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喝采の跡  作者: 真月 一蓮


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2/2

後編

 その週の内に、マイナス十度のアイスバーにも連れて行った。温度が変われば音も変わる。すぐに帰りたそうにしたが、カクテル二杯分までは滞在させた。

 「おい。なんだよ。これ」

 「ここなら、力いっぱい泳げるぞ」

 会員制のプールだ。四レーンしかないが人は少ないので泳ぎやすい。

 「ふざけんな、帰る」

 「入ってみろ。言っただろう。これも世界を広げる為だ」

 「おい。まさか水中でライヴするわけじゃないよな」

 アメリカのアーティストなら、有り得ない話でもなかった。

 「泳げないのか」

 「こんなガチのプール。中学生ぶりだ」

 黄色い水泳キャップを付けた頭を、邪魔そうに撫でる。髪でもっこりしていた。

 「僕は週に三回ほど泳ぐ。水の中で耳を澄ましてみろ」

 準備運動を済ませたら泳ぎ出す。


 言うまでもなく水の中は地上と違う。地上とは全く違う響きで音は伝わっていく。

静かで、鼓膜も安らぐような感覚。浮遊感は固い心を解し、殻が水の中へ溶けていく。裸に近い格好になることで、自らを見つめ直すこともできた。

 二百メートル泳いだ辺りから、僕の頭から白坂の存在が離れる。

 ダウンロード数と有料会員数に振り回される日々では、泳ぐことで脳内をリセットしないと生活できなかった。

 いつか音楽の価値を知らない奴らに教えてやりたい。

 この世から音楽を消し去り、それから音楽を売ればどうなるか。飛ぶように売れるだろう。――それとも一度失ってしまえばもうそれでよいものだろうか。

 意識は思考の内へ沈んでいく。

 平泳ぎは意識しなくても滑らかに続けられた。腕を掻きながら上半身を水面に出し、呼吸する。体が沈む、僅かな重力を使い、踵を尻に引きつける。体はするすると前へ滑っていく。気持ちがいい。呼吸さえ続けば水の中は上に下に自由だ。


 プールから上がると、ベンチに寝転がっている白坂を見つけた。

 「もう限界か」

 「……」

 隣のレーンでクロールしている姿は認めた。

 挑発してやっても白坂は無反応で、相当疲れているらしい。ゲームをしようとしてやっぱり力尽きたのか、右手にスマホを握りしめていた。

 「水の中じゃスマホで遊べないな」

 「不便だ。泳ぐしかできない」

 「それがいいじゃないか」

 「終わってるよあんた」

 「喉が渇いたろ。運動後の一杯は格別だぞ。終わってるかどうかはそれからだ」

 口ではこうだが、フロアを降りた磯丸水産に移動するとその顔は疲労感に満足していた。

 「ずっとゲームのビルドを考えてた。いや、いいスキル構成が出来たぜ。ほら。確かに水の中は違うな」

 スマホの画面を見せてくれる。戦士のポリゴンに鎧やら靴やら色々なアイコンが添付されていた。三宮にはそれがどういったゲームかも分からないが、神妙な顔で頷いておいた。

 「つうかよくこんなうるせぇとこ来るよな。静かなのが好きなんだろ?」

 ちょうど混む時間だ。かなり賑わっている。

 「ここは音の膜ができていい」

 「音の膜?」

 カニ味噌の甲羅焼を網の上に並べる。

 「テーブルの上だけ、エアポケットみたいに静かだろう」

 「いや、全然うるせぇけど」

 「現実に静かな声で会話できている」

 「――いや。つられて俺らの声がでかくなってるだけじゃんか」

 首を傾げる。

 「イメージの問題だな」


 ここ一か月と少しで、白坂という男が分かってきた。ゲームとギター、それと酒も好きなようだ。これらは、一般的な視点からすれば過剰なほどでもある。

 オリジナルの曲を聞きたいが、作曲は特にする気がないと言っていた。残念だが、本心からだろう。音を自在に操れる彼からすれば、曲は檻に過ぎないのかもしれない。しかしそれでは音楽として売り出せない。

 彼がアドリブだけの音楽で売れるには、まだ音楽業界の成長を待つ必要があった。紀元前から始まる音楽史の未成熟な部分を、令和になってさえ突き付けられるとは思わない。

 会計をする時、領収書を書いていると興味深そうに横で白坂が見ていた。

 「サンキューじゃん」

 「さんのみやだ」

 中学生の頃から数えれば百万回は言われた冗談だ。

 「サンキュー。だはは」

 私が会計したことにだろう。

 「経費だよ」

 言うと、白坂はつまらなそうな顔をした。


 二週間後。僕は白坂を待っていた。バックバンドの応募があって、その審査が行われている。バックバンドは一時的とはいえ、断られるかと思ったが二つ返事がきた。嬉しかった。白坂もあのバンドでは上にいけないことが分かっているのだろう。そちらは遊びで続ければいい。

