第31話:魔女と廻り道
朝靄の残る道を、私は一人歩いていた。
山の斜面を背に、緩やかな下り坂が続いている。先ほどまで冷たかった空気は、陽が差し始めたことでわずかに緩み、足元の草に露を残したまま静かに揺れていた。
星見の街を発って数日。
このまま東へ進めば、流通都市マルゼンにたどり着く。街道には旅人の姿も見えはじめ、道端では行商人らしき荷車の音も聞こえていた。にぎわいの予感はあった。 ──それでも、心のどこかに引っかかるものがあった。
私は、一度立ち止まり、魔法地図を展開した。淡い光で浮かび上がる地形と都市名。その一角に記された文字に、ふと目がとまる。
──商人ギルド・古文書庫。
(……ああ、そうでしたね)
私は視線を落とし、地図の記載に軽く指を添えた。
そして、そっとつぶやく。
「……たしか、閲覧には信頼ある肩書きが必要でしたね」
信頼──すなわち、Cランク以上の冒険者であること。
それは、単に魔物と戦えるかどうかではなく、危険に対して責任ある行動を取れるという証でもある。
私は肩にかけた小さな鞄の重さを確かめながら、しばし黙考した。
いまの私はDランク。
活動に不自由はないけれど、このままでは文書庫の扉は開かない。
そしてもうひとつ。
地方支部での昇格申請は、審査や認定までに時間がかかる。
──けれど、セルティアなら。
私は再び地図を見直し、現在地から分岐する道を辿った。
森沿いの川を渡り、西へと向かえば、いくらか遠回りにはなるけれど──。
「……なら、一度、セルティアに戻りましょうか」
歩きながら、私はそう決めた。
寄り道ではなく、目的のための一手。ほんの少し、回り道をするだけの話だ。
朝の風が、木々の間をすり抜けていく。
私はゆっくりと歩き出した。光に満ちていく道を、迷いなく。
* * *
西へ向かう街道は、想像していたよりも穏やかだった。私はかつて訪れた冒険都市セルティアの門を再びくぐっていた。
見慣れた広場。人々の声、空を舞う飛行鳥。訪れたのはそんなに前のことではないけれど、どこか懐かしさを覚える。
けれど今回は、依頼を探すためではない。私には、ひとつの目的があった。
──昇格試験の申請。
地方ギルドでは申請から認定までに長い時間を要する。けれど、ここセルティアならば、即日で試験を受け、合否が出る。古文書庫を訪れるために、Cランクの肩書きを得ることは必須。そのための回り道だ。
私は受付へと足を運び、昇格申請の意志を告げた。対応してくれたのは、若い女性職員だった。淡い金髪をまとめ、端末を手にしたまま穏やかな笑みを浮かべている。
「昇格をご希望ですね。Dランクから、Cランク……ルシア・フェーンさん、でよろしいですか?」
「はい。申請をお願いしたいのですが」
「かしこまりました。端末の提示をお願いします。……はい、確認が取れました。実績がかなりありますね。危険度C以上の依頼も、補助参加とはいえ複数回こなされています。よろしければ、即日での実地試験も可能ですが──ご希望されますか?」
「ええ、それでお願いできますか」
女性職員は小さく頷き、笑みを深めた。
「はい、では準備をいたします。内容は、簡易任務形式の模擬試験になります。試されるのは魔力の扱いだけでなく、判断力、行動力なども含まれます」
(……私にとっては、少し容易すぎるかもしれませんね)
「それでは、こちらでしばらくお待ちください」
私は案内された控室で静かに目を閉じ、魔力の流れを整えた。無駄な力は抜き、必要な意識だけを研ぎ澄ます。思えば、こうして試験を受けるのもずいぶんと久しぶりだった。
やがて名が呼ばれ、試験区域へと移動する。
課題は、都市外縁に設けられた訓練施設での模擬任務。小規模な魔力異常の発生地点を探知し、原因を特定、魔物との戦闘もあるが、目的は魔力を安定化させるというものだった。異常の揺れは浅く、封印処理も形式通り。魔物も私からしたらそこそこ強い程度のものだ。あとは観測魔法と魔力制御を順に重ねていけば、特に危険もなく収束へと至る。
──終わったときには、陽がやや傾き始めていた。
「ルシア・フェーン殿。試験は正常に終了しました」
声をかけてきたのは、試験監督を務めた初老の男性職員だった。記録端末を確認しながら、静かに続ける。
「これをもって、貴殿をCランクに認定いたします。こちらに、端末をかざしてください」
私は差し出した端末を魔力接続用の台座に置いた。対になる端末が青い光を返し、昇格の記録が正式に更新される。
──DからCへ。
「おめでとうございます。今後も、安全にご活躍を」
「……ありがとうございます」
私は静かに礼を述べる。
これで、次の街で必要となる資格は整った。
私はそっと端末を懐へ戻す。──旅は、まだ続いていく。
* * *
セルティアを発ったのは、午後も深まった頃だった。
街を囲む防壁がゆっくりと後方へと遠ざかっていく。背後には活気と喧騒が残り、私は一人、再び旅路へと足を踏み出していた。
陽が傾くにつれて、道の端には長い影が伸びはじめる。街道の向こうには、なだらかな丘と森が続いており、その先には、流通都市マルゼンがあるはずだ。
(さて……どんな場所なのでしょうか)
街の名を思い浮かべながら、私は小さく息をついた。
人と物と、情報と金。そのすべてが流れる都市。きっと、喧噪と混沌に満ちているだろう。
けれど、私の目的はひとつ。
古文書庫──かつての記録が眠る場所。
人知れず消えた時代の断片が、そこには残されているかもしれない。
もし、何かが見つかるのなら。
それは、私がかつて置いてきたものに、再び触れることになるかもしれない。
その覚悟は、とうにできていた。
風が吹き抜け、道端の草をざわめかせた。
私はそれに背中を押されるように歩き出す。
ゆっくりと、けれど迷いなく。




