ひと
その頃、俺の一日の動き方が決まりつつあった。朝、朝食が終わってすぐくらいに庭の手入れ、昼食を食べて、二時間ほどあいつの勉強を見る。その後は院内の雑務や雑用を手伝って、夕方手前に庭に水を撒く。夕食を食べた後はやっぱり雑務と雑用。でも慣れてみればさほど大変でもない。
「お兄さん。高村さんと仲良しなの?二人で話してるのここからよく見る」
「どうだろうな。なんとなく、気は合う気がするが」
勉強を見ている途中であいつはそういって聞いてきた。一応その手は一生懸命数式を書いているからまぁいいとしよう。できた!と声をあげたあいつからノートを受け取り、採点をする。その様子を見ながらアイツは口を開いた。
「お兄さんは友達ってどのくらいいる?」
「友達?」
「うん。お兄さんのお友達」
友達、と言われて振り返る。引きこもり始めた当初、かなり気に掛けてくれた奴らは、いつの間にか、というか俺の態度が悪かったせいで離れて行った。今友達と呼べる人はいない気がする。採点をしながらぼんやりとそう思う。
「多分、いない。今は」
「昔はいた?」
「あぁ」
「友達ってどんな?」
それは予想していない質問だった。考えてみても明確な答えはない。
「私、あんまり仲良しの友達っていないの。えーっと、気の置けない友達?って言うんだっけ」
ベッドの上で膝を抱え込んだあいつは手を顎に当てて首をかしげる。最後まで採点をして、俺は赤ペンを置いた。
「あんまり、学校にも行けなかったから。友達自体いたことないから。どんな感じなのかなぁって。友達と遊ぶってどういう感じなのかなぁって思って」
「そーか」
「うん。ねぇ、友達てどうやってなるの?」
そんなの知らない。けれど、明確な答えは持たなくても珍しく答えてやれる質問だから。俺も珍しく考えた。
「どうやってとかじゃない。いつの間にか。なってる」
「いつの間にか?ん?」
うまく感じが掴めないらしい。俺は苦く笑って言葉を重ねる。うまく説明できないが、時間と言葉を使えばなんとなくは掴めるかもしれない。そう思って。
「最初から友達なわけじゃない。まぁ、友達の定義ってのはそれぞれだろうが。よく気が合って、一緒にいると楽しい。で、気付いたら友達になってるってもんだと思う」
「ふぅん…」
あいつの反応は思ったほど芳しいものではなく。俺は内心間違ったことを言ったかと焦る。
「じゃあ、私にお友達って出来ないね。同じくらいの年でそれだけ長い時間一緒に入れる人なんていないもん」
「別に、友達って同い年くらいにかぎったことじゃねぇだろ」
「でも、私にとっては3つより多く離れたら友達にはなれないよ。まだ。だって子供扱いする人と子供扱いされる人が友達って言えると思う?実際そのくらい年は慣れてるしそりゃ、そういう風でも慣れるかもしれない。でも、私が多分そう思えないから」
それじゃ、友達になれてないもん。抱えた膝の上に顎を置いてアイツは何もない目の前の壁をにらみつけた。
「ねぇ、お兄さんは高村さんと友達になる?」
「さぁな。そんなの占い師でもないのにわかるかよ」
でも、と思った。確かに奴なら友達になれる気がする。あとどれほど時間を重ねられるかはわからないが。
「でも、そうだな。なれるかもしれないな」
「そっか。いいねー」
あいつは少し羨ましそうな笑顔を浮かべた。この施設に同い年前後の子供なんていないし、誰かの見舞いにしてもめったに来ない。それでは確かにあいつが望むような関係になれはしないのだろう。
「でもな、友達っつってもいいところだけじゃねぇぞ」
「そうなの?」
「人間同士だぞ。そんなうまくいくか」
「…-そっか」
少し幻滅したような暗い色がアイツの瞳を横切る。
「そっか、そう…だよね。そんなうまくいくわけない、よね」
あいつは口の中で何かつぶやいた。あいにく俺には聞こえなかったが、いつになく暗く、冷たい表情に良いことではないのだろう。と判断した。
「人間関係ってそんなもんだよ。お互い何をしたわけじゃなくてもそりが合わないなんてこともある。ちょっと気に食わないってだけで相手を貶す奴だっている」
「そんなの小説の中だけだと思ってた」
「お前って本当に世間知らずだなと俺はしみじみ思う」
しょうがないじゃん、と怒る手前のあいつに俺は苦笑を向けた。するとなぜかあいつは黙り込む。
「少し羨ましいかもしれないな」
いつまでたっても苦く苦く残る記憶が、こんなことを言わせた。俺がはっとして、悪い。と謝ると、あいつは首を振る。
「お兄さんは今逃げてるんだね。何かから。私にはそれが何かなんてわからないけど。私を羨ましいなんて言うくらいだから相当なことなんだろうね」
こういうところは本当にこいつの方が俺より余程大人だと思う。そういうところは本当に癇に障って仕方ない。自分が悪いのも棚に上げて、八つ当たりしそうになる。
「無いものねだりなんだけどね。こんな状態が羨ましいって思ってみたいな。なんて不謹慎かな」
遠くを見つめてうっすらと笑みを浮かべるあいつは間違いなく俺より大人だ。それを見ていると自分を静観したうえで笑ってしまえるくらいだ。
「……人なんていつでも無い物ねだりだろ」
「そっか、哀しいね。そういうの」
哀しい。あぁ、そうだ。俺はずっと悲しんでいて悲しむことにさえ今疲れてる。悲しんでるのは多分、亡くした恋人のことだけじゃなくて、今の自分や世の中や、どうしようもないことも全部。それは久々に良く眠った朝に目を開いたかのような感覚だった。
「そうだな。哀しい、な。そう、哀しいんだ」
「…お兄さん?」
あいつが不思議そうな顔でこちらを見ていた。俺はただ込み上げてくる熱いものを押しとどめるのに必死で、うまいこと良い繕うこともできずにあいつの病室を後にした。




