後編
7年ほど前、クリスがぶった切ったグレイからの質問についに答えるときがきた。
並んで腰掛けているベッドにきちんと座りなおしてから口を開く。
今から語るのは、一応機密事項なのだ。
「えーと…最初、交わりからね。多分男女のアレコレ」
「ふーん、ほーお?おれたちが命かけてるってときに、王子は随分余裕ですこと!」
25の男がプンスコしてもかわいくないよと言うと、グレイはくねくねしながらクリスひっどぉ〜いと言ってきた。
かわいくないどころかキモいというのは、友のよしみで言わないでやる。
「ゴホン。詳しくはわからんけど、襲撃数落ちたとかって話題になったの9ヶ月ほど前じゃん?」
「スカンピラーの強さが落ち始めたあのとき?」
「そうそう」
9ヶ月前、目に見えてスカンピラーは弱った。
数が減るわ、新兵卒でも楽に倒せるような状態かつ、1匹あたりの人員を下げても大丈夫という、スカンピラー撃破バーゲンセールになってしまったのである。
この9ヶ月前というのと、半年ほど前に新聞に踊った記事が不気味なほど合っていた。
「で、来月子供産まれるよね、王子んとこ」
「あ」
「そゆこと。キスとかも含まれてるのに子作りが入らんわけがないよね」
「なるほどー」
不思議な話である。
異世界の女を手にすれば世界を、国を守ることができ、子供を作ればさらに強くなる。
異世界の血を取り込めということだろうか。
王宮からちょっぴり事情をかじったままでほっぽりだされたクリスには未だわからない。
未だに勝手にやれ!私を巻き込むな!と思ってはいるが。
「子供ができたらどうなるの?」
なのでグレイからの質問には答えられなかった。
しかしセックスするだけで激しい差を体感できるほどスカンピラーは激減する。
子供が無事この世に生れ落ちれば、多分なおのこと強まるのではないだろうか。
「わかんないから推測だけど…スカンピラー絶滅?」
「わお」
「要はジュリア様との交わりイコール、ジュリアの血や成分入ってるのが増えるたびに強化されるから、2人目作ったら軍いらなくなっちゃうんじゃない?」
愛の力は世界を救っちまうんだクソ〜!というと、グレイもまごうことなきクソ〜!といって笑った。
これを誰かに見られたら、クリスたちは間違いなく不敬で処罰だ。
しかし事実なのでしょうがない。
ゲラゲラと色気もなく笑い、クリスは最大の秘密をグレイに明かそうとふと思う。
相棒のサラにも、仲間である第5小隊の仲間にも、なんとなく明かしていない。
この秘密を封印することで、この世界に順応してきたのでずっと封印しておこうと思っていた。
だけどなんとなく、聞いてほしい。
「最後。私、栗栖舞矢っていうんだ」
「え?」
こいつなにいってんの?という顔のグレイの顔がおもしろい。
勢いで伝えよう。
どうかさらに笑ってくれますように。
「姓が栗栖で、名前が舞矢。あのクソ王宮でちゃんと聞かれなかったからクリス・マイヤーになっちゃった」
クリスは私だけど私でない。
この異世界が勝手に押し付けてきやがったとずっと思っていた。
だいたい合ってるけど名前さえ奪われるってどうなの。
てかどう見てもクリスって顔じゃないじゃん。
ずっと腹に抱えていたけれど、グレイにぶちまけてクリスはーー舞矢はすっきりした。
グレイは目をまん丸にしている。
でも眉間にシワができていた。
こいつ器用だよな〜ほんと。
「えと…マイヤ」
「クリスでいいよ」
「でもマイヤなんでしょ」
「まぁね!ちなみに樹理愛は名前そのまま姓が田中なんだ、ぜ」
グレイがそっと手を握ってきた。
えっちょっとなんですか。
別れの握手今やっとくってか。
慌てふためく舞矢を尻目に、グレイはあーだのうーだの唸っている。
「…きついことを聞く」
