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喝采の跡  作者: 真月 一蓮


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前編

 ノートパソコンを立ち上げ、メールボックスを確認した。

 「お疲れ様です。今夜来ていただけなかったのは残念でした。本当に、一度聴けば分かります。あのバンドは近いうちにメジャーになりますよ。※後で現在のライヴ予定も送ります。 株式会社ミュジー 配信事業部 第二グループ 崎本友則」

 家に帰ってすぐに送ったのだろう。返信はしなかった。

 三宮さんのみやは眠ろうとしていたところでノートパソコンのサイドランプに気付いたところだった。


 リビングの消し忘れを確認したら水を飲み、トイレで用を足した。起きた時に口の中が渇いているのが不快で、水分を取る。しかし深夜に用を足すので起きるのは、この上なく不快なことだ。四十二歳にもなると、仕方のないことかもしれない。

 冷たいフローリングを裸足で踏む。木の葉を赤く染めていく秋風が窓にネオンを運んでくる。

 単純に、神経質なのだ。

 通りの車の走行音が聞こえないよう、高さのあるマンションを選んだ。それでも上からの生活音は微かに聞こえる。どこかのビルは夜になると屋上広告に明かりを点ける。

 舌打ちをしたって耳障りな音が間近で鳴るだけだ。代わりにラヂオヘッドの『クリープ』をスマホで流した。二回ループして、スリープ状態にする設定もしておく。


 ――ドラムとギターで構成された前奏が響く。繊細という言葉がもしなかったら、この音を聞いた人はなにを感じるのだろう。僕たちは誰かが作った言葉で、音符で、自己を表現し、また評価している。借り物の表現だ。


 やめよう。こんなことを考えたら眠れなくなる。


 明日の段取りを頭の中でさらった。

 午前中に連絡事項を済ませる。午後からレコーディングに立ち会い、五時に音楽雑誌の編集者と話す予定だ。水曜日の社食はサーモンフライ定食で、昼食の時間はとれる。タルタルソースを多めにしてくれと言っているけどそれが叶ったことは一度もない。たった一往復、スプーンを動かすだけなのに。

 スマホの画面が暗くなり、スリープ状態に移行した。


 三宮は世界で人気の音楽アプリ会社「ミュジー」に勤めている。アプリは世界で二番目に売れた。一番売れている音楽アプリは中国の作った海賊版アプリだ。そちらは無料で音楽をダウンロードできる。こちらは有料会員でないとオフラインでは聞けないしアルバムはランダム再生だ。音質は言うまでもなく、こちらの方がいい。

 社内での仕事を終えて駅へ向かうと、見計らったように崎本から電話がきた。

 「今夜は来れそうですか」

 「インタビューが終わり次第行くよ」

 「ありがとうございます。デモを聞くより、まず生で聞いてみて欲しいんですよ。特に彼のギターが凄くて」

 三宮はため息を強く意識して抑えた。

 「よかったとしても、うちで出来ることなんてせいぜい配信するくらいだぞ。大型の箱やライヴ会場を手配することもできない」

 そういった権利は、古くからある音楽会社が強固に守っていた。新参のアプリ会社というのを、古い連中は嫌っている。

 「そうですけど。できれば三宮さんに聞いてほしいです。まだ無名だった頃のレイカンズを発掘した三宮さんのお墨付きがあれば、うちの部でやっているインディーズ特集も進めやすいと思うんですよ」

 「……時間通りに終われば行くよ」


 インタビューは大手音楽雑誌のものだ。初めの頃は質問を想定し、答えを準備していた。しかしこちらが心配になるほど回答には突っ込まれなかったからそれもしなくなった。

 終わると、ライヴハウスに足が向いた。

 配信が簡単になった今ではライヴを一本打つより、動画を一つ出した方が知名度を得られる可能性は遥かに高い。


 それは理解している。

 しかし、どこか引っ掛かった。なにかを見落としている気がしてしまう。僕は音楽というのが分からなくなっていた。

 ――音楽アプリで流すのは曲ではなく、時間だ。

 上司の言葉が、脳裏に染み付いて離れない。その染みを落としたい。だけどその方法が分からない。


 「よかった来てくれた。どうぞこっちです。みんな、僕の上司の三宮悠斗さんです。あのレイカンズを市場に出して、黎明時代を支えた人ですから」

 「「「へぇ」」」

 入った時のなんだ、こいつは。といった顔がほころぶ。

 若い連中だ。

 「いやぁ、こんな時に限って白坂しらさかがまだですよ。来るとは思いますけど」

 「白坂?」

 「ギターです」

 崎本が耳打ちする。

 「間に合うんだろう?」

 「そう、ですね」

 崎本の顔が引き攣る。

 来なかったら、僕は無駄足になる。


 リーダーはボーカルを務める林だ。それからドラムの棚田に、ベースの矢渡が演奏する。スタンダードな四人組だった。崎本は既に関係を築いているのか、気安く話している。

 十五分のリハーサルが始まる。それが終わると、少し休憩してからライヴ開始だった。


 ボーカルは、歌もギターも下手ではなかった。ドラムはバスドラムがしっかりしている分、手の方がおざなりだ。ベースは辛うじて聞けるものだった。アマチュアではかなりのものだろう。