 それが安請け合いだと分かったのは、開始時刻になってからだ。

彼がこれまで発掘されなかった要因の一つだろう。これならアパートの入り口で捕まえるくらいすべきだったと、後悔もした。

 何度も電話を掛ける。

 「電話には出るわけだ。舐めてるのか?」

 「気が乗らなかったし、用事ができたんだ」

 悪びれるつもりもないらしい。

 「僕が思っていることを当ててみてくれ」

 「こいつ逃げたんだな」

 逃げたつもりはないと言いたいらしい。しかし結果としてそうなっている。

 オーディションで自分のありったけをぶつけるのは怖いことだ。価値を決め付けられた気にもなる。しかし否定される可能性がなければ、認められたところで意味はあるだろうか。

 「正解だが、もう少しある」

 「へえ。これから友達と飲み会なんだ。奥さん紹介するってよ。んじゃ」

 電話がぶつりと切れる。

 「君が僕なら、こんな事は絶対にしない」

 もし自分が白坂なら。やりたいことはその人生で足りないくらい思い付ける。しかし僕は白坂ではなかった。歯痒いとは、認めたくない。


 懲りずにバックバンドの募集に、白坂を応募した。ギターがソロで脚光を浴びるのは難しいからだ。大きな募集だが、今回も書類とビデオ選考については問題なく通過させる自信があった。

 今回の募集元はルブロンというオーストラリア人のアーティストで、かなりのビックネームだ。アメリカから始まり、カナダ、イギリス、フランスを通じてアジアへ下っていく。

 多国籍なバンドを、ということでチャンスは大いにある。もし通ったら白坂のバイトはやめてもらうことになるな。

 オーストラリアで初めて顔を合わせた時、コーディネーターの浜田は懐疑的だった。

 「誰ですか」とも聞いた。まだ自分が知らない可能性を尋ねた。ただの無名の青年が、コネだけで来たと思っているらしい。そしてそれが気に喰わないと顔が言っている。

 オーディションを受けるに際して、現地での案内係として浜田を雇った。白坂には浜田に会う直前までオーディションのことを隠しておいた。オーストラリアへ出張するからついて来るか。と誘っただけだ。嘘は言っていない。

 「なんだそれ。バックバンドのオーディション?」

 ぐずる白坂はもちろん予想通りだ。

 「観光じゃねぇのかよ」

 内心は必死な思いで諭す。

 「やってみればいい。望んでも立てないステージだ」

 「いやいや。いま知るってなんですか。みんなこの日の為に準備してきてるんですよ。困ったなぁ。素人立たせちゃ大変ですよ」

 怠そうな目が、まばたきで変わった。舐められている方が若者は燃えるというものだ。

 「ギター持ってきたのは海辺で弾きたかったからなんだけどよ。まあいいか。外で思いっきり弾いたら怒られそうだし」


 渋い表情の浜田の先導で会場になっている巨大スタジオに向かう。それからはあっという間だ。出番になり、白坂はギターを持って立つ。男女一人ずつの審査員と、オーストラリア人のアーティストがテーブルに座っていた。三人全員に認められる必要があるだろう。