押さえつけたようなグレイの声に、本当は茶化して返事をしたかったけれどぐっと息を飲んで頷いた。
「まだ隠してるよね」
「え」
「3日前、王宮からの使者が君にさりげなくメモ渡していってからおかしいよ」
お前いつ見たんだよ私のストーカーか。
そう茶化して言えたらいいのに、茶化せる雰囲気ではない。
「…ジュリアが子供産んだらさ。元の世界に私も一緒に返してくれるって半年前に言われててさ」
「うん」
「楽しみにしてたんだけど、溜めてた魔力、ジュリアの行き帰りに使うから、私は、ダメ、なん、だって」
泣くな、私。
自分を心のなかで叱責して、クリスは足の指に涙よ引けとばかりなぎゅっと力を込めた。
これくらいの優しさと、あれくらいの意地悪で泣くな。
いい年だろ、卑怯だろ。
ここに呼ばれたときから、帰れないなんて覚悟していたはずだ。
なのにどうしても、涙が流れる。
「よ〜しこれから王家滅ぼしに行こう!」
半日あれば落ちる落ちる!と鬼を背後に背負って笑うグレイにさすがに泣きながら笑った。
涙の堰は少し戻ったらしく、ちょっとだけ引っ込んで、落ち着いた。
「とゆーわけで、ジュリアが嫌がらせしてこないとこに避難するの、私」
「だから遠くで公式で安全確認取られてないワンドハイザー?」
「うん。多分スカンピラーいなくなったら、流通も人も交通も戻るし住みやすくなりそうだから」
ははぁ、なるほどなるほど。
そう呟くグレイはなかなかクリスの手を離してくれない。
いい加減離してほしいな、ちょっと汗かいてきたし。
涙と鼻水もちゃんと拭きたい。
ねぇと声をかけると、グレイはおれは天才だ!と突然声をあげた。
…私の部屋、士官室でよかった。
防護仕様じゃなかったら声でバレてナムアミダブツだった。
そう思ってため息をつくクリスを、グレイは満面の笑みで見て口を開く。
「おれと結婚しよう!」
「…ファ」
変な声が出た。
こいつは一体なにを言っているのだ。
「ワンドハイザーなんて行かせない。そもそもマイヤ悪くないのに逃げる必要ないし」
「そうですけどね?」
「あのクソ王宮からもちゃんと守る!」
「う、うれしいけど、友達だからってそんな、」
偽造結婚!?と舞矢が思うのは、グレイの出自による。
舞矢が軍で過ごして1年後によくやく理解したのは、このゆるいグレイが実は軍部名家のお坊ちゃんで、本来友達づきあいもかなわないような将来を約束されているウルトラエリートということだ。
そんなグレイなら確かに王宮から舞矢をいろんな意味で守れるだろう。
ある程度やり過ごしたら解放されてそのまま雇われる系だろうか。
「よく考えたら他の男にマイヤ取られるのはムカつくし!」
「いつからお前は私の父になった、あ」
ぐいっと掴まれていた手をひっぱられ、グレイに向かってバランスを崩してしまう。
抱きしめられ、肩口にグレイの顔が埋まっているものだから吐息が近い。
近すぎる。
「おれのこと、嫌い?」
言わないまま、思い出のままにしとこうと思ったのにな。
冗談でごまかせないやと舞矢は観念して、グレイの背に手を回した。
◆
その日の昼、ワンドハイザーの役場に一通の辞令が中央から届いた。
"クリス・マイヤー少尉の婚姻のため、この度の辞令を取り消す。"
寂れた田舎に首都航空隊のエース『黒き魔女』が就職しにやって来る!
それを楽しみに、また当てにしていたワンドハイザーの人々の嘆きと、しかし結婚はおめでたいとの喜びの声はしばらく街を支配したという。
しかし軍部から遅れて送られてきた十分すぎる迷惑料で、街の復興が捗り、人員も十分確保できたため、次第に『黒き魔女』を望む声はなくなっていった。
3ヶ月後、見覚えのある顔のマイヤ・デンニウム伯爵夫人が誕生し、王妃失踪の新聞が世間を騒然とさせるのだが、これはまた別の話。