 ドラムとベースのリズム隊がしっかりとしている。

 若いバンド特有の暴力的な部分はなく、聞きやすくはあった。だがパンチがない。

 「悪くないですよね」

 ここにギターが加わったところで程度は知れている。ヒットする曲があれば、もう少し話は違うだろうが。

 考えているところに、慌てた様子の人影が近付く。

 「悪い悪い。電車乗り過ごしちまった」

 「彼が白坂くんです」

 「うす」

 顎を軽く下げて、彼は崎本と僕が立つ間のスペースに挨拶していった。年嵩は二十代の前半くらいだろう。身長は低くなく、ひょろりとしていた。

 リハーサルの時間はあと一分と少しだ。

 白坂はチューニングもそこそこに、ギターを鳴らす。PA(楽器ごとの音量を調整し、観客へ届く音響を確認する役割)からもう少し前に立ってくれと注意されていた。アンプの横に置いたペットボトルの水を持ち、ギターとシールドで繋がるマルチエフェクターを足でずりずりと前に押す。

 三宮は粗忽な人間が好きじゃない。足で操作するエフェクターでもそういう風に動かして欲しくはない。


 リハーサルが伸びたせいで、すぐに本番になる。観客が入れられ、ハウスの中は人いきれで熱気が増した。

 肌が思い出す。

 音楽の熱だ。

 一曲目で違和感に気付いた。

 その正体はまだ分からない。掴めない。

 二曲目で、確信したい。と自ら期待していた。このバンドの成功じゃない。白坂の音楽が、なにかを持っていることに。

 楽器をまるで手足のように扱える。そんな人間は少ないが見てきた。彼らは一様に素晴らしい音楽を奏でる。しかし白坂は違った。

 ギターは彼の中にあった。


 音を、まるで自在に扱うのだ。

 歩くように奏で、走りだすように音階を疾走する。

 ギターの存在は近くにあるが遠く、音を鳴らした後にギターの存在はなかった。音だけが浮遊し、好きなように飛び回る。

 こんな音楽は聞いたことがない。


 高音を出すにはギターの根本近くのフレットを押さえる。しかし彼はほとんど左腕を動かさなかった。フレットは重要じゃないとでも言うように。弦に軽く触れ、振動を細かくするハーモニクスを活用しているのは分かるが、そんなプレイスタイルは考え付きもしない。

 心臓の鼓動がする。久しぶりで、不自然な高鳴りにブランクを感じた。

 超絶技巧ではない。ただ自然なだけだ。そしてその自然さに、僕が出会った全てのアーティストは辿りつけなかった。


 「どうでしたか」

 下戸の崎本はハウスルールのワンドリンクでオーダーした炭酸水を飲んでいる。期待に瞳の奥が踊っていた。

 「規格外だった」

 「やった。ですよね。良いバンドですよ」

 まさかそこまで評されるとは思っていなかったのか、崎本は何度も頷いた。

 「ギターの彼」

 「白坂ですか。いや、ソロの部分は痺れますよ。あれはすごい。なんていうか、ジャズっぽいんですよね」

 早口でまくし立てるものだから、二の句を次げなくてもどかしい。

 「うん。連絡先は?」

 「ありますけど、ボーカルの林がリーダーなので連絡はそっちに」

 「いや、彼と話がしたい」


 

 連絡を取ると白坂は簡単に応じてくれた。崎本が発見した大手柄を、奪い取ることに躊躇はなかった。まだ崎本が白坂の価値を「凄い」くらいにしか理解していないのも背中を押した。

 スタジオで待ち合わせる。遅刻してきたのは予想したが、手ぶらなのは予想外だった。

 「おはよう」

 好奇心に満ちた足取りで白坂が入ってくる。視線をぐるりと一周させた。

 「すげえ部屋」

 白い長袖のワイシャツと、茶色の短パン姿だ。どこかに出掛けたついでに来たらしい。

 「ここはレイカンズの木場くんのスタジオだよ」

 都内にある貸しビルのワンフロアだ。一時期は、そこの街道でレイカンズを一目見ようとするファンが列を作っていた。

 「ほおん」

 素直に感嘆の声を出した白坂は、気恥ずかしくなったのか。急に顔を引き締めた。「弾きたいか」と、問うと白坂は頷いた。


 六本も掛けられるギターラックにはアコースティックギターが一本と、ベースが一本ある。フェンダーのエレキギターもあり、それを手に取ろうした白坂を僕は慌てて止めた。両方とも木場の私物だが、フェンダーの方は特にお気に入りだからだ。壊されでもしたら長年の友好も簡単に崩れるだろう。