 指を温める準備運動みたいなフレーズが、柄にもなく緊張している。音を自在に出す白坂らしい緊張の現れ方だった。

 ボン、ボボン。

 六弦を何度も鳴らす。人の小さな喧騒が渦巻いて、白坂の出す低音を薄めてしまう。

 「どうぞ」

 三人掛けのテーブル中央に座る男が言った。

 ボボン。

 白坂はなにが気に入らないのか、執拗に六弦を鳴らしている。ペグに触れて、ほんの少しだけ張る力を強くした。チューニングはもう三回もしている。十分だろう。

 「どうぞ?」

 長時間のオーディションで審査員の苛立ちも堆積していた。彼らの険しい顔が伝播するように、壁際で同じように出番待ちを続ける人のどよめきが大きくなった。

 ボボボボン。


 ほんの一瞬。どよめきと白坂のギターが重なる。


 気付いたのは僕だけだ。いや、テーブルの端に座るアーティストのルブロンにも反応がある。

 白坂はスタジオの雰囲気で曲を作ろうとしていた。ひそひそとした声。緊張。大物の存在感。憧れと、成功への予兆。そして落選の恐怖。

 「もういいわ」

 そうだね。と中央に座っていた男性が横の女性に同調する。僕は離れた場所に立っていたが、確かにそう聞こえた。

 「止めてきますよ」

 コーディネーターの浜田が言った。

 「待ってください」

 「彼のせいで今後日本人がオーディション断られたらどうするんです」

 右手に持ったピックがストロークを始める。

 コーディネーターの浜田が近づく。彼は審査員の方に申し訳ない表情をしてみせた。

 リズムが放たれた。

 本気だ。白坂の全力だ。

 浜田の足は止まらない。

 弦の振動をピックアップが拾い、電気信号がマーシャルの大きなアンプに伝わる。レスポ―ルのサウンドは甘く、パワフルだ。

 肩に手をかけようとしたところをルブロンが指を一本だけ立てる。それだけで浜田を退散させた。

 低くテンポを取り、高くメロディを掲げた。滑らかに、優しく白坂は音を出す。鋭利なサウンドではない。

 やはり彼の左手は、フレットをあまり移動しないまま音楽を奏でた。

 煌めく音の粒たちが僕の体を包み込む。

 ぶるりと、全身が総毛だって震えた。

 転調した。今度は高い音をカッティングしてテンポを刻み、中低音でメロディを歌う。まるで指パッチンでテンポを取っているようだ。ようやく、全員の意識が白坂に集中した。

 音符の旋律がくるくると彼から溢れる。それらは巨大スタジオの壁にぶち当たり、天井を揺らした。

 まるで恩寵だった。

 耳で聞いた。

 いや、目でも見た。

 魂が共鳴する。

 弦が揺れるたびに心臓まで揺らされた。誰もがこの先、お前を見るようになる。その音で世界中の人間を振り向かせるんだ。

 そして納得した。上司の言葉で、時代の変移で、音楽が分からなくなっていた。これが音楽だ。目の前のプレイと、人の心が高まる熱。僕は一人の男の音楽を体験していた。体験してこその、音楽だ。

 徐々にメロディが複雑になっていく。

 音同士が絡みつきそして、分厚くなる。

 止まらない。

 音の粒は層を作り、徐々に巨大になる。

 スタジオ全体に圧が掛かり、空気が重くなった。

 呼応するようにテンポが倍になった。

 裏の拍を入れたからだ。当然のようにクリアな裏拍だった。

 重い空気をものともせずに突き進んでいく。

 そんな白坂の世界の音を聞いた。

 これがお前か。

 白坂の額は汗が玉粒になっている。

 顔を真っ赤にして、音楽を生み出している。

 壁は目の前だ。

 テンポが更に倍になる。

 行けっ!


 ふいに、世界へ羽ばたいた白坂の音楽を自室で聞くイメージが浮かぶ。冷たいフローリング、乾いたソファにギラギラした広告看板の光がカーテンの下に吹き溜まる。

 それでも満足だ。

 吹く風よりも速く、遥か彼方まで。僕の手ではサポートしきれないところまで振り切ってしまえ。喝采の跡しか味わえずともいい。世界を驚かせてやるんだ。

 アップストロークで終えた腕をしばらく宙に止める。息を吐き、顔を上げた。


 どうだとばかりの表情で。


 二人の審査員とアーティストが真剣な顔で話し合っている。進行も務める審査員が、次の人をステージに立たせた。入れ違いで戻ってくる白坂をルブロンは横目で追った。

 「よし。結構いけてたろ」

 「ああ」

 白坂はギターをケースに丁寧に納める。立ち上がった。汗をシャツの袖で拭う。背中は雨に降られたようだ。

 「……取り敢えずは酒か?」

 「運動の後の一杯は格別だよな」

 さっそくスマホでゲームをする白坂と会場を出る。

 オーストラリアのきつい西日が出迎えた。染みが落ちたように雲は白い。結局このオーディションには落ちることになる。あるいはルブロンの危機感がそうさせたと思うのは傲慢か。

 遅れて、興奮した浜田が早口でしゃべりながら追ってくる。白坂は暢気にビールを飲んだ。会場のすぐ傍にあるカフェだ。僕もそれに倣ってジョッキに口をつける。

「やべぇ。旨いな」

「ああ。上手かったよ」

「いや、僕はもう度肝抜かれましたね。うん、うん。無名だと聞いたからどうしようかと思いましたもの。しっかし。はあああ。止めなくてよかったぁ。……お二人とも、これは番狂わせがあるかもしれませんよお!」

 その場で足踏みする浜田は今にもどこかへ走り出しそうだった。

 三宮はもう一度ジョッキを煽る。心で感じた音楽の余韻が、まだ楽しい。

お読みいただき有難う御座いました。

お気軽に感想やレビューをお書きください。応援して貰えたら、とても励みになります。


次作は五月上旬予定です。少々お待ちください。

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