではない。新素材市場の初期段階で、完全な安全証明など誰にも出せない。
ならば、確認できた範囲と、まだ確認できていない範囲を明示したうえで、市場へ選択肢を出す。
それが御堂の判断だった。
「輸入時のロット検査は継続しろ。抜き取りの負荷試験も行う。赤色表示が出た場合の即時使用中止を説明書へ明記し、保証窓口と回収手順も先に作れ」
「承知しました」
「ただし、発売は遅らせない。市場にいなければ、品質を語る席にも着けん」
製品名は『M-GUARD』。
KUJO-Gとは別の、三葉物産独自の魔力耐性装備として発表された。
三葉の海外調達網と既存の卸売網を利用した価格は、九条補給店の試験販売価格を大幅に下回った。
発表と同時に、全国の小売店へ初回出荷枠の案内が送られる。
すべての探索者が飛びついたわけではない。それでも、高額な装備へ手を出せずにいた新人や、破損のたびに買い替え費用を負担してきた中堅層から、注文が入り始めた。
御堂は販売状況を示す数字を、感情のない目で見つめていた。
勝ったわけではない。
ただ、九条だけが市場の入口を握る状況は崩した。
*
西原鋼業の事務所で、俺は三葉物産のプレスリリースを読み込んでいた。
KUJO-Gは、今も協会の追加審査中にある民間の規格案だ。
販売実績は数件だけ。新人向けのKUJO-G0も、定期点検と回収を組み合わせた運用も、利用希望を集めながら設計している段階にすぎない。
俺個人には、消費者金融の残債に加え、工場への支払いを守るために背負った短期融資の保証も残っている。
そこへ、大手商社が本気の価格をぶつけてきた。
「……この価格で、検査と保証まで付けるのか」
俺は公開資料を一項目ずつ確認した。
一定条件での負荷試験。輸入ロットの確認。赤色表示が出た場合の使用中止。購入後の保証窓口。
必要な説明は、形式上揃っている。
だが、試験を何回繰り返したのか。異なるロットをどこまで比較したのか。使用後の現物を回収し、次の判定基準へ反映する仕組みがあるのか。
公開資料からは、そこまで読み取れなかった。
だからといって、危険な製品だと決めつけることはできない。三葉が非公開で十分な検証をしている可能性もある。
ただ、この価格と投入速度を両立させる調達設計が、どこに余裕を持ち、どこに負担を寄せているのか。その構造が見えないことだけは、確かだった。
「九条さん」
オンライン会議の画面から、規格協議に参加する工場経営者の一人が言った。
「この差じゃ、客は向こうへ流れる。うちらも利益を削って、少しでも価格を合わせるべきじゃないか」
従業員の仕事を守る経営者として、当然の懸念だった。
西原も、険しい顔で俺の返事を待っている。
「価格は下げません」
俺は答えた。
「工賃を削れば、工場が疲弊します。検査、ロット追跡、回収対応を削れば、俺たちが安全性を掲げる根拠が消える。価格だけを合わせた瞬間、KUJO-Gは三葉製品より高いだけの模倣品になります」
安さで殴り合えば、資本の小さい俺たちが先に死ぬ。
何より、命を預かる装備で、値札を下げるために安全工程を削ることはできない。
「カウンターは、価格じゃありません」
具体的な反撃策は、まだ完成していない。
その間にも、KUJO-G0の利用希望フォームへ入る数字は目に見えて鈍り、「三葉の商品を見てから決めたい」という問い合わせが増えていった。
*
数日後。
全国の装備店に、M-GUARDの初回入荷分が並んだ。
価格を見比べた探索者たちが、三葉物産の名前が印刷された箱を手に取り、それぞれの予算と探索予定を考えながら購入していく。
箱の中には、赤色表示の説明と、異常があれば使用を中止するよう記した注意書きも入っていた。
安価な新装備は、現実の選択肢として市場へ流れ始めた。
その赤色表示が、実戦の中でいつ、何を知らせるのか。
答えは、まだ誰の手元にもなかった。