 白坂はライヴではエドワーズのレスポールを使っていた。正直になればフェンダーの演奏も見たかったが仕方ない。

 スタジオは通常、部屋に仕切りがある。演奏する防音室と、音を編集する部屋とを分ける為だ。だがこのスタジオは仕切りがない。平面の四角いフロアにドラムセットが一つ。周りに小さな木製の丸椅子が三つあるくらいだ。

 とにかくオープンで、物が少ないこと。

 レイカンズが注文したのはそれだけだ。そしてここ以上のスタジオを三宮は見たことがなかった。

 ドラムセットの前にある丸椅子に座った白坂はアコースティックギターを膝に乗せる。エレキギターとは違い、アコースティックギターは本体が分厚いので持つとかさばる。白坂は立てた右ひざにすんなりと納めた。その格好だけで、こいつはかなり弾けるやつだと分かる人には分かる。

 音が出てきた。


 アンプもエフェクターも通さない。生音だ。


 僕はミキサーの後ろに座ったまま、何気ない風を装い彼の音を聞いた。


 そうしないと自分の中の何かが侮辱されてしまう気がしたからだ。彼がギターのプレイを終えると、さも退屈だったように話し掛ける。


 「ギターはいつから?」

 「中学生くらいか。ピアノやってたんだけど、ギターの方が楽そうだろ?」

 聞けば、母親はジャズピアニストらしい。反抗期になったところで、ちょうどよくギターに出会ったそうだ。

 「なにを意識して音を出している」

 自分でもどうしようもないくらい興味が湧いた。

 「左手でフレットを押さえて、右手のピックで弾いてる」

 「特別な何かは自分にはないわけだ」

 思いがけず挑発するような言葉が出てしまう。

 「はあ?」

 「顔を近づけるのは癖か」

 「目が悪くて七フレットのポジションマークが見えねぇんだよ。家でゲームする時は眼鏡してるし」

 嘘だ。この男はフレットとかポジションとか、そんな事を考えながら弾いてはいない。

 「見なくても弾けるだろう」

 「見えてた方がいいに決まってるだろ」

 白坂の呆れ声に、笑ってしまった。

 結局のところ彼のなにがプレイを特別にさせているのか分からなかった。僕が理解できないだけだろう。天才というのはそういうものだ。理解できないのに凄いことだけが分かるから、天才という言葉は一種の線引きみたいにして使われる。


 「ギターで売れたくないか?」

 警戒するように、白坂は三宮を見る。

 「そりゃあな。ギターで金くれんならやる。ちょうどライヴもしばらくないし」

 不本意そうに白坂は言う。

 「そうなのか。まさか解散か?」

 それなら都合がいい。

 「はあ? みんなこの時期は忙しいんだよ。林は出張で台湾に行くし」

 「そうか。手伝ってほしいことがある」

 「暇じゃないぞ。やりたいゲームは幾らでもあるし」

 暇じゃない人間は平日のこんな時間に二つ返事で来ない。

 「音楽を一歩進めるんだ」

 ぎゅっと胸の前で握り拳を作る。

 「急に胡散臭くなってきた。……ちゃんと金はくれんだよな?」


 怪しまれつつも一先ずの約束はできた。

 白坂を売り出す前に、足りないものがある。幸運にも僕は一目で見破ることができた。

 それは世界観だ。

 高い水準で平面的で、彼独自の世界がない。だから作られた曲の通りに弾くことしかしないのだ。


 技術に裏打ちされた個性ほど、売り出すのに必要なものはない。単にギターが上手いだけではダメだ。音を別次元で操れても聴衆が理解できなければ意味はない。大衆に認められるには、大衆が理解できる個性が必要だった。


 だから手始めに彼の「世界」を広げたい。人は体験により世界を広げ、広げた世界を居心地のいいように変化させる。世界観とは、行動範囲の主観的観測から作られる。世界が広ければそれだけ大きく、ぶれにくい世界観が形成される。


 僕が教えられるのは僕の世界だけだ。スタジオはその一環だった。僕が経験していて、白坂の経験していないこと。それを共有することが僕と彼とを結びつける紐になる。紐がなければ、気の向くままに飛んで行ってしまうだろう。

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