100話 零号、特異点へ:二つの鍵
セバスチャンは、旧陸軍中央研究所の極秘施設から脱出する直前、中央演算室の隅に放置されていた、煤けた木製の杖を拾い上げた。それは、クロード王子たちが持つ千鶴の杖と瓜二つの形状をしていたが、素材や輝きは明らかに劣っていた。
「これは…プロトタイプ(試作品)ですか、東條」
「あ、ああ…零号。カミの力を研究する過程で、千鶴の力を模倣しようとした失敗の記録だ。だが、その不確定な構造が、今、アザトースの秩序を乱す触媒となるかもしれない…」
セバスチャンは、その失敗の杖を、自らが持つアザトースの失敗の知識を流し込むための道具として認識した。彼の行動の優先順位は、既に定められていた。
「本物のリリアーナ様は、この杖の本来の主。私の真の主です。しかし、今は、作戦の大将たるクロード王子に従うことが、最優先の合理性だ」
彼は、クロード王子が残していった転送のための座標の断片を再構築し、千鶴の杖のレプリカを力強く握りしめた。武神の血のエネルギーと、アザトースの反論理が、その杖を媒介に融合した。
「クロード王子。遅くなりましたが、執事が参ります。そして、主の運命を、必ず守り抜きます」
セバスチャンの体が、青と赤の光に包まれた。彼は、愛と憎しみの螺旋を超越した、第三の力を携えて、主の戦場へと転送されていった。
時の特異点:最後の増援
時の特異点。空間は、クロード王子が構築した青い論理の構造と、リリアーナが千鶴の力で作り出した黒い混沌の歪みが衝突し、激しいノイズを上げていた。
知神アザトースと鶴神千鶴は、人間がカミの力を利用するという予想外の事態に、焦燥の色を浮かべていた。
「アザトース!混沌が論理を侵食している!このままでは、封印されるぞ!」
「愚かだ、クロード!秩序と混沌の融合は、存在の否定だ!全てが無に帰すぞ!」
アザトースが論理の紋様を強化し、クロード王子の構築した構造を破壊しようとした、その時。
空間の境界線が、激しくねじ曲がった。武神の暴力とも、アザトースの論理とも違う、予測不能な転送だった。
光の中から現れたのは、執事服に身を包んだセバスチャンだった。彼は左手に、煤けた千鶴の杖のレプリカを携えていた。
「セバスチャン!どうしてここに!」
クロード王子の声に、安堵の色が浮かぶ。
「クロード王子。遅れて申し訳ありません。ですが、これで全ての鍵が揃いました」
セバスチャンは、左手の杖に、研究所から得たアザトースの失敗の知識を、反論理的な奔流として集中させた。
「零号…!なぜ、その知識を…!その杖は…ノイズの塊だ!」
アザトースが初めて、動揺を露わにした。彼の論理的トラップの全てを知り尽くした、彼自身の過去の失敗の具現化が、この場に現れたのだ。
「知神アザトース。あなたの秩序の論理には、致命的な盲点がある」
セバスチャンは、そう言い放つと、左手のレプリカの杖を、クロード王子が構築した青い論理の構造めがけて、放出した。
「究極の非合理、自己否定の論理をもって、あなたの知性を、一時的に停止させます!」
セバスチャンの力が、アザトースの論理を、瞬時に「フリーズ」させた。青い紋様が、一瞬で、消滅した。
「今だ、クロード王子!アザトースが動けない今、混沌と運命の融合を完成させるのです!」